18 ボトムオーガ再び
ドッキー艦長は反乱軍の大艦隊が放つ数十万の光の海を一人静かに飛んでいた。
小さな機械をばら撒きながら、ブツブツと文句を言いながら飛んでいた。
ボサボサの髪に着崩した王立宇宙軍の制服の裾をはためかせながら。
亜光速を越え、光速そのものを超え、反乱軍の大艦隊の合間を驀進していた。
宇宙という広大な場所で人間という矮小な存在は無に等しい。
その無の存在が口を尖らせた。
「まったく何で僕ばっかり……」
ドッキー艦長の周囲を覆う光は全て噴射口の光だ。
あれは星の光ではない。
反乱軍の宇宙戦艦の推進噴射口の光だ。
ここは敵の中心。反乱軍の数万の艦隊の行軍の直中。
その中をドッキー艦長はたった一人で、堂々と悠々と飛んでいた。
だが、誰もその存在に気付かない。
反乱軍の艦隊のど真ん中を堂々と進んでいるという事実に誰も気付かなかった。
いくらアンビエントジャミング下の乱れた空間だったとしても分かるはずだ。
何百、何千、何万という戦艦の群れだ。
だがそれでも反乱軍は見落とした。
それもそのはず、その未確認飛行物体が常識を逸脱していたからだ。
なんとドッキー艦長は船外活動服も着用せず、生身で、単独で光速限界を突破していたのだ。
高速艇にも小型戦闘機にも搭乗していない。
従って推進エンジンの発光も熱も重力波もない。
金属反応も演算反応もない。
光速で飛行する人間の体温など極寒の宇宙空間の輻射で紛れてしまうだろう。
反乱軍の戦艦に搭載されている高感度監視システムでも検知されない。
ではドッキー艦長は、いかにして飛んでいるのか?
どうやって光速を越えていのか?
重力波が検知されていないということは、この時代の人類に備わっている体内反重力推進でもない。
そもそも体内重力器官では光速を超えられない。
一体どこの世界に生身の身体で単独で、光速限界を突破する存在がいようか?
ドッキー艦長の光速飛行の推進法は不明。
しかしドッキー艦長の軌跡には魔原子崩壊による魔力が残されていた。
従って、これは科学的推進技術ではない。
人類が検知することのできない何らかの未知の魔法推進を行使しているということだ。
科学でなければ残るは魔法だけだ。
そう、人類が宇宙に進出した時点で捨てた魔法。
それが実行されているようだった。
ただし魔法で光速を超えるという報告はない。
一万年前、狭い惑星上で戦っていた人類に光速を越える必要がなかった。
そもそもこの科学全盛の時代に魔法は滅亡している。
従ってこれが魔法推進なのか、実際には検証のしようがない。
だがドッキー艦長は先日の魔王との戦いで損傷し、アイテムボックスに収納してあった身体に移行した。
その身体には魔力があった。
それが意味することは一つしかない。
だがそれを言葉にするのは簡単だ。
だがそれを言葉にするのは、ここではあえてやめておこう。
もし反乱軍の戦艦に窓があればドッキー艦長が光速の壁を突破したチェレンコフ光を目にすることが出来ただろう。
長い幻想的な光の尾を描くアウトレイラインを見ることが出来ただろう。
その強固な防御スクリーンに衝突した塵が発生させたフェアリーダストを見ることが出来ただろう。
あまりの速度差によって塵が圧縮されたベイパーコーンを見ることが出来ただろう。
だが残念ながらこの時代の宇宙船には窓はなかった。
それ故、誰にも気付かれずに目標に向けて爆走していた。
「あのー艦長? なんか今、独り言を言いました?」
リーマイ副官の美しい声が、光速で飛行するドッキー艦長の耳元に届いた。
現在、この主星域全体は反乱軍のアンビエントジャミングで攪乱され、瞬間通信は不可能だった。
だがサンダーゲートの強力な空間探査波が、そのジャミングをものともせず、光速を超えて飛行するドッキー艦長と瞬間通信、アクティブリンクしていた。
「……上官の僕が現場で頑張っているというのに、安全で快適なサンダーゲートの艦橋で優雅にお茶を嗜んでいるリーマイ副官が僕に何の御用でしょうか?」
「お菓子も楽しんでいますよ」
「……はあ。僕は一人寂しく作戦遂行中だというのに羨ましい限りだね」
「では代わりましょうか?」
「できるならそうして欲しいものだね。僕もそろそろ少しは休みたい」
「あら。その弱気な発言は拗ねてらっしゃるので? 仕事は手分けして行うものですよね。私は情報収集。艦長は現場。なんて完璧な棲み分けでしょうか。それとも本当は艦長は、御自身で何でも出来るのに面倒だという理由だけで、鑑定能力とかを隠してたりとかしてないでしょうね? 魔王を看破したという鑑定能力を? 実は勇者ということを?」
