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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第4章 死んでゆく者たちへ】
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45.亡国のヴァンパイア

 目を覚ますと、ミァンはベッドの上にいた。肌触りの良いシーツに触れ、ミァンはなぜこんなところにいるのか思い出そうとする。寝起きの頭は混乱している。ベッドで寝るなど、フーフバラの館以来のことだ。

 薄暗い部屋の中、彼女は身体を起こす。たったそれだけの動作で、全身が悲鳴を上げた。痛みで動きはぎこちなくなる。だが、それ以上に目に見えないものが痛むような気がした。

 ミァンは辺りを見渡してみる。

 広い部屋だ。置かれた調度品は派手ではない、上品なものばかりで、全体的に落ち着いた雰囲気を醸し出している。しかし、それらには一部を除いてうっすらと埃が被っており、最近は使われていないことが一目で分かる。高い天井からは、凝ったシャンデリアが下がっていたが、そこも溶けきった蝋燭が冷えて固まっており、蜘蛛の巣が張られていた。

 絨毯はところどころ虫に食われている。にも関わらず、締め切られたカーテンだけは穴の一つもない。

 かすかにカビの臭いがする。

 ミァンはベッドから降り、床に足をつけた。その時、そばから物音がした。

 さっと身体に緊張を走らせ、ミァンは腰に手を触れる。が、そこにあるはずの物がなく、彼女は焦る。


「目が覚めましたのね」


 部屋の中でも、影が一層濃い場所から、背の高い女がぬっと現れた。

 ミァンは思わず後ずさりをして、せっかく立ち上がったのに、またベッドに尻をつけてしまう。女の容姿を、ミァンは凝視した。

 緩やかにウェーブのかかった、赤い髪。それを際立たせる、血管が透けて見えそうなほどの青白い肌。目の下にはクマがあり、女をより不健康に見せている。

 そしてなによりも、その女の目は、血のようなどす黒い赤色をしていた。

 ミァンは確信する。彼女こそが、亡国に棲む怪物。ヴァンパイアだ。

 知らない間に目的の場所、ロジリア亡国まで来ていたらしい。


「あなたが、私を助けてくれたの?」

「ここまで運んだのは、あなたの相棒ですわ」


 女は深紅のドレスの裾を床に引きずり、ミァンに近付く。

 彼女はミァンの目の前に立つと、手を差し出した。


「わたくしは、ベル・メリオ。夫人、とつけて呼んでいただけるとありがたいわ」


 ミァンは差し出された手を握る。驚くほど、冷たい手だった。体温をまったく感じない。


「私はミァン。えーと、ベル夫人……?」

「ベル・メリオ夫人、ね。ただでさえ長い名前を略しているものですから、これぐらいは呼んでもらいませんと」


 夫人はそう言って、微笑した。

 それを見ると、彼女は生きているのだ、と実感する。握手を終えると、ベル・メリオは部屋の隅まで歩いていき、そこにあったクローゼットを開けた。ミァンがいる場所からは、中を見ることは出来ない。

 ベル・メリオは腰をかがめ、そこから何かを取りだそうとしている。


「この国に用があるそうね。あなたのお馬さんがそう言っていましたわ」


 クローゼットの扉の向こう側から、ベル・メリオが話題を持ち出す。彼女は言ってからすぐに、ここを国と呼んでいいか分かりませんけど、と自嘲気味に口にした。

 夫人が聞いてくれたことにより、ミァンはここに来た目的を思い出す。ミァンは彼女の様子をじっと確かめた。今は一応、丁寧に対応してくれている。それは、ミァンが人間だからだろうか。


