26.インキュバスの配慮
ミァン達を客室に連れていった後、淫魔達は例の天蓋ベッドの部屋に集まっていた。
ライラックを中心にして、サキュバス達は彼の身体を舐めるように見る。彼もその視線に慣れているのか、全く動じない。
「一人称は僕で、口調は丁寧な感じで」
「こんな感じですかね? どうです、今の僕」
ベラドンナの提案に、ライラックは前髪を下ろす。紫色の柔らかな癖毛を触る優男が、そこに立っていた。
淫魔は生き物の精を吸って生きる亜人種だ。淫魔の雄をインキュバス、雌をサキュバスと呼ぶ。彼らが得意とするのは、催眠や魅了、幻惑といった小手先の魔術。中でも有名なのは、捕食対象に対して理想の異性の姿を取り、相手の油断を誘うことだろう。単純な腕力が弱い彼らは、敵や獲物を罠によって仕留める。
彼らは常に、何かしらの姿を借りて生きている。彼らが人に見せる姿は、相手の五感すべてを騙した幻覚なのだ。そのため、淫魔の本当の姿を見たことがある者はいないとされている。
淫魔同士であっても、本当の姿はめったに晒さない。適当に、美しいとされる者の姿を取って日々を過ごす。他の人種にはない特徴的な翼や尻尾が、たまに見えてしまう程度だ。曰く、元からある物を変化させるのは簡単だが、元からある物を消し去るのは難しい、らしい。今のところ、淫魔の本当の姿の手掛かりとなるのは、その翼と尻尾だけだ。
ライラックは少し前から、顔立ちと髪の色を固定させている。変えるのは、髪型ぐらいしかない。しかし、髪型一つをとっても印象は変わるものだ。
そして、見た目以外にも相手に与える印象で、重要なものがある。
「いえいえ、丁寧な口調なら一人称は『私』一択です」
ナツメグが熱を込めて主張した。銀縁眼鏡をかけたサキュバスは、妙なこだわりがあるらしい。
ライラックは前髪をいじりながら他の者の意見にも耳を傾ける。
「なんでみんな、ライさまに大人しそうな雰囲気植え付けようとしちゃうのっ。違うじゃん、そこはストレートに男らしく『俺』を推すべきじゃん。あ、もちろん口調も崩して」
「いや、ライが“ミァンに警戒されないように”と言っているんだが」
「警戒されなきゃいいんでしょ……? 思い切って『吾輩』……とか」
「ぶっ! 案外似合うかもっ。じゃあ、『儂』とか『我』とか。あ、いっそオカマっぽく振る舞ってみたらどうかなっ」
白熱する女子たちのトークについていけなくなった当の本人、ライラックは皆の輪から一歩外れて――否、引いて彼女達を生温かい目で見つめる。その様子に気付いたベラドンナが声を張り上げた。
「皆、ライをどこに向かわせたいんだ。遊ぶのは止めて真面目に」
「遊ばれてたんですか、僕」
「あ、それ採用したのか」
「ん? だめでしたか、ベラ」
「いや、別に」
口では興味なさそうに言ったが、ベラドンナの表情は満足げである。
ライラックの容姿と口調がちょうどまとまった頃、ミァンとメェメェが怪訝な顔をして部屋に入ってきた。
「廊下まで丸聞こえだったけど。なんなの?」
メェメェのライラックを見る目が変わっている。歯ぎしりするほどの羨望が、憐れみに乗っ取られてしまったようだ。
「君に警戒されたくなくて、皆に僕の雰囲気について意見を聞いていたんです。インキュバスだからといって、節操がないと思われたくないから」
「……私、初対面であなたの真っ裸を見たのよ」
「だから、それ以上に悪い印象は与えたくないでしょう? 必死のあがきですよ」
たしかに、ミァンの目に映る今のライラックは優男そのもの。匂いすらも自在に変えられるようで、先ほど嗅いだ雄の匂いや、湿った汗の匂いは感じない。それどころか、今の彼からは心地よい芳香が放たれている。
しかし、それはそれで危険な香りに思えないこともなく。これは淫魔たち特有の性質なのだろう、とミァンは諦めた。
部屋の隅ではいまだにサキュバスたちが談義を繰り広げていた。
「むむむ、『僕』でも悪くないですね。さすがお姉さま、お目が高い」
「ていうか、またお姉さまの一人勝ちじゃん」
「……だてに長く一緒にいたわけじゃない、ね。お姉さま、さすが」
ベラドンナは黙って妹分たちの賞賛を受け取っていた。ただ単に自分も好みを押し付けただけ、とは言えずに。
ミァンは一人で館の廊下を歩いていた。暇なので、館の中を調べるつもりだ。
ちなみに、メェメェはあの部屋に置いてきた。サキュバス達のそばを離れようとしなかったからだ。ライラックが変な気を利かせて部屋を出ていってしまったため、今頃、メェメェはサキュバス達と仲を深めていることだろう。ミァンには、メェメェがサキュバスにからかわれる場面しか思い浮かばないが。彼女達はとても悪戯が好きそうだった。
部屋を追い出された者同士、こっちはこっちで仲を深めよう、とは到底ミァンには考えられなかった。ライラックと二人きりになることは避けたい。決して自意識過剰なわけではなく。彼のことが、生理的に無理だった。
