26 ボトムオーガ散る
アクマゴロシ弾の真っ赤な糸の間をバウンドするボトムオーガ。
受け身を防御姿勢も取れずに跳ね回るボトムオーガ。
「か、艦長!」
リーマイ副官が初めて悲鳴をあげた。
その声にドッキー艦長が、ボトムオーガが反応した。
「くっ」
ボトムオーガが身をよじる。
飛来する真紅のシルフアルケミーの寸前で回避する。
「艦長。しっかりしてください。一旦退避。ブレインリンク。宙域鑑定。サララ脱出ルートを未来演算して送信、援護演算開始、妨害演算開始、遠距離攻撃の準備……ベーゼス未来予測掃射」
リーマイ副官の緊迫した声と同時に超弩級戦艦サンダーゲートの演算器が唸りをあげた。
「未来予測。脱出ルート演算完了。指定ルートに沿って逃げるのですよ艦長」
「援護演算、妨害演算共に失敗。演算制空権下では実行不可」
「ベーゼスの未来予測演算キャンセルされました」
「火器支援制御システム……マーズフォボス拒否」
珍しくサララ達の心配した声がボトムオーガの耳に届く。
「これが終わったら休めますからもう少しだけ我慢してください」
リーマイ副官が珍しくドッキー艦長を激励した。
「……休み? ああ、そうだった。僕は休むために働いているのだった。この動乱を収めてゆっくり休むんだった」
ボトムオーガの目に、ドッキー艦長の目に生気が戻った。
そこには強い意志が込められていた。
ボトムオーガは、ドッキー艦長は諦めていない。
「ああ、休みたい」
そうドッキー艦長の願いはたった一つ――自分の休みだけだ。
王国の動乱を治めるこの単独作戦も己の為なのだ。
王国兵士達を、王国民を助けたい一心からではない。
犠牲者が増えると自分の仕事が増える。
それを回避したいたけだ。
理由はどうあれ、その真意がどうであれ反乱軍に孤軍奮闘するその姿は美しい。
ボロボロになりながらも、シルフアルケミーの猛攻に翻弄されているボトムオーガは称賛に値するだろう。
その理由が何であれ、ドッキー艦長は他人の為に命を賭けているのだ。
誰が中傷できよう、誰が非難できよう。
「艦長。脱出ルート送ります」
ボトムオーガの目にサララから送られてきた脱出ルートが希望のように映っていた。
突如、ボトムオーガが方向転換し、光速で迫るシルフアルケミーのノーズの突起を掴んだ。
「ひっ」
女性らしい可愛らしい悲鳴をあげるワルキュリアエッダ隊員。
それはそうだろう。
シルフアルケミーのその乙女のような柔肌にボトムオーガのボロボロの醜い手が触れたのだ。
しかも光速で飛行する物体に物理的に接触したのだ。
いろいろおかしい。
物理法則を無視したこの非常識な行動にワルキュリアエッダ隊は悲鳴を上げることしかできない。
「くっ」
ボトムオーガの醜悪な顔が醜悪に歪んだ。
デスブリンガー状態のシルフアルケミーの装甲表面はアクマゴロシ皮膜だ。
魔力のあるドッキー艦長がそれに触れて無事であるはずがなかった。
ボトムオーガの手がアクマゴロシ装甲によって瞬時に焼かれ溶けた。
そのダメージは変装用演算キューブ越しにドッキー艦長の指を焼いた。
「くっ」
激痛に喘ぐボトムオーガ。
「ここで諦めたら休めないじゃないか」
ボトムオーガはその手を離さない。
ボトムオーガが、ドッキー艦長が目指すのは無限に交差する未来予測軌道の中にあるたった一つの希望――休暇という楽園ただ一つ。
「こいつ、早く離れろ」
ワルキュリアエッダ隊員の声を聞いたか聞かぬか、ボトムオーガはその美しい機体を土足で踏みつけ飛んだ。
未来予測の先の、その先の休暇という楽園に向けて飛んだ。
同時にボトムオーガの周囲から無数のマイクロミサイルが現れ、放たれ、爆発した。
その閃光と爆球によって漆黒の宇宙に無人戦闘機の残骸がその輪郭を現した。
爆球が連結し、結合し融合し、閃光が閃光を生み、真っ白の破壊エネルギーで宇宙空間を満たし、ボトムオーガはそれを隠れ蓑に脱出した。
だがしかし、観測型シルフアルケミーであるイリアス機の目は節穴ではない。
