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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第4章 死んでゆく者たちへ】
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51.異端審問官が恐れるもの

 ゴーストを相手にどんなコミュニケーションを取ればいいのか、ミルタは考えた末に、思いついた行動を実行に移した。

 一人の女ゴーストを呼び止めて、彼女を思いっきり抱きしめる――ように、両腕を広げて飛びかかったのだ。


「きゃー! セクハラだわー!」


 予想通り、というべきか。ミルタはゴーストの身体をすり抜けた。通り抜けた瞬間、ぞわっ、と全身に悪寒が走った。ミルタはやった行為を後悔しながら、両腕をさする。

 通り抜けられた方である女ゴーストは、おおげさに騒いでいる。しかし、その叫び声にはどこか楽しそうな響きがあった。ミルタの反応を見て、面白がっているのだ。


「……ど、どうやら、人間と同じように性格や感情があるみたいだ」


 寒さに身体を震わせ、歯をかたかた言わせながら、ミルタは述べる。

 女ゴーストは、これまたおおげさに驚いてみせた。


「当然じゃない。だって、あたし達、死ぬ前は人間だったんだもの」

「それは分かってるよ。でも、身体を捨てて霊魂だけになった人間が、生前と同じように意識を持つかどうか、なんて誰も知らない」

「当然のことだと思ってた」

「だろうね」


 ゴースト達は皆、生前の姿をしているらしい。もっと正確に言うのならば、死ぬ直前の姿を。

 ベル・メリオから聞いた話をつなぎ合わせると、彼らの肉体は墓の下に埋まっているはず。ここに意識があるということは、やはり霊魂こそが生き物の本体なのだ、とミルタは再認識する。

 死体を道具として扱う死霊術師は、身体はあくまで入れ物に過ぎない、という考えを持っている。そのため、本体である霊魂には、彼らなりに敬意を払っている。霊魂を使役しようと思ったことは、一度だってない。理論上は可能であっても。

 だが、道具に使えないからといって、興味がないわけではない。霊魂がなぜ、死後の世界ではなく、この世をさまよっているのか。ミルタは解明したかった。


「死んだ時のこと、よく覚えていないんだよな?」

「気付いたら、こうなってたわねえ」


 ベル・メリオは、国民がこうなったのは自分のせいだと思っていた。彼女の身体が変化し終えた時、国の人間が生を終えたからだ。関連はある、とミルタは踏んでいる。


「なんで、この世にとどまったと思う? なにか、思い残すことでもあったのか?」

「なんでかしらねえ。強いて言うなら、皆、公爵夫人――ベル・メリオ夫人のことを心配していたからかもねえ」


 彼らが死んだのはベル・メリオのせいかもしれないというのに、少なくとも夫人自身はそう思っているというのに、ゴースト達の中には誰一人、彼女のことを恨む者はいなかった。恨まない者だけがこの地に残った、と考えることもできるかもしれないが。

 よくある恨み辛みの話ではないのか、とミルタは頭を悩ませる。

 ちょうどその時、別行動していたシャダが戻ってきた。彼は彼で、ゴースト達に話を聞いていたのだ。

 戻ってくるなり、彼は眉をつり上げる。


「なにやら、悲鳴が聞こえたのだが」

「あたし、突然この人に襲われたんです!」


 女ゴーストはけろりとした顔で言う。声だけは迫真に満ちていた。


「ウソつくなよ! 襲われるような身体なんてないくせに!」

「ミルタ、おまえは今日、何度わたしに頭を下げさせる気だ?」

「ちょっ、本当に違うんです。これはあくまで研究の一環でして――」


 女ゴーストは笑いをかみ殺していた。それを見てミルタは、それはあくまで生前の動作を真似たものなのか、本当に口から声を出しているのか、というようなことを考えてしまう。弁解の最中だというのに。