「人間と亜人が戦争をしている、そのことについては知ってる?」

「ここを世間から隔離された場所だと思われのようね。それぐらい知っていますわ」


 ベル・メリオはクローゼットの扉を閉めた。

 夫人の手には、血が入ったボトルがあった。透明なガラス瓶の中に、赤黒い液体が入っている。彼女が歩くたびに、中身はたぷたぷと音を立てた。

 ベル・メリオはベッド脇のサイドテーブルから、ワイングラスを取り上げる。そして、そこにボトルの中身を注ぎ始めた。室内が暗く、血と赤ワインの区別がつかない。


「あなたは、どっちの味方をしているのかな」


 ベル・メリオはグラスの代わりにボトルを、サイドテーブルの上に置く。

 手にしたワイングラスに目を落とすことなく、彼女はそれを飲み始めた。まるでワインを飲むかのようにして。音もなく、液体は彼女の喉を滑り落ちていく。

 すべて飲み干すと、彼女はグラスから口を離した。

 グラスにはどろりとした液体がついたまま。彼女の唇は、まるで紅が塗られたかのような、赤に染まっている。青白い肌の上で、唇だけが鮮やかな色を持つ。

 その様は、とても人間には見えない。


「あなた、わたくしが人間に見えて?」


 ベル・メリオは歯を見せて、笑った。尖った八重歯を確認することができた。


「じゃあ、亜人に――」

「わたくしは、魔族の味方をするつもりはありませんわ」


 彼女が亜人を魔族と呼んだことに、ミァンは目を丸める。ベル・メリオの目には、嫌悪感がありありと浮かんでいた。

 グラスを握る手に力が入っている。ただでさえ白い肌が、さらに白くなっていた。


「たとえ、わたくし自身が魔族の仲間入りをしようと。心まで落とすつもりはありません」

「……魔族、ね」

「けれど、わたくしは他人がやることに口出しはしませんわ」


 ベル・メリオは肩をすくめる。ミァンのことを指して言ったのだろう。

 彼女は、人間の少女がなぜ亜人側の陣営にいるのか、といったことには興味がないようだった。というよりも、この戦争自体どうでもいいと思っていそうな感じがする。

 ミァンは首を傾げる。ヴァンパイア、という種族については分からないことの方が多い。ベル・メリオの亜人に対する認識と言い草は、人間そのものだ。


「あなたはヴァンパイア、なのよね」

「そう呼ばれているようですわね。元は人間だけれど」

「それは、生まれた時は人間だった、という意味?」


 ベル・メリオは頷いた。


「両親とも、人間だったの?」


 ミァンが驚いて聞くと、ベル・メリオは嫌そうな顔になった。そんな質問をされるなんて心外だ、と言わんばかりに。実に不快そうに眉をひそめる。

 だが、夫人は怒らない。辛抱強く、答えてくれる。


「ええ、正真正銘の人間ですわ。お望みなら、家系図をお見せできるぐらいには、由緒ある家柄の、人間」


 人間、という部分を強調してベル・メリオは言う。

 由緒ある家柄ということは、それだけ厳格である、と言いかえることもできるわけで。彼女の亜人に対する認識は、子供の頃より養われたものだった。彼女の生家は、カリム聖教を信仰していた。厳格な信者だった父と母のもとに生まれ、ベル・メリオは気付いた時には、教えを空で言えるようになっていた。

