ドギ・マギ
七月十日、火曜日。期末試験において、すべての教科が終了した。月曜日の朝以降、佑暉は朱音とは一言も言葉を交わしていない。そして彼女から声をかけてくることもなかった。他の生徒たちも彼と同様、試験が終わって安堵しているのか、友人たちと他愛ないか会話をしたりいそいそと部活へ行く用意をしたりしている。
佑暉はこれから特に用事もなく、帰ったら試験期間中はなかなか手の出せなかった旅館の手伝いをしよう、という漠然とした予定を頭の中で練っていた。
終礼が終わるとすぐ、佑暉は教室を出た。しかし昇降口へ行くと、彼が来るのを待ち伏せている女子がいた。
「佑暉君!」
「彩香さん……?」
手を振りながら、彩香が歩いてきた。その両脇には、彼女の友達と思しき二人の女子がいる。そのうちの一人が急に佑暉の顔を覗き込んだ。
「これがこの前、彩香の言ってた子?」
シャツの第一ボタンを外し、長い髪を一つに纏め上げ、頭の上で団子にしている。その女子はさらに、佑暉の頭を触ったり頬を抓ったりした。
「あ、あの……何ですか?」
佑暉が尋ねると、もう一人の友達が団子頭の女子を注意した。
「ちょっと、愛咲。あんた絡みすぎ、困ってはるやん」
一七〇はあるのではないかという長身であり、足もスラッと長く、誰が見てもスポーツをしていることが分かるほど日に焼けている。
「分かってるって、もう」
「愛咲」と呼ばれた女子は、手でパタパタと自分を扇ぎながら佑暉から離れた。
上級生に囲まれて佑暉は身動きが取れなくなった。さらに、その全員が女子ということも相俟って、周りからの視線が気になり出した。下校時の昇降口周辺はとても混雑するため、一年生から三年生まで様々な生徒が駄弁りながら近くを過ぎていく。
佑暉と同じクラスの生徒も何人か、こちらに向かってくるのが見える。佑暉は身体中に熱がこもるのを感じつつも平静を装いながら、
「……何か、僕に用ですか?」
と、彼女たちに尋ねた。
彩香たちが呼び止めてきたのは、自分に何か用があるからだろう。それは佑暉も分かっていた。すると彩香は、思い出したように切り出した。
「あ、そうそう。祇園祭、一緒に行かへん?」
「えっ……?」
「京都、初めてなんやろ? せっかく住んでるんやし、行かな勿体無いと思うんよ」
「あ、はい」
「っていうか自分、どんなお祭か知ってたっけ。山鉾巡行って分かる?」
「三十三基の山鉾が前祭と後祭に分かれて、河原町周辺を練り歩くんですよね」
「えっ、なんで知ってんの?」
彩香は驚いたような視線を佑暉に向ける。サキに祇園祭について聞かされた日、寝る間も惜しんでインターネットを通じて色々と調べたことが役に立ったらしい。そこで得た知識は初歩的なものだったが、彩香を驚かせるには充分すぎた。
「すごいやん、自分。めっちゃ物知りやん!」
愛咲が感服したように笑う。
驚く彩香たちに、佑暉は個人的に事前調査を行ったことを話した。
「最近、祇園祭のことを聞いて、興味を持ったので自分で調べてみたんです。そうしたら面白くなって、夢中で色んなサイトを見てみたりしたんですよ」
「へぇー。偉いなあ、自分」
また感心したように愛咲は呟いた。初めは驚いていた彩香も、次第に「それなら話が早い」という顔に変わる。
「じゃあさ。前祭、一緒に行かん? それから、宵山も」
「巡行する鉾が完成するのも、確かその日なんですよね」
「うん。色んな鉾が建ってるから、全部見るには結構歩かんとあかんけどな」
宵山には、四条通や烏丸通に夜店が並ぶ。そして山鉾が数ヶ所に設置され、多くの客たちで賑わうのだ。
「それで、一緒に行くの?」
愛咲が、顔をまた佑暉に近づけながらきいた。
「は……はい」
その場の空気に任せ、佑暉は特に熟考を施すことなく頷いた。はっと気がついた時には、すでに答えてしまっていたのだ。彩香はにこりと笑い、
「じゃあ、それで決まりな。あ、そうそう。この二人も一緒やねんけど、紹介まだやっけ」
と言って、彼に二人の友達を順に紹介した。
団子頭の方は鳥居南愛咲といい、長身の方は京極結都という名前らしかった。佑暉はそれを聞いて、どちらもなんて京都らしい名前なのだろう、という感激に浸る。
「よろしくお願いします、河口佑暉です」
佑暉は改めて二人に挨拶しながら頭をぺこりと下げた。その仕草は、この上なくぎこちないものとなってしまった。それでも、愛咲と結都は彼に対して優しく微笑み返していた。
次いで、彩香が言った。
「それと、夏葉も連れて行くけど大丈夫?」
「はい」
佑暉が頷くと、彩香も安堵しているように頷き返した。彼女の妹、夏葉は佑暉と一学年しか違わないが、彼によく懐いている。佑暉も少し前から夏葉のことを「なっちゃん」と呼ぶようになり、時たま妹ができたような心地になるのである。
その後、彩香はこれから部活があると言って、先に校舎を出ていった。一方、あとの二人は、しばらくその場で立ち話をしていた。テストが難しかったという話や、今日はこれからどこへ行く予定なのかなど、佑暉には全く持って関係のない話題ばかりであったが、彼は帰る時機をすっかり見失ってしまっていた。蚊帳の外で居た堪れないまま、佑暉は結局、二人のどちらかが解散を提言するまでこの場にいたのであった。




