35 炎の巫女ヘーネス
時は少しだけ遡る。
ヘーネス・アラガンテは苛立っていた。
知らず知らずのうちに反乱軍の象徴に祭り上げられてしまったことに。
そして何よりも自分の通り名に苛立っていた。
炎の巫女。何が炎だ。何が巫女だ。
そう呼ばれるだけでヘーネスは怒りの眩暈に襲われた。
鑑定能力を持って生まれたばかりに、こんな恥ずかしい通名を付けられ、担ぎ上げられたのだ。
しかもその鑑定能力も師匠に比べるまでもない、彼女の鑑定能力は師匠とは比較にならないほど劣っていたのだ。
師匠の鑑定能力はレベルが違った。
その範囲が違った。その速度が違った。
だが、ないものねだりにして仕方がない。
そんなことは分かっていた。
もし一万年前のエクソダスの時代に彼女が生まれていたら、状況は違っていただろう。
だが今は宇宙航行時代。全てが単純だった勇者の時代ではないのだ。
全てが複雑に入り乱れ、敵と味方がカオスを構築する混沌の時代。
願わくば、このまま鑑定スキルを失ってしまいたい。
ヘーネスは眼前に広がる艦隊の推進光をぼんやりと眺めながらそんなことを考えていた。
「炎の巫女様」
突如、彼女の横で沈黙を守っていた男が彼女の思考を妨げた。
「……なんでしょうか?」
ヘーネスは不機嫌を露わに美しい眉を上げた。
「炎の巫女様、もう一度あれを鑑定していただきたい。我が艦隊の中を光速で飛行する存在を看過出来ない。何とかせねば……」
男は丁寧な貴重だが、どこか高圧的だった。
「……はい」
ヘーネスは大きな溜息をついて渋々承知した。
彼女は従わざるを得ないのだ。
彼女の役目は、ただの鑑定するだけなのだ。
「ブレインリンク。宙域鑑定」
ヘーネスの思考がトールハンマー要塞の観測機群と接続され、その知覚範囲が、認識範囲が宙域全体にまで拡大した。
そして観測機が見たものを自分が見たもののように鑑定した。
膨大な鑑定結果が流れ込む。
眩暈がするほどの情報量に圧倒されるが幸いなことにここは主星域。
未知なる情報は少ない。
それゆえ耐えられた。鑑定結果をブレインリンク経由でシステムに送る。
「え?」
ヘーネスは自分の鑑定に始めて疑問を抱いた。
「……そんな馬鹿な」
余りの驚きでヘーネスは声に出して呟いた。
「どうされましたか? 鑑定結果はなんと?」
男は乱暴に身を乗り出した。先程の丁重な姿勢はない。
「あれはただのボトムオーガではないわ」
「……と申されますと?」
「魔王並の力を持っている」
「くそ。やはりオーバーロードか? 対魔王決戦兵器の準備をしろ」
男が誰に言うこともなく命令した。
一気に慌ただしくなる要塞内。
「そして信じがたいことにアイテムボックスを持っているわ」
ヘーネスは目を閉じた。
「は?」
自分でも何を言っているのか分からない。
だが鑑定結果は覆らない。
鑑定結果に偽りはない。
裏切らない。絶対だった。
何事にも左右されず本質を見抜く神の目、神の知――それが鑑定能力。
「アイテムボックスですと? それはエクソダスの勇者様の能力と同じ?」
「ええ」
ヘーネスは消え去りそうな小さな声で答えた。
「それをあの矮小なボトムオーガがオーバーロードでさらにアイテムボックスを持っていると?」
男は高圧的に聞き返した。
「……ええ」
ヘーネスの声がさらに小さくなる。
この報告に疑いを抱くのも無理もない。
ヘーネスでさえ自分の鑑定に疑問が抱いているのだ。
だがしかし、鑑定結果は絶対だった。
「炎の巫女様はお疲れのようだ。誰か、炎の巫女様をお部屋に案内して差し上げろ」
男は優しい口調とは裏腹にヘーネスの腕を強く掴んだ。
その時、何かがヘーネスの頭に何かが流れ込んできた。
男の思考だ。
ヘーネスの鑑定能力は見たもの、触れたものを鑑定する。
何が勇者様だ。今は宇宙航海時代だぞ、そんな御伽話を信じているとはロマンチックな女だ。これだから能力者は使えないんだ。あの魔物の背後にはステルス迷彩の戦艦がいるはずだ。そうとしか考えられない。やはりラストディフェンダー艦隊の生き残りか?
