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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第3章 恋は人を変えるのか】
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38.門出の夜

 城下町の中では、どこにいても人に囲まれる。ミァンは今、話題の人物だった。話題だったのは前からだが、前は皆、遠目で見るだけだった。それが、今日の出来事で、気安く話しかけられるようになった。

 メェメェは彼女の気持ちをくみ取り、人気の少ない高原に連れてきたつもりだった。普段、彼が朝食を取っている場所だ。

 しかし、それが裏目に出た。

 高原には先客がいた。ケンタウロスの子供たちだ。見かけたことのある顔が、ちらほらいる。ここで、遊んでいたらしい。

 子供たちはミァンに気付くと、軽快な足取りで、彼女のことを取り囲んだ。


「ねーちゃん、ヒーローだったんだな!」


 だれか一人の興奮した声。

 大人たちが彼らにそう教えたのか。ミァンを見る目が、羨望のそれになっている。卑怯者を、討伐した騎士。

 以前、ミァンが手合わせしたことのある少年が、自慢するように胸を張った。


「おれ、母さんと見たよ。おねえさんが、剣をこうズバッて――」


 彼は落ちていた枝を拾い、見てきたものを真似るように動かした。周りの子供たちがわく。

 背の上で、ミァンの身体が強ばった。それを感じ取ったメェメェは、ぎくしゃくとする。


「わたしもみたかった!」

「おまえにはまだ早いよ。行っても、小さいから、大人が邪魔で見えないし」


 少年の妹がぐずると、彼はそう言った。少年も、すべてを見られたわけではないかもしれない。彼の口調は、体験からくるもののように思えた。

 少年は枝を放り捨て、腰に差していた剣を抜く。


「ねえ、また手合わせしてよ。あれから、おれ猛特訓したんだ。父さんにも誉められるぐらい強くなったんだぜ」


 ケンタウロスの子供たちは、期待に満ちた視線を、ミァンに向ける。

 ミァンは微笑もうと努力した。しかし、顔がひきつったかもしれない。


「ごめん。そういう気分じゃなくて」


 少年はがっかりしたが、空気を読んで、剣を再び鞘に収めた。

 諦め切れていないのは、少年自身よりも周りの子たちだ。彼らの不満を解消しようと、メェメェはある提案をする。


「代わりに、俺と勝負しようぜ」

「剣持てないじゃん」


 子供たちの不満顔は変わらない。

 メェメェは首をそらし、高い位置から、子供たちを見下した。


「誰も、戦うとは言っていない。ま、戦うにしても、お前さん達のようなガキ、魔法でイチコロだけどな」


 子供たちはブーイングを上げる。

 メェメェはひひっ、と笑いながら、その不満の声を受け止めていた。彼らの興味が、ミァンからメェメェに移ったところで、メェメェは続きを喋る。


「追いかけっこ。つまり、足の速さを競うんだ。ここから、あそこの一本木まで」


 メェメェが鼻先で指した方角には、広い高原の中で一本だけ生えた、目立つ大木があった。ここからだと、かなりの距離がある。

 子供たちはやる気になって、足を踏みならした。


「へー、おもしろそうじゃん」

「俺様は大人だからな、ハンデを負ってやる。俺は、小娘を乗せたまま走る」


 ミァンの了承を得ないまま、メェメェはそう言った。断るのも面倒くさかったので、ミァンは仕方なく、メェメェの角をしっかり握る。

 ケンタウロスの子供たちは、ぐっと足に力を入れた。


「さあ、走れ!」


 メェメェが合図を出すと、子供たちはいっせいに飛び出していった。我先に、と一本木を目指す。

 メェメェはすぐには走りださず、子供たちの後ろ姿を見ていた。本当に走る気があるのか、とミァンが思い始めた頃、メェメェは急に足を動かした。

 それは、今までのどの瞬間よりも、速かった。ミァンはメェメェの背に身体を密着させる。耳の横で、風が轟音を立てていた。

 メェメェはすぐに子供たちと並び、一瞬で追い抜いた。まだ一本木まで半分以上の距離がある。

 子供たちとの差が広がると、メェメェは走る速度を緩めた。身体に当たっていた風は、気持ちの良いそよ風になる。余裕ができたミァンは様子を見るために、後ろを振り返った。

 小さくなった子供たちが見える。これだけ距離が開いていても、彼らはまだ諦めていないらしく、必死に足を動かしていた。


「大人げない」


 ミァンの言葉に、メェメェはまた、ひひっと笑った。思いっきり走ったことで、彼は気分が高揚しているらしい。


「脚の長さが違うからな、ガキ共とは」

「私のこと、ハンデ扱いしたね。年頃の女の子に対して、失礼だと思わないの」


 ミァンは片手を角から放し、メェメェのたてがみを引っ張る。


「お前さんの体重っていうか、ほとんど鎧の重さだよな」


 メェメェの言い訳めいた発言に、ミァンはたてがみから手を放す。

 彼女が再び角に触れると、彼は言った。


