56.義翼の天使
ロジリア亡国を経由して、亜人混合軍はトムセロ自治都市がすぐそこに見えるような場所で、その時が来るのを待ちわびていた。この大群を隠せるほどのものは、そばにない。にも関わらず、彼らがだだっ広い荒野に姿をさらす理由。
これは、自信と決意の表明なのだ。
もう身を隠す必要はない。今までのようにコソコソと生きることは止める、という宣言。
たとえ矢の雨が降り注いだとしても、彼らの中にはそれを吹き飛ばせるだけの力を持つ風魔法の使い手がいる。遠距離からの攻撃は、無効化できる。魔法であってもそれは変わらない。この場所には、魔法による防御壁や反射壁が張られている。これは、自治都市が防護に使っているものと同じだ。
軍を任された族長たちは、それぞれの思いで街の方を見つめている。この場にリッカはいない。現場の指揮は戦い慣れた者がやった方が良いだろう、という判断らしい。
ミァンはメェメェの背に乗り、彼の角を握り締めている。街の人間を信じた彼女の判断が、合っていたのか、間違っていたのか。できることなら、街を襲撃する前に知りたかった。
自治都市側がなんらかの意思表示をしてくれることを望んで、ミァンは祈るような気持ちで街を睨む。
ちょうどその時、街から亜人混合軍に向かって、一本の矢が飛んできた。
「攻撃かっ!」
ループはそれを見るなり、吠えた。
エルフの族長率いる魔法部隊が、さっそく風魔法を唱えようと口を開きかける。それを遮るように、ミァンは叫ぶ。
「待って! なにか結び付けられてる!」
その矢に続いて、大量の矢が飛んでくる、という気配もない。警戒しつつも、ひとまず魔法を唱えることを止めるエルフ達。
矢はすぐそばの地面に突き刺さった。それを拾うため、ミァンはメェメェの背から飛び降り、一人で駆け出す。メェメェは小声で悪態をついて、彼女の後を追う。こんな時でも、彼女は勝手に飛び出していってしまう。
矢には手紙が結び付けられていた。矢文だったのだ。
期待を込めて、ミァンは手紙を広げる。慌ただしく綴られたような、インクがにじんで歪になった文字。そのせいで若干読みにくい文章を、ミァンは左右に目を走らせて読んでいく。
メェメェが横から覗きこもうとした時、彼女は歓喜の叫び声を上げて、彼の首に抱きついた。手紙は大事そうに持ったままだ。その反応だけで、メェメェはその手紙の内容を知ることができた。
立ちつくしたままの族長たちに、ミァンは大声で知らせる。
「生きてる! 地下にいた亜人たちは、街の人間がちゃんと助けてくれた! 無事なんだって!」
その言葉を聞いて、ようやく彼らは動いた。
自分たちの目で手紙の内容をあらためるため、走り寄ってくる。ミァンの手から、なかば奪い取るような形で、ループは手紙を手にする。彼の鋭い爪が、手紙を破きそうになった。
「僕が読む。貸せ」
ループの乱暴な扱いに眉をひそめ、カイトは横から手紙を抜きとる。カイトは文句を言われないうちに、さっと目を通し、それをギョロメに渡した。
そうやって順に読まれていったのだが、彼らはミァンとは違って手放しで喜べないようだった。
彼らの顔に浮かぶのは、ただ一つ。疑心だ。
「街の中には亜人がいる。だから、攻撃はするな。そういう要求だな。これは」
「要求もなにも、だったら攻撃する必要はないじゃない」
カイトはミァンの純粋さが羨ましい、と鼻で笑う。
「ここに書かれていることが事実なら、という前提がいる」
「いや、しかし、教国と決別する、などと軽々しく書けるものかな。人間が」
「攻撃しないことを表明するなら、跳ね橋を下げ、門を開ける。そして、亜人と手を取り合うことを望む、か」
「さすがに話がうますぎるように思えるな」
族長たちは怪しむ気持ちの方が大きいらしい。これで本当に、交戦しないままトムセロ自治都市を手に入れることが出来たのなら、肩すかしを食らったような気分になるだろう。
トムセロ自治都市は交流の多い街だった。亜人をかくまっている、というのが事実なら、その噂はあっという間に大陸中に広まったはずだ。それこそ、教国の人間の耳にも届くほど。
