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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第1章 糸は紡がれる】
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10.成熟した女は素晴らしい

 ミァンが飛び起きたのは、ちょうどメェメェの目が覚めた時だった。

 叫び声を上げて毛布を蹴り飛ばし、動転した様子で息切れを起こすミァンに、メェメェもまた動転して声をかける。


「お、おい。小娘! どうした、大丈夫か」


 彼の呼びかけに、ミァンは意識を取り戻す。しかし、蹴り飛ばした毛布を引き寄せ、そこに顔をうずめてしまった。

 昨日はお手柄だったとはいえ、彼女はまだ子供。気丈に振る舞っていたが、惨劇を目にして参っていたのだろう。もしかしたら、人を殺すのだって初めてだったかもしれない。殺した人間が夢に出てくる、などよく聞く話だ。


「悪い夢でも見たか」


 メェメェはそんなふうに考えていたものだから、次のミァンの答えには拍子抜けしてしまった。


「落ちる夢を……見たの」


 彼女の声は震えてはいないものの、か細い。


「落ちる夢?」

「よく見る悪夢なんだけどね。どこか高いところから放り投げられて。いつもは下で抱きとめてくれる人がいるんだけど……、今日はいなかった」


 毛布を顔から引き下げたミァンの目は、少し赤かった。それを指摘することなく、メェメェはいつものように馬鹿にした返事をする。


「はん、しょうもない夢だな。俺様を登場させろ、俺様を。そしたら、助けに行けるだろ」


 ミァンは驚いてメェメェを見る。彼は顔をそむけていた。


「気分転換に外出ようぜ。お前さん、丸一日死んだように眠っていたんだぞ。身体がなまるといかんだろ」

「……ありがと」

「はあ? なんで礼なんか言ってるんだ。さっさとしないと置いてくぞ、グズ」


 必要以上に暴言を吐き、メェメェは外に出ていく。彼は初日以来、絶対にミァンの着替えに居合わせることはなかった。




 美味しいものが食べたい、とミァンは有翼人の女の店に向かった。今回はメェメェも一緒だ。

 昨日はほとんど何も食べていない。朝にキイチゴを詰め込んだが、それから激しく運動してしまったし、その後はずっと眠っていた。歩くたびに腹の虫が鳴るのは恥ずかしい。

 メェメェは涼しい顔をしている。彼は昨日のうちに、お気に入りの高原でたらふく食べてきたのだろう。

 彼女たちが店に辿り着くと、有翼人の女はちょうど先客の相手をしているところだった。


「エル、僕の天使。あなたは僕にとって高嶺の花。手を伸ばしても、あなたはその翼を広げてどこかへ逃げてしまう」


 と思ったが、どうやら客ではないようだ。


「商売の邪魔になるからどいてって言ってるでしょ、色気違い山羊」


 有翼人の女――エルを口説くのは、サテュロスの男だった。

 山羊のように割れた蹄を持つ二本脚を交差させ、男はエルに迫っていた。癖の強い髪の間からは二本の短い角が生えている。長いまつ毛が印象的な、顎髭を生やした色男だった。


「僕の名前はディーレ。そろそろ名前ぐらい覚えてくれたっていいじゃない」

「あ、いらっしゃい! 今日も買っていくでしょ?」


 自身の名前を強調するディーレを差し置いて、エルはミァンに手を振る。

 ミァンとメェメェが店の前までやってくると、ディーレはしげしげとミァンのことを見つめた。顎に手を当て、胸のあたりに目をやる。


「僕の食指が動かない。バイコーンさん、よくこんな少女で我慢できるね」

「なに勘違いしてんだ。このクソ山羊」


 ミァンが声を上げるよりも先に、メェメェが唸った。

 エルは注文を聞く前に商品を紙で包み始めていた。それを見て、ミァンがお金を取りだす。サンドとお金を交換する際、エルはウインクをした。


「さっそく活躍したみたいね」


 称賛の言葉を添えて。

 耳ざとくそれを聞きつけ、ディーレは再びミァンのことを見る。黒目がちな目を、今度は胸だけではなく、耳や手足に走らせる。


「驚いたな。あなたが噂の人間か。名前はたしか――」

「ミァンでしょ! この前、名前を聞けなかったことを後悔してたのよね」


 エルが嬉しそうに言う。

 どうやら、噂と共にミァンの名前が広まっているらしい。初日にエルが言っていたように、中にはとんでもない内容のものも混じっていそうだ。

 ディーレはショックを受けてうなだれている。


「毎朝通いつめてる僕の名前はちっとも覚えてくれないのに」

「可愛い女の子の名前なら覚えるでしょ、普通に考えて」

「それは、たしかに」


 納得してしまうディーレ。

 ディーレとエルが盛り上がる横で、メェメェはミァンが手にしたサンドに興味を示していた。ミァンは腹をすかせていたので、立ったまま食べ始める。

 彼女に寄り添うメェメェを見て、ディーレはやはり腑に落ちない顔をