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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第6章 パズルのピースを合わせてみれば】
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67.彼女の隣に公爵がいない理由

 夜の闇にまぎれ、教国軍の少数部隊が移動を開始する。目指すは、亜人混合軍が駐屯する亡国の国境付近。夜襲を仕掛けようというのだ。

 昼間の戦場は散々だった。

 化け物じみた力を持つ少女一人に、陣形を崩され、戦況は大いに乱れた。王国軍が背後から行った不意打ちは成功したものの、その後に続けることが出来なかった。連携を取るはずだった教国軍が、敗走していたからだ。

 有翼人の相手をしていたアーウィンも、その報告を受けて身を引くしかなかった。戦闘が思った以上に長引いたのが、計算外だったのだろう。結局、彼は有翼人を討ち取ることができなかった。

 教国軍にとって、これは、あり得ないことなのだ。

 魔族に負けるなど、あってはならない。悔しがる暇もなく、恥じる余裕もない。どうやったら魔族を地獄送りにできるか、今はただそれだけのことに執着している。

 なりふり構っていられなくなった彼らは、夜襲という手に出た。

 教国軍の中には、こういった戦法を卑怯だと嫌う者も多い。卑怯な、魔族がやる行為だ、と。夜間の戦闘は、亜人に分がある場合が多いからだ。特に、獣人は夜目が利くため、圧倒的に不利となる。

 彼らは、生きて帰れると思っていない。

 この夜襲は、相手の戦力を少しでも削ぐことが目的なのだ。刺し違えてでも、魔族を道連れにする。教国兵の目には、そんな強い意思が宿っていた。


「聖なる軍が聞いて呆れますわね」


 闇の向こうから投げかけられた言葉に、教国兵たちは硬直した。

 女の声に続き、二つの忍び笑いが響く。女の意見に同調するように、可笑しそうに。


「まさか、こんなに早く気付かれるとは……」


 予定よりもだいぶ早い段階で剣を抜く教国兵たち。

 彼らの前に立ちはだかったのは、深紅のドレスを身にまとった女だった。場にそぐわない衣装に、教国兵たちは眉をひそめる。

 そんな視線を意に介せず、女は短剣を取り出す。かつては自身の胸に突き立てたこともあるそれを。

 短剣一本で、大勢の教国兵と対抗するのは無謀に思えたが、敵意があることを示すには充分だ。


「わたくしはヴァンパイア、ベル・メリオ」


 これから教国兵たちは、いったい何に屠られることになるのか。それぐらいは本人たちにも知っておいてほしい、とベル・メリオは名乗る。

 獣人よりも、何よりも、夜にふさわしい種族だと誇りを持って。


「“ロジリア亡国”の領主ですわ」


 ヴァンパイアと聞き、目を見開いていた教国兵たちは、続いた言葉に失笑した。


「亡国の領主だと? 領主というからには、民はいるのだろうな?」


 人間がいなくなった地に魔族が入り込み、勝手に領主を名乗っている。彼らにはそのように聞こえたのだろう。

 しかし、返ってきた言葉は彼らの予想に反していた。


「もちろん。お前達に“お礼”をしたくてたまらない民がいますのよ」


 ベル・メリオが八重歯を見せて微笑むと、その場にゴースト達が降り立った。教国兵を取り囲むように、半透明な身体をすべらせる。

 教国兵たちは汗ばんだ手で武器を握りなおした。実体のない相手に戸惑いを隠すことができず。


「忘れたとは言わせませんわ。かつて、この国を見捨て、都合の悪い事実に目を背けたこと」


 亡国民の正体を悟った教国兵は、自然とベル・メリオの正体にも気付く。領主という言葉に、嘘偽りがないことも。


「な、なんのことを言っているのか、分からないな」

「救いを求めた信心深い娘を突き放して、魔族を作り上げてしまった。そんなことが人々に知れたら、心証が悪いものね?」

「……っ、元人間の魔族など、穢らわしい! デタラメを言うな!」

「ヴァンパイアは、一度死ぬことでその身を完全なものにする。そしてどういうわけか、その際に、周囲の命を巻き込んでしまう」


 教国兵はベル・メリオの言葉を止めようと、罵声をはさむ。だが、彼女は気にせず話し続ける。もしかしたら、教国兵の中にも真実を知らない者がいるかもしれないから、と。


「神聖王国内でわたくしを殺さなかったのは、そういった理由でしたのね。正しくは、殺せなかった、かしら? 神聖王国の民が犠牲になってしまうのは、教国にとってはマイナスですものね」


 ロジリア公国は、教国にとってどうでもいい国だったのだろう。魔族になっていく娘を押しつけたのだから、むしろ邪魔に思っていたとしても不思議ではない。

 ベル・メリオが嫁いだロジリア公国の公爵は、彼女に偏見の目を向けなかった。価値観の相違により、教国と摩擦があってもおかしくないほど“優しい”人柄だった。


「公国の民が、現世に残ってしまうのは想定外だったのかしら? 亡国になってからは、一度も干渉してきませんでしたわね。だんまりを決め込んで、公国が滅んだのは疫病のせいだ、という噂を否定しなかった」


