19.小鳥のさえずり
メェメェは地下を駆け抜ける。道行く人は驚いて彼に道を明け渡す。誰もが、彼の背に乗る者をしっかり見ることはできなかった。まさか、ハーピーが乗っているなど、考えもしない。それも、人間であるミァンが一緒の状況で。
だから、地下の住人はバイコーンが疾走する様を、地下の日常風景だと片付ける。人に言えない理由で逃げているのだ、と。それはある意味で合っているのだが、地下がその光景から数時間後に崩壊するなど、この時は誰一人思っていなかった。
メェメェは地上に上がる階段にたどり着く。テュエラはメェメェの速さに驚いて、声を出せないでいた。
ミァンは階段を上る前に、メェメェを立ち止まらせた。
「なんだ?」
「ちょっと、やることが」
ミァンはそう言ってメェメェから降り、剣をすらりと抜く。テュエラは恐る恐る、メェメェは首を傾げて、彼女を見る。
ミァンは地下の番人ガーゴイル像に近付いた。ガーゴイル像が口を開こうとした瞬間、彼女は像の首を跳ね飛ばした。像の首が床に当たって砕ける。
一瞬の静寂の後、地下にけたたましい警告音が鳴り響いた。
メェメェとテュエラが目を丸める中、ミァンは彼の背に飛び乗る。
「メェメェ、行って!」
メェメェは言葉を返す時間も惜しい、と地を蹴った。行きは嫌がっていた階段も、数段飛ばしで駆け上がっていく。
メェメェが地上に飛び出すと、柱の前には人だかりが出来ていた。先ほどの警告音を不審に思い、人が寄ってきたのだ。
「ひっ……」
テュエラは見たこともない数の人間に脅え、咄嗟にミァンに抱きついた。両翼がミァンの背に回される。ミァンはこれから起こることを予期し、彼女のことをしっかり抱きしめた。
人々の目が、ハーピーに集まる。そのうちに、一人の女がテュエラを指差し、叫んだ。
「ま、魔族よ!」
途端に、集団はパニックに陥る。女や子供は悲鳴を上げて逃げ惑い、男は各々に武器を取った。それでも、攻撃することは躊躇している。
テュエラは自分に向けられた刃の数に、人間とは比べ物にならないほど甲高い悲鳴を上げた。ハーピーの悲鳴に、人間達は武器を取り落とし、耳をふさぐ。ミァンとメェメェも間近でそれを聞き、鼓膜が破れそうだったが、耳をふさぐことはできない。
「小娘、その小鳥ちゃんを黙らせなくていいのか!」
「むしろ、騒ぎが起きて好都合だね!」
ミァンとメェメェは叫びながら会話する。
テュエラは長々と悲鳴を上げていたが、ついに声が枯れたのか、口を閉ざした。目が潤んでいる。人間は地べたに尻をつき、呆然とミァン達を見上げていた。
彼らが恐る恐る耳から手を離して、最初に聞いたのはハーピーのすすり泣きだった。
「この魔族は、地下から連れ出したものだ。トムセロ自治都市の地下では、魔族が飼われている。これは由々しき事態だ」
ミァンは集まった人々に、そう言った。
「魔族だけではない。地下では人間すらも商品になって、売り買いされている」
人間達は、言われた意味を瞬時に理解できなかったようだ。最初に集まっていた人々の頭が働き始めた時、テュエラの悲鳴に駆けつけた人間達が現れた。彼らは最初の人達と同じような行動をした。まず、倒れた人達に手を差し伸べる。それから、騒ぎを起こした人物を確認しようと、ミァン達に目を向ける。そして、ハーピーの姿を見つけて、声を漏らす。
「魔族だ」
「なんで、こんな街中に」
「あの魔族、泣いてる……?」
しかし、反応は少し違った。テュエラがミァンに抱きついて、すすり泣いていたからだ。
ミァンは人だかりの中に、探す男の姿がないことを確認すると、メェメェにこの場を離れるよう頼んだ。テュエラの印象は人々にしっかり刻みこまれたことだろう。地下に関しては、最初にいた人達が次に来る人達へ、口から口へ伝えていくはずだ。
