53.空を駆ける獣
ヨルムグル古城の前に人だかりができている。その中心には、リッカがいた。リッカは城の扉に背をつけて、押し寄せる人の対応をしており、傍から見ると彼女が追い詰められているようにも見える。
ミァンがヨルムグル城下町に帰ってきてから、連日、続く光景だった。
亡国に転移陣が描かれた。だから、トムセロ自治都市にはすぐにでも攻め入るのだろう。そんな亜人達の期待を、リッカが裏切ったからだ。彼女は、首を縦に振らなかった。
ミァンが報告した異端審問官と死霊術師のことを気にかけ、リッカは亡国に偵察隊を向かわせた。出来立てほやほやの転移陣を使って、だ。無事に帰ってきた偵察隊は、すでに彼らが亡国を去っていることを報告。そして、転移陣のことが人間に知られた様子もない、と彼女に告げた。
亡国の領主ベル・メリオも宣言通り、亜人達には干渉してこない。彼女は亡国内を歩く亜人を見つけても、声をかけるような真似はせず、目を合わせもしない。亜人達を、いないもの、として扱っていた。
だが、それは亜人達が無害でいる間だけだ。偵察隊の中に、亡国の民家内を漁ろうとした不届き者がいたらしい。それを見つけるなり、ベル・メリオはその者を打ちのめした、という。打ちのめされた当の本人が、目に恐怖を浮かべてそれを語ったものだから、亜人達は震撼した。それがそれなりに腕の立つ者であっただけに、余計に。
亡国と亜人混合軍の間で取り決められたことは、ただ一つ。
亡国の地を荒らさない限り、亡国民は亜人達に干渉しない。というものだった。
リッカが不安を感じる要素は、すでに亡国にはない。はずだ。それなのに、彼女はまだ軍を動かす気がない。もどかしさを感じた亜人達が、彼女に訴えかけるため、こうやって古城まで訪れているのだ。
「ミァンが見たという人間は、亡国を去っている。ワシらがそのことを調べたはずだ」
偵察隊を率いていたリザードマン達の長、ギョロメが声を上げる。
ここに集まっている者は血が見たくて、早く開戦しろ、と迫っているわけではない。中には、そういう者もいるかもしれないが。ほとんどの者は、トムセロ自治都市の地下に囚われていたという、同族の身を案じているのだ。
ミァンがトムセロ自治都市の地下を暴いてから、もう大分経っている。生存は絶望的だ、と彼らは考えていた。だが、それならそれで、やらなければならないことがある。
「なにを躊躇しているのだ! まさか、オマエ、人間側に寝返ったわけでは――」
「短絡的な思考をどうにかせい、ループ。そんなわけ、あるわけなかろう」
リッカはループを睨む。ループは怯み、耳を伏せる。
このところ、彼女は常にピリピリしている。ミァンが出会った頃のような、ぼけっとした雰囲気は一切、ない。ミァンはメェメェに背中を預け、その様子を見ていた。リッカの考えが分からない、という点ではミァンも亜人達と同感だ。
「何度も言っているはずなのに、そちらの耳には入っていないらしいのう。よいか、準備が万全では――」
「準備とはなんなのだ」
「ええい、口をはさむでない。思ったより時間がかかっているのは確かじゃが、必ずトムセロ自治都市へは出向く」
リッカがそう答えた時、人だかりをかき分けて、彼女のもとに辿り着いた者がいた。
「準備は、これで整ったはずだ。文句はないだろう」
有翼人の男だ。彼は息を切らしながら、リッカのみならず、周りにいる者たち全員に、ぐるりと睨みを利かせた。猛禽類を思わせる鋭い目つきに、皆の身がすくむ。背中から生えるこげ茶の翼には、抜けかかった羽根が浮いていた。
男の顔に見覚えがあったミァンは、目を細めて、記憶を探る。それに気付いたメェメェが親切に教えてくれた。
「有翼人の族長、カイトだ。ここ最近、見かけないと思っていたが、リッカに何か頼まれていたのか」
