25.淫魔のハーレム
前回と同じように、リッカは大広間で待っていた。しかし、普段と違って雰囲気がとげとげしい。肌を刺すような冷たさが、大広間に蔓延していた。彼女はミァン達に気付くと一応、部屋の冷気を取り除く。それでも、リッカの周りだけは目に見えるほどの霜が積もっていた。自分でもコントロール出来ない状態なのかもしれない。
ミァンとメェメェは寒さに震えながら、リッカが話しだすのを待つ。
「魔王と喧嘩したのじゃ」
リッカは憮然と言った。
ミァンは戸惑い、なんと言っていいのか分からない。用件があって呼ばれたはずだが、まさかその用件が彼女の愚痴を聞くことではあるまい。
ミァンは魔王を見たことがなかった。魔王はヨルムグル古城の最上階に引きこもっている。そこから出てこないらしい。ここに長くいる亜人達でさえ、魔王の姿を知る者はいない。彼がいったい何の種族であるかさえも、伏せられている。
魔王は、打倒人間を掲げる亜人の団結を、波立たせたくないのかもしれない。どれか一つの種族が優位に立てば、簡単に崩れかねない連合なのだ。だからこそ、自分の姿を隠す。リッカ以外には。
魔王と直接会うことを許されているのは、リッカただ一人。彼が出した指示を、リッカが皆に伝える。そうやって、亜人連合軍は成り立っていた。
「そちらに託す仕事のことで」
喧嘩の原因がこちらにある、と遠回しに言われ、ミァンとメェメェはたじろぐ。リッカはこれから伝える内容に、納得していないようだった。しかし、魔王に命令されたからにはやらなくてはならない。
「魔王の指名じゃ。心してかかれ」
リッカはもったいぶる。
リッカが渋るほどの仕事とは、どのようなものか。責任が重大であることは間違いない。ミァンは気を引き締めた。
「まー……、なんじゃ、とある亜人種に活を入れてこい、というものなんじゃがな」
ミァンとメェメェはその内容に拍子抜けした。二人の反応を予想していたらしく、リッカは目を泳がせた。
「人間の街に潜入する時は、本当はあやつらを使うはずだったのじゃ。連中は魔王からの命令を無視しおった」
トムセロ自治都市に向かうはずだったのは、本当はその種族らしい。たしかに前回の仕事は、新米で、しかも信用の置けない人間であるミァンにまかせるには、少々危なっかしい事柄だった。実際に、問題を起こしたとも言えなくはない。
「そういうことだから、フーフバラにまで行ってくれんかのう」
リッカはそう言って、転移陣の一つを指差した。
すると、ミァンが進み出る。
「転移の呪文、今回は私に教えて」
ミァンはメェメェに特訓してもらい、ある程度、魔力を操作することができるようになっていた。危険性の少ない転移陣で、その成果を試そうというのだ。
リッカは頷いた。
「よかろう。耳を貸すのじゃ」
ミァンはリッカから、転移の呪文を教えてもらう。ミァンにはそれが、何の意味もない文字の羅列のようにしか聞こえない。メェメェは失われた古代言語だと言っていた。大抵の呪文は、その言語により作られているらしい。
ミァンは頭の中で教えられた呪文を復唱し、転移陣まで歩く。メェメェはすでに転移陣の中で待っていた。彼のたてがみを掴み、ミァンは息を吸い込む。
リッカはすでに背を向けていた。今回は見送ってくれないようだ。
ミァンは呪文を唱えた。
転移呪文は成功したらしい。
寒かった大広間とは一転して、生温かな空気が肌を触れる。足元の感触からして室内なのは分かるが、なぜか辺りには霧がかかっていた。霧に紛れて、甘ったるく湿った匂いがする。かすむ景色に、ミァンは目を細めた。
隣で、メェメェが身じろぎする。好色な馬はすぐにこの部屋のありように察しがついたようだ。
ミァンの目が慣れてきて、室内の全貌が分かった時、館に彼女の悲鳴が鳴り響いた。
天蓋ベッドの上で、裸の男女が慌てて身を離す。彼らは突然の来訪者に目をやり、ばつが悪そうにうめいた。
「忘れてた。たしか、リッカが今日だと言ってたな」
男はシーツを引き寄せ、下部を隠す。しかし、恥ずかしがっている様子は全くと言っていいほどない。あくまで人前にそれを晒すのは無作法だから行なっている、という感じだった。
男が一人なのに対して、女が四人もいる。彼を囲う女達も裸だったが、男のように身体を隠そうとはしない。彼女達はミァンに好奇の目を向けた。
