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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第5章 世界は形成されていく】
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60.疑心は確信へ

 長きにわたった内戦が鎮まったフーフバラでは、ようやく手に入れた平和を満喫する暇もなく、軍人達が今日も忙しそうに駆けずり回っていた。

 教国の要請を蹴ったことにより、カリム聖教との関係は悪化。もともと良い印象は持たれていなかったが、今では完全に敵視されてしまった。教国側が他のことに手を焼き苛立っている時期でもあり、タイミングが悪かったと言える。

 もともと信仰心の薄い土地柄であったことから、軍人達はさほど気にしていない。実際に、教国に嫌われるようなこと――淫魔の保護をしているのだから、むしろ敵視されて構わないと思っている。

 淫魔の保護の件については、まだ教国側にバレていない。だが、それも時間の問題だ。フーフバラは来るべき戦いに向けて、対立していた二つの派閥が団結を固めている。

 亜人を魔族と呼び、弾圧する教国の姿勢。今まで何の疑問にも思わなかったそれが、一人の男の姿を見て一変した。

 教国に刃を向けるのは、彼がやろうとしたことではない。この国の人間を愛した彼は、その茨道を避けた。自分の身が破滅すると分かっていながら。

 結果として、彼が導こうとした反対側の道に来てしまったのは皮肉だが、悪いことだとは思っていない。それもこれも、人々に間違った認識を植えつけた教国が悪いのだ。

 目が腐っているのは、教国の方である。


 ヒルダが机に向かい、書類に目を通している時だった。バタバタという慌ただしい足音が、彼女のいる部屋に向かってきた。

 なにか至急の連絡でもあるのか、と思いヒルダは書類から顔を上げる。するとちょうど、翼派筆頭ブルーノが部屋に飛び込んできた。肩で息をする硬い表情のブルーノに、ヒルダは緊張した面持ちで姿勢を正す。

 対立のなくなった今、角派、翼派、といった名称に意味はないのだが、なんとなくそのまま残されている。


「花壇がまた荒らされた!」


 一言目。

 これは由々しき事態だ、とヒルダは眉をひそめる。


「花は全滅だ!」


 二言目。

 この男の頭の中身を、大至急で矯正しなければならない。ヒルダは青筋を立てて、書類に目を戻した。


「話はそれだけか?」

「ヒルダ殿から、彼女達に何か言ってやってくれ!」

「花ぐらい、また植えればいいだろうが。女々しい奴だ」

「あいつら、そのうち山の木を枯らすぞ!」


 一蹴されてなお、食い下がろうとしたブルーノに、ヒルダの堪忍袋の緒が切れる。


「そんなことを言う暇があったら、この山のような書類の処理を手伝え! お前、私がこういう仕事が苦手なのを知っているだろうが!」


 怒鳴るついでに、いつもの癖で拳が出た。だが、そこは相手も軍人。そうやすやすと食らってはくれない。ヒルダの拳を避けたブルーノは、対抗するための構えを取る。

 彼は彼で、彼女がこちらの要望を聞いてくれるまで、引く気がないようだった。

 大きな争いは終結したものの、小さな争いは絶えることを知らない。この屋敷が、武器類の持ち込みを禁止するのは、こういった理由があるからだ。




 屋敷の二階の騒ぎは、開け放たれた窓から下の庭園まで筒抜けだった。筆頭二人の怒鳴り声は、庭園にいるサキュバス四人の耳に内容までしっかり届いていた。


「せめて、窓閉めてよねっ」


 届かない声で、サフランが抗議する。

 ベラドンナは摘み取ったばかりの花に、口を近付けた。彼女が花にキスをすると、花はみるみるうちに萎びていく。まるで生気を吸い取られたかのように。

 最後にはすっかり干からびてしまい、彼女の手の中でカサカサと音を立てながら崩れてしまった。


「喧嘩の原因は、私達のようだな」


 水分のなくなった花の欠片を風に飛ばし、ベラドンナは複雑な表情で言う。

 ダチュラは下を向き、サフランは口をとがらせ、ナツメグはため息をついた。

 彼女達の身体は、人間と共に暮らすには不向きである。いや、どんな生き物であれ、生きている限りは彼女達と生活はできないだろう。サキュバスにとって、生気あるものはすべてご飯なのだから。


