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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 古都の花町
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父の思い出

 今年の春、中学を卒業した佑暉は、新幹線の窓から見える風景をぼさっと眺めていた。


 ――『お前は強い子だ。あっちに行っても、きっとうまくやっていける』という父の声が、何度も佑暉の頭の中で繰り返し流れる。


 別れ際、父は「心配するな」と言わんばかりの笑顔を彼に見せた。しかし、佑暉は不安でならなかった。


 卒業式の翌日、佑暉は父の慎二から突然、衝撃の事実を告げられた。彼の耳に予期せずして入ってきた、『倒産』という名の現実。


 慎二は勤務先であった会社の廃業が決まる前から、社長に転職の話を持ちかけられていた。ただ、そこに問題があった。次の勤め先では、給料に大きく差が出るという。一人がどうにか暮らしていけるような給料しか入らないため、母親のいない一人息子の佑暉に話すことを躊躇っていた。


 慎二は佑暉にその話をすると同時に、黙っていたことについて彼に謝罪した。床に手をついて詫びる父を前に、佑暉は口をつぐんだまま俯いていた。佑暉は、生まれて初めて父のそんな情けない姿を見た。彼は父を少しでも安心させたかったが、かけるべき言葉を見つけられなかった。


 顔を上げた慎二は、今後について語った。京都の知り合いに旅館を営んでいる女性がいるという。昔、出張で何度か京都へ行った際に世話になった人物で、収入が安定するまでは佑暉をそこに置いてもらい、教科書代や学校行事など諸々の費用もその女性が負担してくれるという話であった。


 高校はそこから徒歩で通える範囲であるため、話は既につけていると慎二は言った。入試の手続きも済ませ、その日程なども佑暉に伝えた。その学校には「特別入試」という制度が今年度から導入され、佑暉のように急遽本来の学校に通えなくなった生徒を拾ってくれるという、救済措置のようなものだ。


 佑暉が受験しに行くことになった四条高校は、京都府内でその制度を取り入れている唯一の公立高校であるという。非常事態ではあるものの、佑暉はなかなかその現実に実感が湧かなかった。


 状況が掴めないまま、翌日、佑暉は東京駅から京都に向かう新幹線に乗った。三月の日差しが穏やかな日であった。


 慎二は見送りのため、改札の前まで佑暉についてきた。


「ごめんな、急にこんなことになってしまって」


 そう言って謝る慎二に、


「お父さんが悪いわけじゃないよ」


 と、佑暉は笑顔で返した。


「だが、向こうに行ったら不安も多いだろう。暮らしが安定するまでの辛抱だ。寂しくなったら、いつでも電話してくるんだぞ」


「僕は大丈夫だから。心配しないで」


 佑暉はにっこりと微笑んでみせた。嘘を悟られないように、精一杯の笑顔を父に贈った。


「そうか、そうか。お前も、大人になったんだな。それじゃあ、気をつけてな」


 慎二も嬉しそうに笑うと、佑暉の頭を撫でた。


 佑暉は父に手を振り、改札を通ってホームへと向かった。後ろから慎二の視線を感じたような気がしたが、あえて振り向くことはしなかった。



 発車した車内では、佑暉は退屈そうに窓の外を眺めていた。すると、ふと思いついたように鞄から自分のスマートフォンを取り出し、画面を開いてインターネットに接続する。表示された画面には、佑暉の日常が綴られていた。


 小学生の頃、学校から帰宅しても何もしない佑暉を心配し、慎二が何気なくブログを勧めたのだ。佑暉もそれに興味を持ち、これまでずっと継続してやっている。


 佑暉は、『突然ですが、京都に行くことになりました』というタイトルで、新しい記事を書き始めた。父親の会社が倒産して一人分の収入しかなくなったため、急遽、京都の旅亭に世話になることになった、という内容を書き込んだ。


 佑暉のブログには一定の読者はあまりいないが、よくコメントをくれる者がいた。悩みを抱えている彼に対し、いつも優しい言葉を送ってくれるのだ。


 佑暉は学校で目立つことはあまりなく、親友と呼べる友達も限られた人間だけであった。しかし、そのことを父である慎二に話すことはなかった。余計な心配をかけたくない、その一心だったのかもしれない。


 だが、ブログでは何故か思ったままのことが書けたのだ。それを読んだ読者が励ましてくれる。そのおかげでブログを眺めている時だけは、佑暉は現実のことを少しだけ忘れられるような心持ちになるのだった。


 佑暉が記事を更新する度にコメントをくれるのは、「抹茶ぷりん♪」というハンドルネームのユーザーだった。文面や絵文字の使い方などから推測するに、どうも女性らしかった。


 この日も投稿してから数分後に、その記事に早速コメントが入った。


『私も京都に住んでいます。いいところなので、早く慣れるといいですね』


 それを読んだ佑暉は自然と口許が綻び、京都でもどうにかやっていけそうな予感がした。


 画面を閉じるとスマートフォンを鞄の中に仕舞い、また茫と窓の外を見ていた。新幹線は速すぎて、ずっと見つめていると目眩を起こしそうになる。そうして窓から視線を外すと、ふとこれから行く京都はどのようなところなのだろう、と佑暉は思った。彼にとっては、初めて訪れる場所だ。テレビでも紹介される度、よく舞妓が映されるが、佑暉は本物に会えるだろうかと少し期待しているのだった。


 佑暉の父、慎二は京都府の出身であった。実家は烏丸御池にあり、父(佑暉の祖父)が薬剤師で薬屋を営んでいた。彼はそこの次男だった。ただ、収入は殆どなく、貧しい暮らしを強いられていたという。佑暉も幼い頃、その話を本人から何度か聞かされたことがあったので知っている。薬屋は長男が継ぐことが決まっていたため、慎二は高校を卒業すると同時に十八歳で上京し、プログラマーとしてゲーム会社に就職したのだった。


 さらに、佑暉は小学校の時、慎二からこのように教えられた。


 就職してから間もなく、東京で母と出会って結婚したが、佑暉が赤ん坊だった頃に離婚し、母は幼い佑暉を残して家を出ていってしまった。勿論、父は嘘をつくような人間ではないから事実なのだろうと佑暉は堅く信じている。


 また、慎二が佑暉の母を見初めたのは、「昔好きだった人に似ているから」という単純な理由だった。そのことについても、彼は息子に語った。


 京都に住んでいた頃、一人の女子が男子たちの間で度々話題に上がっていたという。それは彼の同級生で、寺町京極商店街にある呉服屋の娘であり、顔立ちが良く、学年で噂になる程の美女であったと彼は子供のような目で話した。


 慎二もその娘のことが好きになり、高校から帰ると、わざわざ寺町まで足を運んでいた程であったという。しかし外から覗くだけで、実際に話しかけたことはないらしい。佑暉がその話を聞いて、どうして話しかけなかったのかと質問したところ、父は照れたように顔を赤く染め、その後は口を閉ざしてしまった。


 佑暉は新幹線の席でそんなことを思い出しながら、京都に着くまでの間、外を流れる寂しい風景をただ見つめていたのであった。

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