表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第3章 恋は人を変えるのか】
38/90

37.ひかれ者の小唄

 祭りのような騒ぎ、と表現するのはいささか不謹慎だろうか。ヨルムグル古城の中庭は、多くの亜人であふれ返っていた。

 裏切り者の処刑。

 それを一目見ようと皆、仕事をほっぽりだして、ここに集まってきたのだ。リッカが、それを許していた。彼女の怒りは収まっていない。しかし、理由はそれだけではないだろう。

 サジュエルも、この人だかりを作るのを手伝ったという。彼の客寄せならば、大人も子供も、大道芸を見るような気楽さで、ここに足を運ぶだろう。サジュエルはリッカ直々に、それを頼まれて、断ることはできなかったようだ。やるからには全力で励むのが仕事人というもの。彼の仕事ぶりは、リッカの満足のいく成果を出した。

 そして、ミァンもまた、大役をまかされていた。

 朝早くから古城に呼び出されて、嫌な予感はしていたのだ。だからといって、逃げ出すわけにもいかなかったのだが。

 ライラックの処刑を、ミァンにまかせる。観衆の前で彼の首を落とせ、とリッカは命じた。

 これは見せしめなのだ。彼のような考えを持つ亜人が、そう何人もいるとは思えない。だが、芽は出さないに限る。芽が出てから摘んでいては、遅いのだ。

 リッカは今回の主役を、ミァンにしようとしている。人間の少女ミァンが、裏切り者のインキュバスを切り捨て、ヒーローになる。そんな筋書き。

 彼女に対する亜人の不信感を払拭するために、リッカが考えついたのだ。お門違いな憎しみを、すり替えてしまおう、と。

 ミァンは処刑台の上で、自らの引き立て役となる男を待っていた。

 処刑台、といっても特別な何かがあるわけではない。三段しかない階段を上ったら、ただ平面な床が敷かれている。お立ち台のようなものだ。

 これは舞台装置。姿を見せない魔王と対照的に、ミァンをヒーローとして担ぎ上げるための。

 舞台の上から見る観衆の顔は、どれも期待に満ちていて。これから何が始まるのか、本当に知っているのか、とミァンは言いたくなる。


「ああ、来たぞ」

「裏切り者だ」

「淫魔の分際で、我々に盾突くなんて」


 聞こえてくる言葉に、ミァンは目眩を覚える。

 これから何が始まるのか、彼らはよく理解していた。そのうえで、あんな顔をする。娯楽の少ないこの場所で、彼らは残酷なショーを期待している。

 ライラックは、後ろ手に縛られたまま、舞台まで上がってきた。昨夜、ミァンが最後に見た時のまま、姿は変わっていない。

 衛兵に槍でつつかれ、彼はミァンのすぐそばで、膝をつく。

 ミァンは、目を合わせることができなかった。


「己の身が可愛いがために、我らの情報を教皇に売り渡そうとした下郎。これから行われるのは、そやつの処刑じゃ」


 リッカが高らかに宣言すると、ライラックは肩を震わせた。


「くっ、ふふ」


 笑いをこらえているようだ。

 リッカは不審そうに、彼を見る。


「なにが可笑しいのじゃ」

「いいえ、なにも。なんでもない」


 ニヤニヤと笑いながら、ライラックは答える。その反応は、リッカが期待したものではなかったのだろう。彼女は不満げな顔で、観衆に向き直る。

 空が曇っているのは、彼女のせいかもしれない。今にも雪が降り出しそうな分厚い雲が、太陽を隠していた。陰鬱な天気が、雰囲気作りに一役買っている。

 なんとおあつらえ向きなことだろうか。


「なにか言い残すことはあるか?」


 リッカは嫌々、その台詞を言った。

 ライラックは優雅に翼を広げる。左右非対称となった翼が、観衆に陰を落とした。尻尾はゆらゆらと気ままに揺れている。

 余裕さえ感じられる動作に、リッカは苦々しい表情を浮かべる。


「どちらかといえば、皆の方が、僕になにか言いたいようですが」


 瞬間、観衆から野次が飛ぶ。ミァンは言葉の端々しか聞き取れなかったが、だいたい何を言っているのかは見当がついた。

 敵意に満ちた数知れない視線を、ライラックは飄々と受け止める。彼は、どこか冷めた目で、彼らのことを見ていた。

 最前列で、ひときわ大きな声が上がった。威嚇するようなうなり声だ。すると、皆はその声の主に発言を譲るように、黙り込んだ。


「言いたいことだと? あるに決まっているのだ」


 金色の毛色が眩しい、獣人族長ループだ。

 ミァンは彼に罵声を浴びせられた時のことを思い出す。彼は、亜人の中でも特に人間嫌いが激しい。ライラックのことは、親の仇ぐらいに思っているだろう。


「言いたいことはただ一つ! さっさと死ね」


 ループのシンプルな発言に、亜人達から拍手が上がる。

 なんだこの茶番は。と、ミァンはライラックと同じく、どこか冷めた面持ちでそれを聞いていた。

 ライラックのこらえていた笑いが漏れ出す。


「野良犬が。あんな得体の知れない魔王相手にしか、尻尾を振れないのか?」

「なんだと?」

「だから、あんな怪しい奴を頼るしかない亜人たちのなんと哀れなことか、と――」

「そこじゃない。今、オレをなんと言った?」


 ループの毛が逆立っている。彼が飛びかかることを予想して、周りの者が腕をつかんでいた。ループなら、階段なんか使わなくても、やすやすとここまで上がってこられるだろう。

