4.引きこもりの便利な発明
ヨルムグル古城は何百年も前に、争いにより打ち捨てられた城だ。数百年間ずっとそのままだったので、人間の記憶からは風化している場所だろう。現在は改装され、亜人混合軍の本拠地となっている。
古城の一階の奥にある大広間で、リッカは彼らのことを待っていた。
「おら、俺様が来てやったぞ」
メェメェの横暴な口調に、リッカは笑む。メェメェは彼女のすぐ近くまで歩いてきたが、ミァンは少し離れたところで立ち止まった。
「待っておったぞ。して、そちは何故そんな離れたところにおるのじゃ?」
「メェメェに半径五メートル以内に入るな、と言われたので」
「大人げないのう。背中乗れんではないか、軍馬の自覚ある?」
「小娘ぇ……! さっきまで普通に近くにいただろうが! わざわざリッカの前で言うとか、お前さん、嫌な奴だな!」
昨日の夜に言われたことを、ミァンはたまたま今思い出したに過ぎなかった。メェメェ自身も忘れていたのかもしれない。焦りが声に出ている。
リッカはわざとらしくため息をついた。白く凍った息が、メェメェの鼻にかかる。
「可愛がるべき後輩をいじめるとは、そちはダメダメじゃのう」
「可愛がるベきってなんだ! 教育すべき、だろうが!」
「メェメェうるさい。叫ぶな」
リッカにぴしゃりと言われ、納得できない表情で引き下がるメェメェ。言いたいことはまだ山ほどあるらしい。こめがみがぴくぴくしている。
「納得できねえ。話が進まないから、お前さんもこっち来いよ」
「いいの?」
「おう」
メェメェも面倒臭くなったのか、投げやりに答えた。彼自身に許可も貰い、ミァンは遠慮なくメェメェの隣に立った。彼の尻ばかり見て歩くのは嫌だったのだ。
リッカも目を細めてうんうん、と頷いている。
「仲良きことは美しきかな」
「へいへい、で、何の用だ? さっさと用件を述べろ」
「うむ、そうじゃな」
真面目な顔に戻り、リッカは喋り始めた。
「知っての通り、我が軍の兵力は少ない」
「対人間の戦争なのに、軍に人間を入れちまうほどな」
「茶々を入れるでない。――したがって、兵力増強はまっ先にやるべき課題である。そちらには、ラヌート山に赴き、そこに住む亜人たちを勧誘してきてほしいのじゃ。あそこに住む一族は数が多いだけでなく、強い力も持つ。即戦力として使えるじゃろう。ぜひ成功させてほしい任務だが、彼女たちが嫌がる場合は無理強いする必要はない。戦争に力を貸せ、と言っておるのだからな」
「任務というわりには、ぬるいな。ラヌート山と言えば、ここからでも見えるような場所だ」
メェメェはさっそく興味が失せたように言った。
リッカは頷く。
「きれいな形をした山じゃな。近場ではあるが、今は時間が惜しい。今回は転移陣を使ってもらうぞ。――ミァン、そちは魔法の心得があるか?」
突然、話を振られ、ミァンは慌てて首を横に振った。すると、リッカは意外そうな顔をする。
「そうか。じゃが、見たところ全く素質がないわけではない。訓練すれば、ある程度は使えるようになるじゃろう」
「今回のことと魔法が関係あるの?」
「転移陣を使うのに魔法が必要なんだよ」
メェメェが答えた。ミァンはうろたえる。
「心配しなくても、俺に掴まっていれば目的地まで飛ぶことはできる。だが、この際だ、聞いておこう。小娘、魔法についてどれぐらい知っている?」
「まったく」
ミァンは正直に答えた。今までに魔法を見たことすら、両手で数えられるほどの回数なのだ。今朝、メェメェが魔法を使っていたのを見て初めて、魔術師じゃなくても魔法を使えるということを知ったぐらいだった。
それぐらい、ミァンは魔法に関しては初心者だった。
「全然か? それは面倒だな。じゃあ、お勉強タイムといこう」
「え」