インキュバスなので当然、見た目が悪いわけではない。性格もおそらく、言動からして悪くはないのだろう。彼の何がそんなに嫌なのか、ミァンも正確には説明できない。
やはり初対面の印象だろうか、などと考えながらミァンは館の中を歩く。
廊下のいたるところに、ピンク色の薄いベールが垂れ下がっている。歩いていると、いちいち避けたり潜ったりしなければならないので、少しわずらわしい。それに、館の中は暑かった。鎧を脱ぎたいぐらいだ。しかし、それはできない。ミァンには、鎧が身を守る最後の砦のような気がした。
突然、館に充満していた甘い香りが、より一層濃くなり、吐きそうなほどになる。額に汗が浮かび、目がくらむ。意識が朦朧とする。足元がふらついた。廊下の壁に手をつき、体勢を立て直そうとする。壁に手を当てたまま一歩前に出る。ところが、一歩進んだところで膝をついてしまった。
様子がおかしい。ミァンがそう思ったのは、遅すぎるぐらいの時だ。
気付くと、廊下に倒れていた。ひんやりとした床に頬をつけ、ミァンの意識は暗転する。
廊下で倒れたミァンを見つけたライラックは、すぐさまサキュバス達を呼び寄せた。すると当然、メェメェもついてくるのだが。気絶するミァンと、そばに膝をつくライラック。その光景を目にすると、メェメェは廊下を走り抜け、迷いなく角による頭突きをライラックに食らわせようとした。ライラックは慌ててコウモリのような翼を生やして上に飛び、メェメェの攻撃を避けた。
下手したら頭が割れるところだった、と冷や汗を流しながら、ライラックは彼の誤解を解く。メェメェが疑わしそうにライラックを見る中、サキュバス達が協力してミァンを抱き起こす。
淫魔の細腕では、一人で鎧を着た娘を抱えることもできないらしい。
彼らにはまかせられない、とメェメェが意識のないミァンを背に乗せ、自分達が泊まる予定の部屋まで連れていった。しかし、彼女をベッドの上に寝かせたまではいいが、そこからどうしたらいいか分からない。着替えさせなければならないから、と結局サキュバス達によりメェメェは部屋から追い出されてしまった。
しばらく部屋の扉の前をうろうろしていたが、少し離れたところにいるライラックを見つけると、メェメェは彼に事情を説明するよう突っかかっていった。
逃げるつもりもないのに、廊下の壁に追い込まれたような形で、ライラックは彼と話すことになる。
「小娘になにをした」
「僕は何も」
壁に背を張りつかせたまま、ライラックは答えた。
その間も、館の廊下には甘い香りが漂っている。普段は気にしないそれが鼻をくすぐり、ライラックは気付いた。
「たぶん、館の色香にやられたんでしょう」
言いながら、ライラックは片腕を頭上にかざす。彼が指を鳴らすと、一瞬で香りが取り払われた。ベールは残されたままだが、朦朧としていた屋内の様子がはっきりとする。
そのわずかな違いに、メェメェも気付く。
「色香って……、大丈夫なのか」
「誘い込んだ獲物を捕食しやすくするためのものです」
「全然、大丈夫じゃないな」
メェメェがライラックの腹に角を当てる。腹を圧迫されながら、ライラックは弁解するように言う。
「ミァンには効いていないようでした」
「あ? 耐性があるってのか、あんな小娘に」
「未熟だからこそ、です。煽られる性がなかったんでしょう。成熟した大人なら、倒れるだけでは済みませんよ」
彼の説明に、メェメェはとりあえず引き下がった。ライラックは腹をさすりながら、ほっとした表情を見せる。
完全に納得したわけではなかったが、今はなにか出来るわけではない。メェメェは部屋の前で待っていることにしたようだ。身体を横たえて、首を部屋の扉に向ける。ライラックは、ミァンのことをサキュバス達にまかせて、その場を離れた。
メェメェは今回のことを反省する。浮かれている場合ではなかった。見知らぬ地で、彼女を一人にするのは危険すぎる。それはミァン自身への心配でもあったが、彼女が起こす行動への心配でもあった。目前のことに精一杯になるばかりに、無鉄砲なことをする。ミァンの性格は、ラヌート山やトムセロ自治都市で把握済みだ。
メェメェはしばらく、そうやって考え事をして過ごしていた。しかし、じっと動かずにいると段々と眠くなってくる。眠気と格闘するが、瞼が落ちてくる。ついに完全に目を閉じてしまうと、今度は首が垂れた。メェメェは廊下の真ん中で、眠りに落ちてしまった。
その後、部屋から出てきたサキュバス達は、寝ているメェメェに気付くと、起こさないようにそっと廊下を歩いて去っていった。
*****
「キャー!?」
甲高い女の叫び声で、メェメェは目を覚ました。寝ぼけたメェメェは最初、自分が廊下で寝ていたことに関して疑問を持った。しかし、すぐに何があったかを思い出し、起きあがる。聞こえてきたのは紛れもなく、ミァンの声だ。
