32.あべこべな二人
あれから数日、ミァンとメェメェは交代でライラックのことを見張っていた。もちろん、本人に気取られないよう細心の注意を払って。
メェメェは角飾りを外していた。石を割ってしまったらもったいないから、だそうだ。角飾りは小袋に入れられ、ミァンが預かっている。ヨルムグル城下町に戻ったら、祖父の物と同じように、飾り棚に並べるつもりらしい。
ライラックはたびたび館から姿を消した。彼の後を追おうにも、いつもタイミング良くサキュバスの誰か一人が現れ、邪魔をする。
ライラックは帰ってくるのも、突然だった。いつの間にか、館に戻っているのだ。そして、外へ出ていたような素振りは見せない。
幸い、彼がミァンに興味を持ってくれているため、二人っきりで話す機会は多々あった。しかし、肝心なことには触れられない。お互いにはぐらかし合って、話は本題から逸れていく。
ライラックは一貫して、ミァンが亜人に味方する理由を知りたがっていた。
ミァンは、淫魔達を軍に引き入れることが目的のように見せかけていた。彼が頷けば、ミァンの心配は杞憂に終わるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。
「ねえ、あなたが承諾してくれないと私、帰れないんだけど」
「素直にダメだったと報告すればいいのですよ」
今回は階段の踊り場で、二人は向き合っていた。日に日にミァンの焦りが募り、ライラックに迫るような姿勢になっている。
ライラックは普段通り微笑んで、やり過ごそうとする。
「毎日こんなことを言われて、鬱陶しくないの?」
「鬱陶しく思うなら、早く頷いてしまえ、と? 段々と誘いが雑になってきていますよ、ミァン。最近は強引な勧誘ばかりでつまらないです」
ライラックの評価は辛口だ。
毎日まとわりつかれて、ライラックもうんざりしている頃合いだろう。しかし、彼はミァン達に一度も、帰れ、とは言わなかった。ミァンが今度はどんな誘い文句を口にするのか、楽しみにしている節がある。
「つまらない、って。面白く言わないとダメなの」
「人を誘うには、甘い話を持ってくるのが定石というものです。そういう意味での、つまらない、です」
ぐうの音も出ない。
押し黙ったミァンを置いて、ライラックは階段を下りていく。そのまま外へ出ていくかのようにも見えたが、そうはせず。彼は一階の廊下に姿を消した。
すると入れ違いで、メェメェが階段を下りてきた。今の会話を聞いていたのか、哀れみの籠もった目でミァンを見る。
「俺もライラックと同じ感想だな。仕事が雑だ、小娘」
「もう色仕掛けするしか……」
「どういう発想をしたら、そうなるんだ」
ミァンが冗談で言っているように聞こえなかったため、メェメェはたしなめる。
焦りが、彼女の思考を鈍らせているようだ。淫魔が色仕掛けで落ちるわけがない。そういう方面の耐性には特化しているのだから。そもそも、彼女に向いた戦法ではないだろう。
ミァンはため息をつき、階段の手すりにもたれる。
「正面から聞くべきなのかな。人間と会って何をしているんだ、って」
「素直に答えてくれれば良いけどな」
メェメェは皮肉る。
どこに出かけていたのか、と聞けば、当たり障りなく「人間の街へ」と答える。何をするために、と問えば、これまた当然のように「食事」と返される。ライラックはあくまで白を切るつもりでいた。
彼は、自分が人間と会っていることを認めようとしない。そして、これはまだ推測の段階だが、自力で食事ができない状況にいる、ということも。
自身の行動が怪しまれているとは思っていないのか。それとも、気付かれても構わない余裕があるのか。ライラックは外出を控える様子もない。
「ライラックがどこに行くのか、それだけでも突き止めたいのに」
サキュバス達に聞いても、彼女達はライラックと全く同じ答え方をする。口裏を合わせているようにしか思えなかった。ということは、彼女達はライラックが何をしているのか知っているのだろう。
サキュバス達がさりげなく邪魔をするのは、ミァンにそのことを知られたくないからだ。
「待ち伏せするか」
「待ち伏せ?」
メェメェの提案に、ミァンは顔を上げた。
「館から追っていこうとするから邪魔されるんだ。俺達が先に人間の街に行って、待っていればいい。で、山を下りてきたライラックを追跡する」
サキュバス達もそこまでは追ってこないだろう。メェメェはそう言ったが、ミァンは不安そうな顔をする。
「そもそも、本当に人間の街に行っているのかどうかも疑問だけど」
「人間に会うためには、どのみち山を下りなければならない。やってみる価値はあると思うぞ」
ミァンのことを本当に邪魔に思っているなら、ライラックは彼女達のことを追い返しているはずだ。サキュバス達の邪魔立ても、徹底的にやるなら魔法に頼っても構わないのに、それをしない。ことを荒げたくないのか、あえて道を残しているのか。
淫魔達の考えが読めない以上、ミァンはメェメェの提案に乗るしかない。ミァンは剣の柄を撫で、頷いた。
