80.凍てつく海を渡った女
手記についての話が終わると、サイモナがわざとらしく膝を打った。
「さーて、じゃあ次の話に移ろうかー」
解散になるとばかり思っていたミァンは、ソファから腰を浮かした状態で動きを止めた。眉をひそめ、ウィズドムに目を向けて説明を求める。
「まだ話すことがあるの?」
「手記とは関係ないことだ。だが、重要な話ではあるな」
サイモナのちらちらとした視線が鬱陶しい。帰られたら困る。何としても引き止める。そんな思いがひしひしと伝わってきた。
ミァンは昨日のことを思い出す。話があるなら後にしてくれ、とあしらったのは自分だ。結局、昨日は疲れていたのもあって彼女達と話す機会はなかった。
これから何か用があるわけでもない。そう考え、ミァンは再びすとんとソファに腰を下ろした。
サイモナがほっと息を吐き出す。
「うんうん、素直で助かるなー」
「……それで? 話って?」
「あー、んんー、そうだねー……どうやって話そうかなー」
これから考えるのか、と突っ込みを入れたくなったのはミァンだけではないらしい。サイモナの隣で、今まで声を上げるどころか表情一つ変えていなかったツノが、じとりと彼女を睨んだ。
サイモナはしばらく眼鏡のチェーンをいじった後、決心のついた顔で頷いた。
「単刀直入に言いましょう。この世界は今、脅威にさらされています。崩壊の時が刻一刻と近付いてきているのです。私はそれを食い止めるため、あらゆる手を尽くしています。そして、そのために君の力を借りたいと思うのです」
真面目な口調と真面目な顔。
先程とはまるで別人のように思える変化に、ミァンはぽかんとした。彼女が話している内容は、後から遅れて頭の中に入ってきた。理解が追いつくのはさらに後だ。
「そういう喋り方もできるんだ?」
色々と聞きたいことがあるはずだった。ところが、口をついて出たのは至極どうでもいい質問。ミァンは自分でもそのことに驚く。
ミァンの反応に、ツノはサイモナを責めるような声を上げた。
「やはり、その変貌は逆効果だ。と、わたしは思う」
「えー。せっかく真面目モードを発動させたのにー」
サイモナはがっかりした。気合いを入れた導入部分に駄目出しされてしまった。
仕方がないので、普段の喋り方に戻る。
「君は信用できるって市長が保証してくれたから、話すんだけどねー」
「……ねえ、やっぱりさっきのハキハキした感じで喋って」
「ツノ、この子はお気に召したそうだよー」
別に気に入ったとか、そういう問題ではない。ただ、この喋り方はひどくゆったりしているので話が間延びしてしまうと思ったのだ。
最初の衝撃さえ乗り越えてしまえば、変貌後のサイモナの口調の方が遙かに聞きやすい。若干、早口ではあるが。
「それで、世界の崩壊ってなんのこと? 戦争でこの世界がめちゃめちゃになるとか?」
「いいえ、違います。この世界そのものが無くなってしまうこと、それが崩壊。たとえ戦争で人類が絶滅したとしても、大地は残る。大地が残れば草木は芽吹く。いずれは、人がいなくても世界は再び栄えるでしょう。しかし、崩壊は違います。まず先に、大地の方が消え失せる。立つ場所を失った人々は他の生物共々、“世界”という庇護がなくなった場所へ放り出されてしまう。――ここまではお分かりですか?」
「えっ、……あ、うん」
「小娘、分からないなら分からないってハッキリ言えよ」
そう言うメェメェも、訳が分からなさそうな顔をしている。自分で言うのは恥ずかしいから、ミァンに代わりに言ってもらいたいのだろう。
ミァンもサイモナの言っていることが理解できるような、できないような、微妙な感じだった。話が壮大すぎて、ついていけない部分があるのだ。細かい部分は聞き流してしまっている。でも、世界が危ないらしいことは把握した。
それは許せない。師匠が愛した世界を、壊させるわけにはいかない。防ぐことができるなら、ミァンは頼まれなくても力を貸すつもりだ。
ミァンが口を閉ざしたままだったので、仕方なくメェメェが億劫そうに聞く。不審の目をサイモナに向けて。
「その話が本当だとして、この世界が崩壊しかけているという情報を、お前さんはどこで手に入れたんだ?」