交流の街が、なぜ門を閉ざしていたのか。ミァンはその理由を考え、正解を導きだす。
トムセロ自治都市が警戒していたのは、亜人混合軍の襲撃ではない。教国による弾圧だ。
「亜人と提携しないと、トムセロ自治都市は完全に孤立してしまうから、だと思うよ」
相手が無条件に味方をするように見えるから、不信感を抱くのだ。ならばいっそ、相手の打算的な考えを知らしめた方がいい。
ミァンはそう思って、推測を口にする。
「亜人をかくまったことで、トムセロ自治都市は教国により異端――つまり人間の敵、と見なされた。だから、亜人まで敵に回す余裕はないんだよ。むしろ、打倒教国のために亜人は手を組んだ方がいい相手、ってわけ。だって、教国がある限り、この街の異端認定は取り消されないんだから」
族長たちは目を丸めている。そんな中で、カイトだけが目を細めてミァンを見ていた。
ミァンもちらりとカイトを見返す。
「……地下にいた亜人が無事だ、っていう前提つきだけど」
ミァンは不満そうに付けくわえた。
「同胞が無事だ、という確証さえ得られれば。私はなんら、異議を唱えるつもりはない」
ダミアンはミァンに対して、優しく言う。
ギョロメも同じく、と頷いた。ループは納得できないような表情をしている。もしかしたら、ミァンの話が理解できなかったのかもしれない。カイトはどちらでもいい、とばかりに息を吐き出す。
そこに、一頭のグリフォンが口を挟んだ。トムセロ自治都市に宣戦布告を届けにいったグリフォンだ。
「街には、亜人の姿がありましたよ」
まるでさっき思い出したかのように、のんびりと言う。
「仲良さそうに人間とお喋りしてました」
族長たちは唖然とする。中でも、そのグリフォンを信じられない、という目で見ていたのはグリフォン達の長、ヤシュパルだ。
「なぜもっと早く言わなかった?」
「えー? 重要なことでした?」
「この鳥頭め。はあ、話に聞いていたように上手くはいかないなあ。……今の自分達は全然、格好良くないであります!」
ヤシュパルは身内の頭の悪さを嘆く。説教は後回しにし、彼は族長たちに頭を下げる。
「申し訳ありません。今度は、自分がこちらの決定を伝えに行くであります」
そう言った後、ヤシュパルは族長たちに問いかけるような目を向けた。
ループはグリフォンの言葉を聞いてから、ずっと呆然としている。
「街に入るのか? 人間の街に?」
彼はそのことに衝撃を受けていた。戦闘が始まる、と奮い立っていた心が急にしぼんだようだった。蹂躙するためではなく、相手に招かれて街に入る方が、よっぽど怖気づくらしい。
ギョロメは冷静に言う。
「まあ、街に亜人がいる以上は手出しできんし、な」
「様子見のため、最初は私達だけで街に入りましょう」
ダミアンがそう提案すると、ループは目を剥いた。
「こ、こんな少人数で!? もし、街の中で襲われたら、どうするのだ!」
「獣人の猛者が弱気なことを言う。襲われたら返り討ち、それ以外の答えがあるのか?」
カイトは呆れている。普段は偉そうにふんぞり返っているループが尻尾を丸めている様が、情けなかった。
「でも、戦闘が起こらないことを願う。面倒くさいからな」
それはカイトの本音なのだろう。ダミアンは苦笑し、ミァンに対して言う。
「ミァン殿も一緒に、来てほしい」
元よりそのつもりだった、とミァンとメェメェは同時に頷いた。
*****
街の中に入った族長たちは、わずかに緊張を見せる。ループは街に入る前から、耳を伏せていたが。
彼らは人間そのものよりも、人間が作った文明に度肝を抜かれていた。
トムセロ自治都市は大陸の中でも、最先端の街。いわば、都会だ。
初めて足を踏み入れた人間の街がこんな場所では、亜人の長とはいえ、さすがに怯む。彼らは今まで、人里離れた場所――それも、人間が立ち入れないような場所に暮らしていたのだ。
かつて築き上げた文明を、人間に壊された文明を、作り直せるような環境にはいなかった。
そして、この街は亜人の全盛期の文明を、はるかに凌駕している。
「二百年あれば、これだけ発展するものなのか……」