「本当は、ガキ共を追っ払うために提案したんだ。だから、俺は走るつもりはなかった」

「じゃあ、なんで?」

「やっぱり、俺様がガキに負けるのは許せなかった。というか、俺に勝った、って思われるが許せない」

「やっぱり大人げないじゃん」


 子供たちが走る姿を見て、自分も走りたくなった、というのもあるだろう。

 流れる緑色の景色と、鼻をかすめる草の匂い。それを充分堪能し終えた頃、彼らは一本木までたどり着いた。

 当然、勝負はメェメェの勝ちだ。二位以降は、まだはるか遠くにいる。

 メェメェの背から降り、ミァンは高原に立つ。一本木がある場所からは、沈んでいく太陽がよく見えた。

 見下ろせば、デグラ荒野が広がっている。荒野にぽつぽつと点在する廃墟が、夕陽に照らされ、オレンジ色に染まっていた。

 どこか物悲しい退廃的な景色を前に、彼らは言葉を交わすことなく、日が沈むまで、そこに並んでたたずんでいた。




 朝とは打って変わって、夜のヨルムグル古城は物静かだ。ミァンは夜になって再び、古城の中庭まで足を運んでいた。今回はメェメェも一緒にいる。

 中庭に据えられた処刑台はそのままで。完全に拭き取ることができなかった血の跡が、月明かりに照らされていた。そんな舞台の上に、一羽のカラスがいる。

 似合いすぎた不吉な光景に、ミァンは思わず含み笑いをする。その気配に気付き、舞台の上にいたサジュエルが振り返った。


「夜の散歩とは、洒落ておりますな。ミァン嬢」


 ミァンはサジュエルに近付く。夜の闇に紛れてしまう羽色の彼は、近くで見ても輪郭が分かりにくかった。

 サジュエルは翼を広げ、彼女に敬意を表すように一礼した。


「お手柄でございやした」


 サジュエルの声音はざらついている。


「サジュエルもね」

「……気付いておりやしたか」


 サジュエルは翼をたたみ、ミァンを見上げる。

 ミァンが言っているのは、今朝の客寄せのことではない。


「サジュエルが、彼の裏切りを嗅ぎつけたのでしょう? 前に私に、きな臭い話を耳に入れた、って言っていたもの」

「ええ、そうですとも。ですが、その調査にミァン嬢を向かわせるとは、思いにもよりませんでしたな。そして、このような役目を押しつけられるとも……」


 サジュエルの声に、後悔の色が帯びている。彼は、彼らは、いつだってミァンのことを第一に考える。ミァンがこのような思いをする羽目になると知っていたら、サジュエルはたとえ軍が壊滅してもくちばしを閉ざしていたかもしれない。

 だが、そのような考えはお門違いだ、とミァンは思っていた。彼女は別に、恨み言を言いに来たわけではない。ましてや、彼を非難するつもりもない。

 皆それぞれに、役目というものが存在する。


「ここを離れるつもり?」

「あっしの役割は終わりやした。これ以上ここにいても、何をすることもできやせん。根無し草のあっしには、軍に身を置くなど考えもできませんからな。放浪の生活に戻らせてもらいやす」


 サジュエルにも思うところがあったのだろう。ここの生活は、性に合わないと悟ったのかもしれない。きっかけは分からないが、彼は何かに失望しているように見えた。亜人混合軍に、戦争に、世界そのものに、自分自身に。もしくは、その全てに。

 ミァンも引き留める気はない。寂しくはなるが、もともと彼に再会できたことだって、偶然だったのだから。

 それに、彼にはやってもらいたいことがあった。


「サジュエルにはまだ、役割があるよ」

「励ましですかな?」

「ううん、違う。サジュエル、話のレパートリーを増やす気はない?」


 サジュエルは首を傾げる。

 一応、尋ねているが、それが彼女の頼みだとすぐに分かった。サジュエルに、ミァンの頼みを断ることなどできない。


「世にも奇妙な、インキュバスと純潔の乙女の、恋の話なんだけど」


 サジュエルは黒いつぶらな瞳を、丸めた。

 これから話されるのは、まるでおとぎ話のように現実味のない物語。そして、おとぎ話にしてはあまりにも現実的で、救いのない物語の結末。

 それが彼のくちばしから語られれば、より悲壮感を漂わせる物語へと昇華するだろう。

 百年後、二百年後の世界で、悲劇として扱われる物語の題材は、ここから生まれた。



 *****



 一羽のカラスが旅立とうとした夜、フーフバラでも同じく、故郷を離れようとする女がいた。

 母からライラックのことを聞いたオリヴィアは、黙って剣を持った。下手な幻想は抱いていなかった。彼がやろうとしたことを考えれば、命があるとは到底思えない。

 母のヒルダに別れを告げることなく、彼女は家を出る。皆が寝静まっている夜のうちに旅立ってしまおう、と考えたオリヴィアは、家の前に相棒を待たせていた。

 ハートホーン家の屋敷の敷地を出てすぐに、彼女は相棒の姿を見つける。

 純白の馬の身体が、暗闇に浮かび上がっていた。絹糸のようにきらめくたてがみと尻尾が、風に揺れている。割れた蹄を持つ脚はしっかりと揃えられ、礼儀正しそうな印象を与えていた。そして一番特徴的なのは、額から生えるねじれた一本の角。

