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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第1章 糸は紡がれる】
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2.高貴なる二本角

 日が暮れると、子供は親に追い立てられて野原から姿を消す。昼間の賑やかさはそのまま家の中に運ばれ、テントからは明かりがもれるようになる。オレンジ色の暖かな光が、ミァンの影を伸ばしていた。

 待ちぼうけを食らうミァンはそわそわと辺りを見つめ、気を紛らわす。昼間はなんとしても自分を押し通すために強気を見せたが、やはり慣れない場所に不安を抱いていた。

 自分の近くを亜人が通るたびに、身体を硬直させ、剣の柄を握る。彼らが通り過ぎた後も、柄に手を添えたままだ。


「待たせたのう」


 リッカが現れたのは、それからまもなくだった。薄暗い中、彼女の白い肌は浮いて見える。


「そちの教育係とでも言うのかのう。今から、その者と顔合わせするぞい」

「どこにいるの? ――あ、どこにおられるのですか?」

「ふふ、そう堅くなるでない。素のままでよい」

「……じゃあ、そうさせてもらう」


 内心、ほっとするミァン。昼間から慣れない敬語を使って、自分の性格に合わないことを自覚していたのだ。


「酒場じゃ。あの者は酒場に入り浸っておる。怠け者の奴には、少しばかり仕事を与えねばならん」


 それを聞いて不安を覚えるも、ミァンは顔に出さないよう努めた。




 酒場はテントではなく木造だった。外装は掘っ立て小屋のように見える。中には多くの者が集まっているのだろう。騒ぐ陽気な声が、入り口の前に立つ二人の耳まで届いていた。


「準備はよいか?」

「大丈夫」


 今まで、亜人どころか人がたくさん集まるような場所には縁がなかった。ミァンの緊張は、亜人と接することよりも、その注目が自分に注がれるであろうという予想からくるものだった。

 リッカが扉を開けて中に入り、ミァンもその後に続く。

 すると初っ端から、入り口付近の席に座っていた客たちが酒をふき出した。なんの冗談だ、と彼らは一様に唖然とする。口を半開きにしたまま、汚したテーブルを拭こうともしない。


「気兼ねする必要はないぞ。そちらの憩いの時間を邪魔しに来たわけではないのでな」


 奥にいる客たちはまだミァンの存在に気付いていないようで、変わらず騒ぎ続けている。

 リッカが言葉をかけても、彼らの動きは止まったままだ。そのうち、一人のリザードマンがリッカの後ろに立つミァンを震える指で差した。


「後ろのは……?」


 すっかり酔いが醒めた口調で彼はたずねた。


「今日より我が軍勢の一員になった者じゃ」


 なんのことはないように答えられても、彼らは納得しない。いや、できなかった。しかし、リッカはそのような冗談を言う人柄ではない。

 彼らはひそひそと憶測を述べあった。


「あれ、なんの種族に見える?」

「きっとサキュバスだぜ。あいつら、人間に化けるからな」

「サキュバス? それにしちゃあ、胸や尻が控えめだな。それに露出も少ない。鎧って需要あるの? ニッチすぎないか」

「控えめってか、ぶっちゃけ小さいよね。あんなんでメシ食えるのか」

「ひよっこなんだろ。ね、そうでしょ? リッカさん」


 最後に、狐の頭をした獣人がリッカに顔を向ける。すると、リッカはくすくすと笑った。

 言われたい放題だったミァンは押し黙ったままだ。


「面白い推測じゃのう。じゃが、この者は人間よ」


 鱗に覆われた顔が、毛深い顔が、互いに顔を見合わせ沈黙する。

 そんな中、リザードマンの向かい側に座っていたミノタウロスが立ちあがり、胸を膨らませ鼻息荒くミァンに近付いた。ミノタウロスは彼女の前に立つと、威圧するような低い声を出す。


「生け贄かなんかの間違いじゃあねぇのか? こんなチビ、兵として駆り出すより、ここにいる奴らのメシにでもした方がよっぽどマシに思えるぜ」


 ミァンのことをチビ呼ばわりするだけあって、そのミノタウロスの背丈は彼女の倍はありそうだった。

 ミノタウロスの言動からして、昼間の騒動はあまり伝わっていないらしい。ミァンは目の前の、黒い毛が生えたへそを見つめ考える。

 このあたりの肉を削いで食べたら美味しいかもしれない、と。


「ありがと。あなたも負けず劣らず美味しそうだよ、焼いたらもっといい感じになるかも。ステーキさん」

「――んだと、このガキっ」


 ミノタウロスの背後で、共にテーブルを囲んでいた連中が肩を震わせ下を向いた。仲間の反応に気付かず、ミノタウロスは頭に血を上らせる。


「気の良い友人とつるんでおるようじゃの」


 こぶしを振り上げたミノタウロスに、リッカは穏やかに言った。彼女の視線を追って、ミノタウロスはこぶしを振り上げたまま、友人たちを振り返る。友人たちは真顔を決め込もうとしたが、誰一人として誤魔化せていない。