 亡国には得体の知れない疫病が蔓延している。そんな噂があれば、人々は亡国に近付かないだろう。真実に近付く者が、いなくなる。

 ゴースト達は教国兵の不安を煽るような演技をした。泣き真似をし、恨み節を投げつける。

 教国兵はベル・メリオ達の予想以上のうろたえ方をした。


「こ、この、悪霊どもめ。お前達が本来いるべき場所に、送り返してやる!」

「そう、その言葉! その言葉を待っていましたのよ!」


 歓喜に打ち震えたベル・メリオが、機嫌良く叫ぶ。赤い目を光らせ、口元を歪ませて。教国兵からは魔族にしか見えない表情をする。


「あなた方には、ちょっとしたツケを払っていただきたいのよ。本来なら、あの日にするべきだったこと。亡国民のため、“無事に楽園へ辿りつけますように”ってお祈りしてくださる? ……まあ、了承してくれなくても全然構わないのですけどね! おまえ達を道連れにすれば気が済んで、晴れてこの世を去れるから! わたくしの民は、恨みを晴らしたくてたまりませんの!」


 教国兵の命を、冥土の土産にする。ベル・メリオとゴースト達はそう宣言した。それを回避したいのならば、戦いながら祈りの言葉でも呟いていろ。と、けらけら笑って。

 教国兵に選択の余地はない。剣の攻撃が通じない相手なのだから、実際、彼女が言う通り、死者の魂を鎮めるための言葉を口にするほかないのだ。

 ゴースト達は構わず、襲う気満々だったが。どうせこの世を去るのならば、少しでもすっきりする方法を取った方が良い。


「魔族に身を落とした哀れな人々よ――」

「あら、だめよ。そんな言葉で始めるなんて。わたくしはともかく、亡国民は現世を去ることのできない哀れな魂に過ぎないのだから。それを魔族と呼ぶなんて、少し心ないのではなくて?」

「……くっ」


 教国兵は一瞬怯んだが、すぐに開き直った。


「悪霊なのだから、魔族と同じようなものだろう」


 ベル・メリオは首を傾げる。何かを考えた後、こちらも開き直った。


「ロジリア亡国軍。おまえ達を引きずりこむため、地獄の底から蘇ってまいりましたわ! 悔いる時間はあの世でたっぷりと差し上げますから、今はとりあえず死んでくださる?」


 言った後で、彼女はふふ、と笑う。


「なんだか、とても魔族っぽい台詞を言ってしまった気がしますわ。これが、おまえ達の望むわたくし達の姿なのでしょう? さあ、どうぞ遠慮なく。こちらも容赦はしませんわ」


 彼女が短剣を構えたのを合図に、ゴースト達は教国兵に迫っていく。

 ベル・メリオは最初から、教国兵の祈りの言葉など聞くつもりはなかった。

 心のこもっていない祈りよりも、言葉はなくとも墓に供えられた花の方が、よっぽど温もりを感じたから。彼女は、ほんの少しだけ亜人たちに力を貸そうと思ったのだ。




 亡国軍の戦いぶりを傍観していたマスィールとハスィーブは、時折、教国兵に恨みがましい視線を向けられた。彼らのことが、死体ができあがるのを待ち構えるハイエナのように見えたのかもしれない。


「失礼なやつら。ぼくたちは、きみたちのために待ってあげているのに」

「貴婦人の仲間だと思われているのでしょうか」


 ゴースト達が現世を去るのを見届けたい、と思ったのは事実だが、彼らは亡国民に肩入れしているつもりはない。


「しかし、面白い戦い方をしますね。ゴーストですから、てっきり呪い殺しでもするのかと思っていたら……」

「“とり憑く”という意味では一緒かもしれないよ。相手の体温を奪って、殺しちゃうんだから。結構えぐいことするなあ」


 亡国民はその身の特徴を利用して、教国兵の命を奪っていた。後ろから敵に抱き付き、決して振り払えないようにする。それだけで、亡国民に抱きつかれた教国兵は急激に体温を奪われ、たちまち凍えてしまう。

 寒さに震える身体ではまともに剣も振るえないし、祈りの言葉を口にすることもできない。

 そのまま凍え死ぬか、ベル・メリオによってとどめを刺されるか。選ぶ道はその二つ。もっとも、選ぶのは教国兵ではなく亡国民なのだが。

 教国兵が数を減らしていくにつれ、亡国民の数も減っていく。

 彼らは教国兵を倒すと満足し、この世を去ってしまうのだ。最後に必ずベル・メリオに声をかけた後、亡国民は死後の世界へと旅立つ。

 その様子を、マスィールはどこか安心したような面持ちで見つめていた。


「この方法で良かったようです。――彼らの来世が素晴らしいものでありますように」


 マスィールは目を閉じ、彼なりの祈りを捧げる。

 ハスィーブはそれを聞き、首を傾げた。


「教国兵にはなんて言うつもり?」

「……来世はもっとマシな人生を送れますように、ですかね」


 兄の答えを聞き、ハスィーブはけらけらと笑う。

 グール達が戦いの終わりを待ち続けること数十分、ようやく辺りに静寂が戻った。

 彼らは立ち上がり、教国兵の死体へと近付いていく。そこで、ふと立ち止まった。ここには一人だけ、生きている者が残っているはずだ。彼女はどこへ行ったのか。

 グール達は死体を無視し、ベル・メリオの捜索を優先させた。


「まさか、死んじゃったとか?」

「限りなく不死身に近いヴァンパイアを殺せる者など、この世には――」

「いませんわ。自分で死ぬことさえ出来ないのですもの」


 ベル・メリオの声を聞くと、グール達は耳をぴんと立てた。その声が下の方で聞こえたことを不審に思いながら。彼女は背が高い。だから、彼らは常に上から声を掛けられていた。