 シャダはミルタを叱ろうとして、動きを止めた。

 杖を持つ手に緊張が走る。必要であれば、すぐにでも死体を召喚できるように準備をしていた。

 ミルタも弁解の口を止め、神経をとがらせる。

 女ゴーストだけが、愉快そうに彼らを見ていた。


「グールです、先生」

「分かっている」


 二頭のグールが、街の中を歩いていた。亡国に入ってすぐ、シャダ達を襲ったグール達だ。今のところ、彼らがこちらに気付いた様子はない。彼らの目はまっすぐ、あるものに向けられていた。

 肉片だ。

 ミァンが戦闘の最中に切り刻んだ、死体の破片。

 グール達はそれらが散らばる場所で足を止めた。


「すごーい、食べやすい一口サイズだよ。誰がやってくれたんだろう?」

「精霊の剣の匂いがします。ということは、ミァンでしょう」


 ハスィーブは無邪気に喜んでいる。地面に落ちた肉片を一つ、飲み込んだ後でハスィーブは顔を上げた。


「じゃあ、あの子は死霊術師と戦ったんだね。ついでに死霊術師も肉片にしてくれれば良かったのに」

「それは望めないです。バンシーは泣かず、デュラハンの血も浴びていない人間。それが死ぬことなど、あり得ないのですから」


 マスィールは答え、シャダ達の方へ目を向けた。彼の目が、青白く燃える。


「ねえ? 死霊術師さん」


 彼は気付いていたらしい。散らばる肉片に背を向けて、マスィールはシャダ達を睨む。

 ハスィーブは兄に言われて、初めて、気付いたらしい。慌てて、口にくわえてしまった肉を喉に流し込む。それから、マスィールと同じように、威嚇するような体勢をとった。


「しかし、それは現世に縛られる者のルールです。ワタシ達、精霊が直接手を下す場合、その限りではありません」


 完全に戦闘態勢に入っているマスィールと違って、ハスィーブはちらちらと後ろを振り返っていた。放っておかれる死体の破片を気にかけているのだ。

 それに対し、マスィールは言う。


「ハスィーブ、死体は逃げません。ということを、ワタシはさっき気付いたのです。身が焼ききれるような思いですが、コイツらを先に対処しましょう」

「うう、心苦しいよ」


 うめきつつも、ハスィーブは兄の言う通りにする。

 女ゴーストは、不思議そうに彼らの会話を聞いていた。戦闘が始まりそうな理由が、分からないのだ。

 シャダが死体を召喚しようとすると、ミルタが杖を掴んでそれを止めた。シャダは一瞬、彼女を振り払いそうになる。が、彼はすぐに考え直し、弟子にまかせてみることにした。

 ミルタはおそるおそる、グール達に近付く。


「ボクもさっき、気付いたことがあるんだ」

「なんです? ワタシ達は犬っころではないということですか?」


 ミルタの捨て台詞を根に持っていたらしい。

 そうじゃなくて、とミルタは咳払いする。


「話し合うことの大切さ」


 グール達はきょとんとした。マスィールは戸惑いつつも、構えを解く。抵抗する気がない者を相手にするのは気が進まないらしい。それを見て、ハスィーブも兄にならうように構えを解く。


