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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
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寺町商店街

 サキがいない。四方八方を見渡してみるが、やはりどこにもいない。不安になった佑暉は彼女に電話をかけようとしたが、ロックを解除してキーパッドを表示させた直後に画面は真っ暗になり、それ以来うんともすんとも言わなくなった。


 佑暉は頭の中が真っ白になり、恐慌をきたした。冷静になろうと試みるも、心拍数が上がってそれどころではない。充電が切れた一番の要因は、山鉾巡行で写真を撮りすぎたことだろうと彼が自覚したのは、それから五分後のことである。


 佑暉はどうにか平静を取り戻し、サキを探しに行こうと歩き出した。寺町通もまだ観光客で混雑していて、当分は減りそうにない。この雑踏の中から連絡も取り合わず、目当ての人間を一人見つけるなど、困難を極めるどころか不可能に等しいとさえ思えた。立ち止まれば、逆流してくる人に肩などが当たりそうになる。


 一旦、佑暉は道の端に移動し、サキを探す方法を思案することにした。


 ここで待っていたら彼女が見つけにきてくれるだろうか、という期待も僅かながらあった。しかし、彼女とはぐれてしまったのは佑暉の不注意が原因であり、それは疑いようもない事実なのであった。


 ――原因が僕にあるのなら、立ち止まっているわけにはいかない。


 決心を固め、佑暉が再び足を前に踏み出そうとすると、後ろから彼に声がかけられた。


「あれ、河口やん。ここで何してんの」


 その声に振り向くと、愛咲が歩いてきた。彩香、夏葉、結都も一緒だった。偶然、彼女たちが彼の近くを通りかかったらしい。九死に一生を得た思いで、佑暉は事情を彼女たちに話そうとした。彩香や夏葉なら、サキの連絡先を知っている。


「あ、あの……」


 佑暉がそう言いかけた瞬間、夏葉が向こうを指さしながら声を発した。


「あ、見てー!」


 指された方を振り返ってみると、寺町のマスコットキャラクターなのか、浴衣を着た着ぐるみが観光客と一緒に写真を撮っているのが見えた。夏葉が小さい子供のようにそちらへ駆けていくのを、愛咲と結都も追っていく。そんな中、彩香が唯一、佑暉の顔色を気にしたように尋ねた。


「あれ、サキちゃんは?」


 佑暉が答えようとすると、数メートル先から愛咲が彩香を呼んだ。彩香も返事をし、そちらに走っていってしまった。四人はマスコットとツーショットを撮るため、順番待ちをしているようだった。それを見ていた佑暉は仕方なく、それが済むまで待つことにした。


 彼女たちが写真を撮り終えるのを待っている間、佑暉は手持ち無沙汰になり、気分を紛らわすために周りの店を眺めていた。すると、彼のちょうど真後ろ辺りに「寺町呉服店」と書かれた看板が出ていた。店の入口には暖簾がかかり、下方から着物の裾が覗いているのが見える。


 その時、佑暉はまた父の話を思い出した。まさかという予感、積乱雲のごとく突如発生する好奇心に、彼は敵わなかった。彩香たちのことが気にかかったが、我慢できずに暖簾をくぐると、店内では一人の女性が着物の手入れをしていた。編み込んだ髪型は、着ている和服によく似合う。その女性は無言で、丁寧にブラシで売り物についた埃を払っている。


 佑暉がまじまじとその様子を注視していると、女性は気がついて振り向いた。


「いらっしゃい」


 女性は、突然目の前に現れた彼に対して、驚くでもなく怪訝そうな表情を浮かべるでもなく、至って温厚な笑顔で声をかけた。歳は四十代前後と思われ、身にまとった黒の着物には、鮮やかな白で百合がふんだんに描かれている。加えて、胸下に巻かれた淡藤色の帯は着物の色とは対照的に思えるが、それゆえに微妙な迫力があり、佑暉はそのオーラに気圧されそうになる。


「あ、すみません、見ていただけです」


 佑暉はそう言って、逃げるように彼女に背を向けようすると、


「待って」


 と、呼び止められた。女性は佑暉の前まで歩いてくると、彼の巻いている帯を解き始めた。完全に帯が彼の身体から離れると、女性は帯を端部が床につかないように持ちながら、浴衣の両裾を交互に引っ張り、腰紐の上から再び巻き始めた。佑暉も気づかないうちに、解けかけていたのだ。


