30.レディが贈る物
サキュバス達と並んで歩いていると、よく男性に呼び止められた。いわゆる、ナンパである。
一番声をかけられているのはベラドンナだ。彼女はこういったことに慣れているのか、男達の誘いを上手くかわす。
二番目に多かったのはダチュラだが、彼女の場合は女性として声をかけられているというよりは、年下の女の子として見られているようだった。ベラドンナ達の妹のように思われているのだろう。ダチュラが男性からお菓子をもらう場面が、よく見られた。
意外なことに、ミァンにもそれなりに声がかかる。サキュバス達のような美女がそばにいながら、あえて彼女に目をつける者がいる。物好きだな、と内心で思いながらも、ミァンはそのことが嬉しい。女性として認められた気分だ。先日、ライラックに言われたことを、ミァンはひそかに気にしていた。
街行く人の目を引きながら、サキュバス達はミァンを服屋に連れ立った。どうも彼女達は昨日もここに立ち寄ったらしく、中に入ると店員がにこやかに挨拶をしてくれた。
「昨日あれだけ買っといて、まだ買うつもり?」
ミァンは店員に聞かれないよう、声を小さくする。
「服はどれだけあっても足りないものだ」
ベラドンナはウインクした。そして、さっそく手に取ったブラウスを、ミァンの身体にあてる。ミァンはそれを押しのけ、慌てた。
「買うのは私の服?」
「そうだ。女に生まれておきながら、女らしいことをしないなど勿体ないではないか」
色違いのブラウスを両手に持ち、ベラドンナは楽しそうに言った。
サキュバス達はすでに店内のあちこちに散らばり、それぞれ好きなものを見ている。しかし、それは彼女達自身が着る服を見ているわけではなく、ミァンに着せたいものを選んでいるのだ。
ベラドンナは両手に持ったブラウスを見比べていたが、結局、両方ともミァンに押しつけた。
「とりあえず、両方着てみてくれ」
ミァンは受け取った服を抱え、試着室へ向かう。なにか言うだけ無駄だと、朝の時点で悟っていた。
ミァンはさっさと着替え終わり、サキュバス達にその姿を見せる。下手に抵抗するより、素直に従った方がすぐに終わるだろう、と踏んでいた。しかし、試着室から出てきたミァンを待ち受けていたのは、サキュバス達が抱える大量の服。手早くブラウスの感想を言った彼女達は、次はこれを着て、とミァンにその服達を手渡してくる。
さすがの店員も苦笑いしていた。
再び試着室のカーテンが、強制的に閉じられ、ミァンは手渡された服の量にため息をつく。見事に雰囲気が違うものが集まっている。すべて試着するまで、サキュバス達は解放してくれないだろう。
その後はもう、ちょっとしたファッションショーのようだった。サキュバス達はどんな服を着ても、ミァンのことを褒めてくる。そこには、いつの間にか店員も加わっていた。それでも、受け取った称賛は服のおかげだ、とミァンは卑屈に考える。
やっと全てを試着し終えると、ミァンは服を抱えながらよろよろと出てきた。これをまたもとの位置に畳んで戻さなければならないのか、と考えているとベラドンナが財布を取りだした。
「これ、全部買わせてもらう」
「は?」
ミァンは驚きのあまり、持っている服を落としそうになる。店員もその発言に目を丸めたが、すぐに「かしこまりました」と頷いた。うながされるままに、ミァンは大量の服を店員に渡してしまった。
店員が提示した値段に、ミァンが目を剥く横で、ベラドンナは平然と紙幣数枚を渡す。英雄カリムが数枚飛んでいった。彼の偉大さがとてもよく分かる。
荷物はサキュバス達が手分けして持ち、ミァンは放心状態のまま店を出た。サキュバス達は良い買い物ができた、と上機嫌だ。彼女達の会話を聞きながら、ミァンは一つの推測に辿り着く。
「もしかして、お金の価値を分かってないの?」
「……そんなものより、物の価値……を見るべき」
ダチュラは買ったばかりの服が入った袋を、顔の前に持ってくる。良い物ならば、いくら金を出しても惜しまない、ということか。
こんな豪快な買い物を始めてしたミァンは、納得できない。あれだけの数の服を全て着るのに、いったい何日かかるだろうか。身体は一つしかないのに。彼女には、無駄な買い物のようにしか思えなかった。ミァンだって、いつまでもこんな、ひらひらふりふりした服を着ているわけにもいかない。
「もともと私達のお金ではありません。こういったものは、さっさと使ってしまうのに限るのです」
ナツメグが肩をすくめて言った。
大量の荷物を抱えたサキュバス達は、さらに注目を浴びていた。下心があってなのか、見かねてなのか、荷物持ちを申し出る男も多くなる。しかし、彼女達はそれを丁重に断っていた。荷物持ちとなると、行動を共にすることになる。ミァンと自由に会話できなくなるおそれがあったし、彼女達の正体が露見しないとも限らない。
サキュバス達は周りを警戒しているくせに、自ら目立つ行動をしているとは夢にも思わないらしい。やたら人の目が集まり、声をかける人間が多いことに、首を傾げていた。
ミァンもあえて指摘はしない。いまさら言っても、この大量の荷物をどこかに隠せるわけではないのだ。
それからも、彼女達は服だのアクセサリーだの、飽きずに店を見てまわった。さすがに最初のように大量に商品を購入することはないものの、徐々に手荷物が多くなっていく。それでも財布の金が尽きることを知らないのだから恐ろしい。