ボトムオーガの回避軌道を未来軌道を全機に送信していた。
まるでひとつの生命体のように連携が取れた銀河屈指のワルキュリアエッダ隊から逃げることなど不可能。
「くっ」
必死に回避するボトムオーガ。
そこにエストスの駆るシングルナンバーを持つ強力無比のシルフアルケミーが肉薄する。
だが衝突の寸前ボトムオーガはエストスのシルフアルケミーを蹴って緊急回避した。
「なっ? 蹴っただと?」
「ボトム魔王ちゃん。お覚悟」
そこにウナ機が迫る。
だがボトムオーガがウナ機のノーズを殴りつけ、その進路を強制変更する。
「はっ」
「え?」
「ボトム魔王ちゃん、私を殴ったの?」
方向転換し迫るウナ機が真紅のノーズを驚きに傾けた。
アクマゴロシに焼かれながらもボトムオーガは諦めない。
休暇を諦めない。
休む為に働くのは本末転倒だ。
一個人が反乱を収束できるなんてありえない。
だがドッキー艦長は一個人でも戦艦並みの戦力を有し、一個艦隊のベーゼスを保有していた。
古代戦闘機シルフアルケミーなどに負けるはずがないのだ。
魔族に支配されたダーレンゲート要塞を単独で破壊するほどの異常存在。
魔王と互角に渡り合い、魔王星を再起不能にまで叩き潰した異常艦長。
アイテムボックスを持ったドッキー艦長がやらねば誰がやるのだ。
「ちょっと休ませてくれ」
遂にボトムオーガはシルフアルケミーの連続攻撃から逃れた。
そしてそのままサララの導き出した未来予測にそって逃げるはずだった。
だがそのドッキー艦長の取った進路は指示されているルートとは正反対だった。
「あれ? 艦長? 進路が違いますですのよ。そっちは……」
ドッキー艦長はサララの示した未来予測軌道から逸脱した。
ボトムオーガの進行方向には星々を覆い隠す程の巨大な影があった。
それは戦艦型無人戦闘空母の残骸。
ボトムオーガの放ったトールハンマー要塞の主砲で真っ二つに分断された巨大無人戦闘艦。
ドッキー艦長扮するボトムオーガは巨大な残骸の内部に逃げ込んだ。
「逃がすか」
「目標、無人戦闘機空母内ハンガーデッキに逃げた模様。詳細データ送ります」
観察特化型イリアス機から全機にアクティブリンクされた。
「入り口はそこです、回り道になりますが……」
「構わぬ。このまま突っ込むぞ」
エストスの命によりワルキュリアエッダ隊は何の躊躇もせず、真っすぐに戦艦に突っ込んだ。
デスブリンガーモードのシルフアルケミーはそれ自体が剣であり、戦艦のノーズアタックと同様の攻撃力を持っていた。
防御スクリーンのない船壁など障害にならない。
その脆い外壁を突き破りながら突進し、ボトムオーガが逃げ込んだハンガーデッキ付近に向けて強力無比の機銃連射を浴びせた。
アクマゴロシ弾頭が船内を突き進み、破壊し蹂躙しがら貫通し、ボトムオーガの逃げ込んだハンガーデッキに襲い掛かった。
「くっ」
アクマゴロシ弾頭がボトムオーガに命中するその瞬間、ボトムオーガの前に謎の壁が出現した。
ドッキー艦長がアイテムボックスから宇宙戦艦の外壁を取り出したのだ
「それはさっき見たな」
エストス機はそれを予期していたかのように、優雅に回避し、可憐に直角に折れ曲がった。
そしてアクマゴロシ弾が放たれ、ボトムオーガに命中した。
必死にアイテムボックスから障害物を取り出し逃げ惑うボトムオーガ。
「さっきから、どこから取り出している?」
「生意気に」
「魔王が持つとされる収納魔法?」
ウナ機がノーズを傾けながら機銃を掃射する。
ボトムオーガを追い立てるシルフアルケミー達。
やがてボトムオーガは無人戦艦のハンガーデッキの奥に追い込まれた。
「ここまでよくやった。褒めてやろう」
エストスはそう褒め、無慈悲にトリガーを引いた。
何百発ものアクマゴロシ弾がボトムオーガに命中した。
ボトムオーガの皮膚が剥がれた。粉砕された。飛び散った。
着弾の衝撃で、壁に衝突し跳ねるボトムオーガ。
だがそこから溢れ出るのは魔族の真っ青な血ではない。
真紅の血。
人間と同じ真っ赤な血。