「この数時間で何があったというのです」

「きっと、ミァンだよ。この惨状を見れば、分かる。彼女にこてんぱんにやられたんだね」

「ああ、納得です」


 グール達はくすくす笑いながら、身を引いた。隠す気のない、相手を馬鹿にする響きがあるものだった。

 間違った推測にシャダはむっとし、つい口を出してしまう。


「違う。やられてなどいない」


 グール達は背後を振り返る。では、これらはなんなのだ、と説明を求めている雰囲気だった。

 ミルタはシャダをいさめつつ、グールに言う。


「ああ、先生はやられていない。こてんぱんにされたのは、ボクだ。先生はそもそも、戦う気なんてなかったってのに」


 グール達は目を細める。青白い炎が細く、揺れる。

 彼らの独特な光を放つ瞳。それを見つめても、ミルタには彼らの考えることが分からない。


「アナタ達は、ここで何をしているのです。一緒にいた異端審問官はどうしたのです」


 一応、彼らは話をする姿勢を見せた。ただそれも、答え次第では襲いかかる気が満々にあるものだったが。

 今まで黙って聞いていた女ゴーストが、ここで口を挟んできた。


「あたし達、ゴーストにインタビューしてたんだよ、お二人さんは。ベル・メリオ夫人が、あたし達のことを彼らに教えたらしいよ」

「なんですって!」


 マスィールは驚愕する。彼は、女ゴーストと死霊術師を交互に見比べ、悔しそうに牙を噛みしめた。

 ミルタには分からない敗北感を漂わせ、グール達は大人しく肉片のそばに腰を据えた。

 女ゴーストは励ますように言う。


「この人たちは、ベル・メリオ夫人やあたし達に危害は加えないと思うよ? だから、ポチ達も彼らにゆだねちゃいなよ。外から人が来るのを、ずっと待ってたんでしょ?」

「ワタシの名前はマスィールです」

「ぼくの名前はハスィーブだって」


 女ゴーストのアドバイスはとりあえず横に置いておいて。マスィールとハスィーブは抗議の声を上げる。彼らは、名前の方が気になって仕方なかったらしい。

 ミルタは笑いをこらえるのに苦労した。


「ミルタ以外にも、彼らを犬扱いするものがいたようだな」


 シャダの冷静な言い方のせいで、ミルタはせっかくこらえていた笑いを噴出させてしまった。

 グール達は首を横に振り、呆れるばかりで、怒ることはしなかった。

 笑いがなかなか止まらないミルタの代わりに、シャダが問いかける。


「彼女が言ったのは、どういう意味だ」

「その問いには必ず、答えましょう。ですが、それはワタシの質問に答えてからです。異端審問官はどこに?」

「先生に転ばされて、気絶してる。今頃、城の一室で夢の中だろ」


 やっと笑いが収まったところで、メルビンが転んだ瞬間を思いだしてしまい、ミルタは含み笑いを続けた。あの一瞬はヒヤッとしたが、後から思い出してみれば、なかなかお目にかかれないであろう、おもしろい光景だった。後のことさえ、考えなければ。

 グール達はぽかんと口を開く。彼女が嘘を言っているようには見えなかったからだ。それに、嘘だったら、もっとマシな話を作るだろう。


「ええっ……、きみ達、仲間じゃなかったの……?」

「害のなさそうなご婦人に、斬りかかろうとしたからな」


 シャダの答えに、グール達はぴたりと動きを止める。

 ゆらゆら、と燃える目だけが揺れていた。


「貴婦人を助けたのですか。彼女は人間ではないのに」

「だからこそ、なんだが」


 シャダの興味がそそる相手だったから助けた、といっても過言ではない。ベル・メリオだけではない、ミァンもその対象だ。どちらも、元人間である、ということだけが共通点だった。

 グール達はよく吟味したうえで、話し始める。


「ワタシ達はミァンに期待していたのですが、まあ、貴婦人が認めた相手なら構いません。話しましょう」


 話しましょう、と言っておきながら、マスィールは肉片を口にしている。自身の役割をこなしながら、話すつもりらしい。


「この国は、ワタシ達にとって、本当に興味深いものです。死の概念をひっくり返すような者が、うじゃうじゃいるのですから」


 シャダとミルタはその言葉に同意する。ヴァンパイアのベル・メリオに始まり、街のゴースト達。彼らにとっては死など一つの通過点に過ぎず、すでに人生とは呼べない“生”を謳歌している。

 もっとも、この状況を楽しんでいるのはゴースト達だけかもしれないが。


「ここで、きみ達の考えを聞きたいのだけど、ゴーストはどういう条件で生まれると思う?」


 すでに死んでいる者がなるというのに、ハスィーブは生まれるという表現を使う。

 シャダもミルタもすぐには答えられなかった。

 もし、死んだ者が皆ゴーストになるのなら、世の中はゴーストだらけだ。よく聞くのは、成し遂げられなかった思いがある者がゴーストになる、というものだが。それだって、若くして死んだ者なら、ほとんどが該当するように思える。