身なりから察するに、カイトは随分と急いで帰ってきたらしい。彼は毒づきながら、抜けかかった羽根を自分の手で引き抜いていた。周りに羽毛がふわふわと漂う。
すると、カイトがかき分けて作った道を、堂々と歩いてくる者がいた。
その姿を見て、集まっていた者たちは息を飲む。その者はリッカの前に立つと、礼儀正しく頭を下げる。
「こいつら、空を飛びまわってるから、見つけ出すのに苦労したんだからな。誰か、僕をねぎらえ」
カイトが連れ帰ってきたのは、賢獣グリフォンだった。
鷲の頭と、鉤爪の生えた鳥の前足、背中から生える大きな翼。腹の辺りから、羽毛が毛皮へと移り変わっており、後ろ足と尻尾はライオンのようだ。頭は鷲だったが、ミミズクのように耳が立っている。
挨拶のお辞儀を終えると、グリフォンは頭を上げる。
その立ち姿に、皆が惚れ惚れとした。
「よくやったの、カイト」
リッカのねぎらいの言葉では不満だったようだ。カイトの眉間にしわが寄る。
「我が戦友の危機と聞き、一族郎党を引き連れて、馳せ参じた次第であります。自分は家長のヤシュパルであります」
ヤシュパルはちらりと後ろを振り返る。
彼の視線の先、少し離れたところで、九頭のグリフォンが立ち並んでいた。皆、姿勢が良い。
「戦友?」
「貴様のことだ、ループ。はっきり言って、貴様らのためにグリフォンを探し出した、といっても過言ではない。感謝しろ」
ループは不可解な表情をする。
ヤシュパルは首を振り、ループの前に立つ。くちばしの先が、ループの鼻面につきそうなほど近い。
「そのような顔をなさるのも無理はありません。確かに、自分と貴公は初対面であります。ですが、自分は祖父より、獣人とグリフォンの繋がりは深い、と聞き及んでおりますゆえ」
一言発するたびに、ヤシュパルのくちばしがカチカチと鳴る。
鼻先をついばまれそうになり、ループは身を引く。だが、ヤシュパルの言葉で思い出すことがあったようだ。
「二百年前、獣人はグリフォンを乗りこなしていた、と聞いたことがあるのだ」
「乗りこなす。ふむ?」
ヤシュパルは首を傾げる。
「不適切であります。確かに、グリフォンは獣人を背に乗せた。ですが、我らの関係は対等でありました。心を共にし、戦場を駆けたのであります。我らをそこらの獣のように――ましてや、馬のように言うのは、やめていただきたい」
「に、二百年も前のことなのだ。事実とは少し違って伝わっていることもある」
ループは焦って、言い訳がましくなる。
「だいたい、二百年前のことをオマエの祖父が知っているのか?」
「賢獣は長生きであります。自分の祖父は、実際に戦場を駆けた戦士でありました」
「獣人だったら、数代も前の話なのだ」
ヤシュパルは少しがっかりしたようだ。
だが、すぐに気持ちを持ちなおす。
「確かに、昔の縁に頼っていては駄目であります。これから、新しく絆を築き上げていきたい所存であります」
ヤシュパルはそう言って、片方の前足を上げた。まるで、お手をするかのような姿勢だった。ループは彼が求めているものに気付き、自分の手を差し出す。少し毛深い手が、大きな鳥の足に掴まれる。握手だ。
それで満足したらしく、ヤシュパルはループ以外の者にも目を向けた。
人だかりの中に、ヤシュパルが一目見ただけで瞳孔を開く相手がいた。ケンタウロス族長、ダミアンだ。ダミアンは見られていることに気付き、彼に挨拶しようと近付いた。
ヤシュパルは目を細める。
「二百年前は敵対関係にあった獣人とケンタウロス。今は、志を同じにする仲間、というわけでありますか」
ダミアンが何か言おうとしたところで、カイトが声を上げた。
「あ、ちなみに馬は嫌いだそうだ。気をつけろ」
少し遅い忠告は、結果としてダミアンの身を守った。ヤシュパルが振り上げた鉤爪が、ダミアンの身体をかする。ダミアンはすんでのところで後ろ足で立ち上がり、彼の攻撃を避けたのだ。