同時にボトムオーガの形状を維持していた空間演算が破壊され粉々に飛び散った。
キューブが舞い踊る。
触覚立体映像が物理法則に従い、飛び交う血を浴び、真っ赤に染まる。
「え? 赤い血? 魔族の血ではない?」
「遺伝子情報では人間の血です」
「馬鹿な。それよりイリアス、さっきから、あの光は何だ?」
「あれは演算キューブの破片です」
そして驚愕の報告を部隊に告げた。
球体状の血と演算キューブの破片が乱れ合い舞い散った。
「演算キューブ? 空間演算だと?」
「変装や擬態に使用することが多いです。何故今ここで演算キューブが?」
「まさか? 変装? あれは魔族ではないのか?」
混乱するワルキュリアエッダ隊員。
「ですがあれには魔力があります」
「魔力を持つ人間なんていない」
「じゃあ、あれは、一体なんだ?」
シルフアルケミー各機がボトムオーガに目を奪われたかのように停止した。
光り輝く演算キューブの中から血塗れの男が現れた。
「男? 人間? なんだあの光は?」
その損傷では助からないだろう。
その四肢は折れ曲がり、その肉体には大きな穴が開いていた。
そしてその目は生きる光を失っていた。
「え?」
「は?」
「高魔力反応。魔原子崩壊を観測しました」
「攻撃?」
「この光は違います」
その体が淡く発光した。
神の加護を得たかのような神々しい光だ。
そして信じられないことにその出血が止まった。
穴が塞がれる。
傷が癒されていく。
アクマゴロシ皮膜で焼かれた皮膚が修復されていく。
折れ曲がった四肢が正常な位置に戻る。
破れた制服が新品のよう修復される。
「伝説の回復魔法?」
「そんな馬鹿な。物理法則を無視している」
「エクソダスの勇者の回復魔法と同じ?」
「あれはただのビジョンの作り話だ。現実ではない」
光が飛散する。
後光がワルキュリアエッダの目を焼く。
「自己回復? 早すぎる? なんだ今の回復魔法は? 服まで直ったぞ?」
「回復魔法で服まで直るなんて聞いたことありません」
「そもそも回復魔法なんて実在するはずがない」
「魔族のデータと照合しろ。あんな回復魔法、オーバーロードは可能なのか?」
「分かりません。本部とのデータ照合不可能。そしてビッグメンター要塞とのアクティブリンク断絶中。あれ? 演算制空権下でなんで通信不能なの?」
「どうなっている? 空間波であるアクティブリンクは妨害不可能なはずだ」
「それが全く分かりません。恐ろしく強大なジャミング波があのボトムオーガから発せられています」
「あいつが妨害しているのか?」
「恐らく、この無人戦闘機の残骸の中に入ってから断絶中です」
「それより、あれはなんだ? 完全に自己修復しただと? そんなことが出来るのは……」
「……魔王」
ウナが首を傾げた。
ワルキュリアエッダ隊員全員が息を呑んだ。
「やってくれたね」
現れた男の髪はボサボサ。
現れた男の艦長服は着崩してだらしない。
現れた男は眠そうな目を開けた。
「ソウルアドレス認証、遺伝子認証、顔認証……そんな馬鹿な」
イリアスの驚愕の声が遺棄された戦艦の内部に響いた。
「あれはバーナール級三番艦サンダーゲート艦長……ドッキー・アーガン艦長その人です」
「……」
「……」
「間違いないのか?」
「ソウルアドレスも遺伝子情報も偽造不可能です。間違いなくドッキー艦長です」
「ドッキー艦長?」
「バーナール級三番艦サンダーゲートは、ドッキー艦長はダーレンゲートで行方不明とあります」
「何故ここに? 何故王国に、何故我々に仇を成す?」
「……隊長。今の我々は反乱軍の一員です」
「……」
沈黙するエストス。
「……」
沈黙するワルキュリアエッダ隊。
「「「隊長?」」」
「「「隊長!」」」
「……あれは魔王が人間に化けているだけだ」
エストスは無表情でトリガーを引いた。
お読みいただきありがとうございました。
分割しました。
大まかなストーリーに変更ありません。
誤字脱字、読みやすいように修正しました。