「まず、簡単に世界の仕組みについて話しましょう。世界というのは一つではありません。この世界以外にも、数多くの世界が存在します。それぞれの摂理が存在し、それらは互いに干渉することができません。普通ならば」
そこでなぜか、サイモナは得意げな笑みを浮かべた。人が自画自賛する時に見せる、みっともない笑みだ。
自身の胸に手を当て、彼女は続ける。
「昨日、自己紹介しましたが、私は召喚師。噛み砕いて説明すると、異世界の物や人をこの世界に呼び込む研究をしています。天才である私は、異世界の者をこの世界に呼ぶ込むことに成功……か、完璧とは言えませんが、成功しました」
得意げな笑みが崩れ、苦々しい表情へと変わった。
黙っていれば、誰も気にしないというのに。随分と正直な人間らしい。一人で勝手に落ち込んだ後、彼女は一人で気を取り直した。見ている分には面白い。
「それが、こちらのツノ。私とこの世界に、崩壊のことを知らせにきた異世界人」
改めてサイモナからの紹介があると、ツノがぺこりと頭を下げた。その際に、頭に巻かれたターバンの端がはらりと落ちた。ツノは気にすることなく、ターバンを自分から巻き取っていく。
「ツノは故郷の世界を、崩壊で失くしています。そして、今までにいくつもの世界が崩壊していくのを、その目で見ています。それらは、人為的に引き起こされた崩壊でした。故郷を失くした異世界人、ツノと同郷の者が悪事を繰り返しているのです。彼女はその蛮行を止めるために、この世界にやってきました」
ツノのターバンが完全に取り払われる。それが何を隠すために巻かれていたのか、ミァンはその時に確信した。
ツノの頭からは二本の角が生えていた。幾重にも枝分かれした、鹿のような角が。
隠すところのなくなった彼女を見て、ミァンの脳裏にある情景が思い出された。細かい形状は違うが、おおまかな姿は似ている。人間に角が生えたかのような姿。
「――魔王」
ミァンが呟くと、メェメェは目を見開いた。
一度だけ見た魔王の姿。その時は彼が何の種族であるかさえ、分からなかった。それは当然だったのだ。魔王は、この世界の住人ですらなかった。
ミァンがこの段階で、その正体を突き止めるのは予想外だったらしい。サイモナは驚いて聞く。
「魔王の姿を見たことが? 誰もその正体を知らないと聞いていましたが」
「一度だけ。事故みたいなものだよ。ここで見たことは内密に、って口止めされたし」
「その姿はッ、その姿はどんなものだった!?」
ツノに迫られ、ミァンは気圧される。
サイモナの変化もなかなかだったが、彼女の変化はさらに強烈だ。それまで何を聞いても無表情だった女が、必死の形相で迫ってくるのだから。
「え、えーとね、あなたみたいに角が生えてたよ。額から一本と、耳の後ろから二本。先は全部、正面を向いてて――」
「あの方だ。間違いない……!」
拳を握ってツノは感極まる。
今までは、魔王が探している人物だろうと見当を付けていたに過ぎない。ミァンの証言を聞いて、彼女は確信できたのだ。
メェメェが狼狽したように声を上げる。
「ま、待てよ。魔王が世界を崩壊させようとしてるってのか? 何のために?」
「理由までは分からない。だけど、阻止しなければいけないのは確か。と、わたしは断言する」
固い表情に戻ったツノが答える。
しかし、メェメェは納得しない。混乱と怒りが混じっているのか、声を荒げた。
「亜人混合軍は? いったい何のために集められたって言うんだ!」
「……正確なところは分からない。けれど、今までの世界でも彼は似たようなことをしてきている。戦争を引き起こすのは、崩壊の前段階――下準備のようなものではないか。と、わたしは推測する」
「そんな……ッ、じゃあ、俺達は利用されてたっていうのか!? 亜人達は必死の思いで決起したってのに! あいつらには後がなかったんだ! ここで立ち上がらなきゃ、魔族の汚名を被ったまま死んでいく運命だったんだ! 子々孫々、もしかしたら未来永劫に! そりゃ必死になるさ! それを利用しただと!?」
「メェメェ――」