「仕方……ない」


 ダチュラの力のない声に、サフランとナツメグは同意するように頷く。

 まさか、花の代わりにブルーノを食べてしまうわけにもいかない。


「植物の生気でしのいではいるが、やはり燃費が悪いな。淫魔が、人の生気に固執してきた理由が分かる」


 同じ量の生気を吸い取ったとしても、植物と人とでは全然違う。少量で満足できる人の生気と違って、植物はこの庭園のすべての花を枯らしても満腹感を得られない。

 人の生気は、味が良く栄養価が高い。特に、情事の際の生気は極上だ。


「なにか他に良い方法はないものか……」


 歯がゆい思いで、ベラドンナは呟く。

 ヒルダは彼女達の葛藤を知っているため、庭園を台無しにされても彼女達を咎めることはない。ブルーノは手塩にかけて育ててきた花の無残な姿を見て、なにか言わずにはいられないのだろうが。


「自分の生気を受け取ってくれ、と私達に言いに来る男もいますが……」


 ナツメグは言いながら、首を横に振る。

 サキュバス達の悩みを知った男が、そう言って彼女達のもとに訪れることがよくあった。サキュバス達はそれを、生唾を呑みこみながら丁重にお断りしている。

 人間に受けた恩を、仇で返すわけにはいかない。


「あれって、本当に親身になってあたし達のことを考えた結果なのかな」


 サフランは生きた植物がなくなってしまった庭園に目を向ける。これを見ておきながら、自分を食べてくれ、と言える男が正気だとは思えなかった。


「自分の……欲望に、忠実なのか……」

「私達の魔性に惑わされているのか」


 自分の生気を代償にしてまで美貌のサキュバスと寝たい、という男の欲求なのか。本人の意思とは関係なく、文字通りサキュバスの魔性の虜になっているのか。

 彼女達には判断がつかない。


「こういう悩みは、ライラックがとうの昔に通った道なのだろうな」


 今になって彼の気持ちが分かる。と、ベラドンナは自嘲するように笑う。彼女はライラックのように恋をしているわけではないが。


「オリヴィアの持つ好感が、本物なのか、まやかしなのか、あいつは自信がなかったんだ。……あいつが死んでも目が醒めなかったということは、本物だったのだろうがな」


 インキュバスの恋は、夢ではなかったのだ。

 その時、一羽のカラスが枯れた花の中に舞い降りてきた。辺りをきょろきょろと見渡し、不思議そうに乾いた花弁をつつく。

 ナツメグはその様子を見て、そういえば、と思い出す。


「好感を持つ、といえば、人間が私達のことをなんの疑問もなく信用しているのも不思議でした。淫魔が幻覚を見せ、心を惑わすことは周知の事実ですのに。彼らが何を思って、私達に親しく接するのか。――最近、その謎が解けました」

「どんな……?」

「人間の街で、“乙女とインキュバスの物語”を語るカラスがいるのだとか」


 先ほど降り立ったカラスが、変な動き方をした。

 まるで人間がぎくり、と身体の動きを止めるかのような。片足を上げたまま、そのカラスはゆっくりとサキュバス達の方へ首を向けた。

 四人の疑いの目が、一羽のカラスに突き刺さる。

 彼女達の目が冷たく光ったのを見て、カラスは逃げ出そうとした。地面を蹴り、翼を羽ばたかせる。しかし、彼が空へ逃げ切るよりも早く、ベラドンナの手が動いた。

 ベラドンナは宙に舞ったばかりのカラスを、鷲掴みにする。

 首を掴まれ、カラスは否応なく大人しくなった。


「なーんか、このカラス。見覚えがないか?」


 ベラドンナは生け捕りにしたカラスを、妹分達によく見えるよう差し出す。

 三人は獲物の品定めをするように、カラスのことをじっくりと見た。口元が自然と歪む。だが、目は笑っていない。


「館のバルコニーで、見かけたことあるかもっ」


 やがて、サフランが元気よく答えた。


「か、カラスなんざ、どいつもこいつも真っ黒で見分けなんか、つかな――」


 ついカラスはくちばしを開いてしまう。

 すべてを言い終えないうちに、ベラドンナがさらに手に力を入れた。


「喋るカラスは珍しいようだな?」


 口角を上げ、ベラドンナがカラス自身に問いかける。

 カラスは唾を呑みこもうとしたが、彼女の手がそれを阻み、それすらかなわなかった。


「亜人混合軍にライラックの情報を売ったのは、お前だな?」

「そ、そうでやんす。あっしは情報屋なんで――ぐえっ」


 答えさせるために緩められた手が、再び締められる。


「今なら、私達四人のキスで済ませてやる」

「あっしのような小さな身で、サキュバス四人のキスなんか貰ったら、生気がからっからに干からびて死んでしまいやす!」


 情報屋のカラス――サジュエルは悲鳴を上げた。

 カラス一羽の生気を四人で分けたところで、たいした腹の足しにもならない。お仕置きはひとまず置いておいて、こちらの疑問に答えてもらうことにしよう、とベラドンナはサジュエルに顔を近付ける。

