Das Wunderkind Is Still Under Studying(closing)
ソーニャ嬢が去ってからもしばらく、僕は彼女が登っていった螺旋階段の方を見ていた。確認はしていないが、おそらくシュネー嬢も同じだったろう。
そうしていると、唐突にシュネー嬢から声をかけられた。
「あなたは、お養父上と一度、きちんと話をしたほうがいい。
もちろん、完全にセキュリティが確保された場所で。
必要であれば、上の店の個室を貸そう」
もっともな提案だ。
僕は養父にもたっぷりと謝らねばならないし、またこれからどうするべきかについても、ちゃんと話し合っておいたほうがいい。もともと養父は寡黙過ぎるくらいに寡黙な人で、いわゆる家族の会話的なものは、あまり経験がない。そのうえ僕は警察局に入職してからは一人暮らしをしているから、最近では仕事以外のことで養父と接触することすらない。
あのいかがわしいキャバレーで養父と会うというのはちょっと想像しにくい絵だが、それでも僕はそうすべきだろう。長患いしていた養母が天に召されてからというもの無闇に広さばかりを感じるようになったあの家で、ときおり訪れるお手伝いさん以外とは誰にも会うことなく、たった一人で暮らしている養父の毎日を思うと、「たまにはこういう店もいいでしょう?」と誘ってみるのも悪くない。たとえそこで話すのが、仕事のことばかりになるにしても。
そうやって養父のことをいろいろ思い出していると、ふと、気になることが残っていたことも思い出した。この際なので、シュネー嬢に尋ねてみる。
「そういえば、まだ1つ、分からないことがあります」
シュネー嬢は、その顔を黒いフードで隠したまま、ちらりと僕のほうに首を向けた。
「僕が今回の件に組み込まれたとき、シュネーさんは『今回は特に時間的猶予がない。あなたにも潜入捜査に参加してもらう』と言っていたはずです。
あれは、どういう意味だったんですか? そもそも僕は本来、あなたの脚本における、どういう役割を与えられる予定だったんです?」
黒いフードが、かすかに傾いだ。
「我々は当初、あなたを今回の件に絡ませるつもりは、なかった。
より正確に言えば、我々は、あなたと接触する予定を持たなかった。
だがクラマー中佐が、あなたを使うことを強硬に主張した」
そうか、考えてみればフント・デス・モナーツに向かうように僕に命令したのも中佐だった。
「告白するなら、今回の脚本にはいろいろと無理があった。
一番の無理は、クラマー中佐の安全確保だ。警察局内部という事実上の敵地において、数名で要人の警護をするなど、正気の沙汰ではない。
あなたの失言がなくとも、クラマー中佐の生存率は9割程度に留まっていた」
9割。十分に高いように思えるけれど、シュネー嬢にとってみれば、100%でない限りは0%と一緒ということなのだろう。そういえばレイチェル女史が、シュネー嬢は完璧主義者だと言っていた。
「だから万が一、クラマー中佐が殺された場合に備えて、バックアップが必要だった。
そのバックアップとして、中佐はあなたを指定したのだ」
なるほど。さすがは完璧主義者だ。ソーニャ嬢がアドリブで僕をクラマー中佐のポジションに押し込んだのは、今回の脚本においては、代役が途中登板する可能性が織りこまれていたから、という部分も大きいのだろう。
「私は、それはダメだと抗弁した。
バックアップの生存率は、良くてせいぜい7割だ。敵は嵩にかかって攻撃してくるし、クラマー中佐を殺されているということは、こちらの戦力にもダメージが発生している可能性が高いから。
だからあなたをバックアップにすれば、最悪の場合、クラマー家はあなたの妹さんを残し、全滅する。そんな危険を犯すわけにはいかない。私はそう主張した」
妹はいま修道院に住み込みで施療を受けているが、これにはガッツリとカネがかかる。僕の給料のほとんどは、妹の治療代に消えているのが現状だ。
だから、養父が死に、僕も死ねば、治療費が払われなくなった妹は、過酷な現世へと放り出される。
「でも私は、中佐を説得できなかった。説得する時間がなかったのだ。
やむなくあなたを、勉強不足の代役として、脚本の一部に組み込むことに同意した」
そういうことか。そんな成り行きで決まったにわかアンダースタディが、自分の出番が来ないことに焦った挙句、脚本そのものをぶっ飛ばすような爆弾を投下するとは、神様だって思うまい。
すべてに納得できた僕は、シュネー嬢に敬礼する。
でもシュネー嬢は敬礼した僕に向かって、言葉を続けた。
歌うような、祈るような、あの美しい声が、僕に向かって降り注ぐ。
「――さっきまで、ソーニャに説得されていた。
あなたをチームから外せ、と。
無論、殺せという意味ではない。要は、連絡係ないしマネージャーとしての仕事を干せ、ということだな」
無意識のうちに、下唇を噛んでしまう。
でもこのメンバーのなかで、もっとも薄い氷の上を歩き続けているソーニャ嬢がそう主張するのは、まったくもって理にかなっている。
「誤解しないでほしい。
ソーニャは、あなたの才能を買っている。おそらくは、私よりも。
だからこそ、彼女はあなたを外せ、と主張した。
なぜならあなたは、その優れた才能がゆえに、我々の世界に深入りする。
そしていつかどこかの段階で私は、あなたか、他のメンバーか、どちらかの命を選択するような、そんな判断を迫られる」
短い沈黙。
「今回は、私はあなたを含めた、全員の命を守れた。
でもいつかきっと、私はあなたを見殺しにする。
そしてあなたを見殺しにしたことに、深く傷つく。
それがわかりきっているから。そんな私を見たくないから。ソーニャはあなたを外せと主張した」
何をどう答えていいのか分からず、僕は敬礼したまま、カカシのように立ち尽くしていた。
「あなたには、才能がある。極めて特異な才能が。
私の脚本を、舞台の上から一撃で破壊した人物は、これまでに2人しかいない。
最初の1人は、ソーニャ。次が、あなただ。
そのことは、我々全員が理解している。
『とんでもないルーキーが来た』ことを、な」
惨めなカカシに向かってシュネー嬢は淡々と語り続け、それからふっと口を閉じた。僕もなんとなく、敬礼を止める。
「これから2週間、フント・デス・モナーツは休暇に入る。
緊急事態が発生しない限り、我々の誰とも連絡はとれないものと理解してほしい。ベアトリーセも『大貴族のマーショヴァー卿』に専念するから、あなたが会う可能性はまずないだろう。
2週間後、マネージャーとしての仕事を始めてもらう。
上の店の横手にある小路に入ると、事務室の扉に行き当たる。
警察局用語で言うなら2100時、事務室で打ち合わせをしよう。
ナギー・エーデシュ少尉――これからも、よろしく頼む。
真実のために」
「真実のために」
僕は姿勢を正してそう宣ずると、月の猟犬に向かって最敬礼をした。
(1st episode:Das Wunderkind Is Still Under Studying / fin)