 ライラックはきょとんとしたが、すぐに嘆かわしそうにため息をついた。人を小馬鹿にしたような目が、輝く。


「野良犬。薄汚い、を付け忘れていたよ」


 ループは歯列をむき出しにした。そして、自分を掴む手を振り払い、ライラックに飛びかかろうとする。

 それを止めたのは、リザードマンのギョロメだった。腕を掴むだけでは足らないと判断したのか、彼を後ろから羽交い締めにする。

 ループは暴れながら吠えたてた。


「トカゲ野郎! 放せ!」

「放したら、上に行くだろうが」

「オレが処刑してやる! オレの牙で首を噛み切って、この手で心臓をえぐり出してやる!」


 ギョロメはループの耳のそばで、冷静になるよう、言い聞かせる。尖った耳は後ろに反り返っていたが、彼の言葉はちゃんと聞いているようだった。


「簡単に乗せられるでない。淫魔はこうやって人を扇動する、ということを忘れたわけではあるまい」


 ループは毛を寝かせる。興奮は収まり切っていないようだが、頭は冷えてきたらしい。


「魔王に不信感を抱かせようとするのも、その手の類だろう」


 ギョロメの発言に、ライラックは目を丸める。しかし、すぐに目を細めて、やはり愚かしい者を見るような目つきをするのだった。


「もうたくさんじゃ。ミァン、そやつを殺せ」


 ループの起こした騒ぎで、どよめいたままの亜人達。リッカはそれらを落ち着かせるのを諦め、ミァンに命令した。

 皆、こちらに注目していたが、口々に何かを叫んでおり、静寂とは程遠い。この雰囲気の中で処刑するのは、なんとなく気が進まない。

 そう思いながら、ミァンはライラックに近付いた。すると、彼の口角が上がっていることに気付く。ライラックは、多くの亜人が淫魔を見下すように、彼らのことを見下していた。


「さながら、僕は異端というわけだ」


 ミァンは、否定することが出来なかった。


「なにか言い残すことは?」


 彼にしか聞こえないような大きさの声で、ミァンはリッカと同じ質問をした。最期の言葉が人の悪口なんて、嫌ではないか。


「あるけど、連中には聞かれたくなかったから」


 ループを煽ったのには、ちゃんと意図があったらしい。ミァンは呆れた。しっかり、彼の策にはまっている亜人達に。


「君は、僕が昨日話したことを、皆に黙っているようだ。なぜかな」

「話しても、話さなくても、同じことだから」


 淫魔の恋など、話したところで笑い話にしかならないだろう。ライラックが笑われるのは、なぜだか、しゃくだった。


「そうか。……言い残すこと、オリヴィアに伝えてくれるか?」


 今ここで、その名前が出てきたことにミァンは驚く。


「私が、わざわざ彼女に会いに行くと思ってるの? それを伝えるために?」

「君が行かなくても、彼女は会いに来るよ」

「私の居場所を、彼女が知っているというの?」

「いや」


 ライラックは首を横に振る。

 だが、確信はあるようだった。その自信が、どこから来るのかは分からない。


「愛のなせるわざ、とでもいうのかな。愛し合う二人は、どこにいても必ず巡り会う。運命とは、そうなっているものなんだ」


 ライラックは懐かしそうに、そう言った。

 ミァンはいまいち信じることが出来ない。しかし、だからといって、彼の言葉を適当に聞くつもりはなかった。もし会えたら、オリヴィアに伝えておこう、というぐらいの気持ちではいたが。


