24.真夜中の来客
真夜中の暗闇に紛れて、一人の男が山を登っていた。目指す場所を人に聞かれでもしたら、とてもではないが、答えられない。男は山の一角に建つ、とある屋敷に向かっていた。その屋敷は、古くから魔族が住みついている、と地元の住人には知れ渡っている場所だった。人間の近くで生きながら、彼らはその身に刃を向けられたことがない。長く内戦状態にあるこの国に、向こうから手を出してこない魔族を、わざわざ殲滅に向かわせるほどの戦力がないだけかもしれないが。
男はそれだけが理由ではないと思っていた。この国に住む魔族は特殊な能力を持つ。男ならだれもが憧れる夢を、実現できるかもしれない。男が息を切らすのは、山登りに疲れたという理由だけではなさそうだった。もうすぐ叶うかもしれないロマンに、想像を巡らせていたのだ。
男はトムセロ自治都市で、仲間の商人にこの国の魔族の話を聞いたのだった。その夜は興奮して眠れなかった。あらゆる妄想をした。翌日には、いてもたってもいられず仕事をほっぽり出し、自治都市を飛び出してきた。男は自分で自分に言い訳する。仕事を放ったわけではない、これは新しい商売を始めるチャンスかもしれないのだ。ここの魔族を飼いならすことが出来れば――
とても聖職者には聞かせられないようなことを考える男。教国がそのような商売を認めるはずがないというのも忘れるほど、男は目の前のことでいっぱいだった。
ようやく屋敷に辿り着いた時、男の服は汗でびっしょりと濡れていた。屋敷の扉の前に立つと、扉は勝手に開かれる。向こうも歓迎しているのだ、と男は勝手にはしゃぐ。男は迷いなく、屋敷の中に足を踏み入れた。
屋敷中に、甘い香りが漂っている。視界がぼやける。外よりも温度が高い。汗ばんで着心地の悪い服を、脱ぎたくなる。ふらふらと、男は屋敷の中を歩いた。初めて訪れた場所だったが、行くべき所は分かっているような気がした。
背後で、扉が閉まる。同時に、シャンデリアの蝋燭がピンク色の炎を灯す。潜めるような女達の笑い声がした。
その笑い声に惹かれるように、男は階段を上り始める。ちらり、ちらり、と人影が視界の隅を横切った。決して全身を見せることなく、それは、男を焦らす。屋敷の奥へ誘うように廊下の角から手招きする。
男が二階に到達し、角を曲がっても、そこには誰もいなかった。長く伸びる廊下に、薄い布のベールがいくつも垂れ下がっていた。ベールの何枚か向こうに、人影が見えるような気がする。ぼやけた女のシルエットが、男をからかっていた。
鈴を転がすような笑い声が、いくつもする。男はベールを潜り抜け、近付いていった。歩きながら、男は上着を脱ぎ捨てる。二階は、一階よりもさらにじっとりと暑く感じた。息が上がり、段々と早歩きになる。あともう少しで辿り着ける、そう思った時、女達は奥の扉へ入っていってしまった。
ついに男は我慢ならなくなり、扉へ駆け寄った。焦りながら、手汗がにじんだ手で取っ手を掴む。扉は、案外すんなりと開いた。
中は、天蓋ベッドだけが置かれた部屋だった。ベッドの周りに、四人の女が立っている。そして、もう一人。
「……なんでっ、男が、いるんだよ!」
一瞬だけ正気に戻り、男が言った。
ベッドに浅く腰かける若い男がいた。その男は甘い顔に笑みを浮かべ、立ち上がる。
女達が囁くように言う。
「客人だ」
「……お客さん」
「来客だね」
「お客様」
若い男は、男に近付く。たじろぐ男。通り抜けざまに、若い男は言った。
「ようこそ、淫欲の館へ」
その男からは、女達とは違った甘い香りがした。しかし、惹かれはしない。
若い男は部屋を出るために、扉に向かったらしかった。男が茫然としていると、彼は部屋を出る前に一度、振り返った。
相変わらず笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