メェメェは街を駆ける。ミァンはまだ街を出るように言っていない。去る前に、男を見つけ出さなければならない。街を行く中、自分たちが出来るだけ目立つように、ミァンはテュエラの姿を人に見せつけた。テュエラはミァンにしがみついていただけのため、そのことに気付いていない。ひたすら、人間の動揺の声に耐えていた。
ミァンがあちこちで騒ぎを起こして、ようやっと、目的の人物が彼女達の前に現れた。男の姿を見たメェメェは納得した表情をする。
「……とんだお騒がせコンビだな」
ミァン達の前に立ちはだかったサルバドールは、記憶に新しい顔に、眉をひそめる。彼の隣には、昨夜と同じくティピカがいた。彼らは夜間のパトロールを終えたところだった。
「街の自警団は、地下に行った方がいいよ」
ミァンはテュエラを二人に見せつけた。二人は息を飲む。二人とも、魔族を間近で見るのは初めてだった。そして、ただの街の自警団が、魔族に対処しなければならない日が来るとは思いもしなかった。
サルバドールは剣に手をかけようとする。
「この子は、地下から連れ出したの」
ティピカが、サルバドールの袖を掴んで止めた。ミァンが真剣な目でそう言ったためだ。
サルバドールは戸惑い、ティピカを見る。彼には、ミァンが言っていることが悪ふざけにしか聞こえなかった。
「地下だと? あんなものはタチの悪い都市伝説じゃないか」
「そうだね、地下には信じたくない光景が広がっていた。魔族や人間の命が、売り買いされていた」
ミァンは淡々と述べる。
「この街の地下で、あなた達が“魔族”と呼ぶ種族が、人の手により増やされているのは事実。それだけでも確認しに行った方がいい。地下へ下りる階段は、北門と東門の間の柱の中にある。番人は壊しちゃったから、たぶん誰でも入れると思うよ」
サルバドールとティピカは目を見合わせた。二人は、聞いた話に顔を青ざめさせている。
自警団の二人が動けずにいると、向こうから数人の男が寄って来た。その男達の顔を見て、サルバドールはわずかに驚いた顔をする。
「よお、自警団のにーちゃん。数時間ぶり」
ラム率いる傭兵達だった。仕事をしている様子ではない。
最初にミァン達に気付いたのは、コイーバだった。目にしたものを信じられず、彼は眼鏡を拭いてからまた、彼女達を見た。
「た、隊長、あれ、魔族では……」
コイーバの震えた声に、ラムは自警団の二人の向こうにいる黒馬に目を向けた。そして、その背に乗っているものを見つける。
ラムの目が輝いた。迷いなく、背中に背負っていた大剣を引き抜く。コイーバ以外の隊員が、隊長にならって剣を抜いた。
「たしかに、あれは街の自警団には手の余る相手だな。退治したら、報酬よろしく」
メェメェは後ずさる。ミァンは交戦する気がなかった。ミァンは現れた傭兵達には目もくれず、ずっとサルバドールのことを見ていた。
ラムが前に飛び出した時、サルバドールは剣を抜いた。抜いた刃をミァンではなく、ラムに向ける。ラムはすんでのところで立ち止まった。訳が分からない顔で、ラムは向けられた刃を見る。傭兵達はサルバドールを睨んだ。
ティピカはどうしたらいいか分からず、おろおろしていた。
「何が正しくて、何が正しくないのか。あなたなら正確に判断できるはず」
ミァンはサルバドールの背に言葉を投げかける。彼の肩は強張っていた。
「あなた達の正義に期待してる」
最後に傭兵達のこともちらりと見た後、ミァンはメェメェに合図した。メェメェは身をひるがえし、街を出るため、東門に向かって走っていった。
「あ、おい、逃がしたじゃねえか。どういうつもりだ」
ラムは睨みを利かせ、にサルバドールに聞く。
サルバドールは剣を向けたまま、固く言った。
「一緒に来い。貴方達の力が必要かもしれない」
頼みではなく、命令だった。
断ったら、力づくでも連れて行かれそうだ。暇な傭兵達には、体力を使ってまで逆らわなければならないほどの用事はない。ラムは面倒臭そうに、了承した。
「金はあるんだろうな?」
自身の職を忘れることなく。




