表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道すがら食堂  作者: 木下源影
8/73

SK


     7


ここは道すがら食堂。


いつもはのんびりとした空気が流れているこの食堂に、


今日は珍しく緊張感が漂っている。


ついに翌日の昼、劇場の柿落し公演並びにSKTVのテスト放送が始まるのだ。


観覧者は抽選で決まり、今回のみ無料招待となっている。


たった500席のチケットを、500万通を超える応募者で競い合うことになった。


同時に行った出演者の人気投票の結果は、やはりトップは雛だった。


そしてトーク番組の宣伝効果があったのか、


次席にはその親友の麻里子が予想を上回る得票数を得て、本人は上機嫌だった。


しかし本番前日は重い緊張感で、その喜びもトーンダウンしてしまったようだ。



ここ数日間は何も変わった事もなく、何者も襲ってくる気配はない。


雛も偵察に行っているのだが、変わった動きが何もない。


だが、何かを待っているようだと、雛が言うのだ。


「残念だがオレ達は雛たちの舞台を観覧できそうにないな…

 きっと明日、何かを起こす算段だな。

 …となると…

 …シャドウ、大胆に探れ。

 先に燻り出すっ!」


シャドウがすぐさま姿を現した。


「あはっ!

 ボクの本領発揮だねっ!

 …PC、乗っ取ったよ!

 ふーん、ダミーとかしかないね…

 都合のいいようなことばかりの情報を残してるよ。

 こうされることを知っていたようだね。

 …さて、どうしよう…

 監視カメラ…

 これ、間違いなくライブだね。

 …N4、箱に入れてるね。

 どうやって持ち込んだんだろうね…

 ここからミサイル、撃ち込んじゃう?」


「…過激だな…

 PCから何か出せないか?

 電撃とか…」


「なるほどねっ!

 このPC、探れなくなったらドッカーンってなったはずだから!

 あの部屋の照明とコンセントに200ボルト流しちゃうね!

 うまく行ったらスパークするよっ!

 えいっ!

 …探れなくなったね…

 大爆発、起こっちゃったようだよ!」


皇はすでに爺さんと呼ぶ父の翔樹に直通ダイヤルで連絡を入れていて、


該当の場所で爆発などがなかったか聞いている。


皇の顔色が変わり、少し真剣な顔から笑みが浮かんだ。


「あと4ヶ所、一斉に調査だ!」


残り4ヶ所は、蜂の巣を突く大騒ぎとなっている様で、


現地のボスが荷支度を始めたようだ。


「帰るのか、アジトを移すのか…」


「帰ると思うね。

 今、チケットの予約入れたよっ!」


「となると、何らかの手伝いはしていたようだな…

 オレのビルは警備が厳重だから、

 N4を空から撒き散らそうとでもしていたんだろうか…」


「そんなことをしようとしても、

 ビーム壁があるからへっちゃらだけどねっ!

 下水道にも張ってあるから、小細工はできないよ!」


「だが、反応が早過ぎるな。

 どうやって爆発を知ったんだろうか…

 それに、帰り支度も早過ぎると思うが…」


「爆弾自体にそういったものつけておいたんじゃないの?

 今爆発するのはおかしいから、慌てちゃってるんだと思うよ!

 確認しても誰も返答がないから、爆発したことは確実だと思って、

 尻尾を巻いて逃げるんだろうね。

 どうする?

 抑えちゃう?」


「一輝が連絡を入れたから、後は警察に任せよう。

 …シャドウ、ご褒美、何か欲しい物があったらいつでも言えよ」


「…明日の劇、見たいんだけど…」


シャドウが上目使いで木下を見ている。


「いいぞ。

 引継ぎ、きちんとやっておけよ。

 また何か仕掛けてくるかもしれないからな。

 お前以外でも、対抗できるようにしておいてくれ」


シャドウは満面の笑みを木下に向けた。


「爆薬だが、どうやら不良品をつかまされていたようだ。

 部屋は吹っ飛んだが、死者は出なかったらしい。

 あの量だと、あの建物くらいは吹っ飛んだと思ったんだがな」


「吹っ飛んだ方がよかったんじゃないのか?

 取り壊し直前のビルだったからな。

 …持ち主は佐竹一豊か…

 シャドウ、何者だ?」


「元鵺島組の関係者だね!

 闇で金貸しと麻薬、やってるみたいだよ!」


「警視庁でもわかっているだろうが、匿名で流せ。

 悟られないようにな」


「うん!

 ネットカフェから送ったように見せかけておくよ!

 …あれ?

 逃げ出したと思ったけど、ひとつのグループだけこっちに来ているね。

 到着まで15分くらいだよ!

 警報、出すねっ!」


「さあ、みんな仕事だっ!

 できれば殺さないように頼むぞ。

 …映像、見られるか?」


巌剛とグランに気合が入った。


皇はいつも通りだ。


「うん!

 うまく監視カメラの連係の中に捉えたよっ!

 ちょっと、重装備かな?

 あの車、鉄板入ってるね!

 マフラーの音が異様だよ!

 脅した方がいいんじゃない?

 でも、拳銃の方でいいんじゃないのかな?」


「聞いての通りだ。

 武装して現地に向かってくれ。

 撃ち抜けばすぐに大人しくなるだろうな。

 …避難状況は?」


「いつも通り、誰もいないよ。

 プレゼント、たくさん用意しないとねっ!」


こういった場合、子供たちが興味を持って外に出たりするものだが、


家の中で大人しくしていれば、


プレゼントを支給することになっている。


物で釣るのもどうかと木下は思っているのだが、


多大な効果があり、今までに近隣住民が巻き込まれたことは皆無だ。


当然、SKセキュリティー防犯部から重装備防御部隊も出動しているので、


戦車で攻め込まれない限り、


この防御網は打ち破れないようになっている。


皇はつい先日までこのような敵にひとりで立ち向かっていた。


銃は使わず、全てを体術で始末していたのだ。


もしくはレーザー防御壁の跳弾により、


自業自得の刑としている。


今回は、レーザーに触れると跳弾せず、


その場に落ちる防御壁を張っている。


明るいので、敵からはレーザーが見えないはずなので


囲まれているとは思ってもいない事だろう。


始めのころはほとんどが夜の襲撃だったのだが、


全く突破できず刃が立たないので、


視界のいい昼間も襲われるようになった。


だがその方が木下にとって好都合だった様だ。


木下たちは三人を笑顔で送り出した。


「物騒な場所なのに、誰も逃げ出さないんだな」


木下が女優たちを見て言うと、みんなは笑みを浮かべて木下を見た。


「きっと日本中でここが一番安全だもの!

