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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 古都の花町
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心配と気遣い

 週末、佑暉は旅館の仕事を手伝った。居候させてもらっているだけでなく、正美には学費まで支払ってもらっている。その分、自ら進んで働いた。


 旅館「ふたまつ」は決して経済的に安定しているというわけではなく、客が一人も入らない日も珍しくなかった。週末は近所の老夫婦や観光で訪れた家族などで賑わっているが、平日になれば客足も遠のいていく。だから、せめて客が来る日くらいは、佑暉も旅館の役に立ちたかったのだ。


 夕方になると、正美は仲居たちとともに夕餉を広間へ運び始める。佑暉も彼女たちに追随し、慎重にそれを運んだ。広間は主に男性客で賑わっていた。


 佑暉は、一人の客の前のテーブルに料理を置いた。この旅館の浴衣を着た、五十代くらいの男性であった。その男は風呂上がりなのか、タオルを首に巻いて寛いでいる。


「いらっしゃいませ」


 佑暉がそう挨拶すると、男は興味津々な目を彼に向けた。


「もしかして、君が東京から来たっちゅう子か?」


「はい」


「そうか、そうか。若いのに立派やなあ」


 男は団扇で己を扇ぎながら、軽快に笑う。


 佑暉は他人から褒められることに慣れていないため、男と目を合わせられなかった。それでも喜びに似た感覚があった。ここに来て良かった、改めてそう思えたのである。



 夜。佑暉は正美の部屋に呼ばれた。戸を開けると、正美が正座して彼の方を向いていた。今にも説教しそうな居住まいに佑暉は立ち竦んでいたが、正美は優しく彼に声をかけ、手で座るように促した。そうして佑暉が正美の前に腰を下ろすと、彼女が先に口を開いた。


「ほんとに大丈夫なん?」


 心配そうに尋ねる正美に、佑暉もきき返した。


「何の話ですか?」


「お父さん、今すごく大変なんやろ? これからどうするべきか、よう話し合うべきやと思うんよ」


 正美の話を聞き、佑暉はようやく理解した。現在はここに身を置いているが、旅館の現況を考えると、いつまでもここの世話になるわけにはいかなかった。それは佑暉も十分に承知している。


「後でよく相談してみます。ご心配をおかけして、すみません」


 佑暉が申し訳なさそうに頭を下げると、正美は微笑みながらゆったりとした動作で首を振った。


「いえいえ、そんなつもりやあらへんかったんよ。これからどうするかは、あなた次第やからね。まだ時間はあるし、これからゆっくり決めたらいいことよ」


 正美はそう言うとすぐ、「明日の朝食に出す鍋の仕込みがある」と言って、部屋を出ていってしまった。佑暉はしばらく、その場に座ったまま考え込んでいた。


 思案の結果、正美に言われた通り、慎二とは一度じっくり話すことにした。佑暉がふと掛け時計を見ると、午後十一時を少し回ったところだった。今なら父も起きているかもしれない、とは思ったものの、結局その日は電話できなかった。



 翌朝、佑暉が居間の前の廊下を通ると、数人の客がすでに起きてきていて、朝食をとっていた。そこには昨日の男性客もいて、他の客と談笑している。


 佑暉も別室で彩香たちとともに朝食をとり、学校に行く支度をした。佑暉が玄関の戸を開けようとした時、昨日の男性客が側を通った。


「あ、気をつけて行くんやで」


 そう声をかけられたので、佑暉も返事をした。


「はい、行ってきます」


 その時、夏葉も中学の制定鞄を右肩からぶら下げ、中から駆け出してきた。すると男の方を振り向き、


「じゃあ、おじちゃん、行ってくるな!」

「おう、気ぃつけてな」


 男性がそう返すと、夏葉はそのまま走って出かけていった。夏葉は、客がいない日は代わりに玄関脇に飾られている恵比寿の木彫人形に声をかけるが、それは人形を客に見立てているのかもしれない。佑暉はそんなことを考え、少しほっこりした気持ちになるのだった。



 しかし学校では、相変わらずの光景が彼の前に広がっていた。前の方の席で、二人の男子が仲良さそうに話しているのが見えた。話題に上がっているのは、佑暉のよく知らないゲームの話だ。その中に入るのは、彼にとって容易なことではない。後ろの席から、ただ二人の会話を聞いていた。


