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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
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祇園祭 山鉾巡行①

 七月十七日午前六時。アラームの音で目が覚めた佑暉は、布団から手を伸ばしてそれをオフにすると、緩やかに上体を起こした。不十分な睡眠時間だったせいか、妙に全身が重たく感じられる。


 居間に行くと、テレビから天気予報が流れていた。最高気温は京都で三十五度。天気に問題はないようだが、熱中症には充分な警戒が必要だと注意喚起されている。


 宴会場の広間を覗くと、そこには正美だけがいて、客のための朝餉の用意をしている最中であった。


「まあ、えらい早起きやないの。よう眠れた?」


 いつも通り、優しく彼に声をかける。


「おはようございます」


 佑暉は寝不足だと悟られないように含み笑いを浮かべ、挨拶を返す。だが、正美は見抜いたような顔をした。


「昨日、よく眠れへんかったんやろ」


「大丈夫です、ちょっと楽しみだっただけなので」


 佑暉は彼女に対し軽く会釈した後、居間に戻った。


 正美は彼の席に味噌汁を置きながら、


「しっかり食べたら、目ぇ覚めるやろ」


 とにっこり微笑むと、盆を抱えて部屋を出ていった。そんな正美の背中を見て、佑暉は彼女を本当の母親だと錯覚してしまった。もしもここに実の母親がいたら、彼女のような振る舞いをしたのだろうか、と。


 朝食が済むと、佑暉は浴衣に着替えるために自室に戻った。しかし帯がうまく結べずに四苦八苦していると、そこに正美が来た。


 正美は佑暉の前にしゃがむと、彼の腰に紐を巻いて硬く結び、その上から帯を巻いた。灰色の浴衣に黒い帯という地味な格好だが、浴衣を着て祭に行けるのだと思うだけで、佑暉は好きな料理を一年ぶりに食べられるほどの喜びを感じた。


 六時半を回った頃、佑暉は「ふたまつ」を出た。貴重品の入ったボディーバッグ、麦茶の入った水筒を肩に下げ、サキとの待ち合わせ場所の八坂神社に向かって歩く。


 七時の神社の周辺は、観光客などによっていつも以上の賑わいを見せている。佑暉は正面の石段を上り、境内に立つと周りを眺め回した。神社にはすでに浴衣を着た男女が大勢、出入りしている。しばらくその様を窺っていると、一人の浴衣姿の少女を見つけた。真っ赤な異彩を放つ荘厳たる神社の西楼門の傍に立ち、彼に背中を向けている。佑暉はそれをサキだと確認すると、彼女に歩み寄り、


「サキ!」


 と、呼びかけた。彼女も彼の声に反応し、振り返った。そして、爽やかな笑顔を見せる。まるで、ひと夏の始まりを告げるような眩しい笑顔だと、佑暉は思った。


「お……お待たせ、待った?」


「ううん、時間ピッタリ!」


 サキは、左手首につけている時計を見ながら言うと、さらに続けた。


「じゃあ、行こう。巡行が始まるのは九時頃だけど、早くしないと混むから」


「どこに行くの?」


「山鉾がよく見える場所。ここだと、人が多くてあんまりよく見えないと思うから、絶好のスポットに移動しようかと思って。いい?」


 この時、彼女は京都という街について熟知している、と佑暉は改めて感心した。


 サキが四条通を西に歩き始めると、佑暉はまだ状況がよく飲み込めていなかったが、彼女についていった。祇園四条の駅を通り過ぎ、橋を渡ってさらに三百メートルほど足を進めると、バス停からバスに乗り、「京都市役所前」という駅で降りた。


 降車後もサキは黙々と歩き、どこに行くのかまだ見当もつかない佑暉もそれに従った。広い大通りの前まで来た時、サキは足をぴたりと止めた。


 十階建てほどのビルがいたるところに建ち、道端に並ぶ木々からは蝉の鳴き声が聞こえる。道の広さとは不相応なほど、車の通りが少ない。サキは、嬉しそうに前を指さした。


「あ、見て! まだ、そんなに混んでないよ。早く来れて良かったね」


 カメラを手にした人が何人か目につくが、神社のような人集りは見られない。


 車道と歩道の境には黄色い規制テープが張り巡らされ、その近くを数人の警備員が行きつ戻りつしている。佑暉は左に視線を移した。観覧席のような空間が設けられ、沢山のパイプ椅子が並べられている。それを見て、サキが「チケット販売がある」と話していたのを佑暉は思い出した。


 サキは横断歩道の手前で腰を下ろした。目の前には府道三七号線、別称「御池通」が横たわり、その向こうには京都市役所の立派な建物が見える。


「佑暉君、真ん前で見られるよ!」


 嬉々として言うサキに対し、佑暉は首を振った。


「駄目だよ。通行人の邪魔になるから」


「大丈夫。この行事が終わるまでは通行止めだから」


 彼女が指さす方向を見やると、歩行者用の信号機は宵山の時のように機能していなかった。そればかりか、どの信号機も全く点灯していない。


 佑暉は納得したが、それと同時にある疑問が浮かんだ。


 通行止めということは、車はこの時間帯、ここを通ることができない。仕事などでどうしても通らなければならない人は、どうしているのだろう。その場合、ひどく遠回りをすることになるかもしれない。佑暉はそんなことを想像し、憐憫の情を抱く。


 祭りや行事は、その地域にとっては重要な文化であっても、必ずしもメリットばかりがあるわけではない。それによって迷惑する者も一定数いるのだ。誰もが得をする行事はないということを、佑暉は改めて思い知った。


「さっきよりも混んできたね……」


 サキが呟くと、佑暉も周囲を見渡す。先程まで空いていた向かい側の歩道が、訪れた人々によって埋め尽くされつつあった。サキは腕時計で時間を確認しながら、


「うーん、鉾がここに来るのは十時ぐらいかな」


 と言った。


 現在、時間は八時を過ぎている。山鉾がここに来るまでの時間を如何にして過ごすべきか、佑暉には分かり兼ねた。


 二人の隣や後ろにも人が密集してきており、身動きが取れない状態を余儀なくされている。佑暉は、ずっとしゃがみ込んでいたので足が痛くなり、立ったり座ったりを繰り返した。


 手持ち無沙汰の佑暉は、スマートフォンで山鉾の画像を探した。前祭では、二十三基の鉾が四条烏丸を出発し、河原町通から御池通へ進む。佑暉は長刀鉾の画像を見ながら、昨夜の宵山で見たそれを思い出した。


 あんなものを誰がどうやって作ったのだろう、という疑問。また、それが動くという事実が、さらに彼を驚かせた。時間が経つごとに、佑暉はドキドキと胸を高鳴らせるのだった。

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