我々の知らない女王の秘密兵器か?
――そんな男の心の呟きが、鑑定結果となって彼女に届いた。
そう、彼女は触れた者の心を読める。
触れた者の脳を、心を鑑定出来るのだ。
それは誰にも知られていない彼女の秘密。
絶対に人に言えない能力。
この鑑定能力により彼女は生き残った。
誰が敵で味方か? 触れるだけで判明するのだ。
生き残ったのと同時に見たくないもの知り、聞きたくない声に悩まされた。
鑑定能力という利用されやすい能力と持ちながらも生き永らえた。
そして人間不信に陥った。
それを救ってくれたのだ同じ鑑定能力を持つ師匠だった。
師匠は心を読めない。
だがまるで心を読んだかのようにヘーネスの心の痛みを理解してくれた。
そして宙域鑑定のやり方を教授してくれた。
そのおかげで彼女は炎の巫女となり、反乱軍の索敵の中心人物となったのは、なんたる悲運。
だが師匠の教えがなければ、彼女は自ら命を絶っていたに違いない。
「炎の巫女様、さあ、お部屋に」
「ええ」
ヘーネスは侍女のような女達に囲まれ部屋を出た。
当然ながら彼女達は侍女ではない。
屈強な女性兵士だ。
両腕を掴まれるようにしてヘーネスは慌ただしい艦橋を通り過ぎた。
「炎の巫女様の鑑定結果を未来予測演算解析」
ヘーネスの鑑定したデータがAIシステム群に伝えられ、未来軌道を割り出し始めた。
「未来軌道予測断定。主砲充填開始」
「撃て」
そして主砲が煌めいた。
アクティブリンクした各戦艦の膨大な主砲がボトムオーガに向けて、その未来軌道に向けて放たれた。
ヘーネスが鑑定したおかげで敵の位置が判明し、攻撃が開始された。
あの不思議な魔物をヘーネスが殺したようなものだ。
だがこれは戦争なのだ。
反乱軍中枢に紛れ込んだボトムオーガは脅威以外何者でもない。
全力で、艦隊を用いて殲滅する必要があった。
彼女はそれに駆り出され、鑑定結果を伝えただけだ。
いくら自分を言い聞かせても、ヘーネスの心は晴れることはなかった。
ヘーネスはいくつものシャフトを降り、個室という名の牢獄に監禁された。
炎の巫女ことヘーネスは絶望の瞳で何もない天井を見上げた。
彼女はその生まれ持ったギフト――鑑定能力によって軍に徴用され、その力を鍛えられ、女王陛下に誓いを立て、そして女王陛下の敵となった。
彼女の読心能力は、他人の心に勝手に土足で入り込み、知りたくもない他人の心を見せる。
それは拷問に等しい。
だがヘーネスは逃げ出すことも、戦うこともできなかった。
彼女が持っているのは鑑定能力だけだ。
強靭な肉体がある訳でもない。
強力な後ろ盾ある訳でもない。
彼女の家は由緒ある家柄だったが今が没落し、そうではなかった。
つまりどうしようもないのだ。
それにどこにいようと同じなのだ。
反乱軍にいようと、ラストディフェンダー艦隊にいようと自分の境遇は変わらない。
鑑定能力を持つヘーネスを誰かが利用するだけだ。
その誰かの名前が変わるだけで、要求されることは同じだ。
鑑定しろ。
もしヘーネスが一万年前に生まれていたら、彼女を取り巻く状況は少しは変わっていたのかもしれない。
エクソダスの勇者がヘーネスを見つけ出し、仲間にし、守ってくれたに違いない。
それが彼女の心の逃亡先だった。
一万年前のエクソダスの勇者の物語に逃避する。
「……助けて。勇者様。お姉様……お姉様はどこにいるの?」
