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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 古都の花町
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古都の味

 正美が居間で茶を出すと、サキが先程駅で買った袋を渡した。


「あの、これお土産です」


「いやあ、わざわざおおきにな」


 正美は嬉しそうに、それを受け取った。袋から出した箱は翡翠色の包装紙に覆われ、表には白文字で「抹茶」というロゴがプリントされている。


「京都駅で買った、抹茶味のプリンです」


 サキの説明に、正美の隣にいた夏葉が食いついた。


「あ! うち、それ知ってる!」


「うちも昔よく買ってたわー」


 彩香も知っているようだった。


「私、これ好きなんですけど、皆さんにも喜んでもらえて嬉しいです」


 サキが続けると、正美はやや申し訳ない顔をした。


「ほんまによくできた子やね。いつもおおきにな」


「いえいえ」


 今日の泊り客のチェックインの時刻までは少し時間があったため、皆で茶菓子を食べながら雑談しようということになった。


 正美が包みを開くと、箱の中には六つの小さめの容器があった。それを、それぞれ一個ずつ取る。そして正美が出してくれた茶と一緒に、皆は付属のプラスチック製のスプーンを使って食べた。


 佑暉はしばらく、フタに描かれた「抹茶」というロゴを眺めていた。これがサキの好きだと言っていた「抹茶プリン」なのか、と佑暉は変な感銘を受けた。


 ゆっくりと容器のフタを剥がし、スプーンで抹茶色のそれを一口分削り取ると、口許へ運んだ。その瞬間、佑暉の口の中は抹茶の香りと甘味に支配される。気がつけば、二口、三口と口に運んでいた。爽やかな風が吹く草原のような優しい味わいは、彼がこれまでに食べたどのプリンよりも旨く感じられたのだ。


「……美味しい」


 思わず呟く佑暉を見て、サキは嬉しそうに微笑んだ。


「それはよろしょおした。また言うてくれはったら、他のお菓子も紹介させていただきましょう」


 面白がるようにわざとらしく京言葉で喋るサキ。しかしその言葉の端々から、サキの気品の高さが垣間見える。佑暉が顔を染めると、夏葉が彼を指さしながら「あ! めっちゃ顔赤い!」と詰り出した。すると、佑暉はさらに頭から湯気が昇るほど赤面したが、正美が夏葉の言動を注意したので、彼にとっての最悪の事態は免れた。


 その後、佑暉は余っていた一個を譲ってもらった。本当はもっと食べたいと思ったが、ないものを強請っても仕方がない。



 夕方六時前。そろそろ宿泊予定客が見える時刻になり、正美は客たちをもてなすために先に部屋を出ていった。サキも、「私も、もう帰ろうかな」と言い、彩香に挨拶して立ち上がった。


 佑暉は、彼女を途中まで付き添うことにした。


「送っていくよ」


「大丈夫だよ、歩いて帰れるから」


 立とうとする佑暉を、サキは苦笑しながら制した。次いで、「気遣いは嬉しい」と彼女は付け加えた。


 結局、佑暉は玄関までサキを見送りに出た。サキは「またね」と彼に手を振り、玄関の格子戸をガラッと開ける。彼女が戸を閉めるまでの間、佑暉は玄関前に立ち続けた。そして完全に彼女が「ふたまつ」を辞したのち、彼は寂寥のため息を漏らすと自室に引き返した。


 今日のことはこの先、何があっても忘れないだろう、という確信が佑暉の中にあった。


 サキとの出会い。それは佑暉にとって、不安を取り除くためには必然的なことだったのかもしれない。初めて食べた抹茶プリンの味も、まだ僅かに彼の舌に残っていた。



 夜、佑暉は父親の慎二に電話をかけた。


「もしもし、佑暉か?」


 父の元気そうな声を聞くと、彼は安堵した。


「ちゃんとやってるか? 女将さんに迷惑とかかけてないか?」


「大丈夫だよ。それより、そっちはどう?」


「おぉ、いっちょ前に親の心配までするようになったのか。だがまあ、俺は大丈夫だ。最近はかなり落ち着いてきた」


 電話越しでも、父の表情は伝わった。笑いながら話している。


「実は、これからのことなんだけど」


 佑暉がそう言いかけると、こんな声が返ってきた。


「なんだ、そんなことで電話してきたのか。安心しろ、お前はまだ一年生だ。この先のことは、またあとで考えればいいさ」


 これは「心配するな」という父からの励ましなのか、「まだまだ時間はある」という楽観的な答えなのか、佑暉には分からなかったが、今は前向きに捉えようと思った。


「ありがとう。僕、頑張るからね」


「おう、頑張れよ。時間ができたら、そっちに様子を見に行くからな」


「うん、じゃあね」


 電話を切ると、佑暉は布団に寝転がった。しばらく天井を見つめ、瞼を閉じる。今まで育ててくれた父のために、強くならなければならない。強くなって、少しでも恩返しがしたい。彼はつくづくそう思うのであった。


 何時しか、少し前まで抱いていた不安が不思議なくらいに消えていた。それはサキと出会ったからだろうか、と佑暉は考えてみた。彼女の声を聞けば、暫し現実を忘れられる。泡沫の夢のような時間が訪れる。彼女は、不思議な力を持っていた。


 佑暉はそれとなく、自分の胸に両手を当てた。


 鼓動が速い。次に、サキから言われたことも思い出す。


 ――佑暉君のこと、もっと知りたいっていうか……。うまく説明できないけど……気になるんだよね。


 こうして、佑暉が己の心情に気づき、素直になるまでにはあまり時間を要さなかった。

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