「俺、昨日アレ一夜で全クリしたったから、めっちゃ寝不足やねん」


「お前の父ちゃんって、確かゲームクリエイターやったっけ」


「そうそう。それより今度出るやつさ、発売まだやけどサンプル手に入ったんよ」


「マジで? じゃあ今度、お前んとこやりに行くわ。父ちゃんに頼んどいてや」


「オッケー」


 そんな話を聞いていた佑暉は、ふと昨日正美から言われたことを思い出した。慎二とこれからのことを話さなければならない。学校が終わったら忘れずに電話をかけようと、佑暉はスマートフォンのメモ帳に予定を書き込んだ。


 佑暉が携帯を鞄の中に仕舞うと、すぐ横から声が聞こえた。


「なあ」


 佑暉は、話しかけてきたのが朱音だと理解した。振り向き、彼女に尋ねる。


「どうしたの?」


「英語の教科書忘れたから、見せてくれへん?」


 何故、朱音が自分に頼んできたのか、佑暉にはよく分からなかった。近くには女子も何人かいるし、男子よりも女子同士の方が話しやすいのではないかとも思えるが、今のところ朱音が他の誰かと会話しているのを佑暉は見たことがない。佑暉は、彼女もクラスに馴染めていないのだろうかと考えた。


 ところが、そうでもなかったようだ。一人の女子が教室に入ってきて、


「朱音、ヒマ〜」


 と言いながら、朱音の一つ前の席に腰を下ろした。


「自分、何しに来たん?」


「だって、ホンマに暇やねんもん」


 その女子は足を組みながら、朱音の机に両肘をつく。佑暉は、その様子を唖然と見ていた。そして、また孤独感を味わう。


 実のところ、少し期待していたのだ。友達がいないということは、自分の仲間という括りになる。佑暉も、できれば誰かと仲良くなりたいと思っているが、話しかける勇気すら出ない。それどころか、気がつけば仲間を探すことに夢中になっている。こんなことでは駄目だ、と佑暉は首に振った。


 するとまた、朱音の前に座った女子が言葉を発する。


「なあ、あんた……」


 また朱音に話しかけているのだろうと思われたが、朱音は何も答えない。不思議に感じた佑暉が顔を上げると、その女子の顔は明らかに彼の方を向いていた。


「あの……どうしたんですか?」


 佑暉が不安気にきくと、彼女は問い返した。


「あんた、昨日お茶屋さん来た子やんな?」


「え?」


 何のことだろう、と佑暉は首を傾げる。すると、朱音が彼女の肩に手を添えながら言った。


「この子、舞妓さんやねん」


 それを聞いて、佑暉は思い出した。昨日、茶屋の中を覗いていた時、一人の舞妓に注意された。「一見は中に入れない」ということも教えられた。あの舞妓が、朱音の友達と思われるこの女子なのだという。


「それよりイツキ、ホンマに何しに来たん?」


「べつに何もしにきてへんよ、ただ喋りにきただけ。寂しいから相手くらいしてや」


 イツキと呼ばれたその女子は、やはり朱音の友達のようだった。朱音は佑暉が茶屋に通っていたということに対しては無関心のようで、イツキと他愛もない話をしている。イツキも足を組み直し、朱音と喋っている。


 昨日会った時は少し怖かったが、きれいな京言葉を使っており、仕草もどことなく上品だった。しかし、普通の女子高生でいる時は、ここまで態度が変わるらしい。伸び伸びとしている様を見ると、こちらが本当の姿なのだろうと佑暉は悟った。




 放課後、佑暉は学校の正門前で慎二に電話をかけた。しかし数コールのちに、


『buお留守番サービスに接続します』


 という、アナウンスのみが流れた。


 五分後、また電話をかけるが、『お留守番サービスに接続します』と流れるだけで、慎二本人と話すことはできなかった。慎二も転職したばかりで多忙を極めるため、今は電話に出られる状況ではないようだ。仕事が落ち着いてからまた改めてかけ直そう、と佑暉はスマートフォンを鞄に仕舞った。


 帰ろうと足を踏み出した時、ふと昨日のことが佑暉の頭を過ぎった。茶屋の前で会った少女、サキは彼に「また来てください」と言った。あの言葉通り、今日も茶屋に寄ってみようか。それとも、もう行くべきではないのだろうか。と、専門店や土産物屋が多く並ぶ四条界隈を歩きながら佑暉は考えていた。


 思考を巡らすうちに、サキのことが気になる、不意にそう思った。昨日の話だけでは、歳や舞妓をやっているということしか分からなかった。ただ、迷惑なんじゃないだろうかという気もする。だが、佑暉は花見小路の前を通った時、ついに衝動に負けてその道へ入った。


 サキではなく、あくまで舞妓に興味を持ったのだ。そのように自己暗示をかけつつ、佑暉はあの茶屋に足を運んだ。

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