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空より狭く愛より広い  作者: 原 すばる
9/9

第九話

 かつんこつん。

眠気に誘う昼下がり。喫茶店のガラスを叩く小さな音。

爪先ほどの期待を乗せて視線を向けると、ミケが居た。

キャンドルの奴、ちゃんと伝えてくれたんだ。


「にゃあ」


僕は一声鳴いて、指定席から飛び降りる。入り口の白塗りドアへ向かった。

うん? とテーブル席で新聞紙を広げていたマスターがこちらに気が付く。

僕は白塗りのドアの前でくるくると回った。


「ほう、友達かい?」

「にゃあ」


マスターに向かって鳴くと、

陽だまりのような笑顔で頷いて白塗りの扉を開けてくれる。

何日かぶりの直の日光が僕を照らしていく。眩しい。目に染みる。


「ミケ!」


僕は冷たい春の風に向かって駆け出した。

ミケは丸い瞳を眠そうに擦り、どこか疲れていそうな表情で迎え入れる。


「チルチル、お久しぶり。元気そうね」


声にも力が入っていない。

そんな姿に面食らって、僕の勢いが削がれた。


「あ、うん。元気だよ。ミケは何だか疲れているっぽいね」

「ここ最近、ずっと監禁されていたもの」

「か、監禁?」


仰け反ってしまう。ミケは特に気にする様子もなく淡々と話す。


「あなたとの密会で、話していた内容まで丸裸だったみたいなの。

それで、怒っちゃって」


僕と話していた内容、ということはドラに対する不平不満、悪態の数々だ。


「よくそれで、監禁程度で済んだね」

「生きた心地がしないわよ。はぁ」


トーンの高いため息をつくミケ。


「チルチルもこんな所に引き籠って、大変ね」

「うん、そうだね。いや、そうじゃないかも」


曖昧な僕の返答に、ミケは顔をしかめた。


「居心地が良かったって言うの?」

「居心地は良かった」


マスターが居て、メグが居て、ムツが居る。

そんな喫茶店が僕は好きだった。


みんなの表情は空模様のようにコロコロ変わって飽きなかったし、

額の傷もちゃんと手当てをしてくれておまけにキスばかりだし、

ムツ以外は撫でるの上手いし、お喋りしてくれるし……。


みんなが居ない時は暇だったけど。


「何よ、それ」


ミケは僕の顔を見て、ますます不機嫌になる。

ぷいっとそっぽを向かれた。


「あのさ、ミケ」


そのふくれっ面に、僕は話しかける。


「僕はドラに勝てない。力負けすることは目に見えている」

「百も承知よ」


ふんっ、と鼻を鳴らす。


「喧嘩で勝って、今のミケの状況を良くすることはできないんだ」

「そんなこと、あなたに期待してない」


そう、ミケが僕に期待しているのは

こうして愚痴を吐いてストレスを発散すること。

僕は意を決してミケに向き直る。


「だから、代わりにお願いするよ。飼い主の所へ戻って欲しい」


僕の切なる言葉に、はっと目を見開いてミケはこちらを向いた。

ふくれっ面が消え失せる。


「飼い主の所へ?」

「元々は野良のアニキと一緒になるために、ミケは脱走したんだよね。だったら」

「冗談言わないで」


ぴしゃりと僕の言葉を跳ねつける。


「あたしは野良で生きると決めたの。帰る場所なんて無いわ」

「あるよ。ミケは知らないだろうけどさ。

人間って僕たちとそんなに変わらないんだ。図体だけでかくて。

みんなミケと同じで、愛に飢えているんだ」

「あたしのどこを見たら飢えているのよ」

「額」


ミケの、その寂しそうな額。


「ふざけないでよ。あたしは人間が嫌いなの。

自分の勝手を押し付けて、偉そうに」

「猫も勝手だし偉そうだよ。だからって一緒に生きていけない理由はない。

お互い様だ」

「あなた、相当な病気におかされているわ。さしずめ人間病よ」

「うん。ミケもなった方が良い」

「バカ。野良が病気にかかったらおしまいだって、忘れたの?」

「そうだったね。だったら野良を止めちゃえば良い」

「あなたって、意外と強引なのね」


ミケが初めて微笑する。その顔が一番可愛い。


「キャンドルには僕から言っておくから」


緩んだ表情がまた引き締まる。


「無理よ。私のこと、嫌っているし」

「そんなことないよ。キャンドルは気に入っている相手としか話さないから」

「初耳よ、それ」

「また一緒に住んだらわかるよ」


くすっとまたまた微笑む。


「あなたと話していると、どうしてこんなに気持ちが晴れ渡るのかな」

「青空の下で話せば誰とだって晴れ渡るよ」


ミケは口を尖らせて、先の長い耳を項垂れた。


「いじわる」

「人間ほどじゃないよ」


この空気感。ここ数日で僕はこれと似たような空気に触れてきた。

メグやマスターやムツの顔が浮かんでは消えていく。

馴染みのあるあの切なげな顔を目の前のミケに重ねてみる。


うん、ぴったんこ。


「嫌い」


恥ずかしそうに微笑んで、そっと言われた。


「き、嫌い?」


聞き間違えたのかな。何で好きじゃないんだろう。噛んだ?


「私ね、あなたのことが嫌いなの。アニキとうんと仲が良かったんだもん」

「え、ええっと」


シドロモドロな僕を気に留めず、ミケは寂しそうに喫茶店の窓ガラスを見つめた。


「私と居た時より、ずっと楽しそうで、ずっと愛があった」


僕はガラスに映るその視線を覗き見た。

月のような瞳は揺れている。

弟の言っていた月のような瞳、という言葉を思い出した。


「チルチルは、どうだったの?」


ガラスを通じての視線が消えた。

真っ直ぐにミケはこちらを見ている。

僕は自然と微笑んでいた。


「大好きだったよ。LIKEでLOVEだった」

「そっか。いっちょ前に英語なんか使って、人間病は恐ろしいわ」

「違いない」


どちらともなく額をくっつけて笑い合った。

お天道様に見守られて幸せなひとときだった。


「また愚痴りに来るわ」


そう言ってミケは踵を返す。僕は慌てて声を上げた。


「マキノ家に戻るって返事は?」

「保留で」

「どうしてさ」


ミケは顔だけこちらに向けた。


「元気が出たから」


にっと笑って、駆けて行く。

その逞しい後ろ姿に、やれやれと胸を撫で下ろしていたのもつかの間、

ふわりと身体が浮いた。


背中を撫でられる。

猫をダメにするこの心地良さは、メグだ。


「さっき走って行ったのは友達?」

「にゃあ」


そっか、とメグは優しく呟く。


「今日で半日授業も終わりなんだ。寂しいね」


脇へと手を滑らせながら、明後日の方を見る。

僕も一緒にそちらを見る。


空がどこまでも遠くに広がっていた。

この空に比べたら、僕なんて随分とちっぽけで、

額の傷なんてさらにちっぽけだ。


でも、メグがこうして撫でてくれるのは、空ではなく僕。ちっぽけ万歳。


「今日はマキノ君、来てくれるかな」


メグの撫でる手が止まった。にゃああん。


「にゃあ」


抗議する。肉球で腕をぽんぽんと叩いた。

しかし、メグはどこか惚けたまま。


桜散るらん。

遠くでキャンドルの景気の良い声が聞こえた。



『空より狭く愛より広い』 終わり

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