「うーむ、そうじゃのう。全く知らないでは、これから不便かもしれんしのう」
流れについていけず、ミァンは戸惑う。
メェメェとリッカはすっかりやる気のようだった。まさに、新人教育といったところか。
「まず、魔法には属性がある。朝、俺とエルフが戦っていたのを見ただろ?」
「メェメェが炎と雷、……それから、エルフが水を出してたね」
「そして、エルフは氷属性は使えないが、風属性は使えると言っていた。このように、魔法の属性は人それぞれに適性というものがある。人によって使える属性と使えない属性に違いがあり、その数も人によりまちまちだ。ちなみに俺は、炎、雷、闇の属性の魔法を使うことができる」
「わらわは氷属性オンリーじゃ」
仲間外れにされるのが嫌だったのか、リッカが無理やり割り込んできた。
「属性にはある程度の優位、劣位が存在するわけじゃが――たとえば、炎は水に弱い、とかな。わらわには関係ない! 誰よりも強い魔力ですべてを凍りつかせるまでじゃ!」
「つまり、リッカはごり押しってことだ。魔力が極端に強い者はそんな芸当もできる。戦場を蒸し焼きにするレベルの高温な炎なら、水すらも蒸発させるだろう。だが、常人には到底無理だからやろうとしないことだ」
ミァンは教えられる情報を頭に詰め込んでいく。物覚えは良い方だと自負していた。
「魔力っていうのは?」
「読んで字のごとく、魔法を使うための力。これは生まれもっての素質が大きい」
「安心せい。ミァンはちゃんと素質があるぞい」
リッカが手のひらほどの大きさの雪の結晶を生みだし、遊んでいる。さらに、室内だというのに雪が降ってきた。
ひらひらと舞う雪を見ながら、ミァンは質問を口にする。彼女はすっかり行儀の良い生徒になりきっていた。
「属性っていうのは何個あるの?」
「分からんのう」
「え?」
「魔法というのは開発されるものではなく、発見されるものだ。まだ見つかっていない属性があるかもしれない、という意味で“分からない”が正解なんだよ。多くの者が使える属性から、世界で一人しか使うことの出来ない超希少な属性まで、とても数え切れるようなものじゃない。そもそも、人間や亜人が扱う魔法と、精霊族が扱う魔法とでは根本から違うとも言う。――とにかく、魔法というのはまだ不明瞭なところが多くて、研究途中の分野なんだ」
なぜ、師匠は魔法を教えてくれなかったのか。ミァンは今の説明を聞き、その答えが分かったような気がした。
教えなかった、ではなく、教えられなかった、が正解に近いのだろう。
無意識に剣の柄を撫で、ミァンは考える。
「魔法についてはこれぐらいじゃな。お次は転移陣について、いこうかの。ミァン、おいで」
言われた通り彼女は、リッカについて大広間の隅まで歩く。
床に、ずらりと並んだ魔法陣が描かれていた。描かれている、というよりは刻まれている、と言った方がいいかもしれない。あちこち痛んだ古い床の上で、陣だけが色褪せることなく存在していた。
よく見ると、一つずつ紋様に違いがあることが分かる。
「これが転移陣と呼ばれるものじゃ。これの一つずつに行き先が決まっておる。今回使うのは、これじゃ」
リッカがそのうちの一つを指差した。
「ラヌート山行きの転移陣。あ、陣の中に入っただけでは飛ばされんぞ」
ミァンが陣から距離を取っているのを見て、リッカは付け加えた。
転移陣を物色していたメェメェが二人のもとに戻ってきて、説明し始める。
「転移陣は、決められた呪文を唱えることで初めて発動する。転移陣を扉だと考えるなら、呪文は鍵だ。陣と呪文が一致しなければ転移はしない」
「転移陣なんて初めて聞いた。もちろん、見たのも」