 誰もやめないわよ!」


雛の言葉はもっともなことなのだ。


昔ほど街中での銃撃戦はなくなったのだが、


関西方面では今も尚、縄張り争いの銃撃戦が行われている。


だが、最大勢力を潰したことにより、その抗争の件数は激減したようだ。


「映像、出すね!

 気の弱い人は目をつぶっておいた方がいいよ!

 ちょっと怖い時もあるからねっ!」


「そうだな。

 今日は特に、グランが怖いな。

 加減、できたらいいんだけどな」


『ドンッ!』という銃声が、モニターから聞こえた。


止まりそうもない黒塗りの車に皇が銃弾を撃ち込んだのだ。


車は白煙を上げ、制御不能となったのだが急激に止まった。


タイヤが四輪ともロックしたようだ。


当然のごとく二転三転し、


皇たちの30メートルほど手前で腹を見せて少し滑ってから停止した。


すでに警官隊が待機しているようだが、手を出すつもりはない様だ。


警官隊などが早く到着した場合は指を咥えて見ているだけだ。


手を出すと皇に睨まれるのでいつも大人しくしている。



モニターの中で皇が笑った。


巌剛がひと言ふた言言って、グランが口笛を吹いている。


後続の車が急停車したが間に合わず転覆している車に激突した。


もう一台は難を逃れ、素早くUターンして走り去ろうとした。


この車目掛けて皇が銃弾を放ち、『ドンッ!』という音と共に


右後輪が吹っ飛び高速で回転を始めた。


これには皇たちも驚いた様で、苦笑いを浮かべている。


はじめに転覆した車からは誰も出てくる気配はない。


だが、追突した車から数人が出ようとしたのだが、


素早く動いた巌剛に阻まれ、


驚いた一瞬の隙をついて、


ドアを開け首根っこを掴み警官隊の中に放り投げた。


どうやら面倒になったようで、巌剛は車の背後に回り、


チカラを込めひっくり返した。


中にいた者は銃を出そうとしていた様で、二発ほど暴発し、


仲間の命を奪ったようだ。



出番のない皇とグランは、


転覆している車から安らかな眠りについている五人を引きずり出し、


警官隊の中に放り投げている。


三台目の車から降りようとした者たちも、


巌剛に阻まれ空を飛ぶことになった。


作業時間は2分ほどで、


殺人、殺人未遂、銃刀法違反の現行犯で全員を拘束した。


罪にする必要はなく、国外追放にするだけでいいので、


たった十数名だが戦力を殺いだことになる。


皇たちは三台の車内を探り、情報収集を始めた。


三台目の車に近づこうとしたグランは慌てて踵を返し、


アスファルトの上に頭を押さえて伏せた。


モニターが真っ白になった後、車が炎上している映像に変わった。


どうやら漏れたガソリンにでも引火したのだろう。


グランは何事もなかったように立ち上がり、呆れたというようなポーズを作った。


皇たちは引き上げてくる様で、後始末は警官隊がするようだ。


… … … … …


「ひとりだけ大物がいたぞ。

 キーン・サルサファミリーのデューンという男だ。

 コイツは国際指名手配になっていたはずだ。

 主な仕事は爆弾によるテロ。

 どうやら腹を立て、ここを襲うことにしたようだ。

 仕事の前日に、全てをぶち壊しにされたからな。

 その気持ち、痛いほどよくわかるな」


苦笑いで皇が報告したあと、その背中に雛が飛び付いた。


「雛、ダメだぞ。

 一輝はお前のことが大好きなんだぞ」


木下の言葉に雛は笑顔で抱き付いたまま、


皇の昨日の言葉を思い出したようだが、


全く表情を変えずにゆっくりと身を引いた。


「…お兄ちゃん、不潔ぅー…」


雛は女子学生のような言葉を放ち、みんなを笑顔にした。


「…嫌だけど、襲ってもいいのよ、お兄ちゃん…」


少々演技っぽく雛が言い、皇はバツが悪そうな顔を見せた。


「できるわけないだろ…

 だが惚れていた… いや…

 葛藤していたのは事実だからな。

 …オレも恋人探し、始めるかな…」


すぐに麻里子が皇に寄り添い、その身体を触れ回っている。


「始めなくても宣言した時点で選り取り見取りだぞ。

 大物になる可能性を秘めた子もいるからな。

 …だが雛、気付いていたのか?」


「ううん、全然…

 でもお兄ちゃんは私の兄だもの。

 私が合意しない限り、欲望は出さないと思っているわ…

 でもきっとその欲望を抑えていたのは武道だったと思うの。

 いつも傷だらけだったもの。

 お兄ちゃん、私を忘れるために修行の日々を過ごしていたのかも…」


「大人らしい意見で何よりだ。

 …今夜、いいか?」


木下は小さな声で雛に言い、雛は軽い笑みで言葉にせず頷いた。


… … … … …


ここは道すがら食堂。


劇場の柿落としの日がやってきた。


雛はいつもの倍ほどテンションが高い。



「…ついにやられたか…

 オレの妹を返せ…」


皇が冗談ぽく言うと、木下は呆れた顔を見せた。


「いやらしい兄め…

 …いきなり最後までするわけないだろ…

 雛は… いや、巫女はまだ子供だ。

 覚悟がまだできていないようだった。

 …だが進展はあったぞ。

 手は繋いだ」


皇はひざを叩いて大声で笑った。


「…やはりかっ!

 当然雛は受け入れたいが、巫女が邪魔をしているんだな。

 自然に結ばれるように、慣らせてやって欲しいな。

 親展するたびに、雛はさらに成長するとオレは思う。

 …だが澄美ちゃん凄いな、いつも通りだぞ…」


「当然、かなりの我慢をしていると思う。

 その気持ちは見せないが、オレが言うと見せるな、きっと…

 澄美の邪魔はしないでおくか…」


「何をしたのか報告してやればいい。

 きっと澄美ちゃんもテンション上がるぞ。

 だがスキンシップ的には、まだ妹の方が上なんじゃないのか?」


「その通りだ。

 あとでこっそり言っていおくか…

 だがこの先はもう言わない方がいいだろうな。

 今回限りだ」


皇は笑顔で頷いた。


実は皇もホッとしたのだ。


だが、木下の優しさの方が、皇には嬉しかったようだ。


「お兄様、ダメよ。

 雛ってお兄ちゃんのこと大好きなんだから…」


今日も麻里子が皇に迫ってきた。


どうやら麻里子は皇のことを本気で考えているようだ。


「言っておくが、源次郎はオレと女王様を結ばせたいようだぞ。

 諦めるのなら今のうちだ」


麻里子は仕方ないといった諦めの笑みを浮かべたが、


皇と話しをすることで冷静さを維持することにしたようだ。



「さあみんな!

 そろそろ支度してっ!