 彼女の唇がくちばしの先に、触れそうになる。

 失礼なカラスは、美女の顔を間近に見て顔を赤らめるどころか、青ざめたように思えた。彼の顔色は常に黒一色のため、これは例えだが。


「なんのために、そんな話をしているんだ。何が目的だ、何が狙いだ、誰に頼まれてそんなことをやっている?」


 死んだ仲間を侮辱するような真似は許さない。インキュバスの恋を、笑い話として提供する輩がいるのを、放ってはおけない。

 ベラドンナが相手を責めるような語調になっていたため、彼女が早合点をしていると気付いたナツメグは慌てて言う。


「人づてですが、私もその話を聞きました。内容は事実に沿っています。まるで本人に直接聞いたのではないか、と思うぐらいに。物語の性質としては、悲劇です。人間と亜人が対立しているが故に起こった、悲劇」


 ダチュラとサフランは顔を見合わせた。それがなぜ、先ほどナツメグの言っていた人間が淫魔を信用する理由になるのか、二人で考える。


「人間は、あたし達が人を愛する心を持っていると考えたってこと? ライさまのように?」

「ダチュラ達は……人間に気を使って、一時的に……ベジタリアンになってる」

「身を差し出そうとした男は、ことごとく追い払ってる。好色だと思い込んでいた淫魔が、そんなことをするから衝撃的だった? 誰とでも寝るわけじゃないんだ、っていう?」

「……お話のおかげで、淫魔の印象は……良くなった。さらに、ダチュラ達の態度が……淫魔の株を、急上昇させた……?」


 彼女達の推察に、ベラドンナはぽかんと口を開く。同時に手の力も抜けてしまう。

 サジュエルは彼女の手から逃れることができたが、その場から逃げ出そうとはしなかった。地面に降り立ち、乱れた羽をくちばしで整える。

 それからやっと、彼はベラドンナの問いに答えた。


「あっしは、ミァン嬢に頼まれたんで」

「ミァン?」


 予想していなかった名前に、ベラドンナが戸惑った声を上げる。

 サジュエルは頷く。


「目的や狙いは、そちらのお嬢さん方が言ったとおりですな。ミァン嬢はこの話が広まることで何がもたらされるのか、見越していたのでしょうな」


 ベラドンナは呆然としている。その様子を見て、サジュエルは付け加えた。


「あっしはプライバシーに配慮して、登場人物の名はいっさい出しておりやせん!」


 そんなことをしたところで、この国の人間ならすぐに気付くだろう。角派と翼派の対立がなくなった途端に、家出をした角派筆頭の娘。主をなくした館とサキュバス達。

 これだけ材料がそろっていれば充分だ。

 作り話ではなく、実話。そう判断するのには、充分過ぎる。


「そう、か。ライは、ミァンには真相を話したのだな」


 おそらく、自発的に。と、ベラドンナは考えた。

 ライラックは手荒なことをされて口を割るような男じゃない。淫魔らしく身体は貧弱だったが、心の芯は人一倍強かった。

 片翼を切り落とされてなお、武器を手に取ったのが何よりの証拠だ。普通の淫魔だったら、怪我を負ったところで気絶しているだろう。痛みに慣れていない淫魔は、その時点で気力を削がれる。


「ミァン嬢を恨むことだけは、やめてほしいものですな。憎まれるべきは、このあっし一羽で充分! せめてもの罪滅ぼしに、と話を広めてきやしたが、納得できないなら煮るなり焼くなり好きに……!」


