11.再会の羽ばたき
夜はメェメェに付き合って、酒場に立ち寄った。
この前に来た時と同じように、中は熱気にあふれている。変わらず、多くの種族でごった返していた。しかし、前とは違うところもあった。酒飲みの亜人たちの注目が、一か所に注がれていたのだ。
バーカウンターを中心に、人だかりが出来ている。
話題の中心にいる者は、なにかを皆に話して聞かせているらしい。しかし、入り口近くにいるミァン達のところまでは、その内容が届かない。
このままでは酒を頼むこともできないので、メェメェは人だかりを押し分け前へ進む。ミァンは尻尾を掴んでその後をついていった。
メェメェがだれかの足を踏んだらしく、文句が上がる。
やっとのことで、バーカウンターに辿り着いた時、一人と一頭は息を吐き出した。今まで流暢に話していた者が、ミァンの姿を見て言葉を止めた。それを不審に思い、ミァンは顔を上げる。
彼女が驚きの声を上げるのに、時間はかからなかった。
「サジュエル!」
カウンターの上に二本足で立つのは、漆黒のカラスだった。普通のカラスとなんら変わりない姿かたちで、普通のカラスよりも表情豊かなつぶらな瞳で、彼もまたミァンのことを見つめる。
「やあ、ミァン嬢。久しぶり」
かけられた穏やかな声に、ミァンは人目もはばからずカラスを胸に抱きしめた。羽毛が逆立ち、カラスは嬉しいような苦しいような声を出した。
「大きくなったな」
「私はいつだってサジュエルよりは大きいよ」
「うむ、それもそうか」
ミァンの腕の中にすっぽりと収まる大きさのカラスは、彼女の言葉に頷く。
周りの亜人達と同じく、メェメェは呆けている。なにやら、感動の再会らしきものを見たような気はしていた。
カラスはミァンの腕を翼で優しく叩き、解放を求めた。ミァンが腕を緩めると、カラスはそこから飛び出し、再びカウンターの上に立つ。そして、首をかしげるメェメェに向かって気取ったお辞儀を披露した。
「あっしはサジュエル・ミグラテール。風来の情報屋でやんす」
互いに握手する手がないため、メェメェは会釈を返す。
「俺は――」
「ゲンナディオス・デュオ・ピラスピ・モイケウオー公爵。ミァン嬢からはメェメェと呼ばれているようですが、あっしは旦那と呼ばせてもらいやしょう。よろしいか?」
「お、おう。情報屋、って言ったな」
「はい。それはもう、あんな情報こんな情報、色々と取り入れておりますゆえ。旦那のあんな話も――」
くちばしに翼を当て、カカカ、と笑う。
サジュエルが言っているのは、昼間聞いた話のことだろうか、とミァンはメェメェを見る。メェメェは渋い顔を作っていた。
「そのくちばしを閉じさせることも可能なのか?」
「ええ、可能ですとも。しかし、それには情報を買うよりも多額のお金が必要となりますな。あっしにとって情報は商品。ようは、口止め料というわけですな」
メェメェは憎たらしいものを見るようにサジュエルを睨んだ。相手を踏みつぶしたくてたまらないのか、蹄が床をかいている。
サジュエルは酒場の観衆に向き直った。
「さて、今夜はこれでお開きといたしやしょう。なあに、あっしもしばらくはここで羽を休めるつもりなんでね。またすぐに、次の機会があることでしょう」
サジュエルが翼を広げ、一礼する。
すると、集まっていた亜人たちはそれぞれのテーブルに戻り、酒のおかわりを頼み始めた。そのまま酒場を出て行く者もいる。先ほどは男達の影に隠れて気付かなかったが、中には、女や子供の姿もあった。
サジュエルは女将のセイレーンを呼び止め、ミァン達の分の飲み物を頼んだ。
「なにを話していたの?」
「情報は有料だけど、放浪記は無料なんですな」
ミァンの問いに、サジュエルは答える。
サジュエルの語り口は相手を惹き込む。まるで自分が各地に足を運んだかのような感覚を味わうことができる。自身は空も飛べないのに、遥かな上空から下界を見渡すことすら可能だった。
幼い頃のミァンもまた、そんな彼の語る世界の虜になった一人だ。
「私も聞きたかった」
ミァンはぼやく。
「ミァン嬢はもはや聞き手ではありませんな」
「え?」
「もう立派な物語の主人公。あっしの口から語るべき人物に成長いたしやした」