「客人を丁重にもてなしてやりなさい。自分がいったい何の巣窟に迷い込んだのか、嫌でも分かるように」
女達は返事の代わりに、自身の姿を変化させた。その姿は、どれも男好みのものだ。
若い男が部屋から去る一瞬、彼の尻から生える尻尾が見えた。矢じりのような形をした尻尾の先が、扉の向こうへ消える。
取り残された男に、女達が手を伸ばした――
*****
剣が草の上に落ちる。重さに耐えられず、草はくしゃりと折れ曲がった。
ケンタウロスの少年はすぐにそれを拾い上げ、懲りずに相手に向ける。闘志ばかりが燃えていて、実力が伴っていない。
相手をするミァンは退屈そうに欠伸した。少し離れたところで、メェメェが二人の対決を見守っている。
「まだ負けてないからな! こっち見ろよ!」
少年の声に、ミァンは剣を構えなおす。少年は四足で大地を駆け、飛び跳ねる。頭上からの攻撃も、ミァンは容易に受け止めた。大人のケンタウロスが相手であれば重さに負けてしまっていたかもしれないが、相手はまだ体重の軽い子供だ。少年は悔しそうに地に足をつける。しかし、目はまだ諦めていなかった。剣を両手で持ち、打ち合いに持ち込む。
ミァンの目が輝く。少年の不屈の精神を気に入ったのだ。何度、剣を弾き飛ばされようと少年は立ち向かってくる。そのたびに彼は小細工を仕掛けたが、最終的にはこうやって剣同士の打ち合いになるのだ。
そして、結果は目に見えている。
またも、少年の手から剣が離れた。少年は顔を歪ませ、地団太を踏む。蹄の足で行うそれは、リズミカルに聞こえた。
「くっそー、勝てねー!」
「おにいちゃん、よわーい」
メェメェと共に試合を見ていた少年の妹が、悪意なく言った。少年がなにか言い返そうとした時、彼らの母親が駆け寄ってきた。落ちた剣を少年が拾う前に拾い、少年を庇う様に抱きよせる。そして、ミァンを睨みつけた。
「あなた、うちの子に何をしているの!」
「世間の厳しさを教えているかな」
妹も母親に駆け寄っていく。ミァンの軽口には取り合わず、母親は少年と妹の手を引いてその場を離れようとした。少年は抵抗を見せる。
「勝負がまだついてない! おれ、絶対勝つんだもん!」
「いいから来なさい!」
結局、少年は母親に引きずられるようにして連れて行かれてしまった。彼らの姿が、ヨルムグル城下町のテントの群れの中に消えていく。
ケンタウロス達が去った方を見ながら、メェメェが近付いてきた。表情が複雑だ。
「まあ、なんだ。気にするな」
「気にしてないよ」
おそらく、母親は人間と遊ぶ我が子を見て、肝を冷やしたのだろう。人間は凶悪で、亜人を見つけたら慈悲なく殺してしまうのだから。姿を見られたが最後、地の果てまで追ってくる。そのように、彼らは教えられているようだった。
ミァンも否定する気はない。中にはそのような人種もいる。たとえば、カリム聖教の異端審問官だとか。警戒はし過ぎるに越したことはない。
ミァンには彼らの姿が、トムセロ自治都市で亜人を見た時の人間の反応と、重なって見えた。
メェメェは苦笑する。
「お前さん、大人げないな。負けてやってもいいだろうに」
「私まだ子供だもん。それに、メェメェだってそんなことしないでしょ」
運動したら腹が減った、とミァンの腹の虫が主張するように鳴いた。行きつけの店で腹ごしらえといこう。
エルの店の前には、いつ来てもディーレがいる。客が来てもお構いなしで、彼女を口説き続ける。客ももうそれを店の一部と捉えている節があり、何も言わない。エルも諦めかけていた。
しかし、今日のディーレは珍しく、エルに愛を囁いていなかった。エルの店を手伝う、小柄なハーピーに話しかけている。下心はなく。
ミァンによってヨルムグル城下町まで連れてこられたテュエラは、亜人達の注目を浴びた。あらゆる姿をした亜人に驚いて、テュエラはここでも一騒ぎ起こしたのだが、今度はミァンも耳をふさぐことが出来た。