部屋の中で、動転した声が続いている。
メェメェは部屋の扉を押し開けた。
「おい、どう――」
顔面に枕が飛んできた。見事に鼻筋にぶつかり、メェメェは言葉を途切れさせる。扉を開けた一瞬に見えたミァンの姿に、彼は混乱する。
「こっち見るな!」
「わ、悪い」
慌てて、ミァンから目を背ける。しかし、部屋から出ていくのははばかられ、メェメェは立ち往生した。
ミァンはシーツを引き上げ、身体を隠す。彼女の鎧は脱がせられており、下着姿になっていた。そして、その下着が問題だった。肌が――つまり、下が透けて見えるキャミソールだ。なんのための下着なのだ、と言いたくなる。これでは下着姿ではなく、裸同然の姿ではないか。
「なんなの、これ。なんなのよ、これは!」
寝起きの衝撃から抜け出したミァンは、誰に対してでもなく怒り始めた。メェメェは黙って聞いているしかない。
彼女がこれだけ怒っているということは、このキャミソールは彼女の物ではないということだ。誰の物かは分からないが、誰が着替えさせたかは明らかだった。
ミァンがそこまでませた小娘ではない。と、分かって心の隅でほっとするメェメェがいる。
彼女の悲鳴に駆けつけた淫魔達が部屋に入ってくる。先頭がライラックだった。
「見るなああ!」
ミァンの怒鳴り声に、びくりと肩を震わすライラック。彼は訳が分からないまま、メェメェと同じように目をそむけて部屋の隅に引き下がる。
後から入ってきたサキュバス達はベッドの脇に立った。原因は明らかに彼女達だった。しかしサキュバス達は、ミァンがなぜこんなに怒っているのか分からない、という表情をしている。
ライラックが恐る恐る聞こうとした。
「どういう――」
「どういうことよ! これは!」
しかし、ミァンの声に遮られてしまった。ミァンに睨みつけられたサキュバス達は互いに顔を見合わせる。ナツメグが、自分の推測を述べた。彼女はライラックの疑問に答えたつもりだった。
「ミァンさんは透け透けのキャミソールが気に入らなかったのだと思われます」
改めて言葉によって表され、男性陣は背を向けたまま完全に固まってしまった。
続いてベラドンナが、ミァンの問いに答える。
「廊下で倒れていた貴女をベッドに寝かせる際、着替えさせたのだ。鎧の下に着ていた服は汗で汚れていたのでな」
「なんでこれなの!? もっと他にあるでしょう!」
ミァンの声が裏返っている。
まさかここまで拒否反応を起こされるとは思っていなかったのだろう。サキュバス達は困っていた。
「私のはサイズが合わなくてな」
特にここが、とベラドンナは胸に手を添えた。
これに関してはミァンも言い返すことが出来ない。悔しそうに口をつぐむ。
「ダチュラのは……小さすぎた」
ダチュラがベラドンナの影から言う。
これも仕方ない。ミァンは彼女に対しても口をつぐんでいた。
「だから、あたしのを貸してあげたよっ」
サフランが悪気なく言った。ミァンは彼女を睨みつける。ミァンの凄みに、サフランはうろたえた。
「い、一番、布の面積が多い服を貸してあげたんだけどなっ」
「透けてる!」
わがままだなあ、とぶつぶつ文句を言いながら、サフランは胸の谷間に手を入れる。突然の行動に、ミァンは言葉を失くす。サフランが取り出したのは、下着の一種だった。
「他はこんなのしかないよ?」
「紐!」
サフランは論外だ。
ミァンは最後の一人、ナツメグに目を向ける。ミァンの鋭い視線を、ナツメグは冷静に受け止めた。
「私ですか?」
ナツメグはあえて聞く。ミァンは頷いた。
恰好は変わっているが、この中では彼女が一番常識人のように見えた。それに、サフランの下着に比べたら、少しぐらい変な格好でも我慢できる。
ナツメグは白衣のボタンに手をかけた。
「私、下は何も着ていないんです。見ます?」
「全滅!」
最後の頼みの綱が、一番ダメだったかもしれない。と、ミァンは頭を抱える。自分の服が返ってくるまでの間、この恰好で過ごさなければならないのか、と思うと気が遠くなった。
もうベッドから出ないことにしよう、そうしよう。半ば投げやりに決意すると、ミァンはシーツを頭まで被って不貞寝するふりをした。
ミァンの恥ずかしい姿が完全に隠れると、ライラックがベッドの方を向いた。メェメェは、ミァンとサキュバス達の会話に、動きを止めたままだ。
ライラックはおもむろに財布を取りだした。
「ベラ」
ライラックの呼びかけに、ベラドンナが振り返る。ライラックは手にした財布を彼女に投げた。ベラドンナはそれを両手で受け止める。
サキュバス達は不思議そうに、その財布を見た。
「人間の街に行って、ちゃんとした服を買ってきなさい。布の面積が広くて、透けてないやつ」
彼は厳しい口調で言った。淫魔達の中で一番の常識人は、ライラックだったようだ。
サキュバス達は、ライラックにおつかいを頼まれた。