 落ち込んだ時には必ず教会に足を運ぶほど、信仰は彼女にとって身近なものだった。


「どうして、人間ではなくなったの?」

「そんなこと、わたくしの方が教えてもらいたいですわ」


 ベル・メリオは皮膚に爪を食い込ませた。

 自身の身体を快く思っていないことが伝わる。彼女はできるのであれば、人間に戻りたいのだ。

 ミァンはリッカがした説明を思い出す。


「人間の突然変異種――」

「言い得て妙ですわね。でも、ある日突然なった、というわけではなくってよ。前兆はありましたの」


 ベル・メリオはカーテンの閉められた窓に目を向ける。眩しいものを見るように、目は細められていた。


「陽の光に、耐えられなくなりましたわ。それが初期段階」

「太陽の光が弱点?」

「っ! 人を魔族のように言うのは、おやめ!」


 弱点、という言い方が気にくわなかったらしい。ベル・メリオの感情が高ぶり、握りしめたグラスが割れる。

 ぱりん、というガラスの割れる音により、彼女はすぐに落ち着きを取り戻した。

 ミァンは夫人の怒りように面食らう。


「ご、ごめんなさい」

「……よろしくってよ。怒ったわたくしの方が、大人気なかったわ。わたくしが魔族なのは、事実、ですものね」


 そう言って、ベル・メリオはミァンと目を合わせないようにして身をかがめた。

 彼女は床に落ちたガラスの破片を拾い始める。割れたガラスを素手で触れ、肌が切れても気にする様子はない。


「そう。太陽の光を浴びられなくなりましたわ。室内に閉じこもるうちに、だんだんと肌は白く――病的なまでに白く、なっていきましたわ」


 最初は、本当になにかの病気にかかったのだと思った。

 日に日に、肌の色は抜けていく。それと同時に体温も失われていく。さすがにおかしい、と思った家族は彼女のもとに医者を連れてきた。


「お医者さまに診てもらっても、原因は分からない。高名な魔術師を呼んで、癒し魔法をかけてもらっても、症状は一向に良くならない」


 医者も魔術師もお手上げ状態。その間にも、彼女の身体の変化は進む。


「そのうちに、血が飲みたくたまらなくなりましたわ。隠れて家畜の血を飲んでいたことは、家族の誰も知らないでしょうね」


 血を飲むようになると、普通の食事は喉を通らなくなった。


「藁にもすがる思いで、お父さまは教会に助けを求めましたわ。そして、わたくしのもとに聖職者を連れてきましたの」


 ベル・メリオは集めたガラスの破片を、握りしめた。拳の間から血がにじみ出す。


「過去にもこういう事例があったのでしょうね。その聖職者はわたくしを見るなり、こう言いましたわ。この子は魔族になりかけている、もう手遅れだ、と」


 絶望的な宣告。

 それを聞いた瞬間、彼女を見る家族の目が変わった。まるで、人間ではない者を見る目。それは得体のしれないものに対する畏怖であり、彼女に対する拒絶だった。人間ではなくなっていく娘を、ベル・メリオの父は自分の娘だと思えなかったのだ。

 ベル・メリオはサイドテーブルの上で拳を開き、ばらばらとガラスの破片を落とした。ガラスの破片の山の頂上に、血がぽたぽたと落ちる。彼女の手のひらはズタズタに裂かれていた。

 ガラスの破片を握っていた方とは違う手で、ベル・メリオはボトルを掴む。その中身はまだ残っていた。グラスは割ってしまったので、注ぐ物はない。だから、彼女はそれに直接口をつけ、一気にあおる。先ほどの優雅さを感じさせる動作は、微塵も残っていなかった。

 ミァンが目を見開いたのは、ベル・メリオの粗暴な行動に驚いたからではない。

 ボトルの血がすべて彼女の口に含まれると、ベル・メリオの手の傷が、みるみる内にふさがっていったのだ。完全に傷が治ると、血まみれの手だけが残る。


「わたくしは、人間ではなくなってしまいましたわ。こんな忌まわしい……醜い身体を手に入れて、化け物と呼ばれるのも仕方のないこと。そうでしょう?」


 ミァンはなんと返すべきか迷った。ベル・メリオの容姿は美しい部類だ。たしかに、目の下にはクマがあるし、顔色も悪いが。彼女はそういうことを言っているわけではないだろう。

 血を飲み、生きる身体そのものが。醜い、と彼女は考えているのだ。

 ベル・メリオは別に返事を期待していたわけではなかったようで、話を進めていく。


「化け物、魔族呼ばわりは仕方のないこと。けれど、あの一言だけは許せませんわ。お父さまが連れてきた聖職者、奴はわたくしに向かって“信仰が薄いから、このようなことになるのだ”と言いやがりましたのよ」


 彼女の眼は怒りに燃えていた。少し、口調が崩れている。


「そんなわけがありませんわ! わたくしは誰よりも熱心に祈りを捧げましたわ。誰よりも、救いを求めたから! 変わっていく身体に一番怯えていたのはわたくし自身。いつかは英雄が助けに来てくれるのだ、とわたくしは信じていた」


 今まで諸悪の根源のように教えられてきた魔族に、自分がなっていくという恐怖。それが、どれほどのものか。家族は庇ってくれない。彼女を支えてきた頼みの綱、信仰にも見放された。

 どす黒い感情が、若きベル・メリオの身体に宿った。これが、魔族になるということなのか、と実感するほどの重苦しい感情が。


「それなのに、“救いは死のみ”ですって? 一人の怯える娘も救えないのに、奴らは人間の守護者のつもりでいるなんて、ちゃんちゃらおかしいと思いませんこと?」

「異質なものは、排除する方が楽だから」

「でも、その聖職者はわたくしを殺しませんでしたわ。どこか遠くへ、祖国を離れて、人目を避けられるような場所へ行きなさい、と言いましたの」


 ミァンはぽかんとする。

 現にベル・メリオは生きているのだから、何かあったのだろう。と予想はしていたが、まさか聖職者自身が見逃す選択をするとは考えていなかった。元が人間であるから慈悲をかけたのか。事前に、救いは死しかないと言っておきながら。

 しかし、ベル・メリオにはその聖職者に恩を感じている様子は見受けられない。理由はすぐに彼女の口から語られる。


「お父さまは、急いでわたくしに結婚相手を見繕いましたわ。結婚を名目にして家から追い出す方が、体裁が良いものね。その相手が、ロジリア公国の公爵さま。公爵さまは良い方でしたわ、わたくしには勿体ないぐらいに。ここに来てからは、心なしか、症状の進行が遅くなったような気さえしましたわ」


 ささやかな結婚生活が、信仰に変わる、心のよりどころになった。自分はまだ人間でいられる、と思えた。父や聖職者は、こういった効果を期待して、祖国を出て行くようにうながしたのではないか、とさえ考えた。