ミァンはリッカに、トムセロ自治都市の地下にあったものを報告し、勝手な行動を詫びた。彼女はミァンを咎めなかった。地下の惨状には心を痛めたものの、ミァンが起こせる最善の行動をしたのならばそれで良い、と。
しかし、それぞれの亜人の族長達はそういうわけにはいかなかった。人間の業を非難し、今すぐにでも救出隊を編成し向かわせるべきだ、とリッカに訴えた。彼女はそれを冷たく却下した。負ける戦はしない、それが彼女の方針だった。
そもそもミァンを自治都市に向かわせたことだって、不確定要素だった地下を解明し、勝率を上げるために行ったのだ。
非難はミァンにも向けられた。なぜ、自分の手で全ての亜人を助けなかったのか。たった一人助けたところで、何にもならない。そもそも、人間に助けを託しても、奴らが亜人を助けるわけがない。おまえは亜人を見殺しにしたのだ。人間を信用するなど間違っている。
頭に血が上った族長達を、リッカは魔法で部屋を吹雪かせ、一瞬で冷やした。自治都市を攻略するには、兵が足りない。早く開戦したいのならば各々、命令したことをやれ。救出された亜人は、こちらで保護する。リッカはそう言って、緊急に開かれた会議を強引に終わらせた。
そしてどういうわけか、エルがテュエラを引き取ったらしかった。
テュエラはエルには懐いたが、ディーレのことは毛嫌いしていた。
「むこう、いって。めいわく」
「エルさんの口真似?」
「ちがう」
ディーレのことを店の前から押し出そうとするテュエラ。テュエラの肩から生えるのは腕ではなく翼だ。ディーレは羽根にくすぐられているような感触を味わった。
ディーレのことはテュエラにまかせておき、エルは店の支度をする。すると、向こうからやってくるミァンとメェメェが見えた。彼女は彼らが店に辿り着く前に、商品を用意して待っている。
ミァンに気付くと、テュエラはディーレから離れて、エルの背に回り込む。エルの翼に隠れて、テュエラの姿はほとんど見えなくなった。テュエラの人間恐怖症は治っていない。それがたとえ、自分を助けた相手だとしても、反応は変わらなかった。
「おはよう」
エルとミァンは挨拶を交わし、商品と硬貨を交換する。エルが動くと、後ろのテュエラもそれに合わせて移動する。ミァンはテュエラに気付いていたが、気付かないふりをした。
「あれ」
ディーレが唐突に声を出した。視線の先には、城から歩いてくる二人の人影あった。
あの二人の姿を城下町で見るとは珍しい。と、ディーレは首を傾げる。彼らは真っ直ぐ、エルの店に向かってくる。うちの商品を買ってくれたことは一度もないはずだけどな、とエルも彼らを見る。
ミァンだけが気にせずに立ち食いしていると、大柄な二人の男が彼女の前で立ち止まった。そこでようやく、ミァンは彼らに気付いた。しかし、食べるのはやめない。どこかで見た顔だな、とミァンは目を細める。
一人は狼の獣人だ。金色の毛が、いかにも偉そうな雰囲気を醸し出していた。眩しいくらいに毛が輝いている。服の内に収めきれなかった金色の胸毛が、ボタンとボタンの間からはみ出ていた。
もう一人はリザードマンだ。狼の獣人とは対照的に、闇に紛れるような色の鱗に覆われている。飛び出た目が特徴的だった。
「人間と仲良くしている脆弱種族共、恥を知るのだ」
狼の獣人は開口一番、人をけなすような言葉を吐いた。ディーレとエルのことを指しているのは明確だ。もしかしたら、メェメェも含まれているかもしれない。ディーレとエルは眉をひそめる。
ミァンはサンドを食べ終え、口を拭った。
「あなた、誰だっけ」
狼の獣人が目を見開く。口も開きそうになった。しかし、それをリザードマンがふさぐ。長い鼻先を手で掴み、彼を喋れなくしてしまった。リザードマンはギョロリと動く目玉で、ミァンを見た。
「ワシはリザード族の族長だ」