鉤爪が宙を切り裂く。
「ああ、申し訳ありません! これ、は、もう、脊髄反射のようなものでして。馬を見るとたまらなく――」
ヤシュパルは悩ましげにため息をつく。
「親睦を深めたいのは山々でありますが、自分の血には逆らえません。ああ、もう。クソっ、馬め。気安く近付くな。――ですから、下半身を別のものに取り換えられたら、また、話しかけてください」
それはつまり、話しかけるな、という意味だろうか。
ダミアンはゆっくりと前足を地面につける。彼の言う通りにするほか、なさそうだった。
グリフォンの来訪から数日経ち、ヨルムグル城下町は慌ただしい賑わいに包まれていた。リッカがトムセロ自治都市に攻め入ることを、正式に表明したのだ。訓練に明け暮れる者、武器の手入れに余念がない者、いつも見る光景でも、どこか熱気にあふれている。
ミァンとメェメェは、というと。特にやることもなく、暇そうにしていた。
彼らは、馴染みとなったエルの店に通うぐらいしか、やることがない。今日も朝早くから、彼女のもとに向かっている。これでは、ディーレのことをとやかく言えない。
ヨルムグル城下町にいる間、メェメェはミァンから贈られた角飾りをつけている。せっかくの装飾品を身につけないのは、もったいないからだ。ここでなら、石を割るようなことは起こらないだろう、という判断もあった。
だが、襲来者は突然やってきた。
「見つけたであります! 二本角の馬!」
黄金色の巨体が、空から降り立った。ヤシュパルだ。
その姿を見て、ミァンとメェメェの身体に緊張が走る。彼らは、グリフォンが馬嫌いである、という一件を見て以来、グリフォンのことを極力避けるようにしていた。それなのに、向こうからやってきてしまうとは、想定外だ。
ヤシュパルは翼をたたみ、メェメェに挑んだ。
「いざ尋常に勝負!」
「いやいや、ちょっと待て」
メェメェは後ずさり、ヤシュパルから距離を取る。まったく対抗する気がないか、といわれればそうではないようだ。制止をかけつつも、角を相手に向けている。
ヤシュパルは鉤爪が生えた前足を、地面に食いこませていた。本当はその爪を、相手の肉にうずめたい、と思っていそうな眼力でメェメェを睨んで。
「なんで俺様が、お前さんと戦わなければならんのだ」
「ここで一番強い馬はだれだ、と聞いたところ、皆が口をそろえて貴公の名を言ったであります」
「お前さんは、ここに何しに来たんだ。馬狩りか?」
こんな状況下で、味方に喧嘩を売るヤシュパルに、メェメェは呆れる。
「皆の目に焼きつけさせるだけであります。その馬よりも、自分の方が強い、ということを」
「……俺様が負けるだと? あり得んな」
メェメェが地面を蹴ろうとしたところで、ミァンが彼の尻尾を掴んだ。勢いのまま前に飛び出してしまったメェメェは、背後から聞こえた、ぶちぶち、という音に急停止した。遅れて、痛みがじんわりと広がる。
「あ」
ミァンのやってしまった、という感じの声。
メェメェは恐る恐る振り返る。ミァンの手には、白く長い毛が数本、握られていた。
「何やってくれてんだあ! 小娘ぇ!」
「ごめん、抜いちゃった」
ミァンはメェメェの尻尾の毛を、垂らす。風にゆらゆらと揺られていた。
メェメェがさらに抗議の声を上げようとしたところで、ミァンが制す。
「メェメェの方こそ、何やってるの。こんなところで喧嘩したら、迷惑でしょ」
そう言いながら、ミァンは視線を角飾りに向けていた。彼女が何を気にかけているのか分かったメェメェは、大人しくなる。角飾りをつけたまま暴れて、飾りの石を割ってしまったら、取り返しがつかない。
続けて、ミァンはヤシュパルに目を向ける。
「あなたも、人の迷惑になるようなことはやらないで。あと、メェメェは馬じゃなくて、山羊の一種だから」
