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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第3章 恋は人を変えるのか】
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31.疑惑という名の霧の中で

 翌日、ミァンは普段通りの姿――つまり鎧を着て、屋敷の外へ出ていた。屋敷の掃除をする、ということでサキュバス達に放り出されたのだ。そのため、メェメェも一緒にいる。

 今日は街に下りるわけではないので、格好に関してサキュバス達にとやかく言われる筋合いはない。昨日は目も合わせてくれなかったメェメェも、今日は普通に接してくれる。彼はミァンが普段とは違う格好でいると、途端にたじたじとし出した。その様子を見るのも面白かったが、なにより彼女自身があの格好に慣れることができないため、さっさと着替えた。

 屋敷からそう離れていない山道で、メェメェは草を食んでいる。ミァンも、昨日買い溜めした食料を持ってきていた。固いパンを食いちぎり、チーズのかけらを口に放り込む。

 食べる物が人間と違う淫魔達の館には、当然ミァンが食べられるような物はない。そして、食堂もなかった。あるのはひたすら、ベッドが置かれた寝室のみ。ある意味、彼らにとってはそこが食堂なのだが。

 昨日は結局、屋敷へ帰った頃には夜になっていた。玄関でライラックが迎えてくれたのだが、街で見かけた時のような軍服ではなく、白いシャツと黒いスラックス姿だった。彼は自身も街に下りたといったことは一言も口にせず、一日、館にいたかのような口振りで話した。

 それでもミァンは、街で彼を見かけたのは気のせいではない、と思っている。彼女達よりも一足早く、ライラックは屋敷に戻っていたのだ。

 メェメェは食事を終えたのか、頭を上げた。ミァンも慌てて、パンとチーズを口に押し込み、喉に流し込む。彼について考えるよりも前に、やってしまいたいことがあった。


「メェメェ、ちょっといい?」


 ミァンは背中にまわした手に、小袋を握っている。

 メェメェは首を傾げた。彼女が何かを隠していると気付いたのだ。


「なんだ?」

「昨日、買ってきたんだけど。私が帰った時にはもう、メェメェは寝てたから、渡しそびれたんだよね」


 ミァンは小袋をメェメェの顔の前に差し出した。メェメェは怪訝そうにそれを見る。

 小袋の紐を解くことができない彼の代わりに、ミァンがその中身を披露した。小袋から転がり出てきて、ミァンの手に乗ったそれに、メェメェは目を丸めた。

 昨日、サキュバス達と選んだ石で作ってもらったアクセサリーだ。


「……小娘、それは」

「角飾り、で合ってるよね?」


 渡す側であるミァンが、メェメェに正解を求める。

 メェメェは信じられない思いで頷いた。


「そうだが。お前さん、それをどうして……?」

「メェメェの家にあった角飾りは、あなたの物じゃないよね。とても古そうだったし。どうせなら、私がメェメェの角飾りを贈ろうと思って」


 初めて見た時は、それがどこにつける物なのか分からなかった。角など、ミァンにはない部位だからだ。しかし、メェメェの角を掴み、その背に乗った時、おのずと答えが浮かんできた。

 彼の角のサイズは、いつも手で触れているため分かっていた。

 メェメェはミァンの想像以上の反応をしている。驚きと喜びが半々なのだろう。瞳が揺れ動いていた。


「お前さんが、そうか。そういうことか……」


 思案するような顔つきで、メェメェは呟く。

 メェメェの小難しい表情を取り払うため、ミァンは彼の角にアクセサリーをつけた。緑青色の角に、銀の鎖が垂れる。垂れ下がった鎖の先には、透きとおった石が連なっている。

 メェメェが首を動かすと、石が互いにぶつかり合って音を立てた。その音に、彼は嬉しそうに目を細める。


「俺の家にあったのは、爺さんの形見なんだ。俺の爺さんもな、昔、人間の女が相棒だったそうだ。その女から貰った物なんだよ、あの角飾りは」


 今度はミァンが驚き、動揺する番だった。あの角飾りに、そんな話が隠されていようとは。


「もしかして恋仲だったり、したわけ?」

「さあな。俺も子供だったし、そんな踏みいった話は聞かせてもらえなかった」


 メェメェは、かつての相棒の話をする祖父の姿を思い出していた。

 祖父はメェメェの前では、決して角飾りを身につけることはなかった。後生大事に、あの角飾りを仕舞い込んでいた。


「ただ一つ言えるのは、それが恋だったとしても、成就することはなかったということだ。もし、一人と一頭は仲良く暮らしましたとさ、で終わっていたなら、俺様が生まれるわけないからな」


