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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第2章 欲望は底知れぬ】
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22.地下の役割

 トムセロ自治都市の二階層に、この街の市長――ウィズドムの邸宅がある。その応接間に、二人の男が訪れていた。

 一人は傭兵隊長ラム。彼は応接間のソファに座ることなく、腕組みをしてドアの近くに立っていた。いつものように壁にもたれることもしていない。雇い主であるウィズドムに、家具や壁が汚れる、と座ることももたれることも許されていなかった。彼は立ったまま目を瞑っている。

 もう一人は自警団の支援者サルバドール。彼はウィズドムとテーブルをはさんで向かい合って座っていた。ソファに浅く腰かけ、両手を机につけ、前のめりの姿勢になっている。出された紅茶には手をつけるどころか、目もくれていない。硬直した表情で、市長のことを睨んでいた。

 ウィズドムは自分の紅茶に口をつける。身なりの整った中年の男で、身につけている物は高価なものが多い。年相応にしわが刻まれ始めた頃で、頭頂部は少し早く肌色が見えていた。

 彼が紅茶のカップをテーブルに戻すと、サルバドールが口を開いた。


「地下の惨状は、あまりにも非人道的だった。市長である貴方が、そのことを知らなかったわけありませんよね。いったい、なぜ――」

「私は知らなかった」


 平然とのたまった市長に、サルバドールは奥歯を噛みしめる。ウィズドムは年長者としての落ち着きを、若者に見せつけた。


「もちろん地下の存在は知っていたとも。しかし、その中で行われていることは――」

「知らなかった? それで済まされるとでも?」

「済まされないだろうな。だから、奴隷として扱われていた人間を解放し、亜人を保護した」


 その言葉で、サルバドールは少し落ち着きを取り戻したらしい。この三日間、地下の処理に追われて、市長とまともに話す時間はなかった。今回やっと一段落がつき、サルバドールは三日前から市長に言いたかったことを吐きだしたのだ。

 しかし、疑問は増えるばかりだ。指示されたことの中には、不可解なものもあった。


「魔族とはいえ、地下での扱いは目をそむけたくなるような光景でした。しかし、魔族を匿うとはいったいどういう了見です?」

「魔族ではない、ニンゲン。亜人と言いたまえ」


 抗議するように、水が跳ねた。サルバドールはそちらに目を向ける。


「もっと言えば、ワタシはマーメイドだし、名前はキュミアだ」


 応接間の壁の一面に、巨大な水槽が置かれていた。水槽は地下から持ちこまれた物ではなく、ウィズドムが新調した物だ。磨き込まれたガラスの向こうで、キュミアはスクリューが作り出す水流に乗って遊んでいた。水の中で、風が髪をさらうように、水流が彼女の髪をなびかせる。

 サルバドールは居心地が悪そうに目をそらす。キュミアの上半身は裸だ。


「ねーちゃん、いい身体してんな」

「いやん、エッチ」


 ラムがうっすらと目を開けて、彼女のことを見ていた。キュミアは笑いながら、胸を手で隠す。


「さて、あれのどこが害悪に見えるかね? 知性のない種族? とんでもない。彼らは、人間と同じように感情を持つ。人間と同じくらい――いや、それ以上に賢いかもしれない」


 ウィズドムは、頬を赤く染めて下を向くサルバドールに、言う。

 キュミアはラムのことをからかっていた。子供のような受け答えをしたかと思えば、時に理知的な言葉を返す。彼女はとても頭が良かった。

 サルバドールも、子供の頃より教えられた魔族の印象が、揺らぎ始めていた。


「では私が、私達が、教えられた魔族の印象とは、いったい」

「カリム聖教が作り出した虚像だ。もっとも、奴らは自身が作り出した嘘に呑まれてしまっている。改竄された歴史を正しいと信じて疑わない」


 ウィズドムはサルバドールの反応を窺う。彼は戸惑うように、眉根を寄せていた。このことに関しては、教養のあるサルバドールよりも、ラムの方が受け入れるのが早かった。最初こそキュミアを警戒したものの、すぐに魔族ではなく心ある亜人として扱い始めたのだ。ただ単に、裸が正装だ、と胸を張る彼女を気に入っただけかもしれないが。