 雛、あとはよろしくお願いねっ!!」


女王様である澄美が、満面の笑みでハイテンションでみんなに言った。


木下が皇に向け苦笑いを浮かべている。


皇も同意したように苦笑いを浮かべた。


… … … … …


女優たちは新設された劇場にいる。


観客たちは有名俳優たちの演劇を見に来たのだが、


まずは舞台挨拶から始め、


観客を交えてのトークをこなし、


俳優陣がステージに現れてから、一時間が過ぎていた。


役者も観客も盛り上がってから、舞台の幕が上がった。


セットはあるのだが、


後方の動画を流しているスクリーンが舞台の奥行きを演出していて、


映画と演劇の両方を見ている感覚に観客は笑みを絶やさず、芝居を楽しんでいる。



真樹が舞台に現れ、その場で立ち止まり満面の笑みを見せた。


「あんっ!

 可愛い子犬が…

 デート、楽しみだわっ!」


真樹の弾むようなひとり芝居の笑みに、観客は息を飲み、感嘆の声上げた。


実はその視線の先にはシャドウがいたのだ。


だが、実体を現しているのは正面だけで、


左右と後ろは舞台袖にある木のオブジェの影に溶け込んでいる。


シャドウは音をたてずに真樹に拍手をした。



舞台は中盤に差し掛かり、三姉妹とマーガレットが城に向かうシーンだ。


あまりの映像のリアルさに、観客は息を飲み、舞台よりも映像に引き込まれた。


まるで中世の城下町が目の前にあるように観客は思ってしまったようだ。


そして何よりも不思議に思っているのは、登場人物とエキストラの多さだ。


今の時点で、100人以上は登場しているのだ。


しばらく出番のない役者が早着替えでエキストラに扮しているのだ。


その中心になっているのが静香だ。


端役だが、台詞のある役ももらっている。


しかしこういったエキストラ役も、この舞台の奥行きを深めるのだ。



極めつけは戦争となってしまったシーンで、


総勢数万の騎馬隊が終結しているシーンに、


観客は呆れ返っていた。



終了後、この新感覚な舞台は情報系端末などによりすぐさま話題を呼び、


テスト放送中のSKTVの今日と明日の午後枠で再放送されることが決まった。



今はアクター部の9名が舞台に勢ぞろいしている。


俳優たちは演じ切った達成感を笑みに変え、客席をみつめている。


「大勢登場人物が出て来ましたけど、全て私たちの演技です。

 どうか、再放送でチェックしてくださいね!

 …今日は足をお運び頂きましてありがとうございました。

 今後ともSK… スメラギナイト劇団のご支援、よろしくお願いいたします」


雛の挨拶が終わったあと、役者全員が客席に頭を下げ幕が降り、


大声援と大拍手により舞台は終了した。


「…確かにSKだな…」


厳戒態勢中の皇が木下を見て呟いた。


「ものは言い様だな…

 オレも、婿養子か?」


木下は呆れるような顔を皇に見せた。


「婆さんは婿養子をふたり取っている。

 その娘も婿養子だ。

 完全に女性上位の女系家族だな。

 そして、皇の名を引き継ぐことが、

 能力維持の条件のひとつなのかもしれないぞ」


木下は納得したように大きく頷いた。


「皇は王であり神であるという意味があるからな。

 オレには畏れ多い名だ」


「大丈夫だ。

 オレも皇だからな。

 だがオレには雛のような、みんなを不思議に思わせる能力はない」


「そうだそれだ。

 百発百中、何かコツでもあるのか?」


「いや、特に何も…

 だが先日的を外した時、言いようのない違和感がオレを襲ったな。

 命中して当然だろっ! といった声が聞こえたような気がした。

 …細田は、神を越えているんじゃないのか?」


木下は大笑いをして、


「違いない! 確かにその通りだ!」と言って納得したようだ。


「細田のコードネームはゴッドにしよう」


木下の言葉に、皇は賛成したようだ。


「神もいれば幽霊もいる。

 バラエティーに富んだいいチームだな」


ふたりは巌剛とグランと共に、女優たちと合流して、


地下訓練場経由で道すがら食堂に戻った。


… … … … …


「出待ちのお客様が一向に帰ってくださいません…

 どういたしましょうか?」


少し憔悴した澄美が、木下に聞きに来た。


「それ、考えてなかったな…

 まだ本社ビルの中にいると思っているわかけか。

 当然といえば当然だな。

 …だが、また話題を提供するか…」


木下は子供っぽいことを考え付き、秘書とSPたちに代役を頼んだ。


それぞれが役者に変装して、


出待ちの客の前に現れ街中を駆け回らせ姿を消させたのだ。


当然その映像も撮っている。


「なかなか子供っぽいだろ。

 純也には代役はいらなかったと思ったけどな。

 だが、これでさらに注目を集めたな、SK劇団。

 いい宣伝になって何よりだ!」


「でも、またやれって言われちゃうわよ…

 酷い社長だわ…」


雛は困った顔を木下に見せた。


澄美はそういう雛に嘲笑を浮かべている。


「丁重に断れ。

 あれはファンサービスだったってな!

 …だが純也、芸名、どうするんだ?」


「実は…

 私もSKにあやかろうと…

 木下静香という芸名で…」


一同は息を飲んだ。


木下もこの話しは聞いていなかったのだ。


「だが、静香と…

 そうか、当然話し合って静香が納得したからだよな…

 …だが純也は芸名、両方使えばいいんじゃないのか?

 役によって使い分ければいいとオレは思っているんだけどな。

 普通役者ではいないからな。

 話題性豊富だと思っただけだが…」


「はいっ!

 是非そうさせてくださいっ!

 社長の仰った通りで、芸名として使わせて頂くことにしました。

 結城純也と木下静香を使い分けることにします!

 これで私も、雛さんに半歩でも近づけたように思いました!」


木下は笑顔でうなづいた。


「その高揚感が大切だ。

 問題があれば打ち切ればいいだけだからな。

 純也の想い通りにやってみろ」


純也は木下に深く頭を下げた。


そして木下は憔悴し切った静香を見た。


「静香は芸名どうするんだ?

 もう決めたのか?」


「…いえ、まだ…

 ですが兄さんと同じ様な名で…

 木下源次郎、頂けませんか?

 オレ、凄く気に入ってしまって…」


「それは却下だ。

 そもそもややこしいだろ…

 それに、その名を使うということはオレのイメージも

 お前が受け継ぐことになるんだぞ。

 自惚れではないが、今のお前にそれができるのか?」


静香は驚いた顔を一瞬見せたあと意気消沈した。


木下の言った事はもっともだと感じたようだ。


「だが、途中までならいいんじゃないのか?

 木下源きのしたげん

 なんなら、その下は自分で考えてもいいぞ」


「はいっ!