「口を挟むな、小娘。俺は許さねえぞ。やっと、居場所ができそうなんだ。あいつらも意図していなかった形でだが、あいつらが勝ち得た場所なんだ。お前さんも見ただろうが。この街で、人間と亜人が一緒にいるところを! もうすぐ、それが当たり前の未来になる。してみせる! 英雄サマは予言してねえのかよ! そんな簡単なことも予言できねえのか!? こんなところで世界が終わるなんて、あり得ない!」
一気にまくしたてたメェメェが、そこで言葉を切った。肩で息をしながら、彼はツノを睨みつける。彼女が世界の崩壊を企てたわけではない。それは分かっている。だが今は、魔王と似た姿をしているという理由だけで彼女が忌々しかった。
こんな重大なことを淡々と話す彼女が、憎かった。
ツノはただ黙って、メェメェの視線を受け止める。こんな時にどんな顔をしたらいいのか。どうしたら、怒りを鎮めてくれるのか。分からなかったから、彼女は無表情を貫いた。
緊張が流れる場で、ウィズドムが静かに声を出す。
「そうだ、あり得ない。あり得ないから、ツノとサイモナは世界を救うために動いている」
メェメェはその言葉にハッとする。
「そんな簡単なこと、英雄が予言するまでもない。きっかけがどうであれ、亜人は人間と共存する第一歩を踏み出した。英雄の望んだ理想郷は、すぐそこまできている。世界は終わらない、なんて当たり前のことを英雄がわざわざ書き残すと思うかね?」
「い、言われてみれば、そうだよな。すまない。お前さんに怒鳴り散らすいわれはなかった」
メェメェはすぐに謝って、ツノに頭を下げた。頭に血が上っていた自覚があるのだろう。
ツノはやはり無表情のままだ。ただ、慌ただしく態度を変えるメェメェを不思議そうな目で見ていた。
頭を上げたメェメェは、今度は宙を睨んで悔しそうにする。
「でも、やっぱり許せねえ。何より、この俺様を利用しようとしたことが気に食わねえ。おい小娘、魔王をぶっ飛ばしにいくぞ」
「オッケー。首をスパーンとやれば、異世界人でも死ぬよね?」
「確実に死ぬ。と、わたしは断言する」
「た、頼もしすぎる。――じゃなくて、待って、君達。まだ話は終わってないよー」
サイモナが間延びした口調に戻って、ミァン達を呼び止める。
ミァンとメェメェはさっさと部屋を出て行こうとしていた。今すぐ魔王の首を狩り取ってきます、と言わんばかりだ。数時間後には、実際に魔王の首を手にしていてもおかしくない。
呼び止められた彼らは、不満そうに部屋の中に戻ってくる。
「魔王を倒すだけじゃ駄目なんだよー。魔王には協力者がいるはずだからねー」
「協力者?」
「わたしのような異世界人がこの世界に入るためには、この世界の住人の手引きが必要。魔王を呼び込んだ者が、亜人混合軍の中にいるのではないか。と、わたしは思う」
ミァンとメェメェは良い顔をしなかった。それを見て、ツノはすぐに付け加える。
「でも、安心してほしい。亜人のことは疑っていない。疑わしいのは精霊。と、サイモナが思っている」
「新しい語尾!」
最後に自分の名前が出たことに驚いて、サイモナは思わず声を上げた。ツノが他人の名前を借りてものを言うことは今までなかった。初めてのことだ。
サイモナは舞い上がる。理由の分からないミァンとメェメェは冷めた目で彼女を見た。ついでに、ツノの目もいつも以上に冷めているように思えた。
「……なんで精霊? 根拠は?」
「召喚術はとっても難しいんだよー。正直、私以外に成功させる奴がいるとは思えなくてねー。ただ、召喚術以外なら他に方法もあるのかなーって。たとえば精霊が使う魔法は、人類や賢獣が使う魔法とは根本から違うって言うし」
「そういうわけらしいから、亜人混合軍に精霊の心当たりはいないか。と、わたしは聞く」
そう言われても、ミァンは咄嗟に思いつかなかった。
亜人混合軍はその名の通り、亜人の集まりだ。人間だとか亜人だとか関係なく、個人と強い繋がりを持つ賢獣がその中にいるのは不自然ではないが、精霊が混ざっていたら相当目立つだろう。そもそも、精霊が戦争なんてものに首を突っ込むとは思えない。
世界を崩壊させようとしている、というのならば尚更だ。この世界の均衡を保つ存在、言わば管理者のような存在が、世界を壊そうとしている。ひどい矛盾だ。