 ふとミルタが視線をそらすと、小さな庭に建てられた墓が、目についた。


「墓に入った者、とか?」

「惜しい。でも、考え方は悪くないよ」


 ハスィーブは機嫌良く言う。

 シャダは、グールが質問をした、という点に目をつけた。


「グールに食べられなかったもの、だな」

「ご名答」


 グール達は喋りながら、遠慮なく肉片を片づけていく。牙を使うのは大きさ的に口に入らないものを噛み切る時だけで、ほとんど肉は噛まずに丸飲みされていた。


「墓に入れば、必然的にワタシ達の口に入る機会がなくなってしまいますからね」


 中には、墓を掘り起こして死体を食べるグールもいたというが。その行為はグールの印象をますます悪くし、魔族扱いをされる一因を作った。


「最初の墓が、なぜ作られたのか、知っていますか? 死体をグールの口に入れないためです」

「古代はグールに食べさせることが、正式な死者の弔い方法だったんだよ」

「文明を作る種の考えなど、似たり寄ったりです。成長すればするほど、彼らは原始的なものは野蛮とするのです」

「結果、ぼくらは亜人が魔族とされた二百年以上前から、悪者扱いだよ」


 身体が地中に埋められ、行き場の失った魂は、地上をさまよう。それが、ゴーストになる。身体のない相手に、グール達は来世へ送り出す手助けはしてやれない。


「死霊術師が現れたのも、墓が出来てからです」

「それまでは、死体が残されることなんてなかったから。死体を道具にしよう、なんて考えすらなかったんだ」


 彼らの口調は批判的だった。

 グールに食べられない死体は、例外なく、来世に行くことはできない、彼らはそう考えている。墓の下に埋められようが、死霊術師の道具になろうが、それは同じだ。


「本題はここからです。現世をさまようゴースト達、それを来世に向かわせるには、どうしたらいいのか」


 本当なら、彼らも墓を掘り起こして、亡国民の死体を食べたいぐらいだ。だが、それはベル・メリオが許さない。いくら説明しても、彼女にとっては、グール達は大切な人を食らった魔族に過ぎないからだ。

