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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
35/62

走れ

 四条河原町の交差点で、しばらく佑暉は呆然と佇んでいたが、思考が追いついてくると少しずつ実感が湧いた。


 結局、サキと会うことはできなかった。悔しさに遭い、佑暉は溜息をつく。


 囃子に加わるだけでこの広い祇園から、たった一人の彼女に見つけてもらえるはずなどないとは自覚していた。それでも何もしないよりは幾分ましだ、という気持ちもあった。万が一にも奇跡が起こるのではないかと期待もしたが、やはり無理があったのは明瞭である。


 佑暉は先程の建物まで戻り、そこで着替えてから、改めて次の手段を思索することにした。そうして引き返そうとすると、後ろから慌ただしい足音が響いてくるのが聞こえた。サンダルの音だ、と彼は直感した。


「あ、いたいた!」


 という声に佑暉は強く反応し、振り向くと浴衣をまとった四人組の少女が目に入った。赤やピンク、黄色のカラフルな浴衣の袖を振りながら彼に近づいてくる。彩香、愛咲、夏葉、結都の四人であった。


 彩香たちに囲まれると、佑暉は絶句し、固まってしまった。状況がよく分かっていないような顔の佑暉に、まず愛咲が話しかけた。


「さっき、行列の中に河口に似てる子がいるなって思って近くまで行ってみてんやんか。そしたら、マジで本人やったからびっくりしたわ。何してたん、自分」


 彼女からきかれると、佑暉は事の顛末を皆に話そうと口を開きかけたが、また閉じてしまった。馬鹿げたことをしてしまった、という羞恥と後悔の念が、彼の心の芯の周りをぐるぐる回り続ける。彩香たちが聞いたら笑うのではないか、という懸念が彼を逡巡させたのだ。


 佑暉が俯き、何も言葉を発さないでいるのを気にしてか、今度は彩香が彼に言う。


「それでな。さっき会った時、サキちゃんと一緒ちゃうかったからさ、もしかしたらはぐれたんかもって思って、あの子にメールしてん」


 彩香のその言葉は、沈んだ色の佑暉の心に再び明かりを灯す。


「本当ですか」


 佑暉が顔を上げて尋ねると、彩香は鷹揚に頷いた。


「八坂神社で待ってるって言ってたから、早く行ってあげや」


 皆の優しさを再認識した佑暉は、「ありがとうございます」と彼女たちに頭を下げると、着ている浴衣がはだけるのも厭わず、神社に向けて走り出すのだった。


 本来、浴衣を返すのを優先しなければならないが、一刻も早くサキのところへ行き、彼女を安心させたかった。彼の浴衣はすっかりはだけて下着が覗き、もはや帯は元来の役割を果たしていない。浴衣の褄先は地面を引きずられ、すれ違う人々はしばしば彼に視線を送った。それでも佑暉は足を止めることなく、片手で両襟を掴んで中身を隠しながら、人混みを掻き分けて四条大橋を渡り、八坂神社へ急いだ。


 恥じるのは着いてからにしようと佑暉はまた自分に暗示をかけ、ひたすら走り続けた。



 午後四時半の神社周辺は、まだまだ人気が多かった。佑暉は西楼門前の石段を駆け上り、サキの姿を探す。今朝、彼女と待ち合わせた場所に目をやると、そこにサキの姿はあった。楼門の傍に立ち、そわそわしたように周りを気にしている。佑暉は彼女の近くまで駆けていき、そして呼びかける。


「サキ……」


 息切れした声は、境内の喧騒に掻き消された。それでも、サキは佑暉の声が聞こえたように、視線を彼の方に向けた。


「やっと会えたね」


 サキは微笑み、佑暉の前に歩いてきた。


「待ってたんだよ。……どうしたの、それ?」


 サキは佑暉の身形を気にしたように、眉を上下させる。佑暉も気がつき、それについて弁解し始めた。


「君がいなくなった時、僕の目の前を偶然、行列が通ったんだ。そこに加わったら君が気づいてくれるかなと思って、お願いして参加させてもらったんだよ。スマホの充電が切れちゃって、そうすることでしか会えない気がしたから……」


 説明するうちに、佑暉は再び羞恥に溺れた。何故あんなことをしてしまったのか、と改めて考える。


「それで……ね……」


 佑暉はしどろもどろになりながら言葉を探っていると、サキが突然声に出して笑い出した。それを見ると、彼はさらに赤面してしまう。


「面白いこと考えるね、佑暉君って」


 サキは佑暉の予想に反して、感心していた。


「じゃあ、早く返しに行かないとね」


 サキはそう笑うと歩き出し、石段を下り始めた。徐々に傾き始めた陽が地面を照らし、彼女の後ろに影を作っている。佑暉はその場に立ったまま、ぼんやりとそれを見ていた。すると、サキが振り返って彼を呼んだ。


