13.異端審問官は悪魔を睨む
翌日のことだ。いつもと変わらない王との問答を終え、シャダは部下たちの訓練に励んでいた。部下たち、と言ってもミルタを含めて四人しかいない。死霊術師の数は少ないのだ。
カーテンは閉じられており、陽の光が室内に入ることはない。数本の蝋燭の明かりを頼りに、部下たちは教本の呪文を確認していた。陣の中には、動くことのない死体が横たわっている。そして、その周りで香が焚かれていた。
シャダは椅子に座り、部屋の様子に感覚を研ぎ澄ましている。ミルタは術に必要な道具をそろえ終え、部屋の隅で待機していた。ヘマをやらかした時に、叱責するのはシャダではなくミルタの役目だ。
シャダは失敗を咎めない。ただ、冷たい失望が彼から発せられる。部下たちにとっては、それがミルタの叱責よりも怖かった。
皆が呪文を唱えると、用意されていた死体が操り人形のように動き出す。皆が成功にほっと一息ついた時だった。部屋の扉が開き、一人の衛兵が顔をのぞかせた。部屋の光景に、衛兵は青ざめる。
「ノックぐらいしろよ」
ミルタが唸る。
すると、立ち上がっていた死体が、糸が切れたように床に膝をついた。
「す、すみません。陛下が、シャダ様のことをお呼びです」
それだけを言い残し、衛兵は急いで扉を閉めた。可哀想に、彼はこの後の昼食を食べることが出来なかったという。吐き気に襲われて。
部下たちは心配そうに顔を見合わせる。彼らが心配しているのは、衛兵ではなくシャダのことだ。ミルタは絶望したように、死体の隣で膝をつく。
「ついに一日も持たなくなったか」
シャダは何も言わずに、部屋を出て行った。さすがの彼も、いつもより足取りが重い。
ミルタは他の部下に指示を残した後、彼を追う。
シャダは玉座の間に足を踏み入れ、朝とは雰囲気が違うことに気が付いた。訝しみながら、王の前へ歩を進める。ミルタが彼に身体を密着させ、小声で告げた。
「男が一人います」
シャダは頷いた。
どうやら、いつもの用件ではないようだ。見知らぬ男の視線を感じ、シャダは身体を強張らせる。ミルタも隣で気を張っている。
二人が普段通り床に膝をつこうとした時、王が声をかけた。
「そのままでいい」
王の声は心なしか、嬉しそうだった。二人は戸惑いつつも、言われた通り立ちつくす。
王が合図すると、男がシャダの前へ向かった。ミルタは男が身につけるマントを見て、目を見張る。急いで、それをシャダに報告しようとした。しかし、その前に男が声を発する。
「私はカリム聖教の異端審問官、メルビンだ」
「異端審問官……?」
シャダが呟く。ミルタは辺りを警戒しながら、死体をいつでも召喚できるよう身構えた。
「先生に何の用だ」
ミルタが敵意をむき出しにして問いかけると、メルビンは嘲るように笑った。
「何か勘違いをしているようだ。それとも、異端審問されるようなことをしているのか」
「審問官様から用がある、なんて言われたら普通そう考えるだろ」
ミルタは出来るだけ口調を抑え、そう言った。
メルビンは爬虫類のような目をシャダに向けている。彼女のことは眼中にない様子だった。
「単刀直入に言う。私について来い」
シャダは反応しない。というよりも、言葉の意味が分からなかったのだろう。
「私は今、ある任務を課せられている。教国は魔族のことで手一杯なため、派遣されたのは私一人だ。しかし、協力者を募ることは禁じられていない。私の手伝いをしてほしいのだ」
メルビンは淡々と述べた。
大陸は今、魔族の脅威にさらされている。なりを潜めていた魔族たちが、魔王と名乗る者のもとに集い、活動を盛んにしている。教国は各地で報告される魔族の対処に追われていた。
各国も教国に軍を派遣しているが、ルーシャ帝国はそれをしていない。長引いた戦争で疲弊する帝国には、外に派遣できるほどの兵力がないのだ。
「なぜ、わたしに?」
シャダは杖を握り直す。
「お前の信仰が本物だからだ」
質問の答えになってない、とミルタは思ったが黙っていた。シャダが考え事をする時の癖、杖の髑髏細工を指で撫で始めたからだ。
手応えがあると感じたのか、メルビンは言う。
「考える時間はやる。だが、私も暇ではないのでな、三日以内に答えを出せ」
それだけを言い残し、メルビンは去っていく。
彼がいなくなった後、王はにこやかに言った。
「シャダよ、ぜひ、ついていくがいい」
「考えさせて、いただきます……」
ミルタは王のことを張り倒したかった。