*****
ライラックは角派筆頭の屋敷に赴いていた。
本来なら軍事会議に使われるという部屋で、彼は椅子に浅く腰かけている。今、部屋の中にいるのは彼を含めて、たったの三人。会議というにはあまりにもお粗末である。
だが、その三人が、一般兵が聞いたら度肝を抜くような顔ぶれだった。
まず、この屋敷の主人である角派筆頭。女傑ヒルダ・ハートホーン。ハートホーン家は代々女が家長となる女系だ。彼女達は男に引けを取らない勇ましさと気の荒さを持ち合わせている。その目に涙が浮かぶことはない、と謡われるほど角派の女達はたくましかった。
そして、彼女の向かい側に座っているのが、角派と敵対しているはずの翼派の筆頭。知将ブルーノ・シルドウィング。こちらは対照的に、気の弱そうな男だった。しかし、これでも一派をまとめ上げる筆頭なのだ。見た目に反して、彼は意志の強い男である。
最後の一人は言わずもがな、ライラックだ。フーフバラに住む魔族、淫魔。敵対する人間同士が顔を合わせていることよりも、はるかにありえない状況だった。ヒルダとブルーノは当然、彼の正体を知っている。というよりも、彼らを引き合わせ、こういった席を設けるように仕向けたのは彼だった。
ライラックが屋敷を訪れる日は、この三人以外に屋敷内に人はいない。ヒルダによって人払いされていた。俗に魔族と呼ばれる種族の者に会っているなどと、人に知られては大変なことになる。
ゆくゆくは知らせなければならないことだが、今は水面下でことを進めたかった。
なにより、ヒルダやブルーノが、ライラックのことを完全に信用しきれていないという面もある。ここは、腹の探り合いを行う場だ。
「前回の続きから、でよろしいですかな」
「停戦協定は結んでいただけるのですよね?」
ブルーノが口を開くと、ライラックは筆頭二人に向かって問いかけた。ただの確認だ。答えは聞くまでもなく、分かっている。これについての話し合いは、すでに終えているのだから。
「構わんさ。淫魔共に踊らされていただけだと分かった今、この争いに何の価値もない」
「ヒルダ殿、そのような言い方はこちらの紳士に失礼では……」
「ふん」
ヒルダは鼻を鳴らして、憎々しげにライラックを睨む。
角派と翼派の対立を煽ってきた淫魔が、今になって彼らが手を取り合う助力をする。さんざん利用されただけに、疑心があるのは無理もない。ライラックが行ったことではない、と分かっていても。
ライラックの代になってから、淫魔は対立を煽るような真似はしていない。かけられていた幻惑魔法が切れかかり、人間達は冷静になりつつあった。なんのために戦っているのか、理由が見い出せないと気付いた時、両者は停戦や和解を視野に入れ始めた。その矢先に、ライラックが現れたのだ。
彼は、今まで淫魔が行なっていたことをすべて話した。そして、はっきりと言ったのだ。この戦いに何の意味もない、と。
なぜこの時期に動いたのか、ヒルダはそれを疑問に思っていた。突然、罪悪感にさいなまれでもしたのか。今まで、だんまりを決め込んでおいて。
ライラックは、フーフバラに平穏が訪れた先のことを、考えていた。この国が一つにまとまったとしても、外の世界にはこれ以上に大きな戦争がある。国内のごたごたが収まったと聞いたら、教国が黙っていないだろう。
魔族狩りのために兵を貸せ、と言ってくるはずだ。
大陸一の軍事力は、衰えていない。教国はフーフバラの軍事力を欲するだろう。
「この停戦は、淫魔にとって不利なものでしかないだろう。いったい何を考えているんだか」
「……僕はただ、平穏が恋しいんです」
ライラックは微笑を浮かべ、手を組む。
ヒルダはこぶしを握った。彼女はこうやって笑って誤魔化す、なよなよとした男が大嫌いだった。噛みしめた歯の間から、ヒルダは声を絞り出す。
「己の平穏のために、仲間を売るのか」
「言ったでしょう。淫魔以外の亜人など、僕の仲間ではない。せっかく大陸の情勢が安定してきたのに、それを揺るがすようなことを始めて……」
ライラックは笑みを浮かべていたが、その目は笑っていなかった。ぞっとするような冷たい輝きを秘めている。
「僕はね、正直、やつらが野垂れ死ねばいいと思っているんですよ。僕たちのことをないがしろにしてきたくせに、必要な時だけ利用しようとする。虫が良すぎます」
組んだ手に爪を立て、ライラックはにっこりと笑う。今度は目を細めてしまったため、瞳の輝きを窺うことはできなかった。
「だから、“大好きな”人間の味方になろう、ってね」
ライラックは一瞬で雰囲気を一変させ、周囲に人懐っこそうな印象を与える。姿かたちが変わったわけではない。ちょっとした顔つきや、言い方に、気をつけただけだ。
ブルーノはそれで納得したようだった。しかし、ヒルダはライラックを凝視したまま微動だにしない。化けの皮が一枚剥がれたところで、その下にまだ何枚もの皮を残していそうな、得体のしれない男。それがヒルダの、ライラックに対する感想だった。今のだって本心かどうか怪しいものだ。