ダミアンがぽつりと呟いたため、カイトは彼を小突いた。
「弱気なところを見せるな。僕まで田舎者だと思われるのは、嫌だ」
「……私達と同じところで暮らしていたではないか。貴殿も」
「所詮は地に足がついた種の文明。こんな泥臭いところ……僕は勘弁願う」
ここまでの会話はすべて小声で行われている。彼らを出迎えたこの街の市長の背が、すぐ目の前にあるからだ。護衛のためか、かたわらには二人の傭兵の姿があった。
まずは同族の無事な姿を見せて安心――そして信用させよう、とウィズドムは亜人の長たちを案内している。向かう先は街の中心、噴水のある広場だ。
亜人の姿に見慣れていた市長と傭兵達は、族長たちの姿を見ても驚かなかった。だが、やはり地下に囚われていた亜人達とは、まるで雰囲気が違う。彼らが作り出す研ぎ澄まされた空気は、肌を刺すほど痛く感じた。
ウィズドムと傭兵達はむしろ、彼らの中に人間の少女が混じっていたことに驚いている。傭兵達はミァンに見覚えがあったが、この場では深く突っ込まなかった。ウィズドムも、今までに起こったことに比べれば些細なことだ、と平静を装った。
広場には、たくさんの人が集まっていた。人間と亜人が入り混じっている。
中でも一際目を引いたのは、噴水に浸かるマーメイドだ。
「ようこそ。亜人の長たちよ」
まるで自分がこの街の代表であるかのような喋り方をする彼女。
当然、ミァンは見覚えがあった。
「キュミア!」
「お、おお、ミァンではないか。テュエラは病気なく過ごしているか? ご飯はちゃんと食べられているか? あの子をいじめるような奴はいないだろうな? いたら、ここに連れてきたまえ。ワタシが尾びれでビンタしてやる」
再会するなり、テュエラのことばかり聞いてくるキュミア。ミァンは最後のくだりを聞きながら、カイトを盗み見た。彼の顔色は変わっていない。
キュミアは周りから咎めるような視線を向けられて、咳払いをした。
「うむ、このことについては後でゆっくりと話そう。――では、仕切り直して」
キュミアは族長たちを見据えた。
「この光景のご感想は?」
彼女は街の人間と亜人たちが隣り合って並ぶ様子を言ったのだろうが、ダミアンはキュミアに関することを述べる。
「マーメイドがなぜ、こんな大陸のど真ん中に?」
「悪い人間に捕まってしまってな。この子達と同じく、地下にいたのさ。だが、ここにいる人間達に助けられた。……そこにはミァンも含まれる」
ギョロメはその目を動かして、近くの者を窺い見る。街の亜人たちは恐る恐る、といった様子で彼らを見ている。隣に立つ人間には、なんの恐れも向けないで。
「この街で争いを起こしてみろ、この子達はこの街の人間に味方するぞ。キミ達ではなく。貧弱なこの子達が、外の屈強な亜人に勝てるわけがないがな、それでもだ。同族の血を流すのは、キミ達だって本意ではないだろう。ここは一つ、友好的にいこうではないか」
要は、街の亜人達を盾にとっているのだが。キュミアの言葉に嘘はなかった。それは、街の亜人達の目を見れば分かる。
薄暗い広場の中で、ループは目を爛々と光らせた。彼の目は、ギョロメが見ていなかった細かい点に向けられていた。そして、それは彼の疑心を倍増させるには充分過ぎるものだった。
ループの口から、怒りを含んだ低音が放たれる。
「脅して従わせているのだろうが……」
「なに?」
「同胞の身体を痛めつけているとは、許せん! 喰い殺してやる!」
制止も聞かず、ループは飛び出す。狙っているのは、ウィズドムの頭だった。傭兵達は苦渋の表情で剣を抜く。
ループが鉤爪の生えた手を振り上げた時、傭兵達の脇を何かがすり抜けていった。
「だ、だめ! あのマーメイドさんが言っていることは、ほんとうなんだから!」
ループと傭兵の間に立ちふさがったのは、狐獣人の女の子だった。両手を広げ、後ろにいる人間達を庇うような姿勢でいる。
ループは手を振り上げたままの状態で、立ち止まった。同年代の子と比べても痩せており、小柄な女の子。彼女は震えていた。恐怖を浮かべた目は、人間ではなく、ループに向けられている。