 木下源っ!

 ありがとうございます!

 どうか、よろしくお願い致しますっ!!」


静香こと源も高揚感にあふれ、疲れが吹き飛んだように元気になった。


… … … … …


「実はな、かなり言い難いのだが…

 今日はきんぴらが出せない」


「ええ―――っ!!」


木下の言葉に、全会一致でクレームの叫びが店内に木霊した。


「喰いたければ出すが、はっきり言って不味い…

 店主としては作物の肥やしにしたいと思っているんだ.

 明日の朝、実家からごぼうが届く。

 それは確実に美味いからな。

 よって今日は、別の付けあわせを作った。

 味付けはきんぴらとほとんど変わらないが、

 オレ好みの切り干し大根ができたんだ

 きんぴらよりもこっちの方が美味いと思う者もいるんじゃないかな」


木下は巌剛の目の前に、小鉢に入れた切り干し大根を出した。


巌剛ははっきり言って気乗りがしない顔で、切り干し大根を口に運んだ。


「…おい…

 これは…

 飯くれ!

 酢豚プレートだっ!!」


巌剛は感想も言わずに、切り干し大根でどんぶりを空けた。


木下はそれぞれの注文を聞き、手早く調理した。


「歯ごたえが…

 戻しを…」


麻里子が嬉しそうな顔をして木下に言った。


「そう。

 少し不十分に戻した。

 そして軽く煮炒めしただけだ。

 この食感もなかなか癖になるぞ。

 惣菜店では少々戻し過ぎのものが多いからな。

 自分で作る場合はその調整ができる。

 やはり食感も大切だと思ったぞ」


「味付け、いいな。

 これも食欲をそそる」


皇も文句はない様で、いつも通り食が進んでいる。


「切り干し大根も付け合せに出す。

 嫌いな者は…

 いないようだな。

 …干し物は栄養豊富だからな。

 生野菜といっしょにふんだんに摂ってくれ。

 ひじきもうまいが、まあ、これはオレだけかな?」


素早く麻里子の手が挙がった。


麻里子も雛と同様に、和食通の様だ。


「ははひほっ!!」


雛がご飯を口に入れたまま叫んだ。


「雛の好みもこの前聞いたぞ。

 考えられる付け合わせをサラダバーの隣に並べよう。

 オレも喰いたいからな。

 …ポテトサラダとか好きな者いるか?」


やはり若い者はマヨネーズ系のものが好きなようで、半数ほどが手を上げた。


「ごくシンプルなポテトサラダも用意する。

 マカロニサラダも美味いんだよなー…」


「今ないものを次々と言うな…

 ひと通り作ったら答えは一目瞭然だろ…」


皇が木下を睨み付けた。


木下は調子に乗ったと思いつつ頭を掻いている。


「カレー以外でメニューに加えてもらいたいものってあるか?

 和食は魚の焼き物、煮物は用意できる。

 田舎煮もな。

 野菜炒めも、プラスもやしなら問題ないな。

 グランが参加したことで、サンドイッチなども考えている。

 オレのお勧めは白身魚フライのサンドイッチだ。

 アッサリしてて、マヨネーズの重みが丁度いいと思うな。

 どうだ、ほかにないか?」


「考えられるものを全部作って真樹の目の前に並べろ…

 それで判断する。

 残念ながら、オレ達は指を咥えて見ているだけだがな!」


真樹が軽く皇を睨み、そして笑みを浮かべた。


「そういえばそうだったな…

 だが、真樹は少し少食になったようだが…」


「はい。

 意識して租借回数を増やしたら、以前の半分でお腹一杯になります。

 なんだか健康になったようで、とっても嬉しいんです!」


「そうだよな。

 早食いの大食いは身体に毒だ。

 …さてオレは、牛丼でも作るかな…」


「メニューにないものを今作るなっ!

 ボスッ!

 オレもだっ!」


巌剛が大声で叫び、真樹も所望したようだ。


ほかの者たちも食べたかったようだが、


さすがに腹一杯になってしまっていたようだ。


木下は手早く牛丼を作り、厨房の中で食べている。


「焼肉丼も美味いんだよな。

 巌剛も少量の肉を好むと言ったからな。

 おやつ代わりにはいいんじゃないか?」


「そうだな、それもいいな。

 うな重もオレとしては好物だが…」


「そう!

