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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第四章 美しき都街
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会社員の男と芸妓の娘

 佑暉の父、河口かわぐち慎二しんじは京都市中京区で育った。小さな薬屋を営業していた薬剤師だった父は、跡継ぎの長男、和一かずいちが小学生の時から配合などを教え、二歳年下の慎二は羨ましそうにそれを遠くから見ているだけだった。母はそんな慎二のことが可哀想に思い、彼の遊び相手になると彼も当分はそれで満足したのか、父よりも母と話す機会の方が多かったという。しかし、母は慎二が小学四年生の時に病で早世してしまった。


 それから兄の和一は父の店を継ぐために大学に進学し、慎二は高校卒業後、上京して東京のゲーム会社に就職した。若手ながらもシステム・エンジニアとして重宝され、入社五年目の夏、上司の出張の付き添いとして京都に行くことになったのだ。慎二にとって、実に四年半ぶりの京都であった。


 東京に帰る前日の夜、慎二は上司に連れられ、祇園近辺の料亭に来た。そこには取引先のお偉方も数名同席し、一番若い慎二は隅の方で上司たちに酌をしていると、そこに数名の芸妓が現れた。彼女たちが舞いを披露すると、料亭にいた男たちは手を叩いて喜んだ。慎二も、その舞いを遠くから見ていた。


 芸妓たちは舞台から降り、客に酒を振る舞う。慎二のところにも一人の芸妓が銚子を持ってきて、彼の前に腰を下ろしたのだ。慎二は、その芸妓に酒を注いでもらい、それを一気に飲み干した。


「どこから来はったんどす?」


「あ、東京です」


「まあ……実はうちも東京出身なんどす」


「それにしては京言葉がお上手ですね」


 二人は互いに、そんな言葉を交わしたという。


 その気さくな人柄に、慎二は心を惹かれたのだった。思いきって名前を尋ねると、その芸妓は「知江ちえといいます」と答えた。さらに、十五歳の時に東京から京都に来て舞妓になった、と彼女は言い添えた。


 彼女の話を聞き、慎二はますます知江という女性に興味が湧いた。上司の存在も忘れ、無我夢中に知江に内輪話などを語って聞かせると、彼女も嫌がることなく、頷きながら彼の話に耳を傾けていた。慎二が二十三歳、知江が十九歳の時である。


 帰り際、慎二は領収書の裏に自分の住所を書いて、知江に渡した。初め知江は断わったが、慎二は強引に彼女にそれを握らせたのだった。


 東京に帰った後、慎二は知江からの手紙を待った。だが、一週間が過ぎても彼女からの便りはなかった。慎二も、仕事の多忙さから次第に彼女のことを忘れてしまった。しかし一月ほどが経ったある日、一通の手紙が慎二の住んでいたアパートに届けられたのだ。


 差出人名を見ると、「中城知江」とあった。それが知江からの手紙だと分かると、慎二は嬉々としながらすぐに封を切り、便箋を広げた。そこには、彼女の近況がきれいな文字で綴られていた。


 慎二もその日のうちに返事を書き、それから彼女との文通が始まった。


 その四年後、また慎二は出張で京都に行くことになった。今度は上司の付き添いではなく、彼自身に任された仕事であった。慎二はそのことを手紙に書いて知江に送ると、彼女から料亭の名前と勤務時間が記された返事が送られてきた。慎二は内心驚きを隠せなかったが、あの日から知江への好意は日毎に積もっていたのだ。制御不能となった感情は、果ての見えない砂漠を彷徨い続けていた。慎二は、知江と会うことを楽しみにしたのである。


 無事に契約が完了した日の夜、慎二は知江のいる料亭に足を運んだ。知江は芸妓としてまた座敷に上がり、踊りを披露していた。その舞いを見終わった瞬間、慎二は四年間、胸のうちで温め続けてきたある思いを彼女に伝える決断をした。


 知江が慎二のところに酒を持ってくると、彼は彼女を外に誘い出した。円山公園まで連れてくると、青々と葉を茂らせた桜の木の下で、慎二は知江に結婚の申込みをしたのだ。彼女は頬に二筋の涙を走らせながら、その話を承諾した。


 慎二は会社に電話で頼み込み、特別に出張の期間を延ばしてもらうと、知江が奉仕している置屋の女将に挨拶に出向き、許しを請うた。許可が降りると慎二は実家に帰り、父にも知江との結婚の話をした。すると父から断固反対され、彼が食い下がると口論になり、結果的に勘当されてしまったのである。知江から父のことを聞かれると、慎二はなんとか誤魔化しつつ結納の準備を進めた。そして、二人の仲人を務めた人物こそが知江としばしば付き合いのあった、夫とともに旅館を経営する正美であった。


 結納が終わると式は挙げず、慎二は知江を東京に連れて帰った。


 しかし、その三年後。腹に子を宿した知江が突然、正美の旅館を訪ねてきたのだ。ここで働かせてほしい、と泣きついてきたという。


 そこまで話し終えると、正美は急に口を噤んでしまった。


「どうしました?」


 佑暉が心配そうにきくと、正美は難しい顔で軽く下唇を噛む。


「ここからは……あなたにとったら、辛い話になると思うんやけど」


「話してください、お願いします」


 佑暉は、半歩前に進み出て懇願した。「知りたい」という欲求が、彼をその行動に結びつけたのだ。全く躊躇いがなかったわけはないが、それでも、自分の感情に素直でいたかった。


 正美は了承したように頷き、彼を見つめながら話を再開する。


 知江は、東京に帰ってからも芸妓として茶屋で働いていた。昼間は慎二が会社で働き、夜は知江が稼ぎに出るという暮らしをしばらく続けていたのだ。結婚した二年後に佑暉が誕生し、それなりに日々の生活に慣れ始めてきた頃、知江はその茶屋に訪れた一人の客に誘われた。


 勿論、彼女は断ろうとしたが断りきれず、その男性客の子供を身籠ってしまった。そのことが判明してすぐ、相手の男は忽然と行方を晦ませてしまったという。


 そのことを夫の慎二に打ち明け、手をついて謝るとあっさりと許してくれた。しかし、知江本人が自分を許すことができず、離婚したいと言い出した。慎二は当然のように反対したが、知江は結局、何度も彼に謝りながら、彼と一歳になったばかりの佑暉を残し、一人で京都へ帰っていってしまった。


 その後、正美の旅館に転がり込むと、知江は泣きながら彼女に事情を話したのだ。この時、正美は知江から事の顛末をすべて聞かされていた。


 知江は娘の佐希を出産した後、生活が安定するまで正美の旅館で働いていた。その傍ら、娘の教育にも力を注いでいたという。


 佐希が中学校に上がる直前、知江は久しぶりに慎二に宛てて手紙を認めた。違う男性から娘が生まれたこと、娘が置屋に入りたがっていることなどを書き綴って送った。その手紙を読んで、慎二は初めて佐希の存在を知ったのだった。


 それからしばらく二人は再び文通を続けていたが、佐希が置屋に入った数ヶ月後、知江に癌が見つかったのだ。知江はそれを正美に告げた際、置屋にいる娘には言わないでほしい、と涙を散らしながら哀願した。


 正美は彼女からの頼みを聞き入れ、約束を守った。その結果、娘の佐希が母の病を知ったのは、知江がこの世を去ってからであった。

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