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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
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祇園祭 宵山④

 愛咲が彩香に電話をかけ、四条烏丸で三人と合流した。愛咲が手を振って居場所を伝えると、それに気づいた彩香が夏葉と結都を連れて駆けてきた。


「もう、どこ行ってたんよ」


 心配の他に、叱責の意味も含んだような彩香の言葉に、愛咲は少し反省したような顔をする。


「ごめん。でも、あの人の多さやったから」


 そう言った後、愛咲は気まずそうに後ろに控えている佑暉の方を振り向いた。


「ってか、殆どの鉾見たよな、河口」


 それを見た彩香は、不思議そうに首を傾げた。


「あれ、もう呼び捨てにしてんの?」


「そうそう。な、楽しかったよな〜?」


 愛咲が笑いかけると、佑暉は引きつった笑みを浮かべる。愛咲は続いて、鞄の中から自分のスマートフォンを取り出した。


「見て。写真もいっぱい撮ってん」


 鼻を高くしたように、彼女は彩香たちに写真を見せる。彩香や夏葉は、覗き込むようにしてそれを見た。すると、夏葉がやや不服そうな顔で言った。


「いいなあ。うち、全然見れんかったのに」


「あんた、金魚掬いばっかりしてたからやろ」


 的確な指摘を彩香がすると、夏葉はさらにむくれた。佑暉は、彼女の機嫌を直そうと声をかけた。


「なっちゃん。金魚はいっぱい取れた?」


 夏葉は佑暉を見ると、Vサインを彼の方に突き出しながら笑った。


「一匹獲ったで」


 その手首には水の入ったビニール袋がぶら下がり、中では一匹の金魚が泳いでいる。そこにまた、彩香が口を挟んだ。


「十五回やって一匹だけやけどな」


「じゅっ……十五回?」


「いらんこと言わんでいいの!」


 また機嫌を損ねたように、夏葉は彩香を睨む。一方、佑暉は夏葉の負けん気と根性に脱帽していた。四ヶ月一緒に暮らしただけでは、人柄の裡に眠った性格までは見えないらしい。それがおかしくもあり、微笑ましくもあり、佑暉は少し表情をほころばせた。


 彩香は再び、愛咲のスマートフォンの画面を覗いていると、気がついたように言った。


「あーちゃん。スマホの充電、あと十パーもないやん」


「あ、ほんまや」


 愛咲も初めて気づいたようで、画面を消すと素早く鞄に仕舞った。


 二人の側に立っている結都は無言で腕を組みながら、人々の行き交う様子を悠々と眺めている。誰も帰ろうと言い出さないのを、佑暉は不安に感じた。早く帰らなければ正美を困らせてしまう――そんな憂慮が生まれた。


 そんな彼の思案を余所に、彩香と愛咲はその場で立ち話を始め、その隣では夏葉が自分で獲った金魚をしげしげと鑑賞している。


 佑暉は、自分のスマートフォンのロック画面を見た。時間は十一時に迫っていた。しかし、他の四人は道路に立ったまま身じろぎもしない。


 彼女たちが楽しそうにしているのを見ると、声をかけるのも躊躇われた。佑暉は困り果て、どうしていいかも分からず、ただその場に立ち尽くしていた。居場所をなくした子犬のように一人取り残されたような気分になっていると、不意に結都と目が合った。


 佑暉が驚いて視線をそらすと、


「なあ、親も心配するし、もう帰ろうや」


 と、結都は皆を促した。彩香と愛咲も顔を見合わせ、


「そうやな」


「もう遅いし……」


 と言って、同意した。これにより、彼の「帰れなくなるのではないか」問題は解決した。


 しかし、もう一つ難題が残っていたことを、佑暉は帰りの電車の中で思い出した。サキと山鉾巡行を観に行く約束をしたことを、ついに言い出せなかったのだ。


 宵山に来る時に降りた祇園四条駅へは戻らず、現在地から一番近い駅「四条」から烏丸線で「烏丸御池」まで行き、東西線に乗り換えて東山駅に向かうことになった。


 愛咲とは烏丸御池までである。行きは三人と合流するため結都と一緒に東山まで出てきたが、自宅が宇治市にあるため降りずに京都駅まで戻る必要があるという。


「終電、間に合う?」


 彩香はやや心配気味だったが、


「大丈夫やって」


 と愛咲は笑った。


 東西線のホームに向かう途中、佑暉は何度も彩香に言うべきことを話そうと試みたが、その勇気が出なかった。旅館に着くまでに言わなければならないとは思っても、失望した顔や不快そうな顔ばかりを想像してしまう。彼がそんな逡巡をしていることなど知らぬ三人は、どんどんと先へ先へと進んでいく。