「佑暉君?」


 その声でふと我に返った佑暉は、慌てて彼女のところに走った。


 浴衣を借りた建物に戻り、それを返した。そして、佑暉は元々の浴衣に着替えると、そこでまた坪内と会い、礼を告げてから建物を後にした。サキはその間、外で待っていた。


 佑暉が外に出てくると、サキが「お参りしたい」と言い出したので、八坂神社まで戻ることにした。



 拝殿の前へ行くと、佑暉は賽銭箱に十円玉を投入する。その後すぐに手を合わせようとする佑暉を、サキが横から止めた。


「待って。佑暉君、神社でお参りするのは初めて?」


「初めてではないけど、よく行くわけでもないから、初詣の時くらいかな」


「分かった。見てて」


 サキはそう言うと、佑暉の前に出た。彼女も十円玉を入れて釣鐘を鳴らすと、二回礼をして二回手を叩いて拝み、最後にもう一度礼をした。


 これを「二拝二拍手一拝」といい、参拝の作法なのだと彼女は言った。


 サキの手本通りに佑暉は参拝をし、それが終わると彼女はつけ足すようにこう言うのだった。


「神社は神様の家だから、作法を忘れると失礼なんだよ」


「ごめん、次から気をつけるよ」


 幾重にも洗練された彼女の信仰心は、見習うべきところがある。そんな意志を込めて、佑暉は答えた。


 二人は夜まで四条や河原町を遊歩することにし、東大路通へ引き返した。楼門が見えてくると、急にサキが立ち止まった。


「あそこで粽が売ってるよ」


 サキが前方を指しながら言うので、


「粽?」


 と、佑暉は首を傾げた。


 西楼門をくぐってすぐのところに、屋台が出ていた。そこで粽が売っているという。昨日も長刀鉾のすぐ側で粽が売られていたことを、佑暉は思い出した。しかし粽といえば子どもの日に売られるという印象が強く、彼の疑問は一層深まった。


「どうして粽が売ってるの?」


「玄関前に飾っておくと、厄除けになるんだって。あ、子どもの日に出てるやつとは違うから食べられないけどね」


 サキの博識ぶりに、佑暉はまた感服してしまう。京都のことなら彼女にきけば間違いないとさえ思える。それは舞妓としての経験が生きる瞬間でもあり、彼女がより輝いて見えた。


 サキは屋台の前に行き、店員の女性に声をかけた。


「二本ください」


「はい、二千円ね」


 サキは、ピンクの丸くて小さいポシェットの仲から財布を取り出すと、金を払った。そして店員からビニール袋を二つ受け取ると、そのうちの一つを後ろにいた佑暉に渡す。佑暉がやや戸惑い気味に、


「これ、いいの?」


 と尋ねると、サキは微笑しながら頷いた。


「お金は返さなくていいからね」


 彼女はそう言うが、佑暉は了解しなかった。


「駄目だよ」


 今度は佑暉が自分のバッグから財布を出し、千円をサキに渡した。彼女に散々迷惑をかけておきながら、これ以上の借りを作るわけにはいかないという信念は、佑暉の性格からくる特質的なものだったろう。


「ほんとに律儀だね」


 サキは苦笑しながら千円を受け取って財布に仕舞うと、歩き出した。


 楼門から外に出ると石段を下り、交差点まで来た時、サキが腕時計で時間を確認する。


「もう六時だね。そろそろ、屋台が出る頃かな」


 サキは呟くように言うと、隣で信号が青になるのを待っている佑暉にきいた。


「行ってみる?」


「夜から用事があるって言ってたけど、大丈夫なの?」


 佑暉は、「夕方まで予定が入っていない」と彼女自身が言っていたのを覚えていた。勝手に、夕方からは予定があるのだと思い込んでいたから、少し混乱しつつ佑暉は彼女を見つめる。


「…………」


 サキは何も答えない。俯き、ただ真っ直ぐな視線を地面に落としている。信号が青になると彼女は顔を上げ、佑暉に微笑みかけた。


「大丈夫、行こう」


 サキはそう言うと、四条通に沿って再び歩き出した。彼女の進行方向からは、参拝前よりもさらに低くなった西日が射し、四条界隈を行き交う人々の影をより濃くしている。佑暉は不安を抱きつつも、これ以上サキを説得しようという気は起こらなかった。そして、夕映えの空を眺めながら彼女の後を追っていった。

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