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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第四章 美しき都街
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懐疑の真実

 師走の「ふたまつ」は慌ただしかった。普段は、出張中のサラリーマンなどが宿泊客の多くを占めるが、冬休みが始まると京都観光に訪れた家族なども泊まりにくる。すでに多くの予約が入り、二十九日から大晦日にかけては満室となっている。


 十二月二十七日。この日、佑暉も旅館の掃除を手伝った。というのも、正美や仲居たちが総出で掃除や夕餉の支度に追われている中、彩香は部活の練習に、夏葉は受験生のため塾に出ていて留守だったのだ。


 幸い、佑暉は部活には入っていないので、休みの間は基本的に旅館にいる。冬休みの宿題も粗方済んでしまい、手持ち無沙汰だったため自ら手伝いを願い出ると、正美から「いやあ、助かるわ」と感謝された。佑暉はそれから、彼女に浴場や露天風呂の床掃除に加え、客室の窓拭きも頼まれた。


 佑暉が客室に足を踏み入れるのは、これが初めてである。窓の外を覗くと、真下の東大路通を車がしきりに流れていた。さらに視線を左に少し移すと、いつも歩いている通学路が見える。ガラス越しに冬の穏やかな白い光が差し込み、眠気を誘う。


 ずっとここからの景色を眺めていたい気分だったが、佑暉は正美から与えられた仕事に取りかかった。初めてかつ貴重な経験だから、なるべく丁寧にすることを心がけ、順序良くこなしていく。ここに来てようやく毎日の恩を返している気になり、彼は正美が驚くほどピカピカにしようという気概を込め、部屋の窓を拭いた。


 しかし、時にサキのことが発作的に頭を過ぎる。その度に、彼の手の動きは一瞬鈍くなる。結局、送り火を観にいったあの夜から、彼女とは一度も会っていなかったのだ。何度かメールではやり取りしたものの、思いの丈を告げるまでには至らなかった。


 僕はチキンだ……と佑暉は、自分を卑下するばかりだ。


 そこへ正美が様子を見にくると、手が止まっている佑暉に声をかける。


「疲れたやろ。ちょっと休憩してもええよ」


「いえ、大丈夫です。すみません」


 佑暉は振り返り様にそう返すが、正美の顔を見た瞬間、彼女に嘘はつけないと悟った。正美が、まるで心の奥まで見透かしたような目で彼を見つめていたからだ。


 佑暉は傍に置いた藤色のポリバケツの縁に雑巾を掛けると、


「で、では、お言葉に甘えて……」


 と言って、すごすごと正美の横を通り過ぎようとした。その時、


「無理せんでええよ」


 と、気落ちした様子の佑暉に、正美がまた優しく言葉をかけた。その声が、彼には何故か正美がこれまで以上に心配しているように聞こえた。この違和感にやや不安を覚えたが、佑暉は何もきかずに彼女に頭を下げ、客室を出て自室に向かった。


 部屋に戻ると、どっと疲れが出たように畳に腰を下ろす。一息つき、何気なく机の方を見ると、そこに一つの白い封筒が置かれてあるのに気づいた。佑暉は即座に机の側へ這い寄ると、その封筒を手に取る。それは裏返しに置かれていて、表面を向けると佑暉の名が書かれてあった。隅には、父の名が記されている。


 それは慎二から佑暉宛に届けられた手紙であった。二学期に入ってからも、佑暉は幾度か父とメールで連絡を取り合っていたが、手紙が届くのは初めてである。頭の中の不安の色がより濃くなり、彼は怪訝そうに封筒を見つめた。


 重要なことだろうか……と佑暉は意を決し、封を切る。糊づけされていただけなので、簡単に開けられた。


 中を覗くと、二枚の手紙が入れられていた。佑暉は直感でそのうちの一枚を取り出すと、広げて読み始めた。そこには彼の予想通り、父の字が連ねられてある。


 一文目には、このように書かれてあった。



『佑暉へ。

 実は、君に伝えておきたいことがあって、この手紙を書くことにした。』



 これを読んで佑暉は驚いた。慎二は、彼のことを名前で呼ぶ時以外は「君」ではなく、「お前」と呼んでいるからだ。父から「君」などと呼ばれたことは、彼の記憶を辿ってみてもあまり例がなかった。


 何故、ここでは「君」なのだろうかと気になりながら、さらに読み進める。



『実は、もっと早くに伝えておくべきだったんだが、夏頃は仕事が追いつかなくて、思うように時間がとれなかったんだ。今頃になってごめんな。


 君がお盆に帰ってきた時、話してくれたことがあったな。サキちゃん、だったかな? それを聞いて、思い出したことがあったんだ。どうか、落ち着いて読んでくれ。ここからは多分、君にとって信じられないことをたくさん書くと思うが、今から書くことは全部本当なんだ。


 まず初めに、君には母さんのこと、今まであまり詳しく話したことがなかったよな。色々と事情があって離婚した……としか、言ってなかったような気がする。いつか言おうと思ってたけど、どのタイミングで言えばいいのかもわからなかったんだ。本当にすまない。


 単刀直入に言おう。君には、同じ母から生まれた妹がいる。その子は、京都で舞妓をやっている。その子の名前は、中城佐希。今は中学三年生、だったと思う。母親の名前は知江というのだが、知江はその子を身ごもってすぐ家を出て京都に引っ越した。勿論、俺と君を残して。


 封筒の中に、もう一枚手紙が入っていただろう。この手紙と一緒に、知江からその子に宛てられた手紙を添えた。もう読んだか? それを読めばわかるだろう。信じるか信じないかは、佑暉個人の問題だから、俺にはとやかく言うつもりはない。


 じゃあ、何か聞きたいことがあったら電話かメール、もしくは手紙でもいいぞ。気持ちが落ち着いてからでいいから、連絡をくれると有り難い。 父より』



 佑暉は、ゆっくりとその手紙を机の上に置いた。その後すぐに立ち上がり、部屋を飛び出していった。


 玄関まで行き、靴を履いて外に出る。それに仲居の一人が気づき、声をかけたが、彼は振り向かずに走った。特に行く当てがあるわけではない。勝手に足が動いたのだ。


 何故、そんな大事なことをずっと黙っていたのだろう。父が隠し事をするような人間でないことは、佑暉もよく知っている。それ故に、悔しかったのだ。佑暉は脇目も振らず、横断歩道の赤信号に行き当たるまで、ただ走り続けた。

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