 だから彼らは、彼女が納得する方法を探すことにした。

 ミルタは聞いた話に対して、疑問を持つ。


「魂を転生させるのに、本当に、グールは必要なんだろうか」


 グール達は骨を噛み砕きながら、彼女の話に耳を傾けた。咄嗟に否定するような真似はしなかった。


「墓に入った者がゴーストになるってんなら、世の中はゴーストで溢れかえってるだろ」


 墓という概念ができてから、いったい何百年経っているというのだ。

 それに、今を生きる者より、死者の方が多いのは明らかなのだから。


「でも、そうなっていない。それって、グールが介さなくても、死後の世界に行ける手段があるってことじゃないか?」


 死霊術師が使う死体は、抜け殻。ならば、抜けた魂はどこをさまよっているのか。ミルタの前に、使役する死体の元の持ち主が、ゴーストとなって現れたことはない。

 恨まれても仕方ないような使い方をしている、という自覚は、ある。

 だが、死体の家族から恨み言をぶつけられることはあっても、死者本人からの恨み言は聞いたことがない。

 彼らは当然だが、グールに食べられていない。


「詠唱の一節に、汝の魂が浮かばれることを願う、という内容のものがある」


 ミルタの推測を後押しするように、シャダが言った。


「あ、ボクは普段そんなことを言っていたんですか」

「魔法の詠唱は、古代語だからな」


 現代のほとんどの魔術師は、詠唱に含まれる意味も知らず、魔法を使う。ミルタもその一人だった。

 グール達は口を挟まない。会話には口を出さず、もくもくと肉片を口に詰め込んでいる。それでも、話は聞いているらしく、耳だけが二人の方へ向けられていた。


「聖職者の祈りにも、そういう意味が含まれているのかも。聖職者にきちんと弔われた者は、ゴーストにはならない――そう考えるとだいぶ絞られてくる」

「亡国民の弔いは断念され、ベル・メリオ夫人が一人で墓を作った」

「だから、この墓は正式なものじゃない」


 聖職者によって祈りが捧げられたわけでもない。死霊術師によって詠唱が行われたわけでもない。そして、グールにも食べられていない。

 亡国民はゴーストになる条件を満たしていた、というわけだ。


「この仮説が正しいとすると、グールが死霊術師を敵視する理由も、そこにあると考えられる。グール以外で、魂を死後の世界に送ることのできる存在。そんなものがいたら、オマエ達の存在は危ぶまれてしまうから」


 世界に必要とされなくなれば、精霊は消えてしまう。そんな場合も、消滅という形を取るだろう。

 精霊は生き物ではない。けれど、自身の存在を脅かすような者が現れれば、本能的に、排除しようと動くのではないか。ミルタはそう述べた。

 グール達の前に、肉片はもうない。間を保つための物がなくなってしまい、彼らは居心地が悪そうだった。


「……なるほど。なんだかんだ言って、ワタシ達は生物時代の名残があるというわけですか」


 マスィールの口調は大人しい。ミルタの推測が間違っている、と強くは言えないようだ。


「墓が出来たばかりの頃、アナタが言うように、大陸中にゴーストが溢れた時期があるらしいのです。でも、その後は数を減らしていったといいます。人々が、死者を送り出す方法を、独自に研究したのかもしれないです」

「そのゴースト達も今はいないわけだから、ゴーストになってしまった人達を来世に向かわせる方法もあると思うんだ。……ぼくらなしで」

「まったく、寂しい現実を突き付けられますね」


 グールは用なしである、と言われたようなものだ。だが、それも魂の平穏を第一に望むのなら、仕方のないこと。彼らは、現実を受け止めようとしていた。死霊術師に対する敵意は、すっかり失せてしまっている。

 ミルタは傍らでずっと、話を聞いていた女ゴーストに目を向ける。


「案外、気が済んだらさっさとこの世からいなくなるかもな」


 現世に心残りがある者がゴーストになる。それだって、なにか根拠があって言われるようになったのかもしれない。

 生者が悩まずとも、死者は勝手に納得して現世を去る日が来るかもしれない。


「なにか、やりたいことでもあるのか? 国ぐるみでゴースト化するなんてさ」


 ミルタの問いに、女ゴーストは笑みを浮かべるだけ。


「あたし達は待っていたのよ。その時が来るのを」


 彼女がそう言い終えると、東の空から一筋の光が差し込んできた。その光が、女ゴーストの足下を照らすと、彼女の身体が今まで以上に透けた。

 夜が明けようとしている。

 周りを見ると、他のゴースト達の身体も同じような変化が訪れていた。それから数秒もしないうちに、ゴースト達は消える。現れた時と変わらない唐突さで。


「さっそく成仏?」


 あまり期待を込めずにミルタが言う。


「違うよ。彼らは夜しか現れないんだ。なんでだろう?」


 ハスィーブは首を傾げる。マスィールはその答えを知っているのか、知らないのか、いつものように弟の問いに答えることはなかった。



 *****



 誰もいない城で、メルビンは目を覚ました。朝日が見えたばかりの頃合いに起きたのだから、普通ならば健康的と言えるだろう。だが、その目覚めは心地の良いものではなかった。

 城の一室。閉めきられたカーテンの向こう側で、小鳥がのんきに朝を告げている。そんなさわやかな鳴き声を、メルビンの荒い呼吸が乱していた。

 シーツを爪で突き破らんばかりに握りしめ、血走った目は前を見ていない。体中に、いやな汗をかいていた。

 メルビンの夢見は最悪だ。

 どこかの少女が、高所から落とされる悪夢を見るように。彼もまた、繰り返し見る悪夢がある。

 森に巣くう魔族の駆除をした時のことだ。その時のことを、メルビンは忘れられない。大方の魔族を駆除し終わって、たった一人、逃がしてしまった魔族が。それが作りだした光景が。それが向けてきた視線が。