「これ、自分で締めたの?」


 女性の問いかけに対し、佑暉は軽く首を振った。


「……いえ、居候先の人がしてくれました」


「居候? きいていいのか分からへんけど、それはどんな事情で?」


「父親の、仕事の都合です」


「へえ、偉いなあ。しっかりしてはる」


「そんなことないです。色んな人に、迷惑かけっぱなしです」


「ふーん。よし、できた!」


 女性は帯を直し終えると、満足そうに身体を反らせた。


「苦しくない?」


「大丈夫です、ありがとうございます」


 佑暉が言うと、女性は何かに気づいたように目を丸くした。


「この浴衣、よう見たら昔うちで作ってた浴衣やないの」


「そうなんですか?」


「懐かしいわあ。うちの父親が縫ったんやけど、最高の出来やって言うてたわ」


 感慨深そうに話す彼女の話を、佑暉は彼女の顔を見つめながら恍惚と聞き入っていた。


「これ、その居候先にあったの?」


 女性が尋ねた。


「はい。そこの女将さ……奥さんの旦那さんの私物です」


「もしかして、帯もその人が?」


「はい」


「やっぱり。腰紐はしっかり結ばれてたから、そんな気がしたんよ。それにしても不思議やわ。これ、今はもう作ってないのよ。でも見た感じ、あんまり汚れてへんね。よっぽど大切にしてきはったんやと思うわ」


 女性はうっとりと目を細める。彼女の話を聞き、佑暉は改めてこの浴衣の重みを自覚した。正美は、自身の夫の遺物であるにもかかわらず、これを佑暉に着せたのだ。サキの華々しい浴衣とは正反対に地味だが、彼はこの浴衣をひどく気に入っていた。


 サキは、あの浴衣をどこで購入したのだろうか……などと考えていた佑暉は、肝心なことを思い出す。サキを探さなければいけない。


 佑暉は、眼前の女性にサキを見かけなかったか尋ねようと顎を上げ、彼女を見つめた。


「あの、おききしたいのですが……」


「何?」


「赤い浴衣を着た、髪の短い女の子を見ませんでしたか」


 サキの特徴を教えると、女性は首を傾げた。


「さあ……見てへんなぁ」


 少しだけ期待していた佑暉は落胆したが、


「ありがとうございました」


 と言って、女性に頭を下げた。そうして踵を返そうとすると、女性がまた彼を引き止めた。


「ちょっと待って。名前、教えてくれる?」


「サキといいます」


 佑暉が振り返って返答すると、女性は苦笑を浮かべた。


「いや、そうやなくて。あなたの名前」


「え、あ、はい。河口佑暉です」


 佑暉は顔を少し紅潮させながら、そう答えた。しかし、彼女が自分の名前を尋ねてきた趣旨が今ひとつ理解できなかった。


 さらに彼女は、少し驚いたように目をしばたく。それを見た佑暉の疑問はまた一つ増える。


「どうしましたか」


「あぁ、何でもないよ」


 女性は佑暉に微笑み返すと、こんな話を始めた。


「私が高校の時、好きな人がおったんやけど、その人と同じ名字やったから、ちょっと驚いただけ。その人、卒業してすぐ東京に行ってしまって。それきり会うてへんのよ。結局、一回も話せへんかったけど」


 彼女はそれから、


「でも、よく考えたらどこにでもいる名前やから、不思議でも何でもないんやけど。ごめんね、変な話して」


 と続けた後、一人で笑った。


 こんなことがあるのだろうか、と佑暉は思った。この女性が慎二の初恋の相手だったとすると、父は彼女に片想いし、彼女も父に片想いしていたのかもしれない。今の話を慎二したら、一体どんな顔をするのだろうかと想像するだけで、佑暉もつられて笑ってしまいそうだった。


 呉服店を出ると、マスコットも彩香たちの姿もなくなっていた。呉服店の女性と話している間にどこかへ行ってしまったと分かると、あのままどこにも行かずに待っていれば良かった、と佑暉は心底後悔した。


 ますます、サキが遠ざかっているような気がする。佑暉はただ我武者羅に商店街の奥へと足を進めた。


 段々と駆け足になり、しばらく商店街を真っ直ぐ進んだ後、長いアーケードを抜けるとそこは四条通だった。佑暉は荒い息を整え、からからに乾いた口内を潤そうと水筒の茶をガブガブ飲んだ。


 しかし、彼の気持ちが落ち着くことはなかった。それどころか、このままサキと会えないのではないかという予感がし、戦慄を覚えた。


 人々の話し声や車の音が、佑暉の耳に無造作に流れ込む。やがて、どうすることもできない自分に佑暉は腹が立った。だが、そんな感情さえも今は不安によってかき消されるばかりだ。四条を歩く人々は、困っている佑暉のことなど気にすることなく、彼の視界を横切っていく。その時だった。


 どこからか、柔らかい笛の音色が近づいてくるのが分かった。佑暉はその音を察知すると、顔を上げて周囲を見回した。そこへ、右から囃子の行列が歩いてくるのが見えた。太鼓や摺鉦、笛を手に持ち、数歩進むごとに立ち止まっては通行人の目を惹いている。


 行列はさらにゆっくり前進してくると、佑暉の眼前で止まった。それを眺めていた佑暉は、ふとサキを見つめるための妙案を思いついた。

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