「え」
メェメェとヤシュパルの声が重なった。
彼女の意図を察したメェメェは、不満そうにしながらも、何も言わない。ヤシュパルは戸惑いつつ、ミァンが持つ長い毛を、鉤爪で指した。
「でも、その長い尻毛は――」
「尻毛って言うな! 尻尾の毛だ!」
山羊呼ばわりは我慢できても、そこは我慢ならなかったらしい。メェメェはいらいらと尻尾を振った。数本抜けた程度では、彼の尻尾の美しさは変わらない。白い毛が、きらきらと輝いていた。
「どちらであっても、山羊はそんな尻尾ではないであります」
「あなたは鷲なの? ライオンなの?」
「え?」
「そんなあなたが、メェメェのことを馬だ、って断言できるの? 私は、彼のことを“メェメェ”と呼んでいるのに?」
ヤシュパルは押し黙った。無茶苦茶な理論でも、彼には論破するだけの力がない。鷲なのか、ライオンなのか、なんていう問いも今まで投げかけられたことがなかった。なぜなら、彼はグリフォンだからだ。
「自分はグリフォンであります」
「そう。なら、メェメェはバイコーンよ」
ミァンの強い口調に、ヤシュパルは腑に落ちないながらも引き下がった。メェメェが馬か、山羊か、という論争に関しては。
彼の狙いは他にもあったらしい。
「自分は、貴公を誘いに来たのであります。手っ取り早く、力を見せつけた方が早い、と思ったのでありますが……仕方ありません」
というより、こちらの方が本題だったようだ。
ヤシュパルは胸を張る。
「自分に乗り換える気はありませんか? 飛べない相方よりも、自分の方が役に立つと思うであります」
自らのアピールをするように、ヤシュパルは翼を広げる。彼の体長ほどの大きさがある翼が、地面に影を落とした。
メェメェはひそかに歯ぎしりする。売られた喧嘩を買ってしまいそうだ。
ヤシュパルの自信に満ちあふれた表情に、ミァンはつい苦笑してしまう。
「自惚れた相方は、メェメェで充分だから」
「なっ……」
ヤシュパルとメェメェが、同時に口をぽかんと開いた。
自惚れ屋で、大人げなくて、品行方正とは言えない。良いところを数えた方が早いような相方だが、ミァンはそんなメェメェの隣にいることが当たり前になっていた。
今さら、乗り物を変えるように、ほいほいと相棒を変えるわけにはいかない。
「たぶん、あなたの方がメェメェより、ほんの少し性格が良くて、規律あるしっかり者なんだろうけど」
「まるで俺様がしっかり者じゃないみたいな言い方しやがって」
「実際にそうじゃない。確かに、メェメェは空も飛べない。けど、私は彼の背中が一番しっくりくるの」
メェメェはミァンから顔を背ける。
彼女の言い様に気分を害した、というわけではなかった。ゆるんでしまいそうな顔を見られないための、照れ隠しだ。浮ついた脚が、行き場をなくして宙をかく。
ヤシュパルは彼らの間にあるものを見せつけられた。そして、そこに入り込む余地がないことを悟る。
ヤシュパルは大人しく翼をたたんだ。
「ベタ惚れですね」
去り際に、ヤシュパルはそう言った。どこか、憧れが含まれているかのような声音を聞いて、ミァンは彼がなんのためにここに来たのか、分かった気がした。
馬狩りではないことだけは、確かだ。
帰る時は翼を使うことはせず、彼は足を使って地上をとぼとぼと歩いて去っていった。
ミァン達がエルの店に辿り着いた時、テュエラはいつものようにエルの背中に隠れていた。だが、テュエラ自身がそわそわとしており、まったく隠れることができていない。心配で居ても立ってもいられないらしい。そんな彼女を、ディーレがなぐさめていた。
「大丈夫だよ」
「そんな、むせきにんな、ことば、信じない」
エルがぷっと吹き出す。
ディーレは自身の頭から生える角を指でかきながら、他の言葉を探す。