リーマイ副官は先日の魔王襲来事件で自分の鑑定能力が阻害されたことにショックを受けていた。
だが艦長はあっさりと魔王を看破したのだ。
あれは間違いなく鑑定能力だった。
だがそのことを尋ねても、お決まりの決め台詞ではぐらかされるだけだった。
「……そ、そんなことないよ。でも僕だけ現場ってこれ悪質なイジメだよね?」
ドッキー艦長の目に反乱軍の合成映像が映し出された。
光速で飛行するドッキー艦長の視界に映るのはサララの合成映像だ。
肉眼では光は届かない。
「そもそもこの作戦を思い付いたのは艦長ですよね。サンダーゲートが派手に暴れている間に反乱軍に単独潜入するという無謀で無茶な作戦を……」
「……まあそうだけど、無茶だけど、無謀ではないよ。」
「ではそう仰るのならば立案者自らが身をもって実行すべきですよね」
「はあ? まあ、だからこうして飛んでいるのだけど?」
「というよりこの作戦を遂行できる存在って艦長だけですよね。もし他に心当たりがあれば連れてきてください。今すぐ代わってもらいましょう」
「分かっているじゃないか。僕の代わりなんていないことを」
「だったら艦長がやるしかないですよね」
「でも僕の代わりがいないからといって僕が作業するのはおかしいでしょ?」
「そうでしょうか? だって誰もアイテムボックスなんて持ってないですしね」
「くっ。いつか探してやる。アイテムボックススキルを持っている者を、メイム以外の存在を捜し出してやるからね。そして僕は休むんだ。ゆっくりと文明から隔離されたダンジョン深くで、誰にも邪魔されず休むんだ」
「え? 本気で言ってます? それ? お言葉ですが艦長が持っている能力はアイテムボックスだけしゃないですよね」
「え? それだけは言えない」
光速で飛ぶドッキー艦長の進路が数ミクロンずれた。
「あのー艦長? イチャラブ中に申し訳ないのですが? 一つ質問よろしいでしょうか?」
サララが割り込んだ。
「……それだけは言えない」
「まだ何も質問していないですのよ。あのー知らないかもしれませんが、この時代の人間は生身で、単独で光速を超えられないのですのよ?」
「え? そうなの? 知らなかったなあ。ハハハ」
「そもそも艦長はどういう原理で光速を突破しているのですか?」
リーマイ副官が疑惑に満ちた声で問いかける。
「え? それだけは……」
「それだけは言えないって言ったら、船に入れませんよ」
「えっと、僕の船だけど。それはだね、魔法でぶわっとだね、こうバーンと魔力を燃焼させて、存在座標を観測し直してね、カッティング航法を連続で使用するみたいな感じで」
「バカにしてますよね。もうさっきからおかしいですよ。こんなこと絶対にあり得ません。不可能なのですよ。人間が単体で光速を越えるなんて滅茶苦茶おかしいですよね? 艦長は一体何者なんですか? もうこれ人間じゃないですよね?」
サララが不満そうに瞬間通信で怒鳴った。
「……それだけは言えない」
「船に入れません。サララ。ハッチをロック」
「げげ」
「オンビット。その決め台詞。きっとムカつく顔で言ったに違いないのですよ」
「酷過ぎない? みんなの為に頑張っているのに酷い。絶対に長期休暇を取らせてもらう」
「では艦長。愚痴を言う暇があるならばさっさと任務を終わらせてください」
ドッキー艦長の周囲の反乱軍の戦艦を見る。
「だったら手っ取り早く最大秘匿兵器ルシファープレイスでも撃っちゃう?」
「そんなこと私が許すとでも? あの反乱軍には私の大切な同期が大勢、乗っているのですよ」
反乱軍に同調する王立宇宙軍兵士の数は時と共に増加の一途をたどっていた。
誰もが王国の貴族体制に不満を抱いていたのだ。
いや、不満を抱かせるように仕向けられたのだ。
レゾル総司令官はあえて無能を率先して登用し、優秀な人材を無下にした。
貴族と平民、絶対に超えられない階級社会を見せつけた。
無能な貴族にこき使われる有能達の不満は爆発寸前だったのだ。
レゾル総司令官の隆起がきっかけとなって、皆の不満が爆発した。
最悪の反乱という形で。
リーマイ副官の優秀な同期達も例外ではなかった。
身分が低く優秀な者ほど、反乱軍の甘い言葉に感化され、この反乱に参加した。
