50.死霊術師の判断
ミァンはぎょっとして、辺りを見渡す。
街のいたるところに、半透明な人間の姿をした者が現れていた。見た目は様々だ。男もいれば、女もいる。子供の姿をした小さな者もいれば、しわくちゃな老人もいる。彼らの身体に色はない。透けた身体が向こうの景色を映し出していた。
彼らが現れてから、気温が二、三度、下がったような気がする。
リッカの冷気とは違う。じっとりとした、寒気だ。
「死霊術師! あなた達が何かやったわけ?」
ミァンはぎりっ、と奥歯を噛みしめる。
しかし、死霊術師たちはミァンの問いかけには答えなかった。彼らは彼らで、突然の出来事に言葉をなくしていたのだ。
ミァンの剣の刃を掴んでいた死体、その腕の力もいつの間にか弱まっていた。彼女はその隙に、剣を引き抜いた。
「彼らは何もしていないさ」
答えたのは、ミァンの腕に触れた半透明な男だった。
「分野的には遠からず、って感じだけど。俺達はゴーストなんだ」
ゴースト、とミァンは呟く。それから、自身をゴーストだという男をまじまじと見る。身体が透けて、彼の背後にある家の壁の色が目に入った。
「ゆ、幽霊?」
ミァンの声が裏返る。
彼女は慌てて男から離れ、メェメェに駆け寄った。助けを求めるように、彼のたてがみを掴む。
それを見て、ミルタは思わず呟いてしまう。
「あっ、やっぱり、反応はかわいい」
「実体がないと斬れないじゃん! 怖いよ!」
「反応は、ね。反応は。言動は考慮しない」
怖がる箇所がおかしい、とミルタは首を横に振る。
ゴーストは苦笑した。
「斬られるのは勘弁だなあ。とにかく、ここでは剣を収めてくれ。ああ、死体も同様に、だよ。戦うための道具はナシだ」
ミァンはシャダを見る。シャダの興味はすでに、ミァンからゴーストへと移っているようだった。興奮しているのか、頬が紅潮している。
シャダが杖を一振りすると、首のなくなった死体がその場から消えた。その死体はまだ使えると判断されたのだろう。回収したのだ。
ミルタは不安げな表情を見せた。丸腰になったも同然なのだから、当然だ。彼女はシャダに寄り添いつつ、ミァンを警戒する。
メェメェはゴーストの多さを見て、ため息をついた。これを全部、敵に回すのは好ましくない。彼らが戦えるかどうかは別にして。とても、面倒だ。ここは、ゴーストの言うことを聞いておいた方がいいだろう。
死霊術師を前に武器をしまうのは気にくわないが。
「小娘、剣を収めろ。これ以上、事態をややこしくするな」
「死霊術師さん達、命拾いしたね」
ミァンは言われた通り、剣を収める。すると、ゴーストは満足げな笑みを浮かべて、その場から去っていった。すー、と滑るような独特の移動法で。
ゴースト達の足元をよく見てみると、地面すれすれで浮いていることが分かった。彼らは浮遊しているのだ。
ミルタは目を輝かせながら、その様子をシャダに説明していた。
ミァンはそこで初めて、シャダが盲目であることに気付いた。
「命拾い、か。負けるつもりはなかったのだがな」
シャダはミルタの話を聞きながら、ミァンの言葉も耳に入れていたらしい。落ち着いた声音だ。
ミルタはミァンを馬鹿にしたような目で見る。
「先生が、オマエみたいなチビに負けるわけないだろ」
「そもそも、戦うつもりもなかったのだがな」
「そう――え」
ミルタは困惑して、シャダを見た。
少女は間違いなく、メルビンが捜す相手だ。それに対して、戦うつもりはなかった、とはどういう意味か。まさか、言葉で説得できると思ったわけではあるまい。
シャダはミァンに向かって頭を下げた。長い白髪が、肩から滑り落ち、顔の横に垂れた。
「わたしの弟子が先走ったことをしてしまった。そのことは謝ろう」
「え、えっ、先生はボクのせいで頭を下げているんですか?」
ミルタは動揺する。
自分の不始末のせいで、シャダが頭を下げるなど、あってはならないことだ。
「ごめんなさい!」
シャダが頭を下げている、という現実に耐えられなくなったのだろう。ミルタは地面に両手と膝をつき、頭を地面にぶつける勢いで下げた。
シャダに向かって。
「ミルタ、だれにむかって謝っている。相手がちがう」
シャダは顔を上げ、杖の先でミルタの頭を小突いた。
「おまえも目が見えなくなったか、ん?」
「ち、違います!」
ミルタは慌てて、向きを変える。彼女にしてみれば、謝る相手は間違っていなかったのだが。やはり、シャダに口答えはできない。
ミァン達に向かって、ミルタは頭を下げた。
「よく分からないけど、ごめんなさい」
「ミルタ」
「ほんっとうに、申し訳ありませんでした!」