「歴史を改竄? 信じられない。では、私達が習ったことは全て嘘だと? それが本当だとして、貴方はなぜそれを知っているのです」


 サルバドールは慎重に声を出す。ウィズドムの発言は、教国を敵に回しかねない言葉だ。


「それを説明するには、最初の地下の話に戻るな」


 ウィズドムは、地下層の本来の役割を、話し始めた。


「もともと、地下層は教国に異端として排除されたり、されそうになった学問や術を守り通すための場所だ。教国を敵に回した学者や研究者を地下に匿い、さらに、研究が続けられるよう設備を整えた。今でこそ、トムセロ自治都市は商業の街のように言われているが、昔は学問の都と呼ばれていた。その名残が、二階層にもある」

「ああ、道理で。頭が痛くなる場所だな、って思ってた」


 ラムがそう言うと、ウィズドムは苦笑いした。

 一階層が身の回りで使う品を売る商店ならば、二階層は特定の分野の道具や、難しい学術本、魔術本を売る専門店だった。およそ一般人には縁のない場所だ。売っている道具は一目見ただけではどう使うか分からないし、そもそも何に使うかも分からない。分厚い本はそれだけで読む気が失せるが、まず開いても読めない言語で書かれている。

 ラムは街に長くいながら、初めて二階層に足を踏み入れていた。


「地下は、教国にとって都合が悪いから、という理由で排除されたものを保存していた。君達が地下から運んでくれた本があっただろう。あれらは、禁書図書館という所に収蔵してあったものだ」


 自警団と傭兵隊は、奴隷や亜人を保護した後、市長から地下にあった本や道具を二階層に運ぶよう命令された。それは、自分で動いてくれる人達を誘導するよりも、大変な作業だった。はっきり言って、三日間で費やした時間は、物運びが大半を占める。

 サルバドールとラムは、自分達が運んだ本を思い出していた。


「人間が魔ぞ――亜人に恋をする童話、みたいなのもありました」

「なんか、すごいエロ本があった」


 二人はおもむろに言った。それから、顔を見合わせて互いが言ったことに疑いの目を向ける。

 ウィズドムは、二人の目の付けどころの違いに笑った。


「教国から禁書指定されたものを全て集めているからな。中には大人向けの内容の物もあるだろう。そして、子供が読むための童話でさえ、亜人が良いように書かれた物は禁書扱いだ。教国の徹底ぶりが分かる」


 サルバドールが子供の頃に読んだ童話は、いつだって魔族――亜人が悪者だった。彼らは人間をいかにして貶めるか、傷つけるか、そんなことをいつも考えている輩だった。人間を巧みに罠に嵌めたり、上手い話で誘惑したり。あらゆる手を尽くして、人間を外道へと誘う。それでも、最後は必ず悪者がやっつけられるのだ。正義のヒーローや、信仰の力によって。

 しかし、現実はどうだ。外道は地下でくすぶっていた。彼らを外道に仕立て上げたのは亜人ではない。彼らを救うはずの聖職者はどこにいる。信仰はどこにある。


「運んでくれた本の中に、正しい歴史書がある。興味があるなら読むといい。読んだ上で、彼女が魔族か亜人か、自分で判断するべきだ」


 ウィズドムはキュミアを見ながら、言った。

 サルバドールは、自身の正義を培ってきたつもりだ。だから、囚われていた亜人達を助けた。魔族かどうかなど関係なく、迫害された者には手を差し伸べるべきだと思って。

 その行為が、偽善者だ、フェミニストだ、と影で人に揶揄されていることを彼は知っている。それでも、間違っていることには否と言いたかったし、正しいと思うことをしたかった。


「そう、ですね。それはあとで読んでみましょう。しかし、ま――亜人を街に匿う理由が分かりません。彼らの故郷に帰してやった方が良いのでは?」


 サルバドールの提案に、ウィズドムは首を横に振った。


「そうはいかない。彼らの故郷はここだ。この街の地下で生まれ、育っている。帰る場所などないのだよ」

「ワタシはあるのだが」


 キュミアが主張した。遠い故郷の海に思いを馳せるように、彼女は水槽の中を泳ぐ。

 ラムが興味を持った。


「へえ、故郷はどこだい」

「東の海だ。ワタシの故郷は、温かかった。ここの水は冷たい! 市長、もっとぬるくしてくれたまえ」


 流れのない水などつまらない、とキュミアに言われたので、ウィズドムはスクリューを設置したのだった。彼女からの二つ目の要求だ。このマーメイドは早く帰したい、と思うウィズドム。

