Das Wunderkind Is Still Under Studying(1-1)
月の猟犬。紳士的な趣味が果たされる場所。勇敢な突撃は必ずしも成功しない。背後に注意。脚本家と4番の個室。天使の声は天使が独占しない。軽率な選択。矜持についての議論。長大な名称を持つ組織のいかがわしさ。自己紹介。二度目の握手。人肉ハンバーグと地下室、裏切り者の刻印。2000万ターラーの麻薬は消えた。真実のために人はどこまでできるのか。
僕は改めてメモ帳を開き、自分の手でメモした住所を確認する。
ちなみにこうやって住所を確認するのは、この5分間で4回めになる。
しかるに何度確認しても、メモに示された住所が変化する兆しはない。当たり前だけど。
と、いうことは、僕が向かうべきはここなのだ。
僕は思い切りしかめつらをしながら、目の前の胡散臭い建物と、そこに掲げられた看板を見上げる。
フント・デス・モナーツ
麗々しい書体で書かれたその看板は随分と煤けていて、しかも右に2度くらい傾いている。僕ならずとも、潔癖症の人間にとっては絶望的に不愉快な看板。
僕はもう一度メモ帳を確認しようと思って、いい加減その無駄さに苛つきつつも、やっぱりまた確認してしまう。6回目。住所が示す通り。看板に示された文字も、伝達通り。つまり僕は、来るべき場所に、来ている。
でも――これは本気なんだろうか。
いや、これは帝国警察局内務2課を統括するクラマー中佐からの命令であり、ということはその正統性を問うならばレインラント帝国現皇帝陛下であるビューラー4世にまで遡る。つまり「これは本気なのか」という問いは、悪くすれば不敬罪の適用対象となる。
なる、の、だけれ、ど。
目の前に建つ、いかがわしさが炸裂している建物は、誰がどう見たってキャバレーという名目の、事実上の娼館だ。しかも場所柄から言って、相当に年季の入った「紳士的な趣味」をお持ちな人々向け。
まったく。
歴史と伝統ある皇帝通りも、一歩裏に入ればこの体たらく。あの敗戦からこのかた、偉大なるレインラント帝国は狂ってしまったと言う他ない。
どういう理屈と条理が通ったら、帝国の治安と風紀の守護神たる帝国警察局内務2課の局員たる僕が、本来は浄化されるべきこんな不埒な店舗を(ガサ入れするのではなく)敬意をもって訪れねばならないのか。しかも正式な軍令として。
大きく、ため息をつく。
いい加減、覚悟を決めねばならない。
クラマー中佐が指定した時刻まで、あと3分。帝国軍人たるもの20分前行動は基本だが、それに照らせば17分の遅刻。実に恥ずべき失態だ。ましてやここで本当に遅刻するなどといった失態を重ねたら、僕は恥ずかしさのあまり死んでしまうだろう。というか死ぬべきだ。
もう一度、ため息。
よし。
腹は括った。あとは突撃あるのみ。
帝国軍人たるもの、皇帝に忠誠、父祖に崇敬、弱者に庇護、戦友に信頼!
さあ進撃せよ、エーデシュ少尉! 帝国のために! 皇帝陛下万歳!
かくして1929年4月11日の1157時、僕――つまりレインラント帝国警察局内務2課所属、ナギー・エーデシュ少尉――はフント・デス・モナーツの店内に足を踏み入れた。
それが何を意味し、その先にどんな運命が待っているのか、想像すらせずに。