訳が分からないのはミァンの方だ。突然襲われたかと思えば、その相手に謝られている。人違いだった、とでもいうのだろうか。
「なんだ、こいつら」
メェメェの呟きがすべてを集約していた。
「わたし達は死霊術師だ」
「そんなこと、見れば分かるよ」
シャダの答えもどこかずれており、ミァンは身体の力が抜けてしまう。戦闘中のミルタも緊張感のない発言ばかりしていた。
彼らは、非常にマイペースだった。
今だって本当は、ミァンの対応より、周りに漂うゴースト達に話を聞きたくてたまらないのだ。それを、必死に我慢している。
ミァンは、頭を下げるミルタに向かって言う。
「頭を上げて。許す代わりに、質問に答えてもらうから」
ミァンの言葉を聞くと、ミルタはさっと立ち上がった。
「見つけた、ってどういうことかな。私を捜していたの?」
「さすがにそれに関しては、答えらんないなあ」
「わたし達は異端審問官と行動をともにしている。彼が、捜していた」
「先生!」
ミルタは悲鳴のような声を上げる。
「うそを言ってどうする。本当のことを言うべきだ」
シャダの判断は常に正しい、と思っているミルタでさえ、今回ばかりは同意しかねた。
異端審問官、という単語を聞いた途端、ミァンの顔に憎しみが浮かんだからだ。それも、生半可ではない。
「あなた達は、異端審問官の仲間……。私の敵、ということね。分かった」
ミァンがメェメェの制止を振り切って、剣を抜こうとしたため、ミルタは慌てて手を振った。
「わ、分かってない。全然分かってないって!」
「ふうん? 私を攻撃したことについては、どう言い訳するつもり?」
「そ、それは――」
ミルタは口をつぐむ。言い訳が思いつかなかった。
すると、メェメェがおもむろに口を開いた。彼は、死霊術師たちを助けるために口を開いたわけではない。ミァンに剣を抜かせたくなかったのだ。
「異端審問官に脅されている……で、どうだ? 異端を排除する手伝いをする代わりに、死霊術師の存在を認めている、とか」
ミルタは目を見開いて、メェメェを見た。彼の発想に感心しているようだった。
ミァンはとりあえず剣を抜くのを止めた。そして、考える。
「死霊術師と聖職者って、そりが合わなさそうだもんね。それなら、納得かも」
ミルタは不安そうな顔をする。せっかく相手が勝手に納得してくれたところに、シャダが生真面目に本当のことを言ってしまうのではないか、と。
しかし、心配には及ばなかった。
シャダはミルタの予想とは正反対のことを言った。
「脅されている、か。遠くはないかもしれんな」
「え、そうなんですか」
余計なことを言ってしまったのはミルタの方だ。
ミァン達がいぶかしそうに顔をしかめたため、ミルタは口を両手でおさえた。
シャダは複雑な表情をしていた。
「思うのだが、今のカリム聖教の実態は、わたしが昔見たものと大きく違っている。あの若造のそばにいると、それを感じる」
「信者ではあるんだね」
ミァンは意外そうに片眉をつり上げる。
多くの者がそう考えるように、ミァンもまた、死霊術師は信仰とは程遠いと思いこんでいた。
ミルタも、そのようなシャダの胸の内を聞いたのは初めてだったため、唖然とする。
「それとも、派閥でも存在するのだろうか。わたしが会った聖女は、あんなに排他的ではなかった」
ミァンとメェメェは顔を見合わせる。排他的ではないカリム聖教など、想像できなかった。だが、内部で分裂をしているのなら、相手をするのは簡単かもしれない。カリム聖教の怖さは、その結束力にあるのだから。
ミルタは何かを思い出したらしい。
「以前、審問官が聖女の話をした時、なんか嫌そうな顔をしてましたね、そういえば。派閥、あるかもしれませんよ」
「……そうか。ならば、ますます、わたしがこの少女を手にかける理由はないな」
ミァンとメェメェはきょとんとする。
彼らの戸惑いを感じ取ったシャダは、ふわりと笑った。
「わたしには、なんら害のない少女に見えるからな」
言ってから、シャダは首を傾げた。
「今のは不適切か。害のない少女に思える、で」
ミルタはいやいや、と首を振る。ついに、シャダに対して反論してしまった。さすがに、今の発言に、首を縦に振ること出来なかった。
「この子、死体をぶった斬ってましたよ? 輪切りにしてましたよ? 切り刻んで、吹っ飛ばして、ぶっ潰して、引き千切ってましたよ?」
「引き千切ってないし、潰していたのはメェメェの方だし」
「それでも! ボクには充分、この子が魔族に堕ちたと言われても納得できる光景でした」
シャダはふむ、と唸る。