ミァンは思い出す。先日の族長大集合、もとい緊急会議で見たのだ。ということは、隣の狼の獣人は、獣人族長なのだろう。
「ワシは名を棄てた身。好きに呼ぶがいい」
「俺はギョロメって呼んでるぜ」
メェメェが言った。それを聞き、彼とはネーミングセンスに似通ったものがあるのかもしれない、と思うミァン。彼女はメェメェと同じように、彼をギョロメと呼ぶことにする。
狼の獣人がもがき、口からギョロメの手を離した。口を開き、舌を垂らして息をした後、彼は胸を張って腕組みをした。
「オレの名はループ。誇り高き獣人族の族長なのだ」
ループは名乗った後、再びディーレとエルを見た。
「オマエ達とは違って、誇り高い種族の、な」
ディーレとエルは怒らなかった。怒らずに、嘲笑を漏らした。彼らは出会ってから初めて、互いに顔を見合わせて笑ったかもしれない。
ループは牙を剥いた。なかなか恐ろしい顔だ。
「オマエ達に誇りはないのか。人間に媚を売りおって」
「誇りってなんだろうね、エルさん」
「埃でしょ。古臭い思考に、埃が被ってんのよ」
エルは追い払うように、手を振った。ループはどうにも、二人のことが我慢ならないらしい。下がる気配が一向にない。
「二百年前、人間に愚弄された記憶を、忘れたわけではあるまい」
「忘れるも何も、知らないし」
「サテュロスも、有翼人も、人間により損失した命があったはずなのだ」
ディーレとエルは考え込む。しかし、言われたことに真剣に悩んでいるわけではなかった。これは簡単な歴史の授業だ。
「一部の過激派が勝手に人間に突っ込んでいって壊滅した、っていう話?」
ディーレが言う。
「潔く負けを認めて戦線を撤退した有翼人は、それほど被害をこうむってないのだけど」
エルが言った。
ループがなおも引き下がらないのを見てとると、ギョロメが割り込んできた。彼はさきほどからうんざりとした表情で、ループの言葉を聞いていた。
「リザード族は二百年前、人間ではなくアラクネに蹂躙されたがな、ワシは今代マザーと親睦を深めたぞ」
「それがどうしたというのだ」
「この子がキサマのご先祖様を殺めたわけでもあるまい」
ギョロメはミァンを見て言った。しかし、ループは黙らなかった。彼はミァンに向かって吠えた。
「だいたい、人間は今現在、戦っている相手なのだ! なぜ敵が本拠地にいるのだ。オマエ、スパイか? そうだよな、だって人間の街で亜人を見殺しにしたのだからな!」
「ちがう!」
ミァンは黙ってループの言葉と唾を受け止めていた。声は、エルの背後から聞こえた。皆がそちらに顔を向ける。テュエラが、エルの翼の影から出てきていた。
テュエラの顔は真っ赤だ。皆の視線を浴び、心がくじけそうになる。彼女の目に涙が浮かぶのを見て、ループは耳をそらした。ハーピーの泣き声は体験済みだ。
しかし、彼女は泣かなかった。必死に涙をこらえ、声が震えないよう気を強く持つ。
「ミァン、キュミアを、たすけるって、いった」
ミァンが敵ならば、キュミアは助からなくなってしまう。テュエラはそう考えたようだ。
ループは居心地悪そうに尻尾を丸める。ループが黙った今が好機、とギョロメはミァンに本来の用件を話した。
「リッカ殿が呼んでいる。城に行くがいい」
ミァンはギョロメに礼を言う。そして、その場を去る前に、ループに向かって聞いた。
「あなた、私が人間であることが気に食わないの?」
ループは黙ったまま牙を剥いた。歯並びの良さを見せつけられる。ミァンはそれを肯定の意で受け取った。
「そう。なら、安心して。私は人間をやめる予定だから」
ミァンは微笑む。
その場にいた誰もが、言葉の意味を分からなかった。ただの冗談だ、と思う者もいた。しかし、メェメェにはそれが冗談に聞こえなかった。彼女の決意のように聞こえた。
城に向かって歩き出したミァンの背を、メェメェは追う。




