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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 古都の花町
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東寺五重塔

 約束の日。佑暉は、スマートフォンで場所を調べ、指定された京都駅前の地下街へ行った。佑暉は「抹茶ぷりん♪」のことを女性だと思い込んでいるが、実際に相手は自分の性別を書き込んだことがなかった。


 佑暉は地下鉄で京都まで行き、駅員に尋ねながら地下街を探した。佑暉が京都駅を訪れるのは二度目で、まだ京都という場所について土地勘が全くない彼に対し、駅員は優しく経路を教示した。駅員の指示の通りに烏丸線の改札を通った後、左に向かって歩くと、広々とした空間に出た。見渡す限り、目につくのは多くの客で賑わうカフェや専門店。


 待ち合わせ場所として指定された喫茶店「月菓」は、飲食店が並ぶエリアの角にあった。すぐにそこを見つけられた佑暉は看板を二、三度確認してから、緊張で手を震わせながらその扉を開ける。


「いらっしゃいませ」


 一人の店員が、彼に声をかける。


「あ、あの……」


 佑暉は当惑しながら店内を見渡すと、一番隅の席に見覚えのある少女が座っていることに気づいた。白いブラウスに、青いジーンズパンツ。目を凝らしてみると、サキであった。何故、彼女がここにいるのだろうかと佑暉は驚いたが、無意識のうちに彼女に近づき、いつの間にか声をかけていた。


「こんにちは。君も誰かと待ち合わせなの?」


 サキも佑暉の顔を見ると驚いた素振りを見せたが、


「あ、うん」


 と、頷いた。戸惑うサキに、佑暉は続けて言った。


「まさか、こんなところで会うなんて思わなかったよ」


「佑暉君も誰かを待ってるの?」


「うん。でも、顔を見たことがないんだ」


「どういうこと?」


 サキは、きょとんとしたように彼を見上げる。佑暉はうっかり話してしまったことを悔いたが、仕方ないと割り切って彼女に事情を話した。


「ネットで知り合った人と、ここで会う約束をしてるんだ。恥ずかしい話だけど、学校で居場所がない分、家とブログが僕の居場所だったから」


 ここまで話した時、佑暉は無性に恥ずかしくなり、顔を赤く染めながら頭をかいた。するとサキがさらに驚いたような顔をするので、佑暉はそれを不自然に思った。


「ど……どうしたの?」


「ねえ。その相手の名前、教えてくれない?」


 サキがきき返すので、佑暉は疑問を抱きながらも答えた。


「『抹茶ぷりん』っていうんだけど……名前、変わってるでしょう?」


「じゃあ、もしかして『ゆうき』って……」


 サキが呟いた。佑暉のブログネームは本名だが、漢字は伏せて『ゆうき』としている。サキがそれを知っているということは、つまりサキ自身が『抹茶ぷりん♪』なのだ。佑暉もそれを悟るのに時間はかからず、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。


 案の定、サキは佑暉にこう告げた。


「君の言った、『抹茶ぷりん♪』っていうのは私。やっぱり、佑暉君だったんだね」


「……気づいてたの?」


「うん、何となく。初めて会った日に、もしかしてって思ったの。でもまさか、本当に会えるなんて思わなくて」


 そうだったんだと納得した佑暉は、サキに尋ねた。


「ずっと気になってたんだけど、どうして『抹茶ぷりん♪』なの?」


「京都駅にね、お土産屋さんがあるんだけど、そのお店に抹茶味のプリンが売ってあるの。それがすっごく美味しいんだ」


 意気揚々と語るサキを見て、佑暉からつい笑みがこぼれる。


 ――サキとは、東京にいた頃から知り合っていたのだ。そう思えることが、佑暉にとっての喜びであった。


「せっかくだし、これから東寺に行ってみない?」


 サキが不意に提案する。


「えっ、今から?」


「うん。この間、見てみたいって言ってたでしょ、五重の塔」


 サキは席を立ち、出口に向かって歩き始めた。佑暉は若干困惑したが、彼女の後についていった。こうして、サキとともに東寺を目指すことになった。


 京都から東寺へは、電車で一駅であった。新幹線の改札の向かい側には近畿日本鉄道の改札があり、そこから奈良方面へ向かう電車に乗った。


 東寺駅で降車し、改札を出ると駅の正面には九条通が東西に果てしなく伸び、サキの案内でその通を真っ直ぐ西へ歩いた。数分程進むと、例の五重塔が姿を現す。佑暉は言葉にならない感動に囚われ、呆然とそれを見上げた。教王護国寺(東寺)の南大門をくぐると、正面に講堂があった。


 初めて来た佑暉のために、サキが前方を歩いて誘導する。


 右手を向くと、五重塔が毅然と佇んでいる。旅館「ふたまつ」の浴場の大きく壁に描かれている、あの五重塔である。佑暉は立ち止まって、ただその佇まいに見とれていた。


 サキも足を止め、佑暉の方を振り返った。


「近くで見ると、もっとすごいのが分かるよ」


 彼女は佑暉に手招きし、また歩き始める。佑暉は彼女を追った。


 受付で拝観料を払い、二人は寺の中に足を踏み入れた。


 サキは歩きながら、こんな愚痴をこぼす。


「中学生くらい、ただで入れてくれればいいのにね。なんで、三百円も払わなくちゃいけないんだろう」


 たった三百円で文句を言うサキを、佑暉は可愛いなと思う。歩いていくと、やがて五重塔が近づいてくる。東寺の五重塔は五四・八メートルもあり、「近世以前では日本一高いんだよ」とサキは佑暉に話した。