それでも、ミァンは必死に頭をひねった。世界の命運がかかっているかもしれないのだ。真剣にもなる。馬鹿らしい、と一蹴することは出来なかった。
ミァンは精霊の性質を順に考えていく。
まず、寿命がない。実体がないためなのだが、人はよく不老不死だと勘違いしている。人を愛してしまうと現世に堕ちる。すると、精霊として成り立たなくなる。その状態に陥った精霊は、物理的な攻撃で簡単に破壊されてしまう。精霊は転生することができない。
この中で、目で確かめられる項目は不老ぐらいだろうか。まさか、誰彼構わず斬りかかって物理攻撃が無効になる者を探すわけにもいかない。それに、世界を崩壊させようなどと考える輩だ。すでに精霊として堕ちているかもしれない。その場合、物理攻撃は有効になってしまう。
探すとしたら、昔から姿が変わっていない者だろうか。これなら、人に尋ねられる。
ミァンが自分の考えを告げようとした時、部屋の扉が開き、無遠慮にレモンハートが入ってきた。
一瞬ウィズドムが身構えたが、レモンハートだと分かるとすぐに脱力した。叱る気力だけはなんとか絞り出す。
「せめてノックをしてくれ」
「あ、なんか大事な話でもしてた? ごめんね、どうでもいいことで邪魔しちゃって」
謝るが、出て行く気配はない。レモンハートは水の入った桶を持っていた。彼が歩くと、中の水がちゃぷんと音を立てる。
その桶を目の前に差し出されたウィズドムは、思いっきり顔をしかめた。訳が分からないらしい。
「これ、凍らせて」
「はあ? 何を意味が分からないことを言っているんだ」
「キュミアと約束したんだ。氷を見たことがない彼女に、氷を見せてあげるって」
そういえば、そんな話をしていた気もする。ウィズドムが呆れている脇で、ミァンはその時のことを思い出した。
テュエラとキュミアが再会した時のことだ。レモンハートが仕事をさぼって、キュミアと話し込んでいた。彼の故郷が港町だったとか、どうでもいいことを覚えている。
「人の魔法をあてにしていたのか?」
「約束しちゃったものは仕方ないじゃん」
「まったく、どうしようもないことに魔法を使わせおって」
ウィズドムはぶつくさ言いながらも、桶の水に手をかざす。早口で呪文が呟かれると、みるみるうちに水は凍り付いていった。
人が良いわけではなく、さっさと満足させてここからレモンハートを追い出したいのだろう。ここで拒否をしたら、ごねられそうだ。
レモンハートは小さく歓声を上げ、魔法で凍った氷を触っている。
ミァンはじっとそれを見ていた。以前、彼らが話していた内容が蘇ってくる。
レモンハートとキュミアが生まれるずっと前、海が氷を張ったことがあるという。一年中温かな海が、その年だけ。なんとも不思議な話だ。不自然だ。実際、それは自然現象ではないのかもしれない。
海を凍らせるなんて大層なことを人ができるとは思えない。だが、精霊なら話は別だ。
何かをひらめき、ミァンはレモンハートの腕を掴んだ。レモンハートはぎょっとする。彼女が食いつくような目をしていたからだろう。
糸口を掴めたことで、ミァンは興奮していた。
「前に、海が凍ったっていう話をしていなかった?」
「え? あ、ああ、そういえばきみもあそこにいたっけ」
「それは具体的に、どれぐらい前のことなの?」
ミァンの頭の中には、氷から連想される人物が思い浮かんでいた。魔王にもっとも近しく、謎の多い女。彼女はもともと、大陸の者ではないという。海を渡ってきた亜人、皆はそのように噂していたか。
レモンハートはそんなことを聞かれる理由が分からず、首を傾げる。だが、ちゃんと思い出す努力をしてくれた。
「七十……いや、八十年くらい前かな。親の代じゃなくて、祖父母の代の話だから。それも、爺ちゃん婆ちゃんが子供の頃の話」
「ありがとう」
「どういたしまして。あ、おれもお礼言わなくちゃ。どうでもいいことに魔法使ってくれてありがとう、市長」
人懐っこい笑顔でお礼を言われてしまい、ウィズドムは完全に怒る気力を失くした。レモンハートが上機嫌で部屋を出ていった後、ミァンはメェメェに耳打ちした。
「リッカの見た目って、二十代ぐらいに見えるよね?」
