6.木苺は酸っぱく、黒林檎は甘く、
翌日の朝早く、ミァンはメェメェと共に山を下っていた。もちろん、食糧探しのためだ。ミァンは空腹で目が覚めたぐらいだった。それでも、メェメェの方がもっと早くに起きていた。
山道を歩きながら、ミァンは髪に絡まった蜘蛛の糸をはがす。マザーが娘に作らせたハンモックは、当然彼女たちの糸によるもので、寝るには体中がべたつく覚悟が必要だったのだ。
「まったく、なんで俺様がこんな目に。小娘のお守りをさせられたばっかりに」
先ほどから、メェメェはぶつぶつと文句を言っている。空腹でいらいらしているのだろう。
ミァンは聞き流してもよかったが、あえて話に乗った。
「なんでだと思う?」
「ああ?」
「あなたが私の教育係……軍馬? になった理由」
メェメェは鼻で笑った。
「リッカが言ってただろ。俺は生まれは良いが、ちょっとばかし素行が悪いのさ。厄介者同士をくっつけただけだ。理由なんてそんなもんだろ。どちらか一方が失敗したら、両方とも排除する口実になる」
「私が厄介者? 人間だから?」
「そうだ。あとな、俺の役目は教育係なんかじゃない。監視役だよ、お前さんの。敵対する人間をそうほいほいと軍に入れるわけがないだろ。でも、お前さんがその剣を持っていたから判断を遅らせたんだ。だからまあ……、昨日お前さんが言っていたこともあながち間違いじゃない。お前さんが本当に亜人の味方をしたい、ってなら功績を上げて信用してもらうしかないな。無駄にしょぼい今回の任務も、足掛かりに使うならもってこいだ」
ミァンは聞いたことを吟味する。
完全に信用されているわけではないことは分かっていた。上の連中がミァンの実力を認めたところで、一般の亜人たちがミァンに心を許すわけではない。今は好奇心で寄ってくる者もいるだろうが、時間が経てばそれもなくなる。
それこそ、功績を上げなければ。
こんなところでぐずぐずしている暇はない。ミァンが心の底から望むものはもっと他にあるのだから。
「お、あれなら食べられそうじゃないか」
だいぶ山を下りた頃、メェメェが声をあげた。
彼が鼻で指す先には、どっさりと実ったキイチゴがあった。目を見合わせた後、彼らは一緒に寄っていく。
「いただきます」
ミァンはわくわくしながら、キイチゴを一つ取り口に入れた。甘いのか、酸っぱいのか、口に含むまで分からないこの瞬間が好きだった。
メェメェも隣でキイチゴを食べ、咀嚼している。
「酸っぱいな」
「うん」
ミァン達は同時に顔をしかめた。
酸味の強い味が口の中に広がっていた。酸っぱいキイチゴを食べながら、ミァンは昔を思い出す。こうやって、幼馴染と野生の果実をよく食べていた。熟れた甘い果実は稀にしかなく、“あたり”と呼んでいた。“はずれ”を引くと、酸っぱい酸っぱいと言いながら二人して笑い転げていた。
あの頃は、何が面白いわけでもなく、何もかもが面白かった。
「でも、これ食べるしかないよな」
「昨日のグルメ馬はどこいった」
「空腹には勝てなかった」
キイチゴだけでお腹がふくれるとは思えなかったが、彼らは食べられるだけ腹に詰め込んだ。腹がふくれる前に、舌が麻痺しそうだった。だが、虫よりはましだ。
もくもくと食べていると、こちらに近付いてくる人の気配がした。
メェメェも気付き、耳をぴんと立てている。それから、示し合わせたわけでもなく、一人と一頭は共にキイチゴの影に隠れた。
話し声が通過していく。
「ハイドグさんも酷いな、女の一人ぐらい生かしておいてくれたら楽しめたのにさ」
「あの人、そういうの興味ない感じだし、仕方ないんじゃね」
二人分の足音が遠ざかっていく。
充分離れたところで、メェメェが不審そうに言う。
「なんだあれ、賊か? 物騒なことを言っていたが……」
ミァンは黙っている。
「小娘? どうした」