ミァンも荷物持ちを手伝っている。ミァンが自分から欲しいと言ったことは一度もないが、サキュバス達はすべて彼女のために買っていた。この荷物はすべてミァンに贈られるのだ。そう考えると、少しげんなりする。
買い物はこんなに恐ろしいものだったのか。そう学んだミァンは、もう二度と女の買い物には付き合わない、と決める。自身も女であるにも関わらず。
サキュバス達は、今度は露店を見ている。そこには安物のアクセサリーの類が、多く並んでいた。
「こういうのとか、どうかなっ」
銀のネックレスを、サフランは自分の首につけて言った。彼女の褐色の肌によく映えている。
「似合ってるぞ、嬢ちゃん」
誰にでも言うであろう台詞で、露店の親父が褒めた。サフランは白い歯を見せて笑う。
「ありがとっ、おじさん。じゃあ、これ買っちゃおうかなっ」
ミァンはぼんやりとそのやり取りを見ていた。あれもまた、自分に渡されるのだろうか、と考えながら。
すると、ダチュラが服の裾を引っ張り、気を引いた。
「……欲しい物、ないの……?」
「これだけあったら、もう充分だと思うけど」
ミァンは両手に持っている袋を掲げてみせる。重さはそれほどでもないのだが、袋の数が多くてかさばる。
ダチュラは首を横に振った。
「ミァン……、一度も自分から欲しい……って言わない」
ミァンは露店に並ぶアクセサリーを見た。これぐらいの値段なら、自分の身の丈に合っているだろう。欲しがらないことでサキュバス達に気を遣われているのなら、安い買い物でもして満足してもらう方が良い。
ナツメグが視線に気付いて、言った。
「欲しい物があるなら、遠慮なく言ってください。ミァンさんに楽しんでもらわなければ、連れ出した意味がありません」
今まで楽しんでいたのは主にサキュバス達だ。もちろん、ミァンだって楽しくなかったわけではないのだが。彼女達の会話を聞いているだけで、充分面白かった。
ミァンは露店に並ぶ品を物色する。店先に、金や銀の鎖が垂れている。整然と置かれた小皿には、綺麗な色をした小石が山積みになっていた。
「だが、鎖だけじゃ味気ない。好きな石を、好きなだけ、連ねてみないか」
小石の乗った皿をいくつか、親父は前へ押し出した。
これが、この店の売りらしい。自分の好きなように、アクセサリーをデザインできるようだ。小石は色も形も様々で、一つとして同じ物がない。まさに世界で一つだけの物を作ることが出来る。
サフランはさっそく興味を示して、小石をつまんでいる。
「なんでもいいのかなっ」
「ああ。石の数だけ、値段は上がるがな」
サフランな持った小石を太陽に透かして見る。オレンジ色の透き通った石が、太陽の光に当たって輝く。
ミァンはそれを見て、なにかを思い出した。金の鎖に、さまざまな色の石が、いくつも連なっているアクセサリー。とても大切そうに、保管されていたそれを。
今のミァンなら、それがどこにつける物なのか分かる。
露店の親父に、ミァンは聞いた。
「鎖の長さも、自由に決められる?」
「おう。好きな長さに切ってやるぞ」
そう言われたので、ミァンは細い銀の鎖を手に取って、露店の親父に渡した。そして、自分の手を使い、切ってほしい長さを伝える。
親父が鎖を切っている間、ミァンは彼に似合いそうな色の石を選んでいた。サキュバス達にも事情を伝えて、手伝ってもらう。彼女達がやる気を出してくれたおかげで、形の整った、綺麗な色をした石がすぐに集まった。
その中から、ミァンがさらに厳選した物を、露店の親父に預ける。
そうして出来上がったアクセサリーは、かなり満足のいく物だった。ミァンはそれを相手に渡す瞬間を考え、笑みをこぼす。今なら、サキュバス達の気持ちも分かる。なにも自分のために買う必要はない。相手の喜ぶ顔を見たくて、物を贈るのも悪くないだろう。
ミァンはアクセサリーの代金を支払い、贈り物用の小袋にそれを入れた。
「良い買い物をしたな」
露店を離れると、ベラドンナが嬉しそうに言った。
ミァンは頷く。先ほどまでの疲れが吹っ飛んでいた。大量の荷物も気にならない。
「……まだ、お金……あるよ?」
「よしっ、まだまだ遊べるねっ」
盛り上がるサキュバス達は、次はどの店に行こうか、と話し合っている。この分だと、街のすべての店を制覇しかねない。ミァンは早く陽が暮れてくれることを望んだ。
その時、ふと甘い香りが風に乗って漂ってきて、ミァンの鼻をくすぐった。慣れたばかりのその香りに、ミァンは振り返る。
離れた場所で、白い軍服を着た若い男女が並んで歩いていた。一瞬目に入った女の胸には、額からねじれた角を生やす馬の紋章が描かれていた。男の方にはそれらしい紋章が見当たらず。しかも、軍帽を目深に被る男の髪は、紫色をしていて。
ミァンの胸の内がざわついた。
男女は人混みの向こうに消える。
「どうかしましたか?」
ある一点を凝視するミァンを心配して、ナツメグが声をかけてくる。ミァンはゆっくりと人混みに背を向けて、にっこりと笑う。
「なんでもない。次はどこ行くか、決まった?」
サキュバス達に気取られてはならない。あの光景が意味することを、よく考えなければ。
その後もミァンはサキュバス達に付き合って街を巡ったが、先ほど見た光景が引っかかって、心の底から楽しむことは出来なかった。




