1.脚が二本で、翼が生えていなくて、肌がつるつるの種族
「やっと着いた」
目に映る光景に感嘆とわずかな疲労のため息をもらし、少女は呟いた。
軍の駐屯地のように数多のテントが張られた高原。紋章の描かれた旗が風にはためいている。簡易な建物の群れの奥にそびえたつのは、威厳たっぷりの古城。
大陸の北を横断するツムジ山脈。そこに辿りつくまでには、厳しい自然が立ちはだかる。そのため、人間たちは足を踏み入れようとしない場所。その一角に、ヨルムグル古城は建っていた。
標高が高いだけあって、空気は澄んでいる。子供たちは豊かな自然の中を元気いっぱいに駆けている。
少女も胸いっぱいに美味しい空気を吸ったあと、遊ぶ子供たちに近付いていった。
歩くたびに着ている鎧がかすかな音を立てる。子供たちの敏感な耳にもそれは届いたようで、彼らは追いかけっこを止め、少女をじっと見つめた。少女は、身にまとう黒い鎧が彼らに重圧な印象を与えないだろうか、と心配した。
「おねーちゃんはなに?」
一番年下であろう女の子が少女を見上げ、不思議そうに問う。
だれ? ではなく、なに? と。
少女に物珍しさを感じた子供たちは、さっそく彼女のことを取り囲んだ。好奇の目を向ける彼らは、四つ足で少女の周りをぐるぐると回り、頭からつま先までじっくりと観察し始める。
「あなた達はケンタウロス?」
「そうだよ!」
「うん」
馬の下半身を持つ子供たちは、皆ばらばらに頷いた。蹄が大地を踏みしめ、草を折る。たとえ仔馬でも、その身体は大地を駆けるために適したもの。
「おねーちゃんは?」
「さて、問題です。私はなんでしょう」
あまりの可愛らしさに意地悪をしたくなった少女は、質問を問題として返した。それでも子供たちはブーイングを上げるどころか、口々に自分の考えを述べ始める。
「あんよが二本だ」
「でも、はねが生えてないね」
「毛も生えてない。つるつる」
ぺたぺたと遠慮なく少女の身体を触る子供たち。少女のすべすべとした肌を気に入ったのか、最後の発言をした子はいつまでも少女の手の甲をさすっていた。
子供たちが音を上げた頃、少女は言った。
「答えは、人間」
子供たちの動きが止まる。恐る恐る少女の顔を覗き込んだ数秒後、彼らは悲鳴をあげてばらばらに駆けて行った。
「人間だー!」
テントに駆けこんだ子供たちが、泣きわめきながら、大人に必死に訴える声が聞こえてくる。
「あらら」
そのうち、武装した亜人の大人たちが現れると、少女は完全な失敗をしたことを思い知った。
古城に駆けこんだケンタウロスは、参謀の姿を探した。残してきた仲間たちが人間の少女を足止めしているはずだ。勢い余って殺してしまうかもしれないが、それも仕方なしと考えていた。
長く曲がりくねった階段を上ることを億劫に思ったケンタウロスは、階下から声を張り上げた。
「リッカ殿! リッカ殿はおりませぬか!」
「なんの騒ぎじゃ」
落ち着いた女の声音は、一階の奥の大広間から聞こえてきた。ケンタウロスは上に向けていた視線を戻し、参謀リッカの姿を探す。
リッカは大広間から下駄の音を響かせながら出てきた。大陸では珍しい着物に身を包んでおり、手には煙管を持っている。煙管からは煙ではなく、重たげな冷気が流れ出ていた。彼女は異国より海を渡ってきた亜人――皆からは雪女と呼ばれている。
ケンタウロスは律義に一礼してから喋りだす。
「そ、それが、人間が現れまして――」
「それで騒いでおったのか? 情けないのう。まあよい、その者を連れてまいれ」
「はっ、今すぐに」
ケンタウロスは身をひるがえし、古城を出ようとしてハッとした。薄暗い城内に光が差し込んでいる。開かれた扉から今しがた入ってきたのは、まぎれもなく先ほどの人間の少女。
ケンタウロスは後ずさりながら、剣の柄に手を置く。リッカのことを守るつもりでいた。
「その必要はなくなったみたいだね」
少女はその場から動こうとしなかった。
「貴様っ、皆をどうした!」
「気絶してもらった」
敵意をあらわにするケンタウロスに向かって肩をすくめ、少女は背を向けた。それは彼らのことを、自分の敵と見なしていないと示すための行為。二人がついてくることを見越して、少女は古城の外に出ていく。