 高いばかりで美味くない。

 アナゴ丼の方がマシだ。

 5分の1以下の材料費で作れるからな。

 身も締まっているものが多いから、数量限定で気が向いたら出そう。

 天丼も好きだが、一輝は好物だろうな?」


皇は木下を睨み付けただけで何も言わなかった。


木下はその顔に苦笑いで応えた。


「ここは食堂ではなくなったな。

 オレたちの食卓だ。

 みんなが同じ物を食べるということも考えたのだが、

 今まで通り注文は聞くからな。

 食べたい物を食べた方が、

 特に女優たちはテンションも上がるというものだ。

 …雛も遠慮なく言っていいんだからな。

 だが、あまり細かいことは言わないでくれよ。

 だが一度、幕の内弁当でも作ってみるか。

 …そうだ明日は弁当がいるな。

 丁度よかった。

 二人前、作っておくからな。

 仕出し屋の弁当もうまいが、オレが特別に愛情を込めて作ってやろう!」


雛と麻里子がお互いを見て笑顔になった。


そしていきなり、トークバトルが始まってしまった。


木下の指示で女優たちが無理やりふたりを引き裂き、


何とか話すことを止めたようだ。


「半分は冗談と思っていたんだが、本当だったんだな…

 だが本番の時は、もう少しペースを落とせよ。

 何を話していたのか良くわからなかったからな…」


「久しぶりだったから、

 ガス抜きのようなものだわ…

 でもそのおかげで冷静になったわ。

 …源ちゃん、ありがとう。

 ちなみに、松花堂弁当とか作れる?」


「いいぞ。

 ふたりとも寿司とか、大丈夫か?」


女優たちはふたりの眼が合わないように立ち上がって高い壁を築いている。


「問題ないわよ。

 手まり寿司ね!」


「そう。

 彩りがいいからな。

 話しながら食べることになるから、

 見栄えもよくしないとな」


ほかの女優たちも、「ロケ弁の代わりに…」と言って所望したので、


人数分作ることに決まったのだが、真樹は少し残念そうだった。


「仕事を選べばいい。

 それにオレが許可しない。

 人の言うことなんて気にするな。

 …十段重ね、持って行くか?」


真樹は満面の笑みを木下に見せた。


… … … … …


ここは道すがら食堂。


社員たちがそろそろ起き出す頃、木下は雛ご指名の松花堂弁当を造り終えた。


この弁当箱は格子状に仕切りがあるので、市販品はない。


この商店街の端にある、


小さなプラスチック成形の工場に掛け合って造ってもらったのだ。


細田が顔を出すと社長に満面の笑みで迎え入れられたようだ。


型は単純なのでそれほど時間がかからずに出来上がった。


少々重いが、それなりの高級感溢れる弁当箱になっている。


だが、雛と麻里子用はさらに高級感あふれるものだ。


細田が気を利かせて木工細工として作り上げたのだ。


フタの彫がさらに高級感を醸し出している。


塗りは速乾性の漆を使ったということで、もうすでに乾いている。


きっと雛も麻里子もフタを開けることを楽しみに思うことだろう。


このふたつだけは高級和紙で包んだ。


撮影用でもあるので、手抜かりなく造り上げた逸品となったはずだ。



時間は疎らだが、女優たちが道すがら食堂に現れ、


マネージャーに弁当を持たせた。


真樹のマネージャーの井股千加子が重そうにして十段重ねを持ち上げたが、


真奈美が片手でヒョイと軽々と持ち上げ、真樹の拍手をもらっていた。


細い身体のどこにあのようなチカラがあるのか、


SP部以外の社員たちは首をひねるばかりだ。



「雛と麻里子さんの弁当はこれだ。

 撮影用だから気合を入れて作らせてもらった。

 中身は本番までのお楽しみだ。

 芸術的な弁当は、その美味さを数倍に引き立てると思うぞ。

 この和紙をはがせばすぐにわかると思う。

 この弁当箱は細田の手製だからな」


雛と麻里子が眼をあわせようとしたのだが、巌剛の大きな身体がその欲望を遮った。


程なくふたりはテレビ局に出向いて行った。


しかもふたりとも弁当を大事そうにして抱えていったのだ。


「そういえば、雛はこうやって弁当を持たせてもらうことはなかったと思うぞ。

 ずっと婆さんが付きっ切りだったからな」


「…オレの弁当は…」


巌剛がふてくされたような顔をして木下を見た。


「言われると思ったから作ってある…

 そんなに睨むな…

 だが、おやつ程度だぞ。

 真樹は完全に食事だけどな!

 …内緒だが、真樹だけは特製にした。

 同じもの十個じゃ芸がないからな。

 かなりの変り種松花堂弁当になったと思うぞ」


巌剛は笑顔になり頷いた。


全く以って子供だなと木下は苦笑いを浮かべた。


… … … … …


「お父様、先日の試験の結果ですが、

 なんと二名も合格者が出てしまいました。

 ですが、面接で落としてしまえば何も問題はありません」


木下は満面の笑みで澄美の報告を聞いた。


「面接、オレも出るからな。

 当然雛もだ。

 雛が気に入らない場合、確実に不合格とする。

 だがそのふたり、凄いな…

 合格ライン、満点が条件だろ?」


「はい、当然だと思っています。

 そしてまさかと思ってしまいました…

 …ひとつだけ、年齢以外の公表していない雛情報を入れてあったのです。

 雛が嫌いな色という問いに藍色と書いてあった時には驚きました」


「今までの雛の映像の中にヒントがあったんじゃないのか?

 その色を見て嫌な顔をした、

 など公表していなくてもカルトなファンなら気付いたはずだ」


澄美は納得したように木下に頭を垂れた。


「だが余程のファンじゃないと気付かないと思うな…

 …シャドウ…」


シャドウが姿を現し、モニターにふたりの情報を出した。


「ひとりは子役か…

 ここにはいない人材だからいいんじゃないのか?

 …おいおいっ!

 もうひとりは…」


「…はい、少々如何わしい系の女優です。

 …お父様は何故知っておられたのでしょうか?」


澄美の火の出るような激しい睨みに、


木下は頭を掻いてごまかすことにしたようだ。


「…喋りと演技はかなりうまいぞ。

 あの世界からこの世界の転身はかなり厳しいものがあるからな。

 逆は簡単だがな…」


「面接は明日ですっ!

 失礼致しますっ!!」


澄美は怒り心頭で、勝手口であるトイレに消えた。


「…如何わしい系… か…」


皇の言葉に、巌剛とグランが軽蔑したような目を木下に見せた。


「…みんな、酷いよね。

 ボクが木下に見せたんだよ。

 有望な女優だって言ったから、全ての女優で演技のうまい人を並べたんだよ。

 その中にいたんだよ。

 映像見て、驚いちゃったよね!」


シャドウが嬉しそうにして木下を見上げた。


「澄美のいる時に言ってくれ…

 …まあ、いいんだがな…

 事業を広げるのなら必要なことだからな。

 まずは普通にグラビアでもやってもらったら面白いかもな。

 後はファッション誌だ。

 スタイルもいいから人気は出ると思う。

 オレと同じ富山県出身だから、少々心配している。

 人によるんだが、訛りが消えないんだよ。

 だがそれも、雛の悪魔のような発声練習で消えるだろうと楽観している。

 昨日の雛の言葉、かなりの新潟訛りの言葉が多かったようだ。

 寒い地方の出身者は早口だからな、余計に聞き取れないと思うな…」


「その通り。

 オレは意識してゆっくりと話しをしている。

 源次郎もだろ?」


皇がしかめっ面から笑みを浮かべ木下を見た。


「そう。

 そうすれば簡単にイントネーションも普通になった。

 澄美も真奈美もオレと同じようにして訛りを消している。

 当然、地元に戻れば訛り放題だけどなっ!

 特に富山の訛りは強烈だと感じた。

 SPを連れて行った時、何度も聞き直していたからな。

 きっと、ここにいる東京人は、外国語だと思ったに違いない…」


「沖縄も酷いぞ…

 あれこぞ外国語だ」


「お年よりは確実にその通りだな。

 だが、巌剛の同年代とその上は英語主体の世界だったからな。

 日本語をあまり話さないな…」


「戦争のとばっちりだな。

 失くすのはその土地だけではない。

 人そのものも変えられ失くしてしまうんだよな…

 だが10年後にはそれがなくなるんだろ?

 それを一日でも早く失くすために、オレは訓練に行ってくる」


巌剛は立ち上がり、グランもそれに倣った。


ふたりも勝手口に消えていった。



「源太兄がついにやった…」


木下が呟くようにひとり残った皇に言った。


「逆差別の根絶か。

 どこの自治体でもまだないだろ?

 どの自治体も国と同じ様な政治を行うからな。

 国会に来なくでも、できることはあるんだな…」


「そうだ。

 この根絶で、市税の3分の1が宙に浮いた。

 途轍もない逆差別だったようだな」


皇は大きく頷いた。


「実はな…

 予算も組み込まないことにしたようだ。

 もうあそこは、源太兄の国のようなものだな。

 よって無駄遣いがなくなる。

 必要性のあるものにだけ金をかける。

 地元の小さな企業には申し訳ないことだが、

 市としては潤うことが確実なんだよ」


「澄美さんもそれをするんだろ?

