16.ぎこちない会話
16
約束の水曜日。
青い空のキャンバスには、白い入道雲がもくもくと自分の城を築きあげていた。
僕は病院の待合室にいた。
約束の時間は11時、だったよな。いや、間違いない。
「おっ待たせー。今日は時間通りだろぉ」
どこがだよ。
「じゃあ、約束の例のブツを渡してもらおうかー」
右手を前にして手招きする仕草は、刑事ドラマでよく見る薬物の売人のマネなのだろう。
「はい、どうぞ」
僕は、自分が描いた絵を裏向きにして彼女に渡した。
「なんだよコンくん。さては、自信がないのかい? おやおや、図星かな?」
そう言って柊翼は僕の絵を開いた。
途端に彼女の目がゆっくりと沈み、優しく微笑んだ。
「コンくん、すごくいい。すごくいいよ。こんな絵を描くんだね、コンくんは。小鳥からコンくんの絵の話を何度も聞かされてたけど、一度も見たことがなかったからね。さっそくこの絵を小鳥に見せてくるよ。その間、ちょっとここで待ってて。すぐ戻るからー」
「はい。お願いします」
そう言うと、彼女は今まさに閉まりかけのエレベーターに、猛然と突っ込んでいった。
「あ、待って下さーい、待って下さい。乗ります、乗りまーす」
間一髪のところで、エレベーターに飛び乗った彼女。
「セーフ。いやー助かりました。ありがとうございますー!ギリギリセーフってやつですね。ほんと。なんだろう、今日の私」
「いやー本当にツいてますねぇ、柊さん」
同乗者のネームプレートには浜崎の文字。
「病院内は走るなって、あれほどいつも言っ……」
扉が閉まった。この世で1番恐ろしい光景だった。
彼女の地獄はさておき、待ち合い室をグルリと見回すと、観葉植物の脇に設置されたウォーターサーバーが目に飛び込んできた。
ありがたい、一口頂こう。
紙コップを取り、レバーを下げて、ゴクリ。うまい。
これは是非、うちの大学にも置いて欲しい。
喉を潤し、気分が良くなった僕の目に次に飛び込んできたのは、見覚えのある男子高校生の姿だった。
小鳥の弟、柊俊だ。
僕の喉の清涼感が一気に吹き飛んだ。
僕はコソコソと俊には決してバレないように、休憩スペースの座椅子に戻ろうとした。
「あの。もしかして、狐野さんですか?」
バレた。
「あ、はい」
「お久しぶりです」
「あ、 えと、お久しぶりです」
僕達はその場に立ち尽くした。
何やってるんだろう。
しかも年下に敬語って。
俊が黙ったまま、その場を動こうとしなかったので、仕方なく僕から話しかけた。
「えっと、俊くんだよね」
「はい柊俊です」
「あ、やっぱり」
「ねーちゃんのこと好きだったんですか?」
いきなり内角高めのデッドボールギリギリの球を投げきた俊。ほんと、怖い。
「えっと、小鳥さんのことかな?」
「俺にねーちゃんは1人しかいません」
知ってるよ。
「あ、そうだよね。ごめん。小学校の時、よく一緒にかくれんぼをしたような」
「質問を変えます。何でここにいるんですか?」
思い返せば、俊とまともに話したことなんて、一度も無かった。こんなに絡みにくいとは…。
「ねーちゃんに会いに来たんじゃないんですか?」
「あ、いや。そうじゃないんだけど」
「じゃあ何でここにいるんですか?」
年下からの必要な攻め立てに、イライラしていた僕の後ろから、聞き覚えのあった声が飛んできた。
「俊、何してるんだ」
「父さん…」
白いカッターシャツが汗ばんでいる柊誠。
今日も駅前に立っていたのだろう。
「学校には行ってないのか?」
「行った。けど、なんか頭痛くて…」
「そうか。小鳥には会ったか?」
「いやまだ、今から…」
「じゃあ父さんと一緒に行こう。狐野くん、すまないがまた」
「あ、はい」
そう言うと柊誠と俊はエレベーターに乗り込んだ。
緊張感から解放された僕は、ドサッと座椅子にもたれかかった。
俊と話すだけでこんなに疲れるなんて、予想もしなかった。
手に持ったままの紙コップにもう一度水を入れ、再び待合室でゆったりとくつろいでいると、手前のエレベーターが開き、彼女が出てきた。
「コンくん」
「あ、早かったですね。小鳥は何て言ってました?」
「ダメだって」
「え…」
水が温く感じた。