ブルーノは片目を瞑り、言う。
「しかし、他の魔族の情報を売ったところで、教国があなた達を見逃してくれるかどうか」
「魔族ではなく亜人――ま、どっちでもいいか。どうだろう、見逃してくれないかな。内戦終結に一役買った、っていうのは評価の内に入らないだろうか」
ライラックは軽やかに笑う。
打算的なのかそうでないのか、分かりにくい。遠回しに、筆頭の二人に口添えしろ、と言っているのかもしれない。
ライラックは首を傾げ、少しの間考える。
「それか、あれですね。魔王の首、とまではいかなくても、亜人の将の首を何個か――教皇への手土産にしましょうか」
彼が言い終えると同時に、部屋の扉が開いた。音を立てて乱暴に。
室内に飛び込んできた者の姿を見ると、ライラックは立ち上がる。抜き身の剣を手にしたミァンが、ライラックのことを睨んでいた。剣を持つ手が、怒りに震えている。その鋭い瞳に射抜かれた彼は、残念そうにため息をついた。
ヒルダとブルーノは突然のことに動けずにいる。その隙をついて、ミァンは剣をライラックではなく、ヒルダに向かって投擲した。
それには意表を突かれたようだが、ライラックはすぐにヒルダを庇うために動く。手を伸ばしても間に合わない。一瞬の判断の後、彼は躊躇なく翼を広げた。蝙蝠のような翼が、ヒルダの目の前に突如として現れた。それは、彼女を守るための盾となる。
切れ味の良い剣の刃は、翼を切り裂く。血が飛び散り、翼はその場で切り落とされる。
半分になった翼と剣が、床に落ちる。
「……へえ」
ミァンは感心したような、幻滅したような、どちらともつかない声を漏らす。
ヒルダは目の前で起こったことを理解できず、呆然としていた。ライラックの翼の切り口から、赤い血がぽたぽたと流れ落ちる音で、彼女は正気に戻った。
襲撃した少女のことは放っておき、ヒルダは狼狽した様子でライラックの無事を確かめる。
「だ、大丈夫なのか、これ。翼が――」
「人間で例えるなら、片腕を失くしたぐらいの痛み……ですかね」
苦痛に顔をしかめながらも、ライラックは余裕を見せようとする。ぎこちなく翼を仕舞おうとして、それが出来ないことに彼は気付いた。流れ出る血までは隠せない。みっともないことに、彼の両翼はしおれるように垂れた。
ブルーノがミァンに向かって、弁解するように言う。
「この魔ぞ――ではなかった、亜人は我々の味方なんだ。人間の味方だ! 話せば長いが、こちらに危害を加えることはない。私が保証する!」
「そうみたいだね」
ミァンは得物を投げてしまったため、腰から短剣を抜く。その反応に、ブルーノは混乱した。
ライラックは、彼に下がるよう、目配せをする。そして、事情を説明した。
「この子は、亜人側の陣営なんですよ」
「な、人間がなぜ」
「人間に味方する亜人がいるならば、亜人に味方する人間がいてもおかしくない、そういうことです」
ライラックの胸の内には、後悔が渦巻いていた。これは、自身の甘い考えが招いた結果だった。サキュバス達の言う通りにしていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
「種族を裏切って、本来ならば敵である側につく。それ相応の覚悟があるはずですよね。君がこちら側に寝返ってくれないだろうか、などと考えた僕が愚かでした」
「そんなふうに思ってたんだ」
「ええ」
残念そうに、ライラックは微笑む。
ヒルダやブルーノはこの場に武器を持ち込んでいない。彼らは丸腰の状態で、殺気を宿らせる少女の相手をしなくてはならなかった。
短剣を構えたミァンが、一歩、一歩、と近付いてくる。
「言いたいことはそれだけ?」
しかし、ライラックには武器がなくても魔法がある。ミァンはそのことを忘れていた。
「そうですね。君には、少しの間、夢を見ていてもらいましょう」
ライラックは素早く、幻惑魔法を唱えた。
瞬間、ミァンの意識は暗転する。見えていた景色が、別の物に切り替わる。彼女は手から短剣を落とし、膝をついた。目は開いているものの虚ろで、目の前の物は見えていない様子だった。
ひとまず脅威が去り、筆頭二人はほっと息をつく。そんな二人を、ライラックは急き立てた。
「あまり長くは持ちません。今のうちに、外へ出ましょう」
ライラックは部屋を出る前に、落ちた翼に目を向けて、一瞬だけ迷う素振りを見せた。しかし、それを拾ったところでどうにかなるわけではない。結局、彼は首を横に振って視線を外した。
ライラックが部屋を出ようと一歩足を踏み出すと、力なく身体が崩れた。筆頭二人が慌てて彼のことを、両脇から支える。
食事量を抑えていたことが、ここで裏目に出たらしい。身体の一部を失い、少し魔法を使っただけで、このありさまだ。翼が生える背中側が、ずきずきする。魔法だけでなく、自身の身体も長くはもたないかもしれない。
ライラックは苦しそうに息を吐き出し、筆頭二人に支えられて部屋を出た。