 いいテストケースになったと思うぞ。

 国が自治体に倣う。

 いいことじゃないか」


「だが逆差別問題は一部の市民には不評だからな。

 当然のごとく隣の市に行ったが異動を拒否された。

 こんな事態はありえないんだが、この市でも、兄の考えを推奨するようだぞ。

 よって、税金免除のカードは発行してもらえなくなったということらしい。

 当然、今まで支給されていたんだから払い続けろってことになるよな。

 市役所に押しかけたが、警察が逮捕した。

 SKの諜報部員が常にいるからな。

 銃刀法違反の疑いがあると警察に知らせた。

 …だが、警察官の中にもいるんだよ。

 そして、市役所の中にもな。

 だから兄が市長になってからは、コネ入所はなくなった。

 源太兄の周りは今は世界の騎士党で固めているからな。

 兄の想いがすぐに届く政治をしているんだよ」


「だが、何年かかったんだ?

 大学に行っている途中から市長になったんだよな?」


「そう。

 今は三期目だ。

 反発は大きいが、ほとんどの市民に支持されているからな。

 前回はチャレンジャーが現れなかった」


皇は下を向き微笑んだ。


「だが当然信任選挙として投票はしなくてはならない。

 そしてまたやったんだよ。

 ほとんどカネを使わない投票をな。

 SKの技術を市役所に展開して、

 顔認証で投票所のアルバイト、その他もろもろの諸経費をゼロにした。

 マイナンバーでも認識できるが顔認証は必修なんだ。

 当然役所に着てもらって手続きをするんだが、SKの諜報部員が勝手にやった。

 この国もそろそろ管理してもいいかなって思っているんだよな…」


「クレームを付ける者も多いだろうが、

 その分経済に反映するはずだからな。

 そろそろその効果が現れているんだろ?」


「その通り。

 まずは市税の軽減だ。

 住民税を半分にした。

 そして特に、実家の農園は身分証提示方式を取っているんだ。

 市民には超安く、他の地域は常識的な値段という方法をな。

 それ目当てで引っ越してきた家族は数十世帯は下らないんだよ。

 年間の野菜消費量代金の差額で海外旅行ができるからな。

 それほどに安くしても、儲けがあるんだよ。

 もっともオレと同じで、飯がたらふく食えればいいだけのようだぞ」


「富豪にならないことがステイタスのような生き方だな。

 だが、それが一番生きやすい方法かもな…」


… … … … …


木下と皇は久しぶりに外の商店街からSK本社ビルに向かった。


どこにでもある商店街なのだが、至るところに避難スペースを設けている。


この近辺にSKセキュリティーの防衛部隊数人が立つので、


市民としては安心を得ることができるのだ。


その警報の認識なのだが、


要注意人物やその組織に属する者が


この商店街の500メートル以内に近付くと警報を鳴らす。


その認識方法は、シャドウによって顔認証などで管理されている。


当然変装してもすぐにわかるよう、


X線に似た安全な装置にて電柱に仕掛けられているのだ。


シャドウはPCなどから家庭用コンセントにもアクセスできるので、


先日のような芸当も簡単にできる。


特にこの街はシャドウの目によって常に監視されているのだ。



元はと言えば、この近辺は解体した鵺島組のシマだった。


当然のように、商店街などから上納金を納めさせていた。


敵の本陣から攻め入るがの如く、木下はこの地に本社ビルを建て、


商店街を悪の手から開放したのだ。


よって、商店街の店主などは、木下の顔を見るとみんな笑みを浮かべる。


商品などを持って行けと言うが、上納金を納めさせている様で嫌だと言い、


店主たちを快く納得させている。



木下は青果店に足を踏み入れ、最高級の果物籠を買った。


店主は満面の笑みで木下に最敬礼した。


熨斗はつけずに、トークの彩を演出させるためだけに購入したのだが、


きっと雛なら食べるだろうなと思い、木下は軽くほくそ笑んだ。



見覚えのある子供がSK本社ビルを見上げている。


隣には母親らしき婦人もいる。


アクター部の入社一次試験で合格した安藤サヤカだ。


木下と皇がエントランスの階段を上がろうとすると、


サヤカが木下に近付いてきた。



木下はスカジャンにポロシャツ、ジーンズ姿で、


皇は冬なのに夏物のスーツを着ている。


動きやすいという理由だけで、このようにかなり寒そうな服装なのだ。


「…おじ…

 お兄さんはこのビルで働いてるんですかぁー?」


サヤカはおじさんと言いかけたようだが、


すんでのところでお兄さんに言い換えた。


芸能界という場所は、


そう言ったことにも少々うるさい者がいるんだなと、


木下はサヤカを少々不憫に思い、可愛らしくも思った。


「ああ、働いてるよ。

 安藤サヤカさん」


サヤカは満面の笑みで木下を見た。


「凄く嬉しいですっ!

 みんなサヤカちゃんって呼ぶので、

 少し大人になったように思いましたっ!

 ありがとうございますっ!」


サヤカは満面の笑みを浮かべて木下にお辞儀をした。


「一緒に行くかい?

 今、越前雛と上杉麻里子のトークの撮りをしているんだ。

 実は、やってもらいたいことがあるんだよ」


サヤカは卒倒するように軽く白眼をむき、その身体を木下が支えた。


「女優がこれくらいで驚いてはいけないな。

 常に女優らしくしていないと、雛に好かれることはないぞ」


「はいっ!

 ごめんなさいっ!

