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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第7章 戦いの果てに夢見た世界は】
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86.死霊術師の触れた光

 魔王による教国襲撃は、またたく間に大陸中に知れ渡るところとなった。

 暗殺と呼ぶには、魔王はあまりにも堂々とし過ぎていた。正面切って、障害となる門や扉をすべてぶっ壊し、教皇の間まで一直線に走ったのだ。立ちふさがった兵士はもれなくぶっ飛ばされた。

 白昼堂々の教皇殺害。そして、護衛にあたっていた教国兵や異端審問官らは皆殺し。

 それを聞いた各国の反応は様々だ。信仰心厚い国は、教皇の死を嘆き悲しみ、魔王の所業に怒りを露わにした。しかし、その一方で恐れを抱いたのも確かだった。教国と疎遠だった国は、ついに“あの”教国にも陰りが見え始めたか、と亜人との関係を見直す動きが出ているそうだ。

 しかし、当の魔王は行方知れず。その所在は亜人混合軍も掴めずにいた。

 そのうちに、教国での戦闘で相討ちになったのではないか、という話がでてきた。

 そもそも、魔王がなぜ単身で乗り込むような真似をしたのか。何も聞かされていなかった亜人混合軍は残された手がかりを頼りに、真実を解き明かそうとした。時を同じくして魔王の側近も姿を消していることが、何か関係しているのか。そういえば同じ頃に、亡国で異端審問官に拷問された同胞が見つかった。もしかして、先に手を出してきたのは教国の方ではないのか。

 亜人混合軍の本拠地を襲撃した異端審問官が、まず魔王の側近を殺害。そのことに怒り狂った魔王が、仕返しに教国を襲ったのではないか。

 とまあ、こんな感じに。これ以外にも、様々な噂が飛び交ったりして。

 真実は着々と埋もれていくのだった。



 *****



 空席となった教皇の座には、聖女イーディスが即位。

 彼女に信頼を寄せるのは、なにも信者だけではない。それまで教国と敵対していた者でさえ、新たな教皇の誕生を祝福した。彼らが前教皇の死も同時に祝っていたことは秘密である。

 イーディスの即位に異を唱える者は、まったくと言っていいほどいなかった。彼女の存在を疎ましく思う者――それはすなわち、前教皇の支持者ら。

 彼らのほとんどは、あの時、教国にいたのだ。要は、言葉を発せる状態ではなくなってしまっていた。皆仲良く、逝ってしまったから。

 そんなことがあった後なので、即位式は簡易に執り行われた。それが、今から数日前のこと。




 イーディスの即位式に関する記事を読んでいたミルタは、途中まで目を通した新聞を下ろした。

 彼女は現在、教国の宿で遅い朝食をとっている真っ最中だ。記事の全文よりも、運ばれてきたコーヒーを熱いうちに飲む方が、彼女にとっては優先すべき事柄だった。

 各国の対応が揺れている中、教国は何も変わらない。相変わらず亜人は“魔族”だし、全面的に『魔王』が悪者にされている。ついでに言うと、死霊術師を見る目も厳しいままだ。今も、他の客は遠巻きにミルタを見ている。

 新聞を脇に置き、ミルタはカップを傾けた。

 真実の一端を知る者の一人としては、連日の報道は馬鹿らしいものばかり。教国ともなれば、今こそ魔族を叩き潰すべし、という過激な内容も増える。『魔王』がやった行為は挑発以外の何物でもない。ミルタも最初はそう思った。

 だが、今はそうまでして前教皇派を排除しなければならない理由があったと分かる。

 今回、シャダと再び教国を訪れたのはそれが関係している。


「ミルタ、いこうか」

「はい、先生」


 待ち人がやってくると、ミルタは飲みかけのコーヒーを残して席を立った。記事の全文よりもコーヒー。コーヒーよりもシャダ。ミルタにとって、シャダは何よりも優先すべきことだった。

 ミルタはシャダと並んで、大聖堂へと向かう。教皇との謁見のために。


 復活したミァンとメェメェがヨルムグル古城を去った後のこと。シャダはサイモナから、ある頼みごとをされた。

 サイモナとツノ、そしてシャダとミルタ。彼らは以前、間に異端審問官がいたとはいえ、敵対したことがある。そんな相手にわざわざしなければならない頼みとは何か。警戒するミルタをよそに、サイモナは言った。


“英雄の直筆の手記。それを教皇に届けてほしいんだよねー”


 咄嗟に言葉を返せなかった死霊術師に向かって、サイモナは付け加えた。


“あ、教皇って言っても、今の教皇じゃないと思うんだけどー”