ミァンは顔を手で覆ってしゃがみこんでいた。
メェメェは苛立たしげに、蹄で床をかく。
「おい、うちのお嬢は純情なんだ。こういうのには慣れてないんだよ。さっさと服を着ろハーレム野郎――と、お姉さん達はそのままでお願いします」
「君たちも服を着て」
メェメェの言葉に女達はくすくす笑い、男の言葉に頷いた。一瞬の間、室内を覆う霧が濃くなり、彼らの姿が霧の向こうに消える。数秒後には霧が晴れ、身だしなみを整えた館の主人たちが現れた。
ミァンはメェメェに小突かれ、立ち上がる。だが、目は瞑ったままだ。指の間から恐る恐る室内の様子を確かめて、彼女はやっと手を下ろした。顔が真っ赤だ。
「無礼な迎えをしてしまって申し訳ない。私――いや、俺がこの館の主人、ライラックだ。見ての通りのインキュバスさ」
ライラックは一瞬だけ己の尻尾を見せた。矢じりのような尻尾の先が二、三度振られ、次の瞬間には消えてしまう。服の中に隠したわけでもない、正真正銘、見えなくなった。
ライラックはシャツのボタンをはずし、胸元を開けていた。白いシャツに、黒のスラックスというシンプルな出で立ちが、彼のスタイルの良さを際立たせている。
「野郎の名前より、そっちの女の子たちの名前を知りたい」
メェメェが本音を漏らす。ライラックの背後に控えていた女――サキュバス達は互いに顔を見合わせた。
まず最初に、背の高い女が進み出た。黒い巻き髪の、グラマーな美女だ。人間ではあり得ない赤い色の目をしている。彼女は、胸元と背中が大胆に開いた黒いドレスを着ていた。
「ベラドンナだ。この館でライラックを軽んじる奴は許さん」
ベラドンナはメェメェを牽制するように、目を吊り上げる。
次に、小柄な女がライラックの影からこちらを覗く。ワンピースを着た童顔の女だった。控えめの胸とほっそりとした四肢が、彼女を華奢に見せている。金髪碧眼という絵に描いたような美少女だったが、長い前髪が目元に影を落としている。
「……ダチュラ」
ダチュラは前髪の間からミァン達に目を向けた。
三人目は、褐色肌の娘だった。短い銀髪が、元気に跳ねている。彼女はこの中で、一番露出の多い服を着ていた。いや、もはや服とは言えない。下着か、水着の類だ。彼女がはつらつと笑うと白い歯が覗き、えくぼができた。
「あたしはサフラン! よろしくねっ、お馬さん」
サフランはウインクをした。
最後に、銀縁眼鏡をかけた痩せた女が会釈する。身体全体の線は細いが、胸や尻など、出るべきところはしっかり出ている。彼女は茶髪で細い三つ編みを作り、垂らしていた。そして、なぜか白衣を着ていた。
「ナツメグと申します。以後お見知りおきを」
ナツメグは眼鏡を押し上げた。
サキュバス達の中でも、ベラドンナは別格の雰囲気を持っていた。彼女達を統べるリーダーなのかもしれない。
サキュバス達はそれぞれの個性があるが、どれも色気を醸し出していた。以前、酒場で亜人に言われたことを思い出し、ミァンは自身の胸を押さえる。自分には圧倒的に足りないものがある、と改めて認識した。
体型のことだけではない。彼女達から漂ってくる香りが、同性であるミァンでも誘惑的に思えた。一種の魔法のようなものなのか、天性のものなのか。ミァンでさえこうなのだから、メェメェにはたまらないだろう。彼にはマーメイドの魅了にかかった前科がある。
「ベラドンナに、ダチュラに、サフランに、ナツメグ……よし、覚えた」
案の定、駄馬は浮かれていた。
リッカが心配していた理由が今になって分かった。ミァンは淫行になど耐性はないし、メェメェは言わずもがな。相性が最悪の相手だった。こうなったらさっさと用件を終えて帰りたいが、そういうわけにもいかない。
げんなりとするミァンに、ライラックは人のよさそうな笑みを浮かべた。
「俺――じゃなくて、僕らにお灸をすえに来たんだっけ」
リッカからすでに話は聞いているらしい。マザーの時と同じだ。
「えっと、ミァンとメェメェだったかな」
名前も把握されている。しかも、リッカはメェメェのことを通称で伝えたようだ。メェメェは訂正しようと声を上げた。
「俺様の本名はゲンナ――」
「メェメェで合ってます」