彼女の様子に気づき、メェメェが声をかける。ミァンは突然立ち上がり、剣を抜いた。そして、男たちが去っていた方向を睨む。
「お、おい、待て。突然の正義感発動とか困る」
「違う」
ミァンは低く吐き捨てた。
先ほどまでの彼女とは違う、とメェメェは瞬時に感じ取った。顔が強張っている。激しい感情を押し殺しているように見えた。
止める間もなく、ミァンは駆けだしていく。メェメェは一瞬迷いを見せたが、毒づき、彼女の後を追った。
麓の集落の焼け跡で、ハイドグは黒い林檎をかじりながら、送り出した手下の帰りを待っていた。皮も果実も炭のように真っ黒だが、かじるたびに新鮮そうな音を出し、果汁が林檎を持つ手を濡らし垂れていく。
手下たちが知る限り、これを食べている時が一番、機嫌が良い。害も毒もなく、“本当の意味で”幸福そうな顔をする。昨夜のような惨劇はハイドグにとって、幸福ではなく興奮をもたらすものなのだ。
辺りには焦げくさい匂いが漂っていた。それに、血の匂いや焦げた肉の匂いなどが交ざり、鼻をつく。集落の住人の死体は、バラバラになって点々と転がっていた。
残った手下たちは大体の家を探り終え、退屈そうにしている。彼らの仕事は終わったわけではなかった。むしろ、これから本腰を入れなければならない。
ハイドグが林檎を芯だけ残して食べ終えた頃、二人の手下が山から戻ってきた。彼らはまっ先にハイドグのもとへ向かう。ハイドグは彼らを見ても表情一つ変えなかったが、その背後を見て微笑を浮かべた。
「ハイドグさん、やっぱりこの山には――」
ナイフを素早く抜き、戻ってきたばかりの手下二人の喉を切り裂く。言葉の続きは血に阻まれ、奇妙な音となった。二人は信じられない表情でハイドグを見たまま、絶命する。
ハイドグの突然の行動に、他の手下たちがどよめく。
「余計なものを連れてきたな」
ハイドグはナイフの血を飛ばし、骸となった手下を蹴る。そのそばに、林檎の芯が放られた。
リーダーの忌々しそうな言葉に、手下たちは武器を構える。ハイドグがまっすぐ見つめる先には、一人の娘が立っていた。
「やあ、お嬢さん。こんなところでピクニックとは感心しないなあ。知っているかい? ここは魔族がうろつく山なんだ」
ハイドグの本性を知っている者なら、鳥肌を立てるような口調で、彼はミァンに語りかける。
ミァンは剣を抜いている。敵意を持っているのは、誰の目から見ても明らかだった。だが、ハイドグはこういう茶番が好きなのだ。
「ハイドグ……」
「んん? 俺のことを知っているのかな。こんな可愛いお嬢さんが、俺になんの用だろう」
「覚えてないんだね、私のこと」
え、とハイドグも手下たちも一瞬気を取られる。その一瞬の隙を突き、ミァンは手下の間をぬって一気にハイドグのもとまで到達した。ミァンが振り下ろした剣は、手下を切る。ハイドグがそばにいた手下を引き寄せ、盾にしたのだった。
頭を縦に割られた手下を捨て置き、ハイドグはじりじりとミァンから後退する。
「テメェら、この女を殺せ」
「雑魚はすっこんでろ! 用があるのはこの男だけだ!」
リーダーに命令されたにも関わらず、若い娘の気迫に負け、手下たちは動くことができなかった。そのうちに、メェメェも追いつく。
メェメェは集落の惨状に目を見張ったが、すぐに目の前の出来事に頭を切り替えた。
バイコーンの登場に、手下たちの注意は完全にそちらへ向けられる。人間の若い娘よりも、異種族であるメェメェの方が脅威に思えたのだろう。ハイドグとミァンを気にする者は誰一人いなくなった。
ハイドグは舌打ちすると身をひるがえし、逃走する。ミァンは背後の状況の確認もせず、そのあとを追いかけた。
「あの小娘、俺に雑魚共を押しつけやがって」
角を低く構え、脚に力を入れる。メェメェは戦闘態勢に入った。