 ホームへ降りると、間髪入れずに電車は来た。これを逃せば、あとは最終だけである。四人は急ぎ電車に乗り、難を回避した。


 暗黒の地下を走る電車の中で、佑暉は祭りで乱れた浴衣の帯を両手で正しながら考えた。


 ――まだ時間はある。大丈夫だ。


 そう決心をし、奮い立つまでには少々時間を費やしてしまった。そして、隣に腰かけている彩香に声をかけようとした寸前のところで、車内放送が流れた。


『次は、東山――東山です――』


 彩香と夏葉は、結都に挨拶すると席を立った。それを見て、やむを得ず佑暉も立ち上がる。やがて停車して扉が開くと、三人は降車した。


 扉が閉まり、結都を車内に残した地下鉄は走っていった。彩香と夏葉が電車に向かって手を振っているのを見ながら、佑暉は自分の間の悪さを直観していた。いつも運が悪いのは、いつまでもぐずぐずしているからだという当たり前のことが、一種の哲学のようにも思われる。


 そんな自嘲をしている間にも、確実にタイムリミットは迫ってきている。明日になってからでは遅いのだ。どんな結果であれ、心の中に蓄えた決心を枯らすわけにはいかなかった。


 地上に出ると、佑暉は彩香に声をかけた。


「すみません、彩香さん」


「どうしたん?」


 彩香は、佑暉の方を振り向いた。


「はい。あ、あの……」


 優しく返事をしてくれたことに対する喜びとは裏腹に、うまく言葉が続かない。夏葉も彼に対し、不思議そうな視線を送っている。


 意気込んだまでは良いが、いつも肝心なところで躓いてしまう。そんな自分に嫌気が差した時、佑暉はサキから言われたことを思い出した。


 ――周りに流され、周りに従い続けていては自分を殺すことになる。


 現実から逃げ、平凡を求めすぎていた佑暉に、サキはそう言ったのだ。


 変わらなければいけない。そう思った佑暉は心で深呼吸し、顔を上げると、真剣な目で彩香を見つめる。そして口を開いた。


「実は、明日の巡行、他の人と見に行く約束をしてしまったんです。ずっと言おうと思ってたけど、言えなくてすみません。せっかく誘ってくれたのに、申し訳ありません」


 佑暉は、深々と頭を下げた。すると、彩香から意想外な言葉が返ってきた。


「それって、もしかしてサキちゃん?」


 佑暉が驚いたように顔を上げると、彼のその顔を見た彩香は一笑した。思いがけぬ返しに、間の抜けたような表情になっていたのだ。


「ごめんな。なんとなく、そんな気がしてん」


 見事に思考を言い当てられた佑暉は、頬を赤く染める。夏葉はまだよく状況を読み込めないのか、二人を交互に見た。


「え? 何? どういうこと?」


「なんかな、明日の山鉾巡行、サキちゃんと行くみたい」


 彩香が説明すると、夏葉は目を見開いた。


「えっ、それってデート?」


「違うよ。君たちと最初に約束してたのに、勝手なことしちゃって」


 佑暉が弁明すると、彩香は首を振った。


「いいで、べつに。今日楽しかったし。ありがと、言ってくれて」


 一方、夏葉は初めは不服そうにしていたが、最終的には納得してくれた。彼女たちの人間味に触れ、この出会いに感謝しなければならない、と佑暉は痛切に思うのだった。


 旅館の戸を開けると、廊下はしんと静まり返っていた。宿泊客は、すでに客間で休んでいるのだろうと推測できる静けさであった。正美は起きていたが、不機嫌そうに三人を迎えた。


 正美は、三人を和室に呼んで注意した。佑暉は初めて、正美から説教を受けた。彩香と夏葉は適当に頷いて聞き流しているが、彼は真剣に正美の話を聞いていた。自らが犯した誤謬を猛省し、真摯に受け止めなければならない。二度と同じ心配をかけないようにしようと誓ったのだ。


 十二時半を少し回った頃、佑暉は正美に勧められて風呂に入った。風呂から上がると、すぐに布団に潜った。この時、彼の心情がいつになく清々しいものであったことは想像に難くない。


 これでサキとの約束を果たせる。そう思うだけで、興奮してなかなか寝つけそうになかった。遠足の前夜、楽しみのあまり眠れない小学生のようだと思いつつ、笑みがこぼれる。


 明日は山鉾をどの辺りで見ようか、その後はサキとどこに行こうかなど、佑暉の空想は朝が来ても尽きそうになかった。

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