 この時はまだ意味が分からなかった。だから、その部分は聞き流してしまった。サイモナはかなり重要なことを言っていたのだと、分かったのは後になってからだ。

 英雄の直筆の手記。そんな大層な物がいったいどこに隠されていたのか。なぜ、教国から見れば異端である者達の手中にあるのか。

 疑問をぶつけるミルタに、異端の召喚師サイモナは“運命の巡り合わせ”だと笑ってはぐらかした。

 英雄はすべてを見通したうえで、それを書き残したのかもしれない。だから、こちらの頼みを聞くことは英雄の意に反することではないのだ、とさえのたまってきた。

 これまた、シャダ達には意味の分からない言葉だった。

 実物を見てから判断すればいいと提案された時も、ミルタの警戒は解けなかった。シャダがそれを承諾したのは、トムセロの市長とは知らない仲ではなかったからだろう。それに、たとえ罠だとしても反撃できるだけの自信があったのだ。


 トムセロに滞在している間は驚きの連続だった。見知った街が、以前とはまったく違って見えた。

 亜人が普通に道を歩いている。それも、人間に紛れて。

 目を剥くミルタの横でシャダは、後で言葉を交わしてみよう、とのんびり言っていた。ちなみにその晩、彼らは実際に亜人達と酒を飲み交わしながら話をした。結果、ミルタは一晩で亜人と意気投合した。酒の力は偉大である。

 市長ウィズドムの邸宅では、英雄の手記を目にすることができた。その内容も含めて。

 これが二つ目の驚き。まるで英雄の肉声を聞いているかのような、生々しい記述の数々。ミルタはその内容をシャダに教えるために、文章を読み上げた。だから余計に、印象に残ったのかもしれない。

 すべてを聞き終えたシャダは、頼みの返事を保留した。考える時間が欲しかったのだろう。

 そして後日、教皇が『魔王』に殺されたという報が入って来た時、シャダはトムセロ側の頼みを引き受けることに決めた。

 それが、三つ目の驚きだった。


 ウィズドムは言葉巧みにシャダを頷かせたと言えなくもない。

 教皇の間に入り、教皇イーディスを目にしたミルタはそんな思いを抱く。これはシャダにとって、イーディスと再び会うことができるチャンスだったのだ。若き日に、自分を救ってくれた聖女と。

 荘厳な空間の中で、シャダとミルタはひざまずこうとした。しかし、すぐにそれを制止する言葉がかかる。


「どうか、そのままで」


 静かに、けれど威厳を持った声が響く。

 玉座に腰掛けたイーディスは微笑を浮かべて、シャダを見ていた。懐かしそうに。

 ミルタは目を疑う。何年も前に一度、会ったきりの相手を覚えているとでもいうのだろうか。彼女にとっては、数多くいる患者の一人でしかなかったというのに。

 そんなミルタの疑念はすぐに払拭された。


「お久しぶりです。シャダ・ボーグナインさん」

「……おどろきました。わたしの名前を覚えておいででしたか」


 そう言ったシャダの声は、驚きよりも喜びに満ちていた。心なしか、普段より表情が柔らかい。嬉しそうだ。


「お噂もかねがね。……懐かしい話は後でゆっくりすることにして、先に要件を済ませてしまいましょう。その方が、ゆったりできますものね」


 イーディスはそばに控えていた女に合図をする。シャダは近付いてきた女に、英雄の手記を手渡した。女はそれをうやうやしくイーディスに献上する。

 ぱらり、と乾いた音を立てて手記が開かれる。


「ウィズドムさんからお話はうかがっていました。私は、人間と魔族――亜人が共存できる世を目指そうと思います。英雄カリムが望んだものを、実現するために。それが、カリム聖教の本当の在り方だと思いますから」

「聖女様! ――じゃなかった、申し訳ありません。……教皇様!」


 前の癖が抜けないらしい女が、イーディスを咎めた。イーディスは悪戯めいた表情を浮かべる。


「そうでした。私はこの手記の存在を今知った、ということになっているのです。先程聞いたことは秘密にしておいてくださいね、シャダさん」

「構いません」


 シャダは素直に頷く。

 ミルタは何か言いたそうな顔をする。だが、師匠の手前、勝手に発言することが許されるかどうか。しかも、相手は教皇だ。従者としてだんまりを決め込む方が賢明か。

 ミルタがそう決めたタイミングで、イーディスは彼女に声をかける。


「遠慮せずに、発言してよいのですよ」


 教皇に許可を貰っても、ミルタはそれに加えてシャダの指示を仰ぐ。彼女にとっては、彼こそが絶対的な存在なのだ。たとえ、大陸を支配する立場の教皇が御前にいようと。

 シャダがゆるやかに頷いたのを見て、ミルタはやっと口を開く。


「イーディス様は、亜人に抵抗感はないのですか? なぜ、そうもあっさり受け入れられるのですか」


 トムセロで酒を飲み明かし、朝には亜人と肩を組んでいた女の言うことだとは思えない。だが、ミルタはもともと心神深い方ではなかった。それに、イーディスとは立場が違う。シャダが入れ込むぐらいなのだから、さぞ素晴らしい教義なのだろう、と軽い気持ちで信仰を持ったに過ぎない。