 人と賢獣の間に、子供は出来ない。当たり前だ、種族が違うのだから。それでも、恋が生まれることはある。どちらにも感情があり、同じ言葉を喋るのだから、あり得ないことではなかった。

 子供さえ望まなければ、人と賢獣は共に暮らせた。中には、夫婦の真似事をしていた者もいる。今の世の中でそんなことをすれば、異端として斬り伏せられる可能性の方が高いだろうが。

 メェメェが今この世に存在する、それこそが、彼の祖父はその道を諦めたことを意味する。彼らのどちらかに――あるいは両方に恋心があったのだとしても。別々の道を、歩んだのだ。


「私は別に、深い意味があって贈ったわけじゃないから。勘違いしないでよね」

「お前さんみたいな小娘、こっちから願い下げだ」


 絆を深めたのかと思いきや、ミァンとメェメェは普段と変わらない憎まれ口の応酬をする。その後、同時に彼らは笑い出した。メェメェが身体を震わせると、角飾りが小さく音を立てる。

 ミァンは深い意味を込めたわけではなかった。しかし、メェメェにとっては違う。彼には、角飾りを贈られることに重要な意味があった。もちろん、恋心とは別の。

 ひとしきり笑い終わると満足したのか、ミァンは口を引き締め、真面目な表情になる。お遊びはおしまいだ。ここへ何のために来たのか、忘れてはいない。


「話は変わるけど、メェメェ。ライラックは昨日、ずっと館にいた?」


 メェメェは首を横に振った。ミァンは身を乗り出す。しかし、それは彼女が期待した答えではなかった。


「俺様も昨日は外にいたんだ。上等な飯にありつくのに、苦労した」


 メェメェは辺りに目を向ける。昨日苦労して探し出した場所に、メェメェは今日も足を運んでいた。ここだ。

 ミァンは落胆しつつも、街で見たことを、メェメェに話した。


「昨日、ライラックを街で見かけたの。人間の女と一緒に歩いていた」

「食事相手を物色していたんじゃないか?」


 ミァンは首を横に振る。


「違うと思う」

「なんでだ」

「なんとなく、こう……女の勘? 二人の雰囲気がさあ」


 ライラックは見知った相手と並んで歩いているように見えた。彼と人間の女の間にあった、微妙な隙間。彼の気遣いにも思えるそれが、余計に怪しい。

 そもそも彼は、食事をするために人間に接触することはないはずだ。真夜中の夢の世界ならまだしも、現実の世界で。ライラック自身に聞いた話から、ミァンはそう判断していた。

 メェメェは胡散臭そうに、目を細める。


「お前さん、もしかして嫉妬してるんじゃないか」

「え、なんで」

「いくらライラックが配慮しているとはいえ、あいつはインキュバスなんだ。あいつに自覚はないかもしれない、お前さんにもな。でも、いつの間にか、好意が生まれていたとしても不思議じゃない」


