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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
34/62

囃子ラプソディー

 行列は立ち止まったまま囃子を奏でている。それを、通行人がカメラやスマートフォンで撮影している。


 佑暉は浮かんだ案が果たして正解なのか分からず逡巡したが、自力で見つける手段がないのだからと迷いを押し切った。探せないのなら、彼女に気づいてもらうしかない。


 羞恥心を押し殺し、佑暉は囃子の最後尾で笛を吹いている男性に近づいた。


「す、すみません」


 意を決し、そう話しかけると男性は振り返った。


「お、なんや?」


 四十歳くらいの気前の良さそうな男であった。この囃子に参加している人々は皆、同じ柄の浴衣を身に着けている。白を基調とした生地、巴紋の柄が夏らしい。


「すみません、一緒に来ていた人とはぐれてしまって……」


「おや、迷子か?」


「いや、あの。そうじゃなくて……」


 佑暉は火照り、声も次第に小さくなった。実質迷子かもしれないと思ったが、やはり高校生にもなって迷子扱いをされるのは情けなかったのだ。


「携帯の電池が切れてしまって、連絡が取れないんです。だから……僕を行列に混ぜてくれませんか。そうしたら、彼女も気づいてくれそうな気がするので。お願いします!」


 佑暉が哀願するように頭を下げると、案の定その男は怪訝そうに眉根を寄せた。


「そんなん急に言われてもなあ、俺も今はスマホ持ち合わせてへんし……」


「ちょっとだけでいいんです。何でもしますので、どうか仲間に入れてください!」


 必死に頼む佑暉を見て、男はますます困ったような表情になる。そして、しばらく閉口した後、再び歩き出そうとする前列へ大声で指示を送った。


「ちょい待って!」


 するとピタリと演奏が止み、行列は再び静止する。男は再び佑暉の方を向くと、


「じゃあ、ちょっとついて来てくれるか」


 と言った。男が歩き始めるので、佑暉は言われるがままその男についていった。


 すぐ側の横断歩道を渡りながら、男は佑暉に尋ねた。


「君、名前は?」


「はい、河口です」


 佑暉が答えると、男は振り返ってにこやかに笑った。


「ほう、河口君か。俺は坪内や、よろしく」


 優しい言葉をかけられ、佑暉は安堵した。同時に、彼がこの男に対して少なからず抱いていた「怖い」という感情は霧散し、緊張が少しほぐれたような気分になった。


 向かいの歩道まで来ると、坪内は前方を指さした。


「この先にな、御旅所があんねん」


 御旅所は、祭に使われる神輿などを一時期蔵置しておく場所だと佑暉は教えられた。佑暉も黙って頷くと、男は手前の角を右に曲がった。


 両脇をビルや店で囲まれた路地。坪内の話によると、この道も寺町通だという。佑暉は坪内の数歩後ろをついて歩くが、彼は少しばかり案じていた。これからどこに連れて行かれるのか見当もつかない。サキと会えず、徒労に終わるかもしれない。改めて冷静になって考えると、何故あんな思考に行き着いたのか、佑暉は自分でも理解しがたかった。


「着いた」


 坪内が立ち止まると、佑暉の方を振り向いた。坪内の背後には、こぢんまりとした二階建ての家が建っていた。両隣をオフィスビルに挟まれ、二階と一階に窓が二つずつ。壁全体が黒く塗装され、瓦屋根は古い日本家屋のような雰囲気を出している。そして一階を見ると、黄土色の格子扉が窓に挟まれた状態であった。


 坪内が格子戸を開くと顔だけを中に入れ、誰かを呼んだ。すると紺色の浴衣の初老の男性が顔を出した。眼鏡をかけ、メッシュのように白髪が入った頭を片手でかきながら、坪内の話に耳を傾けていた。歳は六十代前半と思われ、坪内と二人、建物の前で立ち話をしている。


 佑暉は坪内の少し後ろに立ちすくみ、黙ってその様子を見ていた。途中、初老の男が何度も佑暉を一瞥した。その視線を受ける度、彼は居心地の悪さを感じ、なるべく男と目を合わせないように足許を見つめていた。


 佑暉にとってその時間は非常に長く、延々続く気がしていたが、ようやく坪内が彼の方を振り返った。


「よっしゃ、河口君。じゃあ、ついて来てくれ」


 そう言って、坪内は佑暉を家の中に案内した。玄関から上がると正面に広間があり、十数人ほどの男女がいた。皆、共通の浴衣を着、床に座って太鼓や笛を練習している。


「こっちや」


 坪内は、その人々の間を大きな足音を立てながら進んでいく。それを、佑暉も肩をすくめながら追った。突き当たりの階段を上がると、長い廊下が西に向かって伸びていた。坪内はさらに佑暉に手招きし、その廊下を歩いていった。突き当たりには部屋が二つあった。


 坪内は右側の個室のドアを開けると、次に近くを通りかかった女性に声をかけ、手招きして呼んだ。その女性も、一階で楽器を練習していた人々と同じ浴衣を着ており、パタパタと足袋の擦れる音を響かせながら彼らに近づいてきた。坪内が女性に耳打ちすると、彼女は一旦、その場を離れていった。