 ミノタウロスが友人たちに向かって憤慨しているうちに、リッカはミァンを店の奥まで連れだった。その場を去る時、「実は俺も前からお前のこと美味しそうだと思ってたんだよね」と狼の獣人が言うのを、ミァンはたしかに聞いた。


「ぜひ、あの調子を貫いてほしいものじゃのう」

「は、はあ」


 ミァンは、胸が小さいだのチビだの言われた仕返しとして言い返したつもりだったのだが、参謀にあの調子を認められてしまい面食らう。

 酒場の中は予想以上にごった返していた。このような場所では酒ぐらいしか楽しみがないのかもしれない。夜になると、この野営地に一つしかない酒場に押しかけるのだろう。

 酒場の女将、セイレーンは忙しそうに駆けずり回っており、ミァンたちに気付いた素振りを見せなかった。

 女将だけではない。皆、酔っぱらい、他人のことなど気にもかけていないのだ。そのため、酒場に入る前のミァンの心配は杞憂に終わった。

 リッカは店のかなり奥まできて、ようやく立ち止まった。目的の人物を見つけたらしい。


「これが、そちの教育係兼軍馬じゃ」


 それは、人物ではなかった。馬だ。

 もちろん、この場にいる以上はただの馬ではない。筋肉質でがっしりとした体躯の黒毛。白いたてがみと尻尾。そして、頭からは緑青色の二本の角が生えていた。見るからに重たげな立派な角は、背中に向けて曲がっている。――バイコーンだ。

 床に敷かれた絨毯の上でくつろいでいたバイコーンは頭をもたげ、訝しげにリッカを見た。


「あ?」

「『あ?』ではない。聞いたな? そういうわけで今日からそちには、この者の教育係をしてもらうぞ。戦場では生死を共にする相棒じゃ」

「聞いてねえ」

「今言ったからの」


 バイコーンの横に置かれた桶にはなみなみと酒が注がれている。しかし、この馬に酔った雰囲気は見受けられない。

 バイコーンはミァンに目を向けた。じろじろと値踏みするように見た後、バイコーンは鼻を鳴らした。


「はん、こんな乳臭いガキの面倒見ろって? ごめんだね。男の匂いの一つや二つ付けてから出直してきな、小娘」

「……このように、この者はそちが人間であろうと気にせず歓迎してくれる人格者じゃ」

「どういう風に聞いたら、そう受け取れるんだろう」

「おい、話聞いてたか。ボケ参謀」

「息ぴったりじゃ」


 バイコーンはリッカを睨みつける。

 攻撃的なバイコーンにリッカはため息をついた。彼女の吐く息は白く凍っていた。そして、バイコーンに対抗するべく、リッカも負けじと睨みかえす。すると、室内の温度が数度下がったかのような感覚に襲われた。ミァンの腕に鳥肌が立ったので、リッカから冷気が漏れていることは間違いないだろう。

 突然うすら寒くなった室内の異変に、酔っぱらい達も気がつき始める。冷気の原因を探れば、我らが参謀の雪女に行き当たり、その光景に彼らは肝を冷やした。

 リッカが怒っているからではない。バイコーンが失礼な態度を取っているからでもない。そんなものはある意味で日常風景だった。

 彼らの間に挟まるようにして、ここにいてはいけないはずの者がいる。人間だ。


「この短期間で二度も不祥事を起こしているそちに拒否権はないと思うがの。それに、最近は酒場に入り浸っておるというではないか。ここらで、仕事して皆の役に立とうとは思わんのか」

「脅しか?」

「そうかもしれんのう」


 バイコーンはリッカを睨み続け、そのうちに諦めたように息を吐きだした。


「……っくそ。足元を見られてるってわけかい。とんだ貧乏くじだ」

「これでそちの信用が回復することを願っておるぞ」

「ふん、心にもないことを。――おい、小娘」


 そう言って、バイコーンは立ちあがった。当然だが、ミァンの背よりも高い位置に、バイコーンの頭がくる。すると、光の加減か実際にそうなのか、穏やかなはずの草食動物の目がひどく見下した色を帯びているように見えた。


「俺様の名を心して聞け。俺様は、ゲンナディオス・デュオ・ピラスピ・モイケウオー。由緒正しき家系に生まれた公爵だ。お前さんのことは小娘と呼ぶから、名乗らなくていいぞ」

「私はミァン。あなたの名前は長ったらしくて覚える気がしないから、『メェメェ』と呼ぶね」


 酒場はすっかり静まりかえっており、彼らの会話はその場にいる全員に聞かれていた。酔いつぶれ寝ていた数人の暢気者を除いて。


「め、メェメェ?」


 だから、高貴なバイコーンが普段見せない狼狽を見せ、素っ頓狂な声を上げた時、彼らはもう我慢ならなかった。一人が笑い出すと連動するように二人が笑い出し、最後は酒場全体を震わせるほどの大爆笑にまで成長した。