 一生懸命頑張りますっ!!」


サヤカと一緒にいたのはやはり母親だった様で、


木下と皇に丁寧に挨拶をした。


当然木下のその正体を知っているわけでもないのだが、


極々常識的な母親だろうと木下は思った。



木下がエントランスに入ると、驚いたように秘書8号が立ち上がり敬礼した。


サヤカとその母親に記帳させ、入館証を首からぶら下げさせた。


直通エレベーターで二階に上がり、受付でも最敬礼された後、


第一スタジオに足を踏み入れた。


もうすでにトークバトルは始まっていて、


満面の笑みのふたりがかなりの大声で楽しそうに話している。


フロアディレクターに、サヤカに果物籠を渡してもらいたいことを告げると、


アシスタントに少し背の高い豪華な台を持ってこさせた。


なぜだかホスト役に純也がいて、タキシードを着込んでいる。


その純也がふたりの中央に台を設置したところで、


ふたりはやっと純也の存在に気付いた様だ。


「あら、純、いたの?」


雛は全く知らなかった様だが、純也は、「トークが始まる前に挨拶しました」


と、少し怒りながら言い、麻里子が大声で笑った。


「お届けものがございます。

 女優の安藤サヤカ様からです」


雛と麻里子がまずは木下を見つけた様で、「社長ぉー!」と叫び手を振った。


サヤカは振り返り木下を羨望の眼差しで見た。


木下はサヤカに果物籠を渡した。


アシスタントの合図で、サヤカが一歩踏み出したが、氷付いたように動かなくなった。


木下が優しく肩に手をやって、「がんばれ」と小さく言うと、


サヤカはごく自然にゆっくりと歩を進めた。


純也がサヤカをエスコートしている最中に、雛と麻里子が立ち上がった。


「社長様に預かって来ました。

 今日が私の、最良の日ですっ!」


とサヤカは言い、豪華な果物籠を雛に差し出した。


雛は満面の笑みでその果物籠を受け取ったのだがかなり重かった様で、


麻里子と共に受け取って台の上に置いた。


「驚いちゃったわ。

 よく平気で持っていたわね。

 感心しちゃったわ、サヤカちゃん!」


「いいえ!

 私、チカラ持ちですからっ!

 もっともっと頑張りますので、

 いつか、競演してくださいっ!」


「はいっ!

 合格ですっ!

 ドラマと映画、出演決定ですっ!

 女王様に、ちゃんと挨拶してね!」


サヤカは泣き出しそうになるのをずっと堪えていた。


そして重い果物籠を平気な顔をして持っていた。


この演技に、雛はサヤカを認めたようだ。


そして雛も、入社試験の件は聞いていたので、


採用通知を言葉で示したようだ。



サヤカはふたりに一礼して、純也のエスコートで木下の前に立った。


その後ろには女王様である澄美もいる。


サヤカは大泣きしたいのをぐっと堪えている。


涙は零れているのだが、泣き声は上げない。


木下はサヤカの小さな肩を抱き、足早にスタジオの外に出た。


「よしっ!

 いいぞっ!

 大声で泣けっ!!」


木下の声に、サヤカとその母親が大声で泣き始めた。


母親も感無量になったようで、木下に頭を下げ続けていた。


… … … … …


木下たちは、道すがら食堂に移動した。


そこで、サヤカの所属手続きを行った。


「雛の言った通り、ドラマと映画の出演は決定だ。

 ほかの仕事は?」


「入社試験前に全部終わらせて、新しい仕事は入れていません。

 きっと合格できるって思っていましたっ!」


サヤカは子供らしく元気に言い放った。


「そう、それだ。

 どうして雛が藍色が嫌いなのか知っていたんだ?」


「バラエティー番組で、濃い青の服を着た女優さんを睨んでいたんです。

 きっと嫌いな女優さんなんだなって思ったんですけど、

 全然そんなことはなかったんです。

 スタッフさんから聞いたんですけど、思い出したようにそういえば、

 青い色に妙に反応するなって教えてくれたんです。

 バラエティー番組に出ている雛さんの映像を全部チェックしたら、

 藍色が嫌いなんだってわかっちゃったんです。

 そしたら、入社試験でその問題が出て、すごく嬉しかったんですっ!」


「それはこの女王様のいたずらだからな。

 オレのせいじゃないぞ」


皇と澄美は大声で笑った。


「はい、女王様も憧れの人ですぅー…

 きっと、誰にもできないと思うんです。

 もっともっと、偉くなって欲しいですー…」


「そう。

 オレにもできないからな。

 澄美がみんなを守ってくれる。

 …きっと知っているだろうが、

 現在この事務所には9人のアクターが所属している。

 サヤカは記念する十人目だ。

 何かご褒美をやろう。

 何でもいい、欲しい物があったら言ってくれ」


ここは子供らしく母親を見た。


「はっきりとおっしゃい」と母が優しく言ってサヤカの後押しをした。


「お仕事が欲しいですっ!」


「わかった。

 すぐに手配しよう。

 …澄美、安藤サヤカを採用した件、ニュースで公にしろ。

 ついさっきサヤカが出演した映像も流せ。

 きっと反響があるはずだ。

 SKTVのテスト放送で子役が必要な場面がないかすぐに会議に掛けろ。

 なんなら、SKTVのCMでもいいぞ」


「その件でしたらまずひとつ。

 細田のアシスタントを探していました。

 そのお仕事、やって頂きましょう。

 撮りは三日後からです」


サヤカはまずは母親に抱き付いて、澄美と木下の順で頭を下げた。


「大物女優ふたりを前に堂々としていたからな。

 きっと仕事は舞い込むはずだ。

 それに早速具体的な仕事も入った。

 サヤカ、よかったな」


「はいっ!

 精一杯がんばりますっ!

 …あのぉー…

 細田さんって…」


「SKセキュリティーの頭脳だ。

 特別に子供向けの科学番組を担当してもらうことになっているんだ。

 …なんだ、理科は嫌いのようだな…」


サヤカはすぐに顔色を戻し、満面の笑みを作った。


「楽しく細田から学べばいい。

 そして女優の演技も入れ込め!

 一石二鳥だろ?」


サヤカはいい笑顔を木下に向け、大きな声で礼を言い、深く頭を下げた。



「ところで、サヤカは食べ物の好き嫌いはあるか?

 見てわかると思うが、オレは定食屋の主人もしている」


サヤカは困った顔を見せ、母親を見て泣きそうな顔になった。


「…ニンジンが…

 凄く嫌いなんですぅー…」


「そう!

 そういう大人も多いな。

 何が嫌いなんだろうか?

 オレもニンジンの料理でひとつだけ嫌いなものがある。

 よくステーキなどで付け合せについているバター炒めのにんじんだ。

 あの甘ったるい匂いと味がオレはあまり好きでないな」


サヤカははたと気づいたように木下に向かって顔を上げた。


「はい、きっと、私もそうかも…

 あの甘さが嫌です…

 それに、酸っぱいのもそんなに好きじゃないです…」


「ほう、オレと同じ想いの子がいたな。

 酸っぱいものは無理して食べなくてもいい。

 子供にはよくあることだ。

 大人になれば自然に食べられる。

 だから、酸っぱくないように作ってやろう。

 そしてニンジンも、少しだけチャレンジしてみるか?」


サヤカは子供らしからぬ苦笑いを木下に見せた。


木下は厨房に入り、きんぴらごぼうと、大根とニンジンのなますを出した。


「これは入社試験ではないからな。

 嫌なら食べなくていいぞ。

 余計に嫌いになるからな」


サヤカはまずはきんぴらに箸を伸ばし、嫌々ながらに少量を口に運んだ。


いい音をさせて噛んでいるのだがかなり嫌そうな顔をしている。


だが、また箸をきんぴらに進めた。


少しだけ掴んで、また口に入れた。


母親も、味見がしたいのかきんぴらを箸で少量摘み、


「あら、おいしい」と小さな声で言った。


「全然、嫌じゃないです。

 凄く甘くて美味しいですっ!」


「そうか、やはり子供は甘く感じやすいようだな。

 だが、それほど甘くないぞ。

 水あめを使っているから、甘く感じるだけだ。

 さて、問題はこのなますだ。

 これはどうかな?」


「酸っぱい匂い、しません」


サヤカはなますを少量摘み、何事もないようして食べている。


「ニンジン、普通に食べられます!