「では、昔のわたしは充分、魔族と言えよう。ミルタ、おまえに会う前のことだ」
ミルタは困惑していた。
なぜ今になって、シャダが異端審問官に刃向かうような発言をするのか。今までの旅は、少女を捕らえるためのものではなかったのか。ここで見逃してしまったら、今までの旅はいったい何だったのか。
それどころではない。下手をしたら、本格的に異端審問官と敵対することになる。
「旅に出た当初は、カリム聖教の役に立つことができるのならば、と考えていた。だが、彼と一緒にいるうちに段々と違和感を覚えてきてな」
「考えがお変わりになった、と?」
「そうだ。実際、わたしが見たカリム聖教と、彼が見ているカリム聖教は違うようだからな」
シャダはあくまで、聖女が教えを説いたカリム聖教を信仰しているのだ。カリム聖教に派閥があるのならば、聖女と異端審問官の派閥は違うことになる。厳密にいえば、シャダはもうすでにメルビンに敵視されているのかもしれない。
「その少女が、本当に制裁されるべき人間なのかどうか。実際に会って、確かめるつもりだった。――そして、わたしは制裁されるべき人間ではない、と判断した」
シャダのきっぱりとした口調に、ミルタも納得せざるを得なかった。彼女はもう一度、ミァンをよく見つめる。剣を収めた少女は、ただの少女にすぎない。
ミルタはため息をつく。
これからのことは、これから考えればいいか、と。
「理由を、聞かせてもらってもいいですか。そう判断した理由を」
「わたしが感じ取ったものがすべてだ。邪悪な気配はしない。少なくとも、わたしよりは」
自嘲気味にシャダは笑む。
ミルタも苦笑いを返すしかない。シャダの言う通りかもしれない、と思えてきたのだ。
死霊術師たちが真面目に話し合っている最中、ミァンはミルタが発したある一言にこだわっていた。
「ねえ、メェメェ、聞いた? 私、魔族だって」
「小娘、いつの間にか魔族になってたのか、ひひっ」
「なんで笑うの。魔族って呼び方は気に入らないけどさ、これって亜人と同類に見られてる、ってことだよね。彼らの仲間だ、って」
「おう、胸張っとけよ。特に、聖職者の前ではな」
ミァンはさっそく胸を張る。それを見て、メェメェはまた笑った。
ミルタは呆れたように言った。
「本人はまんざらでもなさそうですけどね」
ミルタの雰囲気が和らいだことを感じ取ると、ミァン達は彼らに寄っていった。
「話は終わった? で、どうするの?」
「わたしはおまえを傷つけない。名前を教えてくれるか、お嬢さん」
ミァンとメェメェは顔を合わせて、無言の相談をする。ほぼ同時に、彼らは頷いた。
「ミァンよ。私は、あなたを傷つけるかもしれない」
不敵に笑う少女は、生意気そうに見えた。
ミルタは対抗するように笑みを浮かべ、彼女に向かって手を差し出す。
「ボクはミルタ。大丈夫、そんなことにはならないさ。先生は強いからな」
ミァンは差し出された手を握った。握りつぶすほどの力を込めて。
「いたたっ、ちょっ、この子、力強い!」
手を離されたミルタは、涙目になって後ずさる。
「こっちはメェメェ」
「ま、いいか。それで」
あだ名で紹介されても、メェメェは怒らなくなっていた。いちいち訂正するのが、面倒なだけかもしれないが。
シャダも、ミァンに向かって手を差し出した。
「シャダ・ボーグナインだ。もし、傷つけられるようなことがあったら、その時は、わたしの判断が間違っていたと自戒しよう」
ミァンはシャダの手を握る。
手の感触に、シャダは首を傾げた。
「別に、力は強くないようだが」
「ボク、完っ全にこの子に嫌われてますね! しょうがないですけど!」
ミァンはくすくすと笑いながら、手を離した。
それからすぐに、彼女はメェメェの背に乗った。彼が先ほどからずっと急かしていたのだ。
シャダ達の話では、亡国に異端審問官が来ているようだが、今は手を出せない。夜の亡国を見たら、何があろうと帰る。メェメェとそのような約束をしてしまったからだ。
本当は居場所を聞き出して走っていきたいところだが、今回ばかりはメェメェに力尽くで止められそうだった。
ゴーストのことも気になるが、仕方がない。ここは、さっさと退散するに限る。
「夜ももう遅いし、私はおうちに帰るわ。あなたの判断が裏目に出ないことを祈ってる」
彼女がそう言い終えると、メェメェはゴースト達の間をぬって、走り去っていった。
シャダは蹄の音が消えるまで待ち、さて、とミルタに向き直った。彼らにとってはここからの方が重要なのだ。先のことより、目の前のこと。
すなわち、ゴーストの観察。