ヘーネスは心の底から願った。
だが一万年前の勇者が実在した証拠はない。
映像も写真も残っていない。
ただ、伝説が語り継がれるだけだ。
それが美化され、伝説化されたとしても、ヘーネスは勇者の物語が大好きだった。
一万年前の架空の存在が彼女を助けてくれるはずがない。
だがそれでも、彼女は勇者に願った。
いや、勇者じゃなくても誰でもいい、誰かに連れ出して欲しかった。
「え?」
その時、部屋が大きく揺れた。
まるで彼女の願いをエクソダスの勇者が応えたかのように。
巨大な要塞が揺れた。
ここは小惑星並みの大きさの第三トールハンマー要塞。
その巨大さゆえ、決して揺れることがないはずだった。
ヘーネスは直ちに部屋の壁に手を当て、要塞を直接鑑定した。
「え? 主砲攻撃?」
その鑑定結果は驚くべき内容だった。
トールハンマー級の主砲が放たれ、要塞の防御スクリーンが消失したのだ。
そんなこと絶対に有り得ないことだった。
ジェネレーターが焼ききれ、行き場を無くしたエネルギーが防御スクリーン発生装置を完膚なきまで破壊した。
そして、あろうことか、その射線の元には司令室のモニターにはヘーネスが鑑定したあの魔族が映し出されてた。
そう、あの魔族が放ったのだ。
「信じられない」
そして遂にワルキュリアエッダ隊に出撃命令が発せられた。
敵はアイテムボックスを保持し、主砲級の攻撃を放つ魔王。
いくらワルキュリアエッダ隊でも今回ばかりは相手が悪い。
「イリアス……」
ワルキューレエッダ隊にはヘーネスの数少ない友人――イリアスがいるのだ。
伝えなければ。このことをイリアスに伝えなければ。
ヘーネスは母親から譲り受けた杖を手に取り祈った。
「勇者様。お姉様。私に力をお貸しください」
そしてヘーネスは行動に移した。
扉の暗証番号を鑑定し、開錠した。
「なっ。巫女様? どうやって出たのですか? あの、お部屋から出ないよう」
部屋の外の女性兵士が驚いた顔で両手を広げヘーネスを制止する。
ヘーネスにとって暗証番号など意味をなさない。
「トールハンマー要塞が攻撃を受けました」
彼女は事実を伝えた。
全てではないが事実の一片を伝えた。
「はい? 何を仰っているのですか?」
「早く彼に伝えて」
「ダイン様は今、お忙しいようでお繋ぎできません」
ダイン。それがあの男の名だ。この第三トールハンマー要塞の司令官。
「そうですか。では、私は出撃する友の元に激励に向かいたいのですが?」
ヘーネスはそう懇願した。
「友? 出撃?」
「はあ? ですが部屋から出すなと」
女性兵士が困惑してヘーネスの腕を強く掴んだ。
ヘーネスはその手を振り払った。
そして顔を真っ赤にして兵士を睨む。
「誰がそのようなことを? 私は罪人ですか? 私を誰だと思っているのですか? 炎の巫女ですよ。こんなところに閉じ込めて、友人であるワルキュリアエッダ隊を見送ることも許されないのですか?」
ヘーネスは大声で怒鳴った。ヒステリーを起こしたように叫んだ。
それは半分演技で、半分本気だった。
「なんと、巫女様はワルキュリアエッダ隊の隊員とご友人でしたか?」
その権幕に女性兵士は誤魔化すようにそう言った。
「はい。大切な友人です。学生時代からの……よろしければハンガーデッキまでご一緒しましょうか?」
「な?」
ヘーネスは心の中で舌を出した。