 その魔族は、人間の少女の姿をしていた。上司である部隊長は、あれはもともと人間だったのだ、と言った。そして、もう人間に戻ることはない、と。

 それは逃げる際、共に森を訪れていた王国兵たちを、木っ端みじんに吹き飛ばしていったのだ。たった一本の剣だけを使って。

 人間の欠片が宙を飛び、むき出しになった目玉だけが助けを求めるようにメルビンを見ていた。それだけでも、トラウマになる要素は充分ある。だが、メルビンが本当の意味で戦慄したのは、その後のことだった。

 少女の姿をした魔族が、メルビンを睨んだのだ。強い憎悪の込められた眼を、まっすぐに向けられ、メルビンはその場から動けなかった。

 立場上、あらゆる種類の憎しみを、多々向けられてきた彼でも、威圧されるほどの憎悪が少女から放たれていた。


「はや、く、あいつを見つけださないと……」


 歯をかちかちとわななかせて、メルビンは自身に言い聞かせるように言う。


「あいつをこの手で葬らなければ――」


 あの眼から逃れることはできない。

 メルビンが少女を語る際に見せる憎しみは、本物ではない。本当の感情を押し隠すために、作り出した感情だった。彼は憎んでいるのではない、恐いのだ。

 恐怖など、異端審問官にあってはならない感情だ。

 そうは言っても、一度抱いてしまった恐怖心などそう簡単に消せるものではない。この恐怖心から逃れるために、恐怖を克服するために、メルビンは自分の手で少女を殺さなければならない。そう自分を追い込んでいた。

 少女を追うことに名乗りを上げたのも、いつものような正義感からではなかった。自分のためだ。自分をこの恐怖から救うためだ。このようなことは初めてだった。

 ルーシャ帝国を訪れるまで、あてもなく旅をしていたのも。無意識のうちに逃げていたからかもしれない。

 だが、それも許されない段階にきた。こちらが目を背けても、相手はまっすぐこちらを射抜いてくる。

 悪夢が、逃がしてくれない。

 見るたび、圧迫感は強くなる。今日など、少女の剣が、自身の首に触れそうだった。


「あれは魔族だ。薄れることのない記憶の中のあいつが、私を睨む。あの目を見ろ。目を背けるな。あんな目をする者が、人間であるはずがない。私の使命を忘れるな。人ならざる者を滅せよ。私の職を忘れるな。私に恐いものなどあっていいはずがない。恐れるな。憎め。それが、私に許された唯一の感情だ。醜悪な魔族は裁きにかけるまでもない。あいつらに残された道は破滅しかないのだ。あいつをこの手にかけろ。あいつの首を、この剣で刈り取れ。そして、それを教皇様のもとへ持ち帰るのだ。そこでやっと、私は――安らぎを得るのだ」


 本当ならここで、祈りでも捧げる方が聖職者として正しいのだろうに。自身の神に頼ることもできただろうに。彼はそれをしなかった。

 動かされた口から洩れたのは、祝詞とは程遠い、呪詛のようなものだった。しかもその呪いは、憎むべき相手ではなく、自身に向けたものだ。自分自身を縛りつけるように、言い聞かせるように、メルビンは呼吸も忘れて、その言葉を放った。

 長々とした台詞を言い終え、メルビンは息を吐き出す。

 そこで彼はようやく、自分がいる場所に疑問を持った。なぜベッドの上にいるのか。今はちょうど朝らしいが、昨日の夜、ベッドに入った記憶がない。寝巻きにも着替えていない。この部屋も、見覚えのないものだ。