 オリヴィアの相棒、賢獣ユニコーンだ。


「乙女よ、旅立つのだな?」


 ゆったりとした声音が、ユニコーンから放たれる。

 オリヴィアは彼に近づき、首を撫でた。


「ユージーン。最後まで、付き合ってくれるよね」


 ユニコーン――ユージーンは嬉しそうに目を細めた。


「無論。それがしの力は、ぬしのような乙女に使われるためにある」


 オリヴィアは申し訳なさと感謝の気持ちを込めて、彼の首に抱きついた。ユージーンは目を丸めて驚きながらも、それを咎めることはしない。

 しばらく彼と身体を触れ合わせた後、彼女は首を放した。そして、ユージーンの目を真っ直ぐ見つめる。


「私は、初めて、自分の意志で剣を持ったわ。周りに流されるわけではなく、自分がそうしたいからよ。結局、私も角派の女なのよね。彼のことを聞いた時、自分の中に思い浮かんだ選択肢が、これしかなかったのだから」


 戦いたくない、と思っていた彼女が、取った選択肢。それは、彼女を戦わせたくない、と思っていた彼の意志に反するかもしれない。

 けれど、オリヴィアは剣を持たずにはいられない。血筋のせいかもしれない。

 ユージーンは、オリヴィアの決意の表情に、ぞくぞくとした笑みを浮かべる。


「ぬしの真っ直ぐな心意気は、いつ見ても美しい。やはり、それがしの見立ては間違っていなかった」


 前脚の蹄をそろえ、ユージーンは猛々しく首を反った。


「それがしが、ぬしの剣となり、盾となろう。共に行くなら地獄まで。とことん付き合いましょうぞ」

「ユージーン、ありがとう。でも、まずは私の足になってほしいわ」


 興奮している彼に、オリヴィアは冷静な指摘をする。ユージーンもハッと気付き、身体を落ち着かせた。

 オリヴィアはその背に飛び乗る。


「私は角派の女。あんたのためになんか、泣いてやらないんだから」


 行く手をまっすぐ見据える彼女の目に、涙が浮かぶことはない。なぜなら、オリヴィアもまた、角派の女だからだ。




 娘の門出を、ヒルダはひっそりと見送っていた。屋敷の二階の窓越しに、娘の背を。

 それが娘を見る最後になる、と分かっていようと、ヒルダは引き留めることはしなかった。娘の決めたことを、母親が口出しするものではない。ましてや、オリヴィアはもう子供ではないのだから。

 オリヴィアは、大人の女に育った。ハートホーン家にふさわしい女に。そして、一人の男を愛する女に。

 以前のヒルダだったら、インキュバスとの恋愛など鼻で笑っただろう。そそのかされているのだ、と。娘もまだ未熟だ、と考えただろう。

 しかしヒルダが、ライラックとオリヴィアの関係を知ったのは、彼女がライラックに庇われた日の夜のことで。オリヴィアの真剣な告白を聞いてしまい、ライラックの誠意ある姿勢を見てしまった後になっては、否定することなどできなかった。


「良い男を好いたな、オリヴィア」


 ついに娘の姿が見えなくなったところで、ヒルダは呟いた。

 今となっては、ライラックの不可解な行動にも、説明がつく。この時期に、彼が行動を起こさなければならなかったわけも。

 すべては娘のためだった。

 もしかしたら、庇われたのも、自分がオリヴィアの母親だからかもしれない。と、ひねくれた考え方をしてしまうヒルダ。

 さて、とヒルダはこれからのことを考える。

 フーフバラの平穏は約束されたも当然だ。問題は、教国の要請。亜人の中にも、あのような骨のある者がいた、と知った今。彼らを下等生物と一蹴し、排除しようとする教国のやり方には疑問を感じる。それは、正しくないことだ。正しくないことはやらないのが角派の女だ。

 国が一つにまとまれば、自分の意志だけを通すわけにはいかなくなる。だが、これに関しては翼派筆頭ブルーノも同じ考えだろう。

 教国に盾突くのは賢い選択ではないかもしれない。しかし、今までだって散々馬鹿をやってきたのだ。今更だ。そもそも、この国に信仰などない。だから、淫魔に付け入られたとも言えるが。

 手始めに、残されたサキュバス達の保護から始めよう、とヒルダはフーフバラの山に建つ館に目を向けた。


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