 ベル・メリオの包み隠さない告白を聞いても、公爵は彼女を嫌うことはなかった。それどころか、彼女をいたわり、少しでも症状が改善する術はないか、と文献をあさった。

 優しかったのは公爵だけではない。ロジリア公国の人間たちは皆、ベル・メリオのことを邪険に扱うことはなかった。

 そんな環境が、彼女の精神を安定させた。


「まあ、気のせいでしたけれどね」


 ベル・メリオはため息をつく。

 精神は安定しても、身体の変化は進むばかり。ついに、彼女は完全に人間ではなくなる日がくる。


「わたくしが魔族に変わった時、公国は亡国に変わりましたの」


 悔しさのにじんだ声。後悔が、彼女から伝わってくる。


「どういう意味?」

「わたくしにもよく分かりませんわ。人間が魔族に変化する、そのこと自体が異常ですもの。周囲の人間に影響を与えたのかもしれませんわね。毒気のようなもの、かしらね」

「毒気?」

「そうとしか表現できませんわ。――わたくしは、死のうと思いましたのよ」


 ベル・メリオはきつく目を閉じる。

 ミァンは話が読めない、と首を傾げた。


「変わっていく身体に耐えられなくなりましたの。完全な魔族になる前に、自分から死んでやろうと思って、ナイフを自分の胸に」


 このままでは公爵や公国の人々に迷惑をかけることになる。カリム聖教には失望したが、考え方などそう簡単に変えられるものではない。彼女は、自分が魔族になることを許せなかった。

 プライドの高かったベル・メリオは、自殺を図ったのだ。


「けれど、死ねなかった。確かに心臓を刺しましたのに。いえ、死んだも同然なのかしらね。だって、心臓も脈も止まって、息もしなくなりましたもの! それなのになぜ、わたくしは今、動いているの? どうやったら、死ねますの? どうしたら、皆のもとに――」


 ベル・メリオは顔を手で覆う。手には血がついたままだった。それが、顔を汚そうと、彼女は気にしない。気にすることなく、ぐしゃり、と前髪を掴む。

 時折、感情を爆発させる夫人を、ミァンは黙って見ることしかできなかった。


「自殺が失敗して、気付いたら、ロジリア公国の人間達は死んでいましたわ。なんの前触れもなく、突然。これはもう、わたくしのせいだとしか思いませんこと?」


 周りの人間達に迷惑をかけないためにやった行為だった。だが、それが完全に裏目に出た。何もかもを失い、彼女は虚無感に襲われた。

 ミァンはそのような話を聞いたことがなかった。だが、ヴァンパイア自体が未知数の存在なのだから、あり得ない話ではないのかもしれない。

 ベル・メリオが完全にヴァンパイアになった夜、ロジリア亡国は出来上がった。


「聖職者はそれを知っていたのでしょう。だから、わたくしを遠ざけたかったのですわ」

「ベル・メリオ夫人を殺したら、周囲の人間に影響を与えるって?」

「そればかりか、完全な魔族の出来上がりですわ」


 ベル・メリオは顔から手をどかした。頬に赤い手形がべっとりとついている。

 ミァンは慎重に声を出した。


「……それは、カリム聖教に怨みがある、と受け取っていいのかな」


 ベル・メリオの目がきらりと光る。


「ええ、そうですわ。けれど、わたくしは復讐よりもここでやることがありますの。だから、どちらの立場も取らない。傍観させていただきますわ」


 ミァンは彼女を無理に引き入れようとはしなかった。今回の目的は、あくまで転移陣だ。彼女が邪魔をしないのであれば、こちらも何も干渉することはない。


「この国に転移陣を描きたい、って言ったらさすがに許さないよね?」

「勝手になさい」

「え?」

「それが何かは分かりませんけど、響きからだいたい想像はつきますわ。好きになさい。この地を荒らさない限り、わたくしは誰とも対立しませんわ」


 あっさりと許可がおりてしまう。これはもう、目的を達成したも同然だ。今回は、早く帰ることができそうだった。

 ミァンはベッドから立ち上がった。今度は、全身に痛みが走ることはない。


「メェメェはどこ? それと、私の剣は?」

「お馬さんは、城の庭園にいると思いますわ。剣はそこに」


 ベル・メリオは、部屋の真ん中にあるテーブルを指さした。その上に、剣が乗っている。ミァンはそれを手にした後、メェメェに会いに行くために部屋を後にした。

 一人部屋に残されたベル・メリオは、ぼんやりと窓に目を向ける。

 カーテンからは、夕陽が透けて見えていた。夜が近付いている。


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