 話題の中心にいるのが人間であることなど、酔っぱらいの頭では些細な問題のように思えた。


「そう。あなたの立派な角、山羊みたいだから」

「やっぱり無理だ、こんなガキ」

「仲良くやれそうじゃの」

「聞けよ!」


 リッカは口元を袖で隠し、ほくそ笑む。

 酒の力で勢いづいた酔っぱらい達は、バイコーンこと、メェメェに軽口を叩く。覚えておけよ、とすごまれても、明日になれば忘れているのだから気楽なものだ。


「だいたい、こいつをどこに寝泊まりさせるんだ。人間を泊めようなんて酔狂な宿、ここにはないぜ」

「そちは――メェメェは宿に泊まっておるのだったかな?」

「わざわざ言い直しやがったな、ババア……」


 また数度、気温が下がった。念のため、リッカの実年齢はともかく、見た目は若く麗しいということをここに記しておく。


「俺が宿に泊まれると思うか? この辺のはみんな、せまっくるしいし、ぼろいし。第一、階段が登れん。この前なんか無理して、階段を踏みぬいちまった」

「あんたぁ! うちの階段、弁償してくれるんだろうねぇ!」


 猫の獣人がテーブルの向こうから、メェメェに叫んだ。


「あれは、お前さんとこの宿がぼろいのが悪いんだろうが。だいたい、宿の主人がこんなところで油を売っている時点でお察しだろ」


 メェメェは呆れたように首を振った。途端に、怖いもの知らず達が野次を飛ばす。メェメェもすぐにガンを飛ばし、それらを黙らせた。


「そうか。では、自分の家があるのじゃな?」

「おう。……え、ちょっとそれは」

「ミァン、この者の家に――」

「ん、んんん。駄目だって」

「メェメェ黙っておれ。ミァンはこの者の家で寝泊まりするように。以上」


 上司の命令となれば、逆らうわけにもいかない。メェメェはしばらく呆然と立ちつくしていたが、やがて桶に顔を突っ込んで酒をがぶ飲みし始めた。



 *****



「ここがあなたの家……?」

「テントの家が珍しくないのは知ってるだろ」


 いやいや案内されたメェメェの家というのは、ここでは珍しくないテントの家だった。ミァンは昼間もテントの群れを見たが、ここまで中が広く大きいものはなかなかないだろう。中に入り、天井を見上げ、ミァンは素直に感心した。

 しかし、彼女の疑問はそこではなかった。


「馬小屋じゃないのね」

「ぶっ飛ばすぞ」


 メェメェが青筋を立てても、ミァンは気付かない。

 生活感のあふれるテント内は、意外にもきれいで、よく整頓されていた。床には刺繍の入った絨毯が敷かれている。室内に唯一置かれているのは飾り棚のみで、他は一切の家具がなかった。四足の彼は椅子に座る必要もなければ、ベッドの上で寝ることもない。隅には、高級そうな毛布が畳まれ山積みになっていた。寝る時は、あれを広げて横になるのだろう。

 殺風景ともいえる部屋の中、ミァンの足は自然と飾り棚の方へ向いた。

 目につくのは勲章だ。それも、たくさん。どれも古めかしさを帯びていて、メェメェ本人の物ではなさそうだ。だが、飾り棚の中でも一番目を引くところに置かれ、大事に保管されていたのは勲章ではなかった。それは小さな台に乗せられていた。

 金の鎖に透きとおった色の石がいくつも連なっている――アクセサリーのようなものだろうか。しかし、ブレスレットにしては鎖が長すぎ、ネックレスにしては短すぎる。それこそ、人の何倍も首が太いメェメェには小さすぎる代物だろう。

 ミァンはそれをよく見ようと手を伸ばした。


「触るな」


 背後から牽制され、ミァンは手をおろす。

 たしかに、人の家のものを勝手に触ろうとするなど失礼な行為だ。


「ごめんなさい」

「お子様はもう寝る時間だろ。その辺から適当に毛布を持っていってくれ。あと、俺の半径五メートル以内に入るな」

「はあ、なにそれ」


 子供のような言い方にミァンは呆れながら、言われた通り毛布を取って、メェメェからできるだけ離れた。広いテント内だからこそ、五メートルの距離など簡単に作ることができる。

 ミァンが寝る準備を整え始めると、メェメェも毛布の山に近付き、毛布のすそを口でくわえて器用に広げ始めた。寝床を整え終えたあと、メェメェはミァンに目をくれる。

 ミァンは鎧を脱ぎ、寝巻きに着替えているところだった。


「着替え終わったら、明かりを消してくれ」

「ちょっと、こっち見ないでよ」

「お子様の身体には興味ないし、興奮しないから安心しろ」


 あくび混じりにそう言い、メェメェは彼女に背を向けて横になった。

 そういう問題ではない、と言い返したかったがミァンはぐっと我慢する。寝巻き姿になったミァンは明かりを消し、自分の毛布に潜り込んだ。

 そしてふと、誰かと一緒に寝るのは久しぶりだということに気付いた。


「……おやすみ」

「ああ、おやすみさん」


 別に答えが返ってくることを期待していたわけではなかった。なのでなおさら、彼が挨拶を返した時、ミァンは驚いた。

 暗がりの中でひっそりと笑い、ミァンは心地よい気分のまま眠りについた。


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