「ちょっと待っててな」


 坪内は佑暉に優しく言った。


 数分後、女性は再び戻ってきた。両手に浴衣を抱えながら、静かに歩いてくる。それを坪内に手渡すと、ゆっくりと会釈をして立ち去った。


 坪内はその浴衣を畳まれた状態のまま、佑暉に渡した。上には、二本の白線が入った紺色の帯が載せられている。浴衣の柄を見ると、坪内の着ているものと同じように思われた。


「サイズが合うか分からんけど、とりあえず着てみ。じゃあ、着終わったらおりてきてな。外で待ってるから」


「あ……う……」


 坪内は片手で佑暉の背中を押し、彼を個室の中に入れると階段の方に歩いていってしまった。


 佑暉は少しばかり気後れした。だが、もう逃げられまいと腹をくくり、ドアを閉めた。肌色の床は、この建物が比較的新しいということを物語っていた。きっと元々あった家屋を洋風に作り変えたのだろう、と佑暉は思った。部屋の中央に置かれたテーブルは、ドアの向かい側の窓から射し込む日光を受け入れ、木の甲板を白く光らせている。


 窓から外を覗くと、正面にガラス張りのビルが見え、眼下に目をやると先程までいた通が見えた。


 佑暉はテーブルに浴衣を置くと、それを広げた。着ずとも、これが自分に合うサイズでないことは明白であった。大人でも身長がかなり高くなければ、裾を引きずってしまいそうなほどであった。佑暉の身長は、同年代の中でも低い方なので大き過ぎる。


 正美が彼のサイズに合わせて仕立て直してくれた浴衣とは、相容れないものがあった。


 佑暉は袖を通すと両手で腰の辺りを掴み、引き上げた。続いて、ずれ落ちないように押さえつけながら帯を巻く。着終わると、部屋を出て一階におりた。


 裾を踏みそうになる度に、佑暉は帯の周りを気にした。今はきつく縛っているが、少しでも緩めば一瞬ではだけてしまうだろう。裾がなるべく落ちないようにと力一杯強く締めたため、歩くごとに佑暉は息苦しさを味わった。


 仕方がなかった、と割り切ることすらもどかしく感じられる。


 心許ない浴衣を身につけた佑暉が外に出ると、建物の前で坪内が彼を待っていた。


「ほな、行こうか」


 坪内は佑暉を見ると、笑顔を絶やさずに言った。しかし、彼は佑暉の浴衣の着方については言及しなかった。


 傍から見ればエキセントリックな外見に相違ないが、これもサキを探すためだと佑暉は自己暗示をかける。万が一、サキが近くを通った際、より気づいてくれるだろうと前向きに考えることにしたのだ。


 四条通では、二人が戻ってくるのを待っていたように、囃子の行列が一歩も動かずに整然と並んでいた。坪内によって、佑暉に小太鼓が手渡された。勿論、佑暉はそれを演奏するどころか持ったことすらない。見た目以上の重さに、佑暉は驚嘆した。


 坪内は、


「それ、持ってるだけでいいからな」


 とだけ告げた。


 坪内が最後尾から号令をかけると、ずっと待機していた行列が河原町に向かって再び緩やかに動き出す。笛の音が四条通に響き渡り、続いて太鼓の音、鉦の「こんちきちん」という音が続く。鉦の音が、祇園祭の囃子をそれとなく盛り上げているように聞こえた。


 小太鼓を手にした佑暉は坪内と一緒に最後尾を歩きながら、前方の人々が奏でる音をただ聴いていた。やがて胸の鼓動は加速し、サキから声をかけられることだけを願った。


 四条河原町が見えてきた時、佑暉の着ている浴衣の裾が、少しずつ落ち始めていた。それに気がつき、佑暉は慌てて小太鼓を持っている手と逆の手で、腰を押さえつける。だが、浴衣は洪水のようにとめどなく流れていく。


 通行人たちもそれに気づき、こちらを見ているに違いない……そんな想像が胸中で膨らみ、佑暉は顔を上げることもできなくなった。


 冷や汗が額を迸り、目許がじわりと熱くなる。絶体絶命という言葉が脳裏をちらついた時、急に行列が止まった。そっと顔を上げると、河原町通を自動車が走っているのが見えた。


 さらにそこから数分間、演奏が続いた。やがて演奏は止み、囃子に参加していた人々が一斉に深く頭を下げる。すると周りから拍手が沸き起こる。そして三々五々に集まっていた見物人たちは徐々に離れていき、大勢の演奏者たちもそれぞれに散っていった。


 佑暉が戸惑っていると、坪内が近づいてきて彼の肩をぽんと叩いた。


「お疲れさん」


 そう言うと、佑暉から小太鼓を取り上げる。


「え……でも……」


 佑暉が何か言い出す前に、坪内も早々に引き上げていった。行列を成していた人々も、彼に声をかけることなく去っていく。佑暉はまた、一人ぽつんと取り残された。

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