 ラムは東の国にある港を思い浮かべていた。


「ルーシャ帝国か。人目につかずに行くのは無理だな」

「道中も大変だろう。水を切らしてはいけないのではね」


 キュミアは海に住む亜人だ。もともと大陸の情勢には関わっていない。今回は、勝手に人間が巻き込んだだけだった。だから、帰してやりたいのは山々なのだが、難しい問題がいくつもある。

 彼女を水槽ごと運ぶとして、人の目につかないわけがない。騒ぎになったら、異端審問官がすっ飛んでくるだろう。それに、彼女を運ぶのには人手がいる。今のトムセロ自治都市には、それだけの余裕がなかった。地下層の騒ぎで、人が街から逃げ出し始めている。

 キュミアは彼らの事情を分かっていた。


「ワタシのことは問題が片付いてからでいい。それより、海草が食べたい! 珊瑚のインテリアが欲しい! 貝殻のアクセサリーも! だれか買ってきたまえ」


 だから、少しでもこの狭い――広い海に比べたら狭い水槽の中で、退屈をしのぐ物が欲しかった。彼女のわがままに、サルバドールが立ち上がる。


「街にその中のどれか一つでもあったら、私が買ってこよう。ウィズドムさん、私はついでに歴史書の方を拝見しに行きます」


 サルバドールが出て行った後、ラムはテーブルに近付いた。彼が一口もつけなかった紅茶のカップを手に取り、勝手に飲み干す。それから、空になったカップを戻すと、ウィズドムに向かって不敵に笑う。


「で、さっきの話はどこまでが本当なんだ? 狸親父」


 ウィズドムが心外そうに眉根を上げた。


「全部本当だとも」

「そうか。じゃ、黙っていたことがあるな? あの純朴な青年を言いくるめるために」


 この男は油断ならない、とウィズドムはラムの認識を改めた。

 人を見る目を養うのに、教育はいらない。ラムの観察眼は、傭兵隊長という立場で自然と育ったものだった。


「本当に、地下の現状を知らなかった、っていうのかい?」


 ウィズドムは息を吐き出した。彼には本当のことを言っても差しつかえないだろう。


「あのような下劣な行為のために、地下が存在したわけではないというのに!」


 ウィズドムは膝の上で拳を握る。その反応は予想外だったらしく、ラムは目を丸めた。


「地下層は意図的に隠された場所だった。暗闇には、悪がはびこる。追っ手から逃れるために、悪党共が身を潜めて暗黒街が出来上がり、破産した連中が身を寄せてスラムが出来た。それでも、細々と本来の用途で地下層を使う者はいた」


 その数は年々減っていたが、とウィズドムは続けた。研究者は去り、もともとあった店は段々と店を閉め始めた。すると、悪党達は勢いづく。影が濃い中で、行為はエスカレートしていく。結果が、数日前までの地下だった。

 ラムは、無精髭が生えた顎に手を当てる。


「そもそも、異端認定されるような研究ってなんだ」


 ウィズドムはキュミアを見た。


「人の体をいじくりまわす医療関係だったり、芳しくないとされる魔術関係、あとは亜人の研究とか、な。いずれも人体実験や解剖が必要なものだった」


 キュミアはウィズドムの視線に気付き、首を傾げる。


「地下で亜人の繁殖を行っていたのは、前からだ。あくまで、研究の一環で。畜産場は、その延長線上にあったのかもしれない」


 部屋がしんと静まり返った。しばらくして、キュミアが腕組みをして言った。


「犠牲なくして発展はありえない。ワタシはそう思うよ、市長」


 問題はまだ終わっていない。きっと、これからもっと大変なことになる。それを分かっていたウィズドムは気を引き締め、マーメイドの言葉に頭を垂れた。


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