護衛の女性兵士達がワルキュリアエッダ隊のファンであることは知っていた。
ここに入れられた時に彼女達の心を鑑定したのだ。
「……しかし」
「お見送りぐらい、いいじゃないか? 私達もワルキュリアエッダ隊のお姿を拝見できるかもしれないんだぞ」
「そうだな。お見送りぐらいなら問題ないだろう」
「ありがとう」
ヘーネスは杖を片手に部屋を出た。
そして二人の護衛を従い、混乱する要塞内を飛び、極秘中の極秘、ワルキュリアエッダ隊のハンガーデッキに向かった。
通りすがる兵下達が頭を下げ、敬礼する。
鑑定結果の前ではワルキュリアエッダ隊の秘密ハンガーの場所は筒抜けだ。
彼女は炎の巫女なのだ。
「イリアス」
ヘーネスは機体の出撃前点検しているイリアスを見つけ、慌てて声をかけた。
「あら、ヘーネス? どうしたの? こんなところまで? 怒られるわよ」
イリアスは整備中のシルフアルケミーから飛び降りるとヘーネスの前に着地し、手を取った。
「イリアス。あんまり大きな声では言えないんだけど……」
ヘーネスはイリアスに自分が鑑定したボトムオーガのことを伝えた。
その奇妙な魔物がアイテムボックスを持っているということを伝えた。
半信半疑のイリアスの顔を見て、自分の鑑定結果に不安を覚えるが、敵はアイテムボックスを持っているのだ。
エクソダスの勇者のアイテムボックスは物理法則を捻じ曲げる強力無比の能力だ。
そんなもの敵に使われたら、いくら無敵のワルキュリアエッダ隊でも命の保証はない。
この真実を伝えるのが彼女に出来る精一杯の手助けなのだ。
例え信じてもらえなくても構わない。
「ありがとうヘーネス。隊長にはそれとなく伝えとくから、あなたは早く戻って」
そう言い残すと、イリアスは笑顔で出撃した。
イリアスは強くて美しい。ヘーネスの数少ない友人であり、憧れの存在だった。
自分には鑑定能力しかないがイリアスは人望、能力、美貌、優しさと、全てを兼ね備えていた。
「あれ? 炎の巫女様はどこに?」
「え? どこに行かれた?」
「さっきまでそこにいたのに」
「探せ。近くにいるはずだ」
「小娘一人に何が出来る。そう遠くには行ってないだろう」
ヘーネスは護衛の女性兵士達の隙をついて、車両の陰に身を滑り込ませた。
ここから逃げ出そう。
ヘーネスはビッグメンター要塞行きの連絡船にこっそり忍び込んだ。
ビッグメンター要塞は演算器の塊だ。
ここよりも兵士の数は少ないはずだ。
数時間後、ヘーネスを乗せた連絡船は三基のトールハンマー要塞に守られた演算特化要塞ビッグメンターのハンガーデッキに着艦した。
鑑定能力を駆使してヘーネスは人目を避け飛んだ。
そして誰もいない部屋に入ると、床に手を当てビッグメンター要塞を鑑定した。
直接鑑定によってあらゆる情報が彼女にもたらされた。
「え? イリアスがここにいる? なぜ?」
なんとこのビッグメンター要塞にワルキュリアエッダ隊のシルフアルケミーが着艦していた。
エストス機、イリアス機、ウナ機、レガード機がこっそりと着船していた。
だが誰もそのことに気付いていない。
まるで人目を避けるようにひっそりと姿を隠すように着船していた。
「非公式? どういうこと?」
ヘーネスはハンガーデッキに向かって飛んだ。
「イリアス……無事でいて」
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