 なぜか、鼻頭が痛い。それだけが唯一の手がかりだった。

 ここで寝ていた理由はひとまず置いておき、メルビンは剣のありかを探る。しかし、それは探すまでもなかった。すぐ横の壁に立てかけられていたのだ。

 メルビンが立ち上がって剣を手にした時、シャダとミルタが部屋の中へ入ってきた。


「あ、起きたんだな、審問官。さすがいつも通り、時計代わりにできるぐらい規則正しい」


 ミルタはつとめて明るく言った。

 シャダの表情は硬い。彼は耳がすごく良いため、先ほどのメルビンの独り言を聞いてしまったのだ。そして今も、彼の胸の内から溢れるどす黒い感情に、怯んでしまっている。帝国の死霊術師ともあろう者が。

 メルビンは剣を腰に下げながら、彼らに聞く。


「昨日の記憶が曖昧なのだが、私はどうしてここに寝ていた?」

「あっ……ラッキー」


 ミルタはこぶしを握って、小さくガッツポーズを取る。メルビンの記憶が抜け落ちているとは、好都合だ。

 メルビンは不審そうに片眉を上げる。


「ん?」

「まったくもう、審問官も案外、ドジなところがあるからビックリだよ。城に入ってすぐ、何もないところで素っ転んじゃってさ。そのまま夢の中、ってわけ。とりあえず、どこかに寝かせなきゃいけないと思ったから、ここまで運んだんだけど。よく眠れた? ここカビ臭いよね」


 ミルタはすらすらと嘘を並び立てる。彼女の流暢な口調で話される作り話に、メルビンは納得しかけた。が、すぐにあることを思い出す。


「女が、いなかったか」

「女? どこに」

「この城の中に。ボーグナインも城に入る前、何かいるかもしれない、と言っていただろう」


 メルビンはじっ、とミルタを見据える。ミルタも視線を逸らさない。相手に嘘を信じさせる際、大事なのは言葉や証拠よりも目だ、と彼女は知っていた。

 背中にまわした手は、手汗を握っている。どうつじつまを合わせようか、と思考はフル回転していた。しかし、それをおくびにも出さない。


「この国って、変な噂が多いだろ。化け物だとか、幽霊だとか」

「それがどうした」

「それって、幻覚を見た人間の妄言じゃないか、ってボクは思うんだ」

「私が幻覚を見た、と言いたいのか」

「だって、ボクには見えなかったし。その女の人。亡国には、人に幻覚を見せる有毒なガスでも充満しているんじゃないかな。オマエが寝ている間、ボクは先生とこの国の中を調べたんだけど、変なものをよく見るんだよ。でも、先生はなにも感じない、って」


 最悪、シャダが杖でメルビンを引っかけた事実だけを隠せればいい、とミルタはそう考えていた。亡国民達は、メルビンに斬られても、おそらく平気だ。だが、こちらは斬られたら無事では済まされない。

 メルビンは顎に手を当てる。

 もうひと押し、とミルタは畳みかける。


「亡国にいても、悪影響しかない。さっさとここを出よう。探してた奴も、こんなところには長居しないよ、きっと。下手したら審問官なんか、探し求めるばかりに、そいつの幻覚を見ちゃいそうだ」

「そう、か。そうだな。亡国のことなど、今の私には関係ない。どうでもいいことだ」


 メルビンの言い方に、ミルタは違和感を覚えた。ひょっとしたら、変な方向に背中を押してしまったかもしれない、と。

 シャダは不安そうに杖を握り直す。彼の向かう先がどこであろうと、結果は一つしか見えない。シャダは自分の身以上に、ミァンの身を気にかけていた。彼の執念は、いつか必ず彼女を見つけ出すだろう。

 ミルタは雰囲気を変えようと努力する。


「ふりだしに戻っちゃったな」

「ふりだしか。ならば、ふりだしに戻ろう」

「へ?」


 メルビンはミルタの言葉に、なにかヒントを得たようだ。思いがけなかったことに、ミルタは動揺する。


「ノーテル王国。私があいつに出会った、思い出の場所だ」


 メルビンは皮肉げに笑んだ。


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