ドッキー艦長の言う通り、最大秘匿兵器ルシファープレイスを発射すればそれで解決するだろう。
超弩級戦艦サンダーゲートの主砲である最大秘匿兵器ルシファープレイスに耐えられる船は少ない。いや皆無だった。
魔王軍の強力無比の艦隊ですら一瞬で壊滅したのだ。
魔王軍よりも脆弱な人類の艦艇が、超弩級艦サンダーゲートの攻撃に耐えられるはずがない。
だが反乱軍とはいえ、同じ王国国民なのだ。同じ人間なのだ。
少しだけ主義主張が違っているというだけで抹殺する理由にはならない。
「……分かっている。だからこうして僕は独り寂しく、敵のど真ん中を飛んでいるんだろう。もうこれが終わったら当分の間、数百年は絶対に働かないからな」
ドッキー艦長は真面目な口調で目を細めた。
「そのセリフ、つい最近もお聞きしましたが?」
ドッキー艦長は先日、単独でダーレンゲートに単独で潜入し無敵の要塞を内部から破壊したのだ。
それは不可能な偉業だった。
女王陛下から勲章を授与されるレベルの人類全体で祝福するほどの偉業だった。
だがドッキー艦長の偉業は、この勇気ある行動を誰も知らない。
人類を魔族の手から救ったことを知らない。
超弩級艦サンダーゲートのクルーしか知らない。
「くっ。とにかく、攻撃目標の座標を教えてくれ」
「攻撃目標ではなく制圧目標です」
「……分かっているよ」
「目標は反乱軍に占拠されたトライスター……三基の要塞級戦艦トールハンマーの中心付近。次元ステルス航行中の巨大演算要塞……ビックメンターです」
演算要塞ビックメンターとはその名の通り演算専用の巨大要塞だ。
数万もの演算器を積載した電子戦闘専用の特化型要塞だ。
物理的な攻撃能力も防御能力も最低限しか持たない。
その代わりにその積載容量のほぼ全てを演算器で埋め尽くした演算戦では無敵の戦闘能力を発揮する電脳特化型の特殊要塞だ。
ラストディフェンダー艦隊が電子戦に敗北したのはこのビッグメンター要塞が投入されたことが大きい。
電子戦の戦闘力は演算器の数で決まるのだ。
瞬間通信が実現されたこの時代、ボトルネックは数だ。
演算器同士は瞬間通信でゼロ秒で連結されている。
従って演算器同士の通信に延滞はない。
演算器が増加すれば増加するほどその演算性能は加速する。
演算特化型要塞は戦闘能力は皆無だったが演算戦においては圧倒的な戦力を誇っていた。
反乱軍に演算要塞が合流したことはラストディフェンダー艦隊にとっては完全に想定外だった。
ドッキー艦長の目線の先に、航路と目標の三次元戦況マップが出現した。
目標は巨大なトールハンマー要塞に囲まれていた。
その周囲には反乱軍の数万の艦隊があった。
まさに難攻不落。
「要塞級が次元ステルス? また燃費の悪いことを」
次元ステルスとはエネルギー皮膜で覆った物体の物質の固有振動数を偏移させて、この知覚宇宙から存在ごと消え去るステルス技術であった。
次元ステルスで隠れた存在はアンビエントジャミング下の荒れた空間で検知することは難しい。
鑑定能力以外で発見することは不可能に近かった。
なぜならこの宇宙から、その存在自体が消失するからだ。
物理的に存在しないものをどうやって検知するのであろう。
それは物理法則を無視した鑑定能力以外不可能であった。
先日のドッキー艦長達が隠れていたバーナール級三番艦サンダーゲートの次元ステルスが魔王軍に見破られたのは、その作戦自体が魔王軍に漏れていたからだった。
座標さえ分かれば、次元ステルスしていようと関係がない。
次元ステルスは消えて無くなる訳ではない。
そこに行けばぶち当たるのだ。
莫大なエネルギー消費して次元ステルスで隠密している敵の要塞の座標はリーマイ副官の宙域鑑定によってあっさり露呈した。
「艦長。その他の目標も合わせて転送します。まあ艦長が御自分で鑑定すれば分かると思いますが」
瞬間通信越しのリーマイ副官の声が少しだけ低くなった。
「いやあ。だから僕にはそんなことできないって。ところでメイムの様子はどうだい?」
ドッキー艦長は話題を逸らした。
「……メイムちゃんはよくやってますよ。今、補給物資を取り出しているところです。繋ぎましょうか?」
「いや、いい。メイムの邪魔をしたくない……そうか安心したよ。これで僕が死んでもサンダーゲートは安泰だ」
「そうですね。メイムちゃんは真面目で無口で、愚痴しか言わない艦長なんて要らないですね」
「……え?」