少女に興味を持ったリッカは、後をついていこうとする。それをケンタウロスがいさめた。
「リッカ殿」
「問題なかろう。それとも、わらわがあのような小娘に負けるとでも?」
そう言われてしまえば、ケンタウロスも従わないわけにはいかない。
少女は振り返ることなく、先ほど一騒ぎ起こした場まで足を運ぶ。二人はそのあとに続いた。
住民たちが不安そうな顔を見せている。テントから顔だけをのぞかせ、警戒する者もいた。
「ふむ」
テントが立ち並ぶ草原に、亜人たちが倒れていた。ケンタウロスたちは横ざまに、獣人たちはうつ伏せに。血はどこにも流れていない。気を抜いて立っている少女が、腰に差した剣を抜いた様子もなかった。
リッカは眉をひそめる。
「情けないのう」
リッカの隣に立つケンタウロスは仲間の無様な姿に、身体を震わせていた。怒りの矛先は少女ではなく、仲間の軟弱さに向いたようだ。
訓練を強化しなくては。しかし、その前に目の前の問題を片づけなければ。
「そち、なにが目的じゃ?」
「私を、この軍においてもらえないでしょうか。実力は示した通りです」
少女は倒れる亜人たちを示し、強気に言った。
ケンタウロスは呆けたように大口を開いた。リッカは口元を袖で隠す。
「……人間ではないか」
少女はその言葉を予想していたのだろう。すぐに、剣を抜き放った。ケンタウロスはとっさに戦闘態勢をとる。
「実力を見せるのは充分じゃ」
「いいえ、違います。この剣をよく見てください」
細身の刀身が光を受けて、輝く。少女は戦うために剣を抜いたわけではなかった。ケンタウロスは怪訝そうに目を細めただけだったが、リッカはすぐに悟ったらしい。しかし、信じられない思いで、である。
「まさか、そんな……。そちのような小娘がなぜ、それを」
「私は、デュラハンの弟子。名をミァンといいます」
ミァンは堂々と、そう言い放った。
*****
今から二百年前、大陸で大きな戦争が起きた。それは、人間と亜人の種族間の戦いだった。
今でこそ、亜人と一纏めにされてしまっているが、もともと亜人は多種多様な種族だ。姿かたち、食生活、文化や思想、何もかもが違う彼らは相容れる存在ではなかった。そのため、その頃は亜人同士の争いも絶えなかった。
人間も、その中の弱小種族の一つにすぎなかった。
自身の非力を自覚していた彼らはただひたすら、争いに巻き込まれないよう、ひっそりと生きていた。彼らに転機が訪れたのは、亜人同士の争いが激化した時。人間の中に『英雄』と呼ばれる男が現れたのだ。
『英雄』は各地の人間をまとめ上げ、すべての亜人に剣を向けた。
長年、身を隠し生きてきた人間たちは『英雄』の存在にすがり、夢を見た。そして、その夢は実現してしまう。統率のとれた彼らは、途切れることのない戦に疲弊する亜人たちを、次々と刈り取っていった。
亜人たちが『英雄』の存在に気付き、各種族と停戦協定を飛び越えて同盟を組んだ時には、亜人はその数を大幅に減らしていた。その後の抵抗むなしく、彼らは人間に住処を奪われ、大陸の隅へと追いやられた。人間は今までの立場を逆転させたのだ。
『英雄』の死後、人間の中に彼を称え祀る集団が発足する。彼らにより、いつしか『英雄』は『神』と同等の存在となり、集団は大陸を牛耳る巨大な宗教にまで成長した。
人間は、先の戦いを『聖戦』、亜人を『魔族』と呼び、過去の出来事を子孫に語り継いでいく。
そして今、なりを潜めていた魔族は再び人間に牙を剥く。
彼らの前に現れたのは『英雄』ではなかった。それは、哀れな亜人たちに皮肉を込めて、己を『魔王』と名乗った。
だが、この物語に『勇者』はいない。
「人間が?」
「人の姿をしておるが、人ではないのかもしれんのう」
まるで、その身が一つの刃であるかのような。
小柄な身体に似合わぬ黒き鎧をまとい、肩まで伸びる黒髪をなびかせて、油断を見せない灰色の目が敵を射る。掲げた剣の刃に――
「あれは、たしかに精霊の剣じゃ」
彼女の非情が映る。
「……面白いではないか。その者、我が軍勢に迎え入れよ」
――勇者が生まれない世界に、魔王は降り立った。