ループはその女の子の腕にも、他の亜人達と同じく、傷があることを確認した。ループが見ているものに気付き、女の子は言葉をつっかえさせながら説明する。
「こ、このっ、きき傷は、地下にいた時に……っ!」
必死に首を横に振り、なんとか伝えようとする女の子。
「この人たちが、や、やったわけじゃ、ない、から」
しまいには目に涙が浮かんでしまう。それもそのはず。ループはウィズドムに向けた恐ろしい目つきを、そのまま女の子に向けていた。
嗚咽のせいでますます聞き取り辛くなった女の子の言葉に代わって、キュミアが言う。
「これでも、手当てされて、だいぶ良くなってきた方なのだよ。同族の可愛い女の子の言葉ぐらい、信じてやりたまえ。大地の者よ」
ループは手を下ろす。
すると、狐獣人の女の子は力が抜けたようにへなへなと倒れ込んだ。それを、傭兵の一人――レモンハートが支える。彼女は彼に抱きつき、泣きじゃくった。
「こ、こわかったあ……」
「おれも怖かった」
レモンハートの間の抜けた返事に、女の子はくすりと笑う。
その光景を見て、魂が抜けたようになっているループの肩に、ダミアンの手が置かれる。ダミアンは微笑ましそうに目を細めていた。
「これ以上、何を疑う必要がある。我々を納得させるには、充分な光景だと思うがね、私は」
「まったくもって」
ギョロメもまた、呆けたような顔でそう言った。
街の人間と亜人に、安堵の表情が生まれた。内心で一番ほっとしているのはウィズドムだろう。自身の命まで狙われかけて、彼はまた髪の毛が数本抜けてしまったかもしれない。
市長の隣にいたラムは、こそりと話しかける。
「あんたの狙い通りじゃねえか。街の亜人は俺達を庇った」
「当たり前だ。何のために言葉を覚えさせたと思っている」
ウィズドムはそう言いながら、背を向けた。ラムは呆れて、首を振る。
「素直じゃねえオッサンだな」
ウィズドムはふん、と鼻を鳴らしただけだった。
ラムは、一つ気になることがある、とまた彼に話しかける。
「あんたは妙に自信があるように見えたんだが。上手く事が運ぶ確信でもあったのかい?」
「……自信はなかった。だが、死人が出ない確信だけはあった。だから、戦闘も起きないのではないかと思っていた」
ラムはどういう意味だ、と聞く。
「バンシーの泣き声を、聞かなかったからな」
「……! ああ、そういや、仕事前には必ず聞く馴染みの声が、今回はなかったな」
人が死ぬ場所で泣き叫ぶ精霊、バンシー。その存在が、彼の無謀ともいえる決断の、後押しをしたのだった。
族長たちがひとまず、外にいる仲間にこのことを伝えるため、広場を去っていく中。カイトとミァン、メェメェだけがその場に残った。ミァン達はキュミアと話をするためだ。
カイトは広場に来てから、一言も喋っていなかった。群衆の中にいた一人の男を、最初から最後までずっと見つめていた。ループが騒ぎを起こした時も、変わらず。
他の族長がその場からいなくなった後で、カイトは気にしていた男に近付いた。
「おい、貴様。有翼人だな」
男は驚いたように、カイトを見る。
男の背に、翼はなかった。
「俺が有翼人に見えるんですか?」
「とぼけるな。僕は有翼人の族長だ。同胞に気付かないわけがない。ましてや、間違えることなど、あり得ない」
男は何を言っているか分からない、という演技を止め、皮肉そうに口角を上げる。
「でも、翼がなければ“有翼”人なんて名乗れないじゃないですか。今の俺は、人間とどう違うって言うんです? 翼がない有翼人なんて、ただの人間ですよ」
カイトはぴくりと眉を動かす。自虐的な男の言い分が気に食わなかったらしい。励ますつもりで、カイトは言う。
「僕は、翼がなかろうと貴様を仲間だと認める」
「ああ、違うんですよ。俺が言ってほしいのは、そんな言葉じゃない」
だが、男は首を横に振った。有翼人特有の意識が懐かしいのか、笑みを浮かべている。
「有翼人も人間も違いはない、って言ってほしかったな。いい加減、有翼人が他の種よりも勝っているっていう考え方、やめましょうよ。過去の栄光にすがりついているみたいで、格好悪いです」