 天性のたらしが、ミァンに影響を及ぼしているのではないか、メェメェはそう考えているようだった。


「それはないよ。だって、ライラックは嫉妬する対象じゃないし」


 ミァンはその可能性を否定する。

 バルコニーでの会話で、いくらか彼を見直しはした。しかし、それは好意を抱く程のものではない。彼女は今も、ライラックに対して苦手意識がある。

 それに嫉妬ならば、もっとどす黒い感情が湧くはずだ。二人を見た時に感じたのは、ある種の寒気だった。まるで血の気が引くような。

 メェメェは疑うような目つきを変えない。


「気にし過ぎじゃないか? そういう拒否の仕方は、むしろ好意の裏返しのように聞こえるぞ」

「メェメェ、真面目に聞いて。嫌な予感がするの」


 ミァンの真剣な眼差しに、メェメェは姿勢を正した。茶化している場合ではない、とようやく気付いたようだ。


「一緒にいた女は、軍の人間だと思う。ユニコーンの紋章が胸にあったから、角派の人間なんだよ。ライラックも紋章はなかったけど、同じ軍服を着ていた」

「ライラックがなぜ軍の人間なんかに接触しているのか、それが気になるんだな?」


 ミァンは頷いた。

 バルコニーで話したのがライラックの本心だとして、戦争を嫌う彼が、軍人と接触する理由は何なのか。ミァンはそれが知りたかった。

 ライラックが魔王の傘下に入ることをかたくなに拒む訳も、そこにあるかもしれない。


「メェメェはなにか不審に思うことはない? 彼について」


 同性であるメェメェなら、ライラックのことを正常に判断できるだろう。自分は正気だ、とミァンは絶対の自信を持っていたが、そう聞いた。

 メェメェは自分の記憶を探る。どこかで、違和感を覚えていたはずだ。その時はばたばたしていたため触れないまま過ぎたが、ミァンに聞かれて思い出した。


「まず俺の、ライラックに対する感想は、淫魔らしくない、だな。最初の段階で違和感があったんだ」

「最初って、初対面の時の話? むしろ、その時が一番、淫魔らしかったと思うけど」


 転移した先が、ただならぬ雰囲気の寝室だった、というのはなかなかインパクトがある。ミァンは忘れたくても、その時のことを忘れられそうになかった。


「いや、おかしい。淫魔同士の性交は何の意味も持たない」


 メェメェは至って真面目な顔のまま、そう言った。


「サキュバスとインキュバスが性交しても、子孫を残せるわけじゃない。淫魔は、他の種族を苗床にして種を残す」


 サキュバスとインキュバスの性交は、非生産的だ。

 サキュバスは他の種族の雄から精を奪い、子を作る。そうして生まれるのがサキュバスだ。そして、インキュバスは他の種族の雌に精を注ぎ、子を孕ませる。そこから生まれるのがインキュバスだ。

 インキュバスは、サキュバスよりも生存率が低い。母親代わりの雌の種族に擬態して生まれるが、その母親代わりの“身に覚え”がなかったとしたら、真っ先に疑われるからだ。インキュバスは子供のうちに殺されてしまうことが多い。とりわけ、カリム聖教が布教してからは、その数が圧倒的に増えた。


「別の目的だったんじゃ……あ、それもおかしいのか」


 言いかけて、ミァンは途中で気付く。

 別の目的、とは食事のことだ。淫魔が食べるものは生気。つまり――


「仲間同士で行うはずがない。非生産的なうえに、食うか食われるか、なんて。やるとしたら、同意のうえでの生気の受け渡し、だが……」

「ライラックは今、自力で食事できない状況にいるってこと? それでサキュバス達から生気を分けてもらっていた、と」


 ミァン達が乱入してしまったため、彼らは途中で切り上げざるを得なかった。充分な受け渡しが出来ないまま一日が終わり、ミァンが真夜中のバルコニーでライラックと話した時には、彼は空腹で倒れそうになっていた、というところか。

 それでも彼は決して、ミァンに手を出そうとはしなかった。魔王の使いだからかもしれない。けれど、もっと別の理由があるように思える。

 あの一瞬、ライラックはたしかに飢えた目をミァンに向けた。食欲がないわけではないのだ。だから、彼女に離れるよう言った。

 メェメェは最後に、投げやりに言う。


「それか、ただ単にそういう行為が好きなのか」

「その線はないと思う」

「俺もそう思う」


 メェメェも自分で言っておきながら、ミァンの言葉に頷いた。

 彼らに与えられた真面目そうな印象も、作られたものかもしれない。しかし、ライラックが根っからの真面目だからこそ、ミァンを食べないのだと彼らは考えた。そこにどんな理由があるにせよ、彼は自分が決めたルールには従っているのだ。


「とりあえず、ライラックのことが気になるなら、監視するべきだ」


 メェメェは館がある方向を睨む。


「リッカが伝えた今回の任務の内容は、すごく曖昧なものだった。なにか他にやってもらいたいことがあるのかもしれない。魔王からのご指名だったしな」


 彼はミァンに視線を戻し、にやりと笑った。


「上手くやれば、株が上がるかもしれんぞ。魔王は試しているんだ、俺達のことを」


 試されている、ということはまだ信用されていないということだ。

 今回の出来次第で、評価が決まる。メェメェの予測は、あながち間違っているとも思えない。

 ミァンは無意識に、剣の柄を撫でる。


「活を入れてこい、というのは建前ってことか。本当の目的は、どこにあるのかな」


 先ほどメェメェがしたように、ミァンは館がある方角を睨んだ。本来見えるはずの館は、分厚い霧に覆われている。

 ミァンの灰色の目が、冷たく輝いた。


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