ずばり、名前を出して確認する。
ミァンが疑っているのは雪女だった。大陸にはいない種族なのだと思っていたが、精霊だとしてもおかしくない。外見だけで人と精霊を区別することは難しい。見慣れない姿なら尚更だ。
メェメェは頷いた後で、ミァンの考えに気付いたらしい。まさか、という顔をする。
「メェメェは彼女のことを“ババア”呼ばわりしたことがあったし。薄々勘付いてたんじゃないの?」
「いや、言動が年寄り臭いからそう言っただけで、その時は特に深い意味を持たせて言ったわけでは……」
メェメェは困惑する。
ともかく、容疑者の見当は付いた。それが当たりか外れかは、本人に直接確認した方が早いだろう。
ミァンはサイモナとツノに声をかける。
「分かったよ、協力者。道中で説明するから、今すぐ転移陣に向かおう」
「転移陣って……どこ行きの?」
「ツムジ山脈ヨルムグル古城。一部では魔王城なんて呼ばれているらしいね」
メェメェの背に手をかけ、ミァンは言った。
室内で彼の背に乗るという横着をしたら、ウィズドムは怒るだろうか。
*****
こんな形で戻ることになるとは思わなかった。
ミァンは相変わらず埃っぽい大広間に立ち、神経を尖らせる。今のところ、大広間に人はいない。静かなものだ。
教国軍を撃退するため、ここから中継地点のロジリア亡国に赴いたのがはるか昔のことに思える。実際、結構な日数が経っているが。
考えてみれば、強大な魔力を自慢していたリッカが戦闘に参加しないのは不自然だった。本人の言葉を信じるなら、彼女は戦場を一瞬で氷漬けにすることだってできるはずなのに。指揮を含めて、すべて亜人に任せっきりだった。
彼女はなにか他にやることがあったのだろうか。
「うわあ、内装からして立派だねー。これはぜひとも、外から眺めてみたいなー」
背後できょろきょろとしていたサイモナが場違いな感想を述べる。いきなり城内に現れてしまったので、城の外観を見ていないのだ。
ツノは緊張しているのか、いつも以上に表情が堅い。冷や汗すら浮かんでいる。
「あの方がいる……。感じる。わたしの角が、察知している」
呟きながら、ツノは自身の角に触れる。その手が小刻みに震えていた。気分が悪そうだ。しゃがみ込みそうになったツノを、サイモナが支える。
からん、と下駄の音がした。
メェメェは耳を立て、音がした方に警戒の目を向ける。大広間の入り口に、和装の女がいた。リッカだ。
リッカは黙したまま、大広間の中ほどまで歩いてくる。その間、からん、からん、と大理石の上を歩く下駄の音が響いた。
立ち止まり、リッカがミァンに向けた目は冷え切っていた。
「妙な者を連れてきたのう?」
唇がほとんど動いていない。
相手はすでにミァン達を敵だと見なしているらしい。慎重な手つきで、ミァンは剣の柄に触れる。
「姿とか、どことなく魔王に似ていると思わない?」
「…………。そこの女と同じように、魔王も角で侵入者を察知しておった」
ツノは苦しそうにしている。魔王は上階にいるはずだが、それほどまでに威圧が強いのだろうか。
ミァンは開きっぱなしの大広間の扉に目を向ける。
リッカは考えを見透かすように笑った。
「魔王の命令じゃ。闖入者を排除せよ、とな」
リッカが指を鳴らす。瞬間、室内だというのに吹雪が吹き荒れた。重々しい扉が風に押され、勢いよく閉じる。ぴたりと閉まった扉の上から、さらに氷が張り付いていく。
リッカにぬかりはなかった。彼女が着物の袖を揺らすように手を振ると、数ある転移陣の上に雪が降り積もる。厚みのある雪は、簡単に手で払いのけられるものではない。
完全に閉じこめられた状態になってしまった。戦闘は避けられそうにない。ミァンは、うずくまっている二人に向かって叫ぶ。
「柱の陰に隠れてて!」
サイモナが頷いた。ツノに肩を貸して、なんとか柱の陰に身を潜める。
それを確認すると、ミァンは剣を抜いた。メェメェの背からリッカを見下ろし、睨みつける。彼女は不敵な笑みをたたえていた。
「海さえも凍らせたわらわに、そちのような小娘が勝てるかの?」
冷気が漏れ出る煙管をくわえ、リッカは色っぽく笑った。