 サジュエルの必死の懇願に、サキュバス達は不思議そうな顔をする。その反応が予想外だったらしく、サジュエルも彼女達と同じように首を傾げてしまった。


「煮ても、焼いても、私達は食べることができないな」

「あっしの身を捧げやす!」

「なぜ、許しを請う? そもそも、私達はミァンを恨んでなどいない。こそこそと嗅ぎまわっていたカラスは不躾だと思うがな、それだけだ」


 ライラックは失敗した。だから、死んだ。他人を恨む筋合いはない。薄情だと思われるかもしれないが、これが淫魔の一般的な考え方なのだ。

 それに、とベラドンナは付け加える。


「あいつはもともと、死ぬ覚悟をしていた。どんな結果になろうと長生きはできないだろう、と。その時期が来るのが、少し早まっただけだ」


 ベラドンナは肩をすくめた。そばにいる三人も、異論を唱えるようなことはしない。

 サジュエルが何か言おうとした時、庭園に軍人が一人、駆けこんできた。彼はサキュバス達の姿を見つけると、息を切らしながら尋ねる。


「筆頭はどこに?」


 それが角派の筆頭ヒルダを指しているのか、翼派の筆頭ブルーノを指しているのか、あるいは両者を指しているのかは分からないが、どれであっても答えは同じだ。

 サキュバス達は頭上の、開け放たれた窓を指差した。

 いまだに喧嘩が続いているらしい。激しい物音がする。

 男は何が起こっているのか、すぐに感づいた。それぐらい、日常的な光景だった。

 部屋に飛び込んで巻き込まれてはかなわない、と彼はその場から大事な報告をすることにする。二階の部屋に届くよう、大声を上げる。屋敷中の人間に聞こえるぐらいの声で。


「トムセロが、教国と決別しました! エグリージュ神聖王国と離反し、独立を宣言したようです!」


 騒ぎがぴたりと止んだ。

 数秒もしないうちに、ヒルダとブルーノが窓から顔を出した。男は二人を見上げながら、報告を続ける。


「理由は“街にいる魔族を殲滅せよ”という命令には従えないから、だそうです!」


 彼が口を閉ざすと、辺りはしんと静まり返った。

 サキュバス達とサジュエルは、目を丸めて互いに顔を見合わせている。ヒルダが歓声を上げた時、彼女達はようやく事態を呑みこめてきた。


「あの賢い街が! 我々と同じことをしている! 教国の狼狽が目に浮かぶわ!」


 笑い出したヒルダとは対照的に、ブルーノは難しそうな顔をする。

 彼の疑問に答えるように、男は再び口を開いた。


「教国はトムセロを異端と認定。軍を編成し、“討伐”に向かわせるようです」

「討伐? う、ふ、うふふ。では、我々はあの街に助太刀をしよう。異論はないな? 翼派筆頭殿?」


 おかしな笑いを出しながら、ヒルダはブルーノに問いかける。


「無論だ。“魔族”の真相を踏みつぶそうとする輩など、こちらが逆に踏みつぶしてやろう」

「頼もしいことだ」


 いつになく好戦的なブルーノに、ヒルダは満足そうに頷いた。

 ついにフーフバラは教国に刃を向けるため、本格的に動き出す。軍人達が血気盛んになっているそばで、サキュバス達は思慮深げに目を細めていた。

 人間達の中で、教国の行いに疑問に持つ者が増えてきている。魔族ではなく亜人、と捉える者が現れつつある。


「このカラスがやった行為は、少なからず人間に影響を及ぼした。人間の私達を見る目が、変わった」

「……何ですかな? 突然」

「印象を操作できる、ってことさ。私達が魔族ではない、という“事実”を認識させた」


 ベラドンナの目が輝く。これは、淫魔の得意分野ではないか。


「戦いは軍人にまかせて、私達は私達に出来ることをやってやろうじゃないか」


 ベラドンナの顔に笑みが浮かんだのを見て、サジュエルは慌てる。


「人々を扇動しようというのですかな?」

「扇動とは人聞きの悪い。いいか、これは教国の本性を晒し、“魔族”の本当の姿を見せる行為だ。事実を知らしめて何が悪い」


 サジュエルはくちばしを閉ざす。

 淫魔は、その者に元からない感情を煽ることはできない。火種があるからこそ、燃やすことができる。ちょっとした疑心を、確信に変えさせるだけの力を、彼女達は持っている。


「先人に……ならって」

「淫魔の力を今こそ発揮、って感じ?」

「歴史上に悪名高い淫魔は数多くいれど、この力を革命に使おうとした者はいないでしょう。争いを激化させるためではなく、平和な世の礎を作るため。そんな風に使われるのは初めてではないでしょうか」


 トムセロが亜人を匿った時点で、人々には疑心が芽生えた。なぜ、そんなことをするのだろう、という疑問。そして、その答えを見つけるべく勝手に憶測を立てたはずだ。一度でも教国を疑うような考え方をしていれば、淫魔の力添えで、それは確信へと変わるだろう。

 ベラドンナは翼を広げた。


「幸い、私達には翼がある。大陸のどこへだって行ける」


 ミァンはあの時、サキュバス達を見逃した。ライラックが彼女達を庇っているのを知っていながら、彼の言葉を“信じた”。

 恩返しという考え方は分からない。だが、せっかく生かされた命なのだから、世のため人のために使ってみるのも良い、とベラドンナは思う。

 歴代の淫魔には、笑われてしまいそうだが。


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