親が子を見るような目で、サジュエルは感慨深く言った。
女将が頼まれた酒をサジュエルとメェメェに、ジュースをミァンの前に置く。何を言うべきか分からなかったミァンは、タイミング良く現れた女将に感謝する。ジュースの入ったコップを両手で持ち、一口にひたすら時間をかけて飲み始める。
メェメェが酒を黙って見つめていると、サジュエルが気軽に言った。
「あっしが奢ります。ミァン嬢との再会を祝して」
乾杯、と口だけで言い、サジュエルは酒の入った杯にくちばしをつける。
メェメェも酒の入った桶に口をつけた。しかし、一口含んだだけで顔を上げてしまう。
「どういう関係なんだ、お前さんたち」
そして、聞きたくてたまらなかった疑問を口にする。
サジュエルはくちばしを翼で拭ってから、考え込んだ。
「渡すべきは情報か、あっしの思い出か」
「サジュエル、メェメェの質問には答えてあげて」
ミァンはコップから口を離し言う。
これからメェメェとの付き合いは長くなる。隠すべきこともあるが、知っておいてもらった方が良いこともあるだろう。そして、信頼するサジュエルなら、その情報の取捨選択が出来る。
昼間、メェメェが思ったことを、ミァンも同じように考えていた。
「メェメェ以外に聞かれたら、有料にしていいから。あ、でも、あんまり恥ずかしいやつは極秘ね」
「あいわかった」
彼女のお願いに、サジュエルは快く頷いた。
「旦那、あっしはミァン嬢の親の一人――一羽ですな。彼女とは、それこそ乳飲み子の時からの付き合いで」
「親?」
「はい。ミァン嬢は亜人に育てられた人間の娘。あっしらの、森の皆の、愛娘なんです」
聞きながら、ミァンは嬉しそうにしている。
メェメェはそれ以上の質問をすることを躊躇した。まだ、踏み込んだことを聞くような間柄ではないし、たとえ聞いたとしてもサジュエルが答えてはくれないだろう。
とりあえず、彼女のことを一つ知れたとして、満足する。これでお相子だ、と。
サジュエルが再び酒を飲み始めると、今度はミァンが彼に問いかけた。
「サジュエルは、なんでこの町に?」
「リッカ嬢に仕事を頼まれましてな。それこそ、極秘事項なんでね、いくらミァン嬢の頼みと言えど詳細は教えかねますな」
ミァンはつまらなさそうな顔をする。
しかし、とサジュエルは続けた。
「当たり障りのないことを言えば、あっしのような鳥の視点から見えることもあり、姿は普通のカラスとなんら変わりないからこそ潜り込める場所がある、ということで」
ようは偵察だろう。
サジュエルは辺りの様子を窺い、声を一段階小さくした。目には疑心を浮かべている。
「それと、少々きな臭い話を耳に入れましてな。これもついでに報告しよう、と舞い戻ったんで」
他言無用、とサジュエルは自分のくちばしを足で器用に掴んでみせた。
それからは他愛のない話で、盛り上がった。話をしていたのは主にサジュエルだ。酒の力に押されてか、メェメェもいつの間にか彼と打ち解けていた。
さらに時間が経ち、酔いの回ったメェメェが立ったままうとうとし始めた頃。サジュエルはミァンの肩にとまり、耳元へくちばしを近付けた。
「その剣、受け継いだのだな」
「うん」
ミァンとサジュエルは、メェメェを起こさないように小声で喋った。
サジュエルは悲しそうに首を振る。
「あの森のことは、悲しい出来事だ。あそこはあっしの故郷でもあった」
「そう、だね」
空になったコップを持つ手に、力が入る。
「あっしはあの場にはいなかった。実際にそれを目にしたミァン嬢の気持ち、あっしには計り知れない」
「サジュエル、私を諭そうとしているの?」
「……そうではない。あっしが忠告する段階は過ぎている。ただ、自分の信じる道を行きなさい、それだけを言っておきたくて、な」
彼がどんな顔でそれを言ったのか、ミァンには見ることが出来なかった。
それでも、サジュエルが何を思っているのかは分かる。口ではそう言っておきながら、内心は気が気ではないことも。
けれど、彼女はここで立ち止まるわけにはいかない。
「サジュエル、師匠と同じことを言うんだね」
ミァンはくすり、と笑って言った。