「冗談ですよ。とにかく早くこの無駄な戦いを終わらせてください。これ以上仲間が亡くなるのを見たくないです」
「ああ、分かっている。人類同士の愚かな戦闘は必ず終わらせる。これ以上、軍の兵士の数を減らしてたまるか。益々人手不足に拍車がかかって僕の休みが益々減るじゃないか」
ドッキー艦長が拳を握った。
「はあ。やっぱりそっちですか。とにかく今回の作戦をおさらいします。反乱軍に占拠された演算要塞……ビッグメンターに侵入し、演算器の掌握か破壊。敵電子攻撃の弱体化。及び要塞の制圧。演算制空権の奪取。とにかく手段は問いませんから、反乱軍の暴挙を止めてください」
「はいはい。はいよーっと」
そう返事をしながらドッキー艦長は進路上に存在する瓦礫を回避することなくアイテムボックスに収納した。
光速限界を突破しているのだ。
進路変更などしたら軌道修正に莫大な魔力を消費してしまう。
避けることなく障害のほうを処理したほうが効率的だ。
「……聞いてますか? その後、反乱軍旗艦のレゾル総司令官のキロ艦に潜入して無血掌握。いいですか? 今は反乱軍に加担していますが、彼らは我々と同じ王国民ですからね。そこのところをくれぐれも重々お忘れなく。艦内で主砲とか絶対に取り出さないでくださいよ。うっかり融合爆弾とか落とさないでくださいよ?」
「僕のアイテムボックスを何だと思っているんだよ。穴が開いたポケットじゃあるまいし」
ドッキー艦長が嘆いた瞬間、警告が鳴り響いた。
ドッキー艦長の視界に空間投射された警告表示が踊った。
サララの危機情報が展開されたその直後、ドッキー艦長の防御スクリーンが瞬いた。
凶悪な反乱軍の戦艦から放たれた回避不可避の光速のエネルギービームが激突した。
真っ白に輝く防御スクリーンが敵の主砲を防ぐ。
何本もの主砲がアクティブリンクによって同時に放たれた重複攻撃は、防御スクリーンを簡単に打ち抜く。
攻撃も防御も出力が全てなのだ。
だがしかしドッキー艦長の防御スクリーンはその攻撃を軽く防いだ。
「えっと敵の攻撃ですのよ」
サララが申し訳なさそうに遅れて警告を発した。
「そうみたいだねえ。もしかして、ひょっとして今のって僕を狙ったのかな?」
「はい。アインシュタインスルー状態の艦長に当てるなんて狙っても不可能ですのよ。全く信じられないのですよ」
「反乱軍に恐ろしく鑑定眼のいい奴がいるな。サララ、念のため変装するよ。僕の顔を知っている者も多いだろう」
「多分知らない人のほうが多いと思いますのよ」
「そうなんだ。それは悲しいね。変装準備」
「オンビット。では空間投射体を用意してください」
ドッキー艦長はアイテムボックスから空間投射体を取り出した。
そこから投射された小さなキューブがドッキー艦長を包み込んだ。
空間投射体は立体映像だが、現実に作用する映像だ。
物理演算によって物体の偽装を行うのだ。
物理的に本物のふりをする。
ドッキー艦長を覆っていたキューブ群が消えると、ドッキー艦長の眠そうなその姿が変化していた。
「あまり激しい動きをすると変装が剥がれるので気をつけるのですのよ」
「じっとしているのって苦手なんだけどね」
「艦長。その姿とってもよく似合ってますよ」
「……ありがとう」
ドッキー艦長が変装した姿――それはあの醜いボトムオーガだった。
ダーレンゲートの生き残りがこの姿を目撃したら泡を吹いて倒れるだろう。
その姿はダーレンゲートを単独で破壊した伝説のボトムオーガだった。
ボトムオーガは空すら飛べない。
だが、このボトムオーガは強力な魔力を発し、光速を越えていた。
魔族がこれを見たら度肝を抜かれただろう。
人類がこれを見たらオーバーロードと勘違いしただろう。
それはボトムオーガにしてはあり得ない異常な個体だった。
ボトムオーガは魔物の中でも進化を遂げなかった種族だ。
一万年に間に宇宙航行種族になれなかった低級種族だった。
その種族の一体が宇宙空間を驀進していた。
反乱軍の艦隊の間を堂々と単独で飛んでいた。
「艦長。攻撃予測線です。このままでは直撃ですのよ」
サララが警告を発した。
反乱軍の戦艦から発射された攻撃エネルギーがドッキー艦長扮するボトムオーガに向かって一瞬で長大な距離を一瞬で詰め、集約し、集合し、結合し爆発した。
「艦長! 避けてぇ」
お読みいただきありがとうございました。
大まかなストーリーに変更ありません。
長いので分割しました。
誤字脱字、読みやすいように修正しました。