ミァンはメェメェの鼻面を押さえる。本名を名乗ったところで、実際に呼ぶ人が何人いるというのだろう。それならば、面倒な会話は避けたかった。
そして、早く本題に入りたかった。
「あなた達は魔王の命令を無視したそうですね」
「無視もなにも、僕――私は魔王の配下に入ったつもりなどないのだよ」
彼の周りで、サキュバス達がうんうんと頷く。
「私らのことを、まず、勧誘しなければならないのではないかな。アラクネのマザーのように。それとも、なんだい。俺達、淫魔にはそんな選択肢も与えてくれないのか」
「そう、なの……?」
ライラックは笑みを浮かべたまま喋っているが、目が笑っていない。
リッカはそんなことを一言も言っていなかった。ミァンは、彼らが命令無視をした、ということだけを聞かされていた。だいたい、今回の仕事内容は曖昧すぎる。なんだ、活を入れる、って。
内心でリッカに文句を言いながら、ミァンはひとまず引き下がることにした。館の主を怒らせるわけにはいかない。それに、きっと彼には太刀打ちできない。
「人間相手に、僕らが有効な手立てなのは分かる。でも、争いには興味ない。淫魔は食べて寝ることができればそれで良い。人間に甘い蜜を吸わせてもらっている身で、亜人に味方する義理もない。人間に媚を売っている――フリをする方がよっぽど有意義だ。それよりも俺は、ミァン、君に興味がある」
ごく自然な流れで、ライラックはミァンのことを口にした。
彼の視線がミァンに向けられる。背筋がぞくっとした。ミァンは、自分の身体を抱きしめるようにして、メェメェの後ろに隠れる。インキュバスにそのようなことを言われれば、身の危険を感じるのは当たり前だ。
サキュバスに浮かれていたメェメェも、一応話は聞いていたらしく。彼はライラックに対して、角を向けた。
彼らの反応に、ライラックは何か勘違いさせたらしいと気付く。
「ん、違うよ。君の身体に興味があるわけじゃなくて。むしろ、そっちには興味ない。性的には未熟みたいだし……。ミァン、君は人間だろう。なぜ、亜人に味方する? とても興味深いよ」
ミァンは手を身体の横に下ろす。性的に未熟、と淫魔のお墨付きを頂いてしまった。
実際にそうなのだろうが、女として魅力がない、と言われたような気分だ。しかも、相手が相手なだけに余計に悶々とする。
彼女の沈黙を、彼は別の意味で受け取ったようだ。
「ふむ、初対面の相手には教えられない? なら、こうしよう。君達も何もせずに帰るわけにはいかないだろ。この館にしばらく泊まっていきなさい。そして、親睦を深めるんだ。その時また、僕の質問に答えてほしい」
「親睦を深める……って」
ミァンは再び自身の身体を抱きしめる。そして、メェメェに助けを求めるように寄り添った。メェメェは角を低く構える。
ライラックは本気で傷付いたような顔をした。
「なんなのさ。俺がインキュバスだから、そういう反応するのか?」
「お前さん、いちいち言葉に含みを持たせているみたいで……」
「僕は普通の言葉を喋っているよ!」
形の良い眉を吊り上げ、ライラックは悔しそうに言う。
サキュバス達がなぐさめるように、ライラックの身体に触れた。頭を撫でたり、髪に触れたり、腕をさすったり、と彼女達は好き勝手やる。それは、メェメェが言ったように一種のハーレムのようにも見えた。
頭を撫でていたベラドンナが、ふと真顔で言った。
「まあ、たしかに。ライは言葉遣いがエロいな」
ライラックの表情が固まる。
ベラドンナに続くように、他のサキュバス達も次々に言う。
「……同意」
「これは褒め言葉だよっ」
「言葉の選び方だけではありませんね。声のトーンや言い方も影響しているものと思われます」
ライラックはサキュバス達の手を振り払った。彼女達から逃れた後、彼は失望したように言った。
「君たちまで!」
再び尻尾を現し、ライラックはいきり立つ。
サキュバス達がライラックをなだめるのを見ながら、ミァンは考える。この館には、どのみち泊まることになるだろう。ライラックに下心がなくても、メェメェにはある。サキュバス達を堪能したい、とメェメェはミァンに宿泊を勧めてくるはずだ。勝手にやってろ、と言いたいところだが、彼だけを残して戻るわけにはいかない。
ライラックが言った通りならば、ミァンはここでやらなければいけないことがあるのだから。