「で、伝えたいことって?」


 ミァンはもう一度、聞く。

 ライラックは口を開いた。



 *****



「……なによ、それ」


 ライラックの言葉に、動揺を隠せないミァン。

 その言葉の意図を聞きたくて、ミァンはぐずぐずとする。すると、しびれを切らしたリッカが声を飛ばした。


「なにをやっておるのじゃ! 早く、そやつの首をはねよ!」


 それを聞いたライラックは、またクスクスと笑い出す。先ほどまで、観衆に向けていた目を、今度はミァンに向けて。彼は、心底愉快そうに言うのだった。


「羨ましいだろう?」


 ライラックがなにを思ってそれを口にしたのか、ミァンは推測することしかできない。しかし、それはおそらく合っている。

 ミァンは剣を掲げた。狙いは彼の首。


「ええ、本当に。羨ましい」


 けたたましい高笑いが、中庭に響いた。ミァンはそれを止めるべく、剣を振り下ろす――



 *****



 メェメェの背に乗るミァンの口数は少ない。勝手にどこかに行ってしまいそうな雰囲気に、メェメェが心配して無理矢理、彼女を背に乗せたのだった。

 落ち込んでいるのとは違う。ただ、意識が沈みそうなほど深く、考えごとをしている。

 ヨルムグル城下町で、彼女の心が休まる場所は数えるほどしかない。メェメェはその一つ、エルの店に向かっていた。

 ミァンは食事をとっていなかったが、今は食べる気分ではない。

 店についた時、エルもそのことを察したのだろう。いつものように、サンドを差し出してくるようなことはしなかった。

 店には、普段通りの顔ぶれが集まっている。エルを手伝うテュエラと、すっかりその場に馴染んでしまったディーレ。

 彼らは、朝のことを話題にしていた。自然な光景だ。今、ヨルムグル城下町はどこにいても、その話題で持ちきりなのだから。


「せいせいしたわ。あいつらは害悪だし」


 エルは嫌悪感を丸出しにした表情で、言い放つ。人の感情に敏感なテュエラは、彼女から少し距離を取っていた。珍しいことに、ディーレの陰に隠れている。

 ディーレが意外そうな顔をしたのは、エルの発言とテュエラの行動の両方が理由だろう。


「エルさんが種族単位で悪口を言うのは珍しいね」

「有翼人は、淫魔のせいで地に堕ちたのよ。あいつらに良い印象を持っていないのは当たり前でしょ。それに、有翼人だけじゃない。淫魔には、数々の人種を貶めてきた歴史があるもの」


 メェメェははらはらしながら、その会話を聞いていた。背の上で、ミァンが何も言わないのが恐ろしい。

 テュエラは、エルのことをじっとりと見据える。


「エルはまえ、むかしのこと、しらない、って言ってた」


 その言葉に、エルはどきりとしたようだ。ばつが悪そうに、下を向く。

 テュエラが言っている“まえ”とは、ループとギョロメがここを訪れた時のことだろう。彼女は、人間であるというだけでミァンに敵意をむき出しにしたループを、馬鹿にしていた。

 個を見ていないのは、エルも一緒かもしれない。


「そうね……簡単には割り切れないのよね。これはもう、刷り込みみたいなもの……なのかも」


 そこまで言って、エルは弁解する。


「でも、あいつが私達を売ろうとしたのは事実でしょ。非難されてしかるべきじゃない」


 テュエラはディーレのそばから離れない。彼が、テュエラの頭を触っても、何も言わなかった。

 エルは少しだけショックを受ける。

 ディーレは困ったように笑いながら、言った。


「処刑場の雰囲気が、怖かったんだろうね。連れて行かなければ良かったのに」


 すると、テュエラは首を横に振った。


「いくの、いやだった。でも、ひとりでるすばんは、もっと、こわい」


 人の感情に、とりわけ悪意に敏感なテュエラにとって、あの場はつらいものだっただろう。自分に向けられたものではないといっても、泣き出さなかったのが奇跡といえる。

 テュエラは両翼でぎゅっと自分の身体を抱きしめた。


「ここも、あそこと同じ。あんなの、たのしくない。キュミアの言ったせかいは、うみのそこにしか、ないの?」


 テュエラには分からなかった。大勢の人の前で、娯楽のために殺されることと、正義の名のもとに処刑されること、その違いが。

 彼女には、どちらにも同じ雰囲気を感じ取ったのだ。だから、ここはトムセロ自治都市の地下と変わらない、と言った。

 ディーレは腕組みをして、真剣に考える。


「いや、たぶん、海の底も似たようなものじゃ――」


 彼の言い掛けたことを、エルがはたいて止めた。テュエラは、そんな夢のない答えを期待したわけではないだろう。

 案の定、テュエラはディーレからも飛びすさった。逃げ場がなくなった彼女は、辺りをきょろきょろとし、メェメェに目を付ける。

 しかし、その背にはミァンがいる。

 テュエラはその場でおろおろし始めた。


「小鳥ちゃん、こっち来いよ」


 メェメェに呼びかけられて、テュエラは恐る恐る彼に近付く。彼女はちらちらと、ミァンの様子をうかがっていた。

 そういえば、とエルは一つ思い出したことを口にした。その口調は不思議そうなものだった。


「淫魔って、死んでも姿はそのままなのね」

「実は僕、ちょっと期待していたんだよね。淫魔の本当の姿を見れるかも、って」


 彼は、人間の姿のまま、死んだ。

 正確には、翼と尻尾が生えていたが。それでも、本性のすべてを見せることなく、生を終えた。

 ミァンは顔を上げる。


「あれは、彼の意地だと思う」


 ここに来て初めての発言に、テュエラはおどおどとミァンを見上げる。

 ライラックは、あの姿を崩したくない、それ相応の理由があったのだろう。たとえ、死んでしまったとしても。

 エルとディーレは首を傾げたが、ミァンはそれ以上を説明する気にはなれなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