 イーディスの信仰心もミルタと同じくらい――もしくはそれ以上に、皆無なのだが、それは教皇という立場についた今では決して言えないことである。もともと亜人にそう抵抗はなかった、と発言しては問題になる。

 どう答えたものか、とイーディスはしばし考え込んだ。


「私は人々を癒すために旅を続けておりました。人の上に立つことには興味がありませんでした。嫌っていた、と言ってもいいぐらいです。自由を制限されてしまう立場ですから。私は、民の傷を直接癒すことができる立場でいたかったのです」

「ではなぜ、そのような方が教皇に?」

「私が民を癒すのは、癒すことが好きだからではありません。傷付き、苦しむ姿を見るのが嫌だからです。ならば、民を傷付かせ苦しませるものを、根本から取り除く方が良いではありませんか。教皇という立場なら、それが出来ると気付いたのです」


 前教皇がいた時には、考えつかなかった。考えもしなかった。力づくで教皇の座を奪うことなど、イーディスにはできなかったからだ。たとえ血が流れなくとも、権力争いは彼女が嫌いなものの一つだった。

 痛ましい事件でその席が空いた時、イーディスは自然とその立場を受け入れた。前教皇のことは残念だと思っている。だが、これは自分に訪れたチャンスでもあった。流れる血は、彼らで最後にする。


「戦争を一番早く終わらせる方法は、和解です。私は民の血をこれ以上流さないために、亜人との共存を望むのです。争いは、ここで終わりにしましょう」


 イーディスの声は決して大きくないのに、その場にいる者の耳に深く響く。それは、彼女の周りには自然と静寂が満ちるからだろう。彼女の声に耳を傾けるため、皆が息さえも潜めてしまうのだ。

 シャダが彼女に入れ込む理由。ミルタはそれが分かった気がした。ミルタは頭を下げ、礼を述べる。


「異端審問官はそう簡単に受けいれると思えませんが……」


 シャダは懸念を口にする。

 異端審問官は亜人の殲滅に命を懸けてきたのだ。下手をしたら、内部抗争になりかねない。

 ミルタは辺りに目を走らせる。イーディスの周りには、最低限の護衛兵しかいない。それも、すべて女性だ。なんだか急に、秘密の園にでも迷い込んでしまった感覚に陥る。

 だが、重要なのはそこではなく。

 異端審問官の姿がどこにもないということだ。まさか、先の襲撃で全滅してしまったわけでもあるまい。その場にいなかったことで、難を逃れた者もいるはずだ。

 イーディスは憂いを含んだ表情になった。


「私は、異端審問局を廃止するつもりです」


 もともと、彼女は彼らの存在をよく思っていなかった。


「なにも、彼らを苛めようというわけではありません。彼らには別の役職に就いてもらうことになるでしょう」


 それが簡単ではないことは、イーディスもよく分かっている。異端審問官らの反発を予想して、イーディスは目を閉じた。




 イーディスは争いを覚悟している。自身の嫌いなものに立ち向かおうとしている。あの表情は、そういうものだ。

 大聖堂からの帰り、ミルタは聖女――もとい教皇の言ったことについて考えていた。

 そうまでして、やらなければならない改革。彼らの存在は、亜人との関係に摩擦を生じさせるからだろうか。それが、いずれ決定的な亀裂となることを恐れているのだろうか。

 ミルタは、違う、と自分で答えを出す。


「メルビンみたいな哀れな奴が、二度と現れないといいですね」


 シャダはこくりと頷く。

 異端審問官は幼い頃から、徹底的な教育をされる。そのほとんどは、孤児院出身の子供達だという。それ以外の選択を与えられずに育った子供達。

 イーディスが行おうとしている改革は、彼らのためのものだ。

 ミルタは大聖堂を一度振り返り、心の中でメルビンを追悼する。


「さて、これからどうしますか? 先生」


 元気よく前を向いた時には、ミルタの顔はもうにやついている。これでやっと、正真正銘、シャダとの二人旅だ。何の気兼ねもいらない。

 シャダは首を傾げた。


「どうするもなにも、ルーシャ帝国に帰るのだろう?」

「えー。帰りに寄り道しても、誰も怒りませんって。ゆーっくり、観光しながら行きましょう」

「ふむ……おまえが言うなら」


 やったー、と大げさにミルタははしゃぐ。そのはしゃぎようを、シャダは微笑ましく聞いていた。


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