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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第1章 糸は紡がれる】
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8.マザーの決意

「なんだか今日は空気が焦げくさいの」


 いつもと違う山の空気に、マザーは不審そうに呟いた。様子を見るために麓まで下りるべきか。彼女は迷うように脚を動かす。母親の不安が子供たちにも伝わり、皆がそわそわとしていた。

 アラクネ達がまだ寝ているうちに、客人たちは出かけてしまったらしい。マザーが彼女たちのことを考えていると、ふわりと血の匂いが、風に乗って漂ってきた。続いて、アラクネとは違う二本足と四本足の足音を聞く。

 匂いと音に敏感なアラクネ達は、一斉にそちらを向いた。

 ミァンが人の頭を脇に抱え、人の脚を掴んで引きずっていた。メェメェの背には、その頭と片脚の持ち主だった男の胴体が、だらりと乗せられていた。白いたてがみが、血により赤く塗れている。

 アラクネの子供達が目の色を変えた。


「ごはん?」

「ええ、そう。ごはん」


 一人の幼いアラクネが目を輝かせて聞く。ミァンが頷くと、子供たちは一斉に歓声を上げ、彼女が持つ肉に群がろうとした。

 そこに、マザーの制止がかかった。


「ちょ、ちょっと待ってなの。待ちなさい!」


 母親の声を聞くと、子供たちはその場で立ち止まる。しかし、ごはんを前に待てを強いられ、よだれをたらす子もいた。何人かは、マザーのことを不満げに見た。マザーはそんな子供達の様子に気付かない。

 マザーは八つの目を見開き、血まみれのミァンとメェメェを見ていた。


「ど、どうしたの、それは。いったい、どこで何をしてきたというの。それは、誰の身体なの」


 動揺してミァンを質問責めにするマザー。そこで、ミァンが目を合わせようとしないことに気付いた。彼女はまだマザーの目に慣れていなかったのだ。慌てて、昨日と同じように目を六つ閉じ、もう一度問いかける。


「何をしてきたの? ちゃんと、答えて」


 母親に問い詰められているような感覚を味わいながら、ミァンはメェメェに視線で助けを求めた。

 すると、メェメェが背に乗せていた胴体を地面に降ろし、事の顛末を語り始める。食べ物を探しに下りたところ、賊を見つけ追いかけたこと。その賊がどうやら、昨夜のうちに麓の集落を焼き討ちしたらしいこと。自分が手下の相手をし、ミァンが頭を仕留めたこと。そして、そのことにより集落には今、たくさんの“ごちそう”が転がっていること。

 最後に、集落の人間がマザーを崇拝していたらしいことも伝えた。


「麓の人間がママを崇拝?」


 メェメェの説明を聞いたマザーは、先程よりも動揺した声を出した。賊に関することよりも、麓の人間の信仰の方が心に引っ掛かったらしい。

 子供達はいつもと違った様子の母親を見上げ、心配した声を出す。


「ママー、どうしたのー?」


 マザーは答えなかった。彼女は、麓の人間達の奇妙な行動を思い返していた。

 年に一度、決められた日に。山の奥深くで、数人の人間が命を絶っていた。そんな場所で自害などしているものだから、てっきり彼女は心中でもしたのだろう、と考えていた。しかし、違ったのだ。

 人間達は、マザーの目に付くようにわざわざ山を登り、己の肉を切って血の匂いを漂わせていたのだ。信仰するマザーに食べられるように。そして、彼らの目論見通り、死体を見つけたアラクネ達はそれを食らっていた。彼女達には、死体を埋葬するという習慣がない。その血肉を腹に収め、自身の血肉とすることが、彼女達なりの弔い方法だった。

 麓の人間達が、やり方はともかく、アラクネを慕っていたのは嬉しい。嬉しいが、これは厄介なことだ。

 マザーはミァン達が持ってきた死体を見つめる。もし自分の考えが合っているのならば、今回の戦争に無関係でいることはできない。そこまで考え、マザーは顔面を蒼白にした。


「最近、麓をうろついていた人間も、賊の一味だったというの」


 ただの賊ならば、集落を襲うのにそこまで周到に時間をかける必要はない。彼らの狙いは、金品ではない他のものにあったのだ。

 脚と頭を持ったままで、ミァンは肩が疲れてきていた。人の身体の一部というのは、意外に重いものだ。


「ミァンちゃん、その頭は持って帰った方がいいの」

「え、……私そういう趣味はないというか」

「違うの。雪女に見せなさい。おそらく、そいつは教皇の配下。つまり、我々亜人の敵」


 マザーはこう言うほかなかった。

 マザーの言葉に、ミァンは目を丸めた。メェメェも期待に満ちた目をマザーに向ける。

 マザーは無理ににっこりと笑い、子供たちを振り返った。


「聞きなさい、子らよ。我々、アラクネの一族は『魔王』の配下に入り、対人間の戦争に参加する」


 マザーはそう、宣言した。

 アラクネの娘達は指笛を鳴らし、手を叩き、母の決意を歓迎した。幼い子供たちは言葉の意味は分からずとも、姉達の高揚ににこにこする。

 母親は過保護だが、子供たちは案外好戦的なようだ。

 そんな娘たちを少し心配そうに見た後、マザーはミァンの方へ向きなおる。


「もちろん、幼い子供たちは山でお留守番なの」

「分かってる。心変わりした理由を聞いてもいい?」


 本音を言うのならば、心変りはしていなかった。今でも、マザーは戦わずに済むのならそうしたかった。


「教皇は、戦争に参加しているかどうかなど関係なく、亜人を殲滅するために動いているようだから。今回の集落のことも、おそらくママ達を襲撃するための布石。だったら、こっちから動いてやろうと思ったの」


 教国は異教徒のことも敵視している。ましてや亜人を崇拝する邪教の民など、いくら犠牲になっても構わなかったのだろう。

 問題はそこなのだ。教国にとって、マザーは邪教の神。それも、人に生け贄を要求するような邪神と認識されてしまっているだろう。マザーが要求したことなど、一度もなくても。

 過去の“マザー”は、したことがある。

 それこそ、『英雄』に倒された数代前のマザーが。


「“ごちそう”はありがたく頂くの。子供たちは食べ盛りだから」


 しかし、だからと言って目の前のごちそうに対して自制はできない。これから戦争に参加しようというのだ。むしろ、肉を食べて栄養をつけなければならない。


「ミァンちゃん達は報告のために帰った方がいいの。ママも一緒に行かなきゃいけないから」


 転移陣まで案内する、とマザーは言った。




 ミァン達の報告を聞いたリッカは大喜びした。

 マザーが心変わりしたことではなく、ハイドグを仕留めたことの方が褒められたのは予想外だったが。なんでも彼は、亜人混合軍の動向を探る間者だったらしく。何度か討伐隊を差し向けたものの、そのすべてが返り討ちにあっていたとか。

 彼が教皇の配下だというのは事実だったのだ。

 このような犯罪者の手まで借りている教皇。どうやら、本気で亜人たちを滅ぼしにかかっているようだ。


 リッカからようやく解放されたミァンとメェメェは、まず真っ先に身体の汚れを落としに向かった。こびつりついた血を洗い流すのは時間がかかる作業だ。長い間、川の冷たい水に浸かっていると、ミァンの思考は冴えてくる。

 流れていく赤い水を見て、思い出したくないことを、思い出してしまう。

 清潔になって住処のテントに戻ってきた彼女は、毛布を引っ張りだし、倒れるように眠りについた。


「疲れたから寝る」


 それだけをメェメェに言い残して。


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