 グール達は、衣擦れの音がした方向に足を運ぶ。いつになく急ぎ足で。

 ベル・メリオは、地面に仰向けに倒れていた。


「貴婦人、これは……」

「本当に、魔族だと思う相手には容赦をしませんのね、あいつら。不死身とはいえ、まともに戦ったことのない身体に無理をさせるものではありませんわ」


 ベル・メリオは力なく笑った。

 身体のあちこちを切り刻まれ、深紅のドレスは破れてしまっている。流れ出した血を吸い取り、ドレスがさらに深い赤に染まっているような気がした。

 普通の人間ならば、出血多量で死んでいてもおかしくはない。

 だが、ヴァンパイアである彼女は、いつも以上に顔を青白くさせてなお、生きていた。


「このまま朝が来るのを待ったら、死ぬかしら」

「太陽の光は、ヴァンパイアを著しく弱体化させます。……が、死をもたらすものではありません。ひどく不快な気分を味わうだけでしょう」


 不快、なんていう言葉では言い表せない。あれは最悪だった、とベル・メリオは顔をしかめる。


「身をもって知っていますわ。死ねる方法を、色々試しましたから」


 マスィールとハスィーブは顔を見合わせる。彼女は立ち上がる気力がないようだった。

 ハスィーブは辺りに転がっている教国兵の死体に目を付ける。


「血なら、いくらでも飲めるよ。ほら、あそこに」

「聖職者の血を飲み干せば、人間に戻れる。なんていう馬鹿げた話を信じた時期もありましたわね」

「貴婦人?」


 思い出話を始めたベル・メリオに、グール達は不安を覚える。死を間近に控えた者がする行動に似ていた。


「マスィール、ハスィーブ、わたくしを食べてくださる?」


 初めて名前を呼ばれたことよりも、彼女の唐突な発言に驚いて、グール達は言葉を失くす。


「なっ……なにを、言って――」

「自分で死ぬことは出来ない。ヴァンパイアを殺せる者は“この世”にはいない。この世とはつまり、現世のこと。精霊は現世の者ではないのだから、わたくしに死をもたらすことも出来るのではなくて?」


 先程うっかり失言してしまったことを恥じるように、マスィールは口を閉ざす。ハスィーブはおろおろと兄の出方をうかがっていた。

 グール達の珍しい挙動に、ベル・メリオは目を細める。


「ヴァンパイアなんて、半分死人のようなものですわ。――だから、公爵さまを食べたその口で、わたくしを来世に導いて」

「……痛いところを、突いてきますね。貴婦人」


 ベル・メリオが初めて彼らと出会った時、彼らは公爵の死体を食べていた。自殺に失敗し、呆然と意識を取り戻して、最初に見た光景がそれだった。

 彼らにとっては普通の行動でも、彼女にとっては違う。グール達の初対面の印象は最悪なんてものではない。グールを魔族と断定するのに迷いはなかった。

 多くの公国の民が、亡国民として現世に残った時、一番に彼女の隣にいるべきだった人物がゴーストと化していなかった理由。これが、そうなのだ。公爵の魂は、グールに食べられたことで現世を去ってしまっていた。

 もし、公爵が現世に残っていたら、と考えることは多々あった。それが不健全なことだと分かっていても。グール達も、同じように考えてしまうことがあった。

 ベル・メリオの悲痛な姿を見てきたからこそ、マスィールは真摯に向き合うべきだと思った。


「生きたまま身体を喰われる覚悟はおありですか?」

「あなたの方こそ、生きた者を口にする覚悟はおあり?」


 死体しか食べたことのないその口で、とベル・メリオは挑発するように笑う。


「ぼくは……貴婦人がそれを望むなら、覚悟を決めるよ」


 ハスィーブが真面目に答えると、マスィールも頷いた。

 彼は目を閉じ、祈りを口にする。


「アナタ様の来世が、素晴らしいものでありますように」


 それを聞くと、ベル・メリオは穏やかな表情で笑んだ。

 その時、彼らがふと思い出したのは、英雄の死体を食べた時のことだった。彼の魂が最後に遺した、予言とも、頼みごととも取れる言葉が蘇ってきたのだ。

 いつか、こんな日が来る。と、英雄は断言した。そして、その時を迎えたらやってほしいことがあるのだ、と。

 今まさにこの瞬間が、その時であるようにグール達は感じていた。


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