 それに、全然酸っぱくないですけど、今酸っぱいです」


「そう。

 食べた時はあまり酸っぱく感じないけれども、今は酸っぱく感じる。

 このなますは砂糖を増量したんだ。

 酸っぱいものは甘さで消せるんだ。

 少しずつ慣らしていけば、好き嫌いをしなくて済むからな。

 オレは子供の頃、すっぱいものは全部皿の下に隠していたからな。

 その気持ちがよくわかるんだよ。

 だが今は酢自体が大好きだ。

 好き嫌いは全くないぞ。

 サヤカもそうなれば嬉しいよな」


サヤカはいい笑顔で木下を見た。


「オレの今のお気に入りはニンジンの漬物だ。

 やはり歯ごたえがいいからな。

 よかったらサヤカも食べてみろ。

 もろ、ニンジンだからな。

 これが食べられたら、ニンジン嫌いは解消だなっ!」


木下は少し粘りのあるニンジンを小皿に入れて、サヤカに出した。


「…おい、松前漬けか。

 飯と、松前漬け」


「ダメに決まってるだろ。

 これは正月用だ!」


皇はサヤカに言ってから箸でニンジンを摘み、


いい音をさせ頷きながら食っている。


「美味いな、ニンジン。

 お前、こういった美味いものをちょい出しするな…」


サヤカは皇がおいしそうにして食べたので、


マネをして食べると微妙な顔をした。


「子供には少し早いが、酒飲みの判断ができる松前漬けだ。

 これには日本酒が入っている。

 もちろんアルコールはまず熱して飛ばしているけどな。

 だがこれは、味に広がりが出るんだよ。

 うなぎのタレや天丼のタレも、そうして入れると一層美味しくなるんだよ。

 オレは料理酒は使わず、使う時は日本酒だけだな」


「でも、嫌いじゃないです。

 そんなに甘くもないし…」


木下は笑みを浮かべてうなづいた。


「では最終関門だ。

 ニンジンそのものを食ってもらおうか」


木下はスティックにしたにんじんをディップソースを添えて出した。


「これは甘く感じるが、ニンジンそのものの甘みだ。

 いやな甘みはないと思うぞ」


みんなはニンジンに手を伸ばし、軽くソースをつけて食べた。


ニンジンの心地いい歯ごたえの音だけが、店内に響き渡っている。


「ディップソースはマヨネーズとケチャップを混ぜただけだ。

 これに、レモン汁と砂糖を入れても美味いぞ」


サヤカはごく普通にニンジンを食べているようなので、克服したと言っていいと


木下は思ったようだ。


「さて、食べたいものがあったら言ってくれ。

 材料があれば作るぞ」


木下の言葉にサヤカは、「トンカツを…」と、恥ずかしそうに言った。


「子供はトンカツが大好きだからな。

 サヤカの隣にも大きな子供がいる」


「ローストンカツ、ダブルだ」


皇も欲した様で堂々と言い放ち、木下を睨み付けた。


木下は笑みを以ってとんかつを揚げ始めた。



サヤカは出されたトンカツにソースをかけて満面の笑みで食べ始めた。


そして幸せそうな顔を木下と母親に見せている。


「…あら、凄くおいしいわ…

 お店でこんなに美味しいロースを頂いたことありませんわ…」


「脂身に癖がなく、赤身も美味いんですよ。

 仕入れ値は少々高いんですけど、みんなのために用意しているんです。

 食は明日の活力に繋がりますからね」


巌剛とグランも戻ってきたので、木下は本格的に昼食の調理を始めた。


木下はそれと同時にシャドウに調査を依頼した。



一段落ついて、そろそろいいかと思ったのか、木下が安藤親子を見た。


「本当は三人だったんですよね、安藤悦子さん」


「…え?

 …えっ?」


サヤカは自分の本名を木下に呼ばれ少し驚き、


木下の視線が母に向いていることでさらに驚きの表情を見せた。


木下はそれに気付きサヤカを笑顔で見た。


「そうだった。

 サヤカの本名だったな。

 …ご自分の想いを娘に託しましたか」


サヤカの母、麗子は目を瞑り笑みを浮かべている。


「…懐かしかった、あのふたり…

 いつも私が止め役でした…」


「きっとその役が誰かいたはずだと思っていたのです。

 今少し調べてやっとわかりました。

 芸名、安藤悦子、雛と麻里子の親友。

 だが今は全く疎遠になっていますね。

 やはりサヤカに集中しましたか?」


「いいえ、何も。

 この子が勝手に雛に憧れて、勝手にファンになって、

 こちらの事務所の試験を受けると言ったので許しただけです。

 …でも、ちょっとだけカンニング、しちゃったかな?」


麗子はサヤカに優しい笑みを向けた。


サヤカは上目使いで木下を見ている。


「色の件ですね。

 …昔の写真に紛れもない証拠でもあったのか?」


木下の言葉とその視線にサヤカは素早く立ち上がり、


木下に向いて頭を下げた。


「ごめんなさい!

 ウソ、ついちゃいましたっ!!」


「いいや、許さない」


「………」


木下の言葉にサヤカは絶句して、唇を噛み締め、涙を堪えている。


母の安藤麗子は薄笑みを浮かべ、目を瞑っている。


「明後日一日、雛の付き人を命じる。

 しっかりと鍛えてもらえ」


サヤカはすぐさま満面の笑みを木下に見せ、母を見て喜んでいる。


「…はいっ!

 ありがとうございますっ!!」


「適当に言ったんだが当ったようだな…」


木下の言葉に、麗子が大声で笑った。


「麗子さんはこのまま母親だけでいいんですか?

 この事務所はアクターだけでなくマネージャーも募集しているのです。

 雛や麻里子の面倒を見てもらえませんか?

 そして、やる気があるのなら女優復帰して頂いても構いません。

 麗子さんはそのいでたちから雛のいいライバルになれそうだ。

 そして、雛よりも一歩も二歩も秀出たものを持っておられますから」


麗子はさらに笑みを深くして、木下に頭を下げた。


「はい、それだけは自信があります。

 社長、親子共々、よろしくお願い致します」


麗子はその自信である、サヤカの頭を優しく撫でた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