 佑暉は上着のポケットからスマートフォンを取り出し、画面に五重塔を収めた。サキが、


「東京にはこんなところないの?」


 と尋ねるので、佑暉は写真を撮りながら、


「あるにはあるけど、殆どが新しく建てられたものなんだ。でも、ここは何百年も前からあるって聞いて、一度見に来たかったんだ」


「ここ以外にも沢山あるよ。京都は色んな寺社が当時の形のまま残ってるの。中には、火事で焼けちゃったものもあるけど。この五重塔だって、何回か被害にあって再建されてるし」


「そうなの?」


 サキは頷いた後、難しい顔をした。


「うん。何百年、何千年とそのままの形で残すのは、やっぱり難しいみたい」


 第二次世界大戦中、京都は最小限しか被害を受けなかったため、古い寺社が当時のまま残されているが、その殆どがどれも後世に再建されたものばかりだ。建て直しても半世紀以上放置すれば老朽化は進み、修理が必要になってくる。文化財を最初に建てられた姿のまま残すのは無理がある、とサキは残念そうに語った。


 彼女の話を聞きながら五重塔を眺めていた佑暉は、ふと不思議な気持ちになった。偶然見つけた茶屋で知り合ったサキとこうして今、観光地を訪れている。しかも彼女は、佑暉がブログの記事を更新する度、毎回のようにコメントをくれた「抹茶ぷりん♪」というユーザーと同一人物だった。


「……どうしたの?」


 いつの間にか俯いて沈黙している佑暉を見て、サキが心配そうに声をかけた。


「あ、ごめん。まだ、その……信じられなくて」


「もしかして、私が君のブログに書き込みしてたってこと?」


 佑暉はこくっと頷いた。


「僕、君からのコメントからすごく元気をもらってた。自分の悩みを聞いてくれる人がいるって考えるだけで、だいぶ楽になれた。また明日も頑張ろう、そんな風に思えたから……」


 再び顔を上げた彼の目の前には、五重塔が静かに聳え立っている。暖かい風が吹き荒み、目を閉じれば風の音に混じってどこからか笛の音色が聞こえてきそうな錯覚に襲われる。


 ――何があっても決して揺るがない、弛まない五重塔はいつでも超然と空に伸び、誰かの心を揺り動かし続け、時には支えているのだ。五重塔のようにはなれなくとも、いつか僕も誰かの支えになりたいと、それを見上げながら佑暉は思った。その時、サキからこんな言葉が飛び出した。


「実は私、初めて会った時に気づいたんだ」


 そのことの意味が今ひとつ分からず、佑暉がサキの方に顔を向けると、彼女は言葉を継ぐ。


「君が東京から来たって聞いた時、何故かは分かんないんだけど、もしかしたらそうじゃないかなって思ったんだよね。でも、言えなかった。がっかりしちゃうんじゃないかって思うと、怖くて。だから、思いきってメールしてみたの」


 佑暉は、反射的に小さく首を振る。


「そんなことないよ」


 その言葉を聞いたサキは、彼をまじまじと見つめる。佑暉も彼女と目を合わせた。彼女の黒い瞳に灯った光は、流星群からはぐれた箒星のように思われた。


 実のところ、佑暉は「抹茶ぷりん♪」の正体がサキで安心していたのだ。全くの別人を想像していた彼にとっては、これは神のちょっとした悪戯だったのかもしれないとも思える。


「コメントしてくれたのが、君で……嬉しかったよ」


 何故こんなことを言ってしまったのか、佑暉は自分でもよく分からなかった。後悔と羞恥心が同時に込み上げてきて、彼の頬はトマトのように赤く染まる。それでも、サキは表情を崩さなかった。


「ありがとう。そう言ってくれて、私も嬉しい」


 サキは、佑暉の手に自分の手を添えてきた。戸惑う佑暉に対し、


「他のところも案内してあげる」


 と、サキは優しく微笑んだ。それによって緊張が解けたように佑暉の気は楽になり、笑顔で頷いた。


 その後、二人は東寺の講堂の中を見学した。サキは中学の社会見学で数回来たことがあると話し、ガイドのような役をした。饒舌だったが、そのどれもが佑暉にとって興味深い内容で、興味津々に彼女の説明に耳を傾けていた。東寺は真言宗東寺派の総本山で、嵯峨天皇から空海に下賜されたことや、五大菩薩坐像は密教がモチーフになっているという話まで、サキは雄弁に語った。


 気づかぬうちに東寺に到着してから二時間程が経ち、講堂の外に出るとサキがぽつりと言った。


「そろそろ帰ろっか」


 佑暉もそれに賛成した。携帯で時刻を確認すると、夕方の四時過ぎであった。付け加えて、どこへ出かけるのか正美たちには一切伝えていなかったのだ。

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