「生存者がいるなら、助けるさ。街の襲撃よりも、同族の救出を重視している連中が多いぐらいだし」
「というより、ディーレのことばは、信じられない」
「……この子、エルさんのことを本当によく見ているねえ」
ミァンとメェメェ、エルがくすくすと笑った。
ついに亜人混合軍がトムセロ自治都市に乗り込む、ということでテュエラはキュミアの心配をしていた。彼女は、再びキュミアに会える日を心待ちにしている。街の人間を信じたミァンの判断を、信じて。
彼らが立ち話をしていると、そこに割って入るように、聞き覚えのある声がした。
「地上の者と慣れ合っているのか、エル」
「うわあ、前にも似たようなこと聞いたよ」
ディーレはわざと相手に聞こえるよう言い、げんなりとする。エルは目を見開いて、声の主を見つめた。
有翼人族長カイトが、いつの間にか、店の前にいた。カイトはディーレを一瞥し、鼻で笑う。ループのような激情はない。憎んでいるわけでもない。ただ淡々と、相手のことを見下していた。
エルはカイトを咎めるような声を上げる。
「お兄ちゃん」
それを聞いて、ディーレは身体を硬直させた。顔が徐々に青ざめていく。
カイトに悪びれた様子はない。そして、ディーレに構うこともなく、エルの背に隠れるテュエラに目を向けた。テュエラはエルにしがみついている。
「翼がある者だから、という理由でリッカは僕にそれを押しつけた」
テュエラのことを、それ、と表現するカイト。
「でも、すぐにあのボケ婆は、僕に他の用事を言いつけたから、それの面倒を妹にまかせるしかなかった」
エルは困ったようにカイトを見ている。テュエラのしがみつく力が強くなっていた。
「恐がらせないでよ。お兄ちゃんのこと、嫌いになるよ」
「別に、小鳥の一羽に嫌われたところで、僕は痛くもかゆくも――」
「私が、嫌いになるよ」
「それは困る」
カイトは真顔でそう言うと、ミァンに目を向けた。矛先を変える気ではないか、と身構えるミァンに対し、カイトは意外なことを言った。
「僕は貴様のことは評価している。少なくとも、暑苦しい犬もどきと、鱗野郎なんかよりは、好きだ」
メェメェは訝しそうにカイトを睨む。彼はミァンより長くここにいるので、カイトの性格をよく知っていた。カイトが相手を褒めることなど、滅多にない。
なにか裏があるのではないか、と考えていたメェメェは、彼の次の言葉を聞いて、むしろ安心した。
「糞淫魔の処刑、僕も見たかったよ」
ミァンはどんな表情をしたらいいのか、分からなかった。
彼女が微妙な反応をするのを見て、カイトはディーレに向けた目と同じ目を、ミァンに向けた。相手を蔑む目つきだ。
「貴様らには分からない。僕に言わせれば、ここの連中は本物の憎しみを知らない。こんな生ぬるい軍があるか。仲良しこよしで寄り集まっているだけじゃ、相手を叩きのめすことなんて出来やしないんだ。それを分かれ」
その言葉で、ミァンはカイトが――有翼人が、淫魔に向ける感情が分かった。遠慮がちにミァンは言う。
「私は、知っているつもりだけど」
「ああ、だと思った。有翼人と淫魔の因縁は、二百年どころじゃない。千年も前からだ。そこまでくると、気に食わないだとか、嫌いだとか、そんなことは言えなくなる。遺伝子レベルで憎しみが刻まれるんだ。――それを、一代で築き上げたのは凄い。と、素直に言える」
彼は褒めているつもりなのだろうが、ミァンはまったく褒められた気がしない。人に自慢できるようなことではないからだろうか。
「……まだ手を握れる段階にいるんだ。ここの連中は」
有翼人と淫魔の関係には、遠く及ばない。と、カイトは目を背けて言った。
エルは首を傾げるばかりだったが、ミァンには彼が言いたいことが分かった。そして、それは今のミァンにとって心強いものだった。