カイトは衝撃を受けたような顔になる。まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったようだ。
この男は、翼を失ったことで何かが吹っ切れたのかもしれない。どこか悟ったような表情をしている。
本人が現状に満足しているのだから、これでいいのか、とカイトは混乱した頭で考える。
「翼を失った理由を、聞いてもいいか」
「人間に切断されました」
やっぱりだめだ、とカイトは考え直した。腰の剣に手を伸ばし、先ほどループに助太刀しなかったことを悔やむ。
「言葉が足りなかったですね、落ち着いてください」
男はカイトをなだめる。
「分かっていると思いますけど、俺は地下生まれではありません。ある時、亜人狩りの人間に見つかってしまって」
その人間達は、この街の地下で亜人を売りさばく売人だった。男が抵抗したために、売人達は自分達にとっては大事な商品であるはずの彼を、手ひどく傷つけた。特に、翼を。飛んで逃げられては困る、と思ったのだろう。
「有翼人として売ろうとしているのに、翼を駄目にするってあいつら馬鹿ですよね。あいつらも困っていたところに、ある人間が通りかかったんです」
その人間は売人達と同じく、地下に通じている者だった。だが、職業はまるで違う。
「ヤブ……じゃなかった、闇医者ですよ。彼女は、亜人の治療をしたために異端の認定を受けた、というこれまた馬鹿な人間なんです」
地下を本来の目的で使い続けてきた者の一人。人間とは身体の構造が違う亜人を治療することに興味を持った、奇特な人間。
彼女は、売人達から彼を買い取った。売人達は売った商品がどんな使われ方をしようと気にしない。それこそ、治療されようが、はたまた解剖されようが。
「彼女は俺を治療しようとした。けど、思っていた以上に酷い怪我だったようで。最終的に切断するしかなかったんです」
「原因はやっぱり人間じゃないか」
「でも、俺を助けようとしたのも人間。俺はいつでも地下から出られる状態にいた。それをしなかったのは、今の医療技術は有翼人よりも人間の方が上だと思ったからです」
カイトは悔しそうにしたが、否定はしなかった。
「彼女は今も、俺の主治医気取りですよ。同棲しているんです」
それを聞いて、カイトも察したらしい。諦めの境地に至り、苦笑する。
だが、やはり心配なのだろう。カイトは男の背に目を向ける。そこには、あるはずのものがない。
「元からないのと、あったものがなくなるのとでは、わけが違う。体調はどうなんだ」
「翼がないと、身体が軽いですよ」
軽口を叩いて、男は誤魔化そうとした。カイトはそれを見逃さない。
「急激な身体の変化が、まったく影響を及ぼさないとでも?」
カイトに睨まれると、男は目をそらした。
「天使さん方、わしにまかせてみなさい」
男が目をそらした、ちょうどその方向に、初老の男が立っていた。職人っぽい格好をした、白髭を生やした人間だ。白いはずの髭は、汚れて灰色っぽくなっていたが。
天使、と呼ばれて二人は顔を見合わせる。彼らにとってその呼び名は、敬称のようなものなのだ。
「わしが『義翼』を作ってやろう」
「『義翼』……?」
「そう、わしは義肢職人なのじゃ。それも、わしが作るのはただの義肢ではない。魔導義肢じゃ」
自信ありげにその男性は胸を張る。
その様子に驚いて、カイトは聞いた。
「『義翼』なんて、作ったことがあるのか?」
「いや、ない。初めての試みじゃ。胸が躍るのお」
それを聞いて心配になったものの、判断は本人にまかせる、とカイトは隣に立つ有翼人の男を見た。彼はなぜか笑っていた。彼はその笑みを、カイトに向ける。
「ほら、良い人間もいっぱいいるもんでしょ」
カイトは負けを認め、釣られて笑った。そして、義肢職人を名乗る男に向き直る。
「ぜひ、お願いしたい」
人に頭を下げることなど、生まれて初めてだったかもしれない。だが、想像していたような屈辱は感じなかった。見下していた人間が相手なのに、だ。
カイトに頭を下げて頼まれた義肢職人は、やはり笑って引き受けるのだった。