*****
今日は、朝に王に呼び出されることはなかった。久しぶりにゆっくりと朝を過ごした後、ミルタはシャダと共に、毎日の日課である教会に通う。彼女自身に信仰心はそれほどない。教会の行き帰りに、シャダと二人っきりで喋る時間があることに感謝するぐらいだ。
見よう見まねでお祈りをする。上辺だけの信仰だった。
だから、彼女にとって昨日のメルビンの申し出は、非常に迷惑なものだったのだ。
訓練中のシャダを見て、ミルタはそう考える。
どこか身の入っていない様子のシャダに、部下たちもいまいち気が乗らない。ミルタが必死にフォローしているが、それでも補えないほど、今日の彼は抜けていた。
訓練が一時間を超えた頃、ついにミルタが独自の判断をくだした。異例の短時間で訓練を切り上げたのだ。部下たちは事情が分からないなりに色々と察し、素直に彼女の指示に従った。
シャダは、というと、ミルタが訓練を終了させたことにさえ気付いていない様子だった。
椅子に座り込んだままで、傍からは眠っているようにも見える。
ミルタは息を吸い込み、彼に近付いた。自分の感情を押し殺し、出来のいい部下を演じるために言葉を吐く。
「先生、差し出がましいことを言うようですが、ご自分がしたいようにするのが一番かと思います」
「わたしが何を考えているか分かるのか」
「十中八九、例の審問官からの誘いでしょう」
椅子の細工を手でなぞりながら、シャダは頷く。ほっそりとした白い指が、彫り細工の馬の頭を撫でた。
「一度、陛下から離れた方がこの国のためになるのではないか、と思っている。部下たちはもう独り立ちできるほどの技量だ。心配することはない。問題は、わたし自身。この不自由な身体で旅についていっても、足手まといになるのではないか、と」
「先生が足手まとい?」
ミルタは鼻を鳴らした。
「“手足”など、いくらでも呼び出せるでしょうに。それに、ボクもいる」
当然のようにそう言ったミルタに、シャダは意外そうな顔をする。
ミルタには彼が何を思っているのか、手に取るように分かり、あからさまに不機嫌な表情になった。どうせ、シャダには見えないのだから、と。
「おまえは、ついてくるつもりなのか」
「当然でしょう。ボクはあの時、そう言いました」
シャダの技術をすべて奪い、盗み取るまでは、決してそばを離れない。
ミルタが彼に弟子入りした日、彼女はそう宣言した。決心は言葉と共に。その宣言は時が経つにつれて意味を変えつつも、今もミルタの中に顕在している。
そして、そんな日は一生来ないことを、彼女は自覚している。
「だいたいですね、先生一人を行かせるなんて心配で仕方ないんですよ。先生はぽわっとしてるから、旅先で悪い人にでも騙されたらどうするんですか」
「そんな、子供じゃあるまいし」
「いいえ、そんなことあります」
ミルタが力強く言うと、シャダはふわりと笑った。つられて、ミルタも笑う。
およそ笑い声が似つかわしくない室内で、二人の死霊術師は笑い続けた。二人の笑い声に呼応するように、骸骨がカタカタと歯を鳴らした。
*****
部下たちはシャダとの別れを惜しんだ。物分かりの良い者ばかりだったので、引き留めるようなことはしなかったが、名残惜しそうに彼に抱きつき涙を流した。
なにも今生の別れじゃあるまいし、とうそぶくミルタに、部下たちは嫉妬に狂いそうな目を向ける。彼らにとって、ミルタのポジションを得ることは、死霊術を完璧に会得する次くらいに大事な目標だったのだ。結局、最後まで彼女に勝つことは出来なかった。
約束の三日目、シャダとミルタは教会前でメルビンと待ち合わせた。
本当はもっと早くに決断をしていたのだが、仕事の引き継ぎや旅支度に追われ、三日目ぎりぎりまでかかってしまった。
馬は二頭。シャダは一人で乗ることが出来ないので、ミルタと共に乗る。
旅立つ前に、メルビンは二人に言った。
「私が追っているのは、人間から魔族に堕ちた娘だ」
「人間が魔族に? 言葉の綾じゃなくて?」
異端を裁くための言い回しではないか、とミルタは勘ぐる。
メルビンはその時、初めて彼らの前で感情を見せた。
「そうだ。あれは、もう、魔族としか言い表せない。いや、それをも通り越した悪魔かもしれん。あれをこの世に存在させておくことは、許せない」
彼は、異端審問官にあるまじき、個人的な感情を宿らせていた。冷たい目はかつて見た、記憶の中の“悪魔”を睨んでいた。