「うむ、人間の世ではあまり普及しなかったようじゃの。便利でありながら、不便なところも多い。まず、魔力のある者しか使えない。そして、不用心である。先ほどメェメェが扉と鍵の関係に例えたが、転移陣はそれよりもはるかに不用心じゃ」
「陣は紋様さえ正確であれば、いくらでも複製できる。鍵は決められた数しか存在しないが、呪文はそういうわけにはいかない。そして、この通り――」
メェメェが蹄で陣を引っかいた。しかし、陣には傷一つ付いていない。
「簡単に消せるような代物じゃない。もし敵に陣の紋様と呪文を知られたら、最悪、転移先の場所自体を捨てることになる」
「ぶっちゃけ、亜人たちも最近まで転移陣など使っていなかったらしいの」
「じゃあ、だれが使っていたの?」
「引きこもり」
「え」
ミァンは驚いて、リッカを見る。
メェメェが苦々しい口調で訂正した。
「世捨て人の魔術師だよ。転移陣があれば、扉も窓もない建物の中に入ることができる。昔、壁という物理的な方法で世間を遮断した魔術師がいたのさ。家の中にさえ扉がなく、すべて壁だけで仕切られていて、部屋間の移動はすべて転移陣で行っていたという徹底ぶり。さらには、陣のダミーまで作っていたという話もある。……ま、伝説だけどな。それも、都市伝説レベルの」
「……つまり、本来はそんなしょうもない目的に使われていた、と」
リッカとメェメェが深々と頷いた。
途端に、神秘的にすら見えた魔法陣が、大したことのないもののように思えてくる。ミァンはため息をついて、転移陣の中に入った。言われた通り、なんの変化もない。
「ラヌート山行きの呪文を、メェメェに教えておこうかの」
リッカが、メェメェになにか耳打ちした。やはり、大きな声で言うべきものではないのだろうか。
メェメェは二、三回小さく復唱すると頷き、ミァンの隣に入った。
「俺のどっかに触ってろ」
そう言われ、ミァンは手を泳がした後、白いたてがみを掴んだ。見た目通り、さらさらとした手触りだった。
メェメェが呪文を唱える。
唱え終わると同時に、大広間からミァンとメェメェの姿が消えた。見送ったリッカは煙管をふかし、転移陣に背を向けた。
*****
大広間の景色が消えた、と思った次の瞬間、ミァンは山林の中に立っていた。手の感触だけが変わらない。掴んだだけのつもりだったが、知らず知らずのうちにたてがみを握りしめていたらしい。メェメェが睨んでくる。
ミァンはぱっと手を離した。たてがみに、彼女の手の形に沿った癖が残った。
落ち着いた後に辺りを観察すると、こちらを見るいくつもの目があることに気が付いた。しかし、木の陰になっていて、そのもの本体の姿がよく分からない。目だけが光っている。それにしても、目の数が異様に多い。
数秒間、その目たちと見つめ合っていると、向こうが先に悲鳴をあげて逃げて行った。
「人間だー!」
口々にそう言っている。
「あ、デジャヴ」
その光景に思わず、ミァンは呟く。
しかし、すぐに流暢なこと言っている場合ではなくなった。
「ご飯だー!」
「!?」
どうやら、悲鳴は歓喜によるものだったようだ。
これにはメェメェも慌てる。
「こいつら、肉食か。でも、なんで向こうに走って行くんだ?」
「親玉に報告、ってところかな」
ミァンの予想は当たっていたことが、数秒後に証明された。先ほど駆けて行った者たちよりも、数倍大きな影がのっそりと近付いてくる。草木をかき分け、その影の本体が、一人と一頭の前に現れた。
メェメェがそれを見上げる。
「ラヌート山の亜人って――」
下半身は巨大な六本脚の蜘蛛。上半身は肋骨が浮いた人間の女の姿。毛深い蜘蛛の脚とは対照的に、指の先まで艶やかな腕。巨体の割に小さな頭には、白目のない八つの眼が、四対になって額から頬にかけて並んでいた。
「アラクネか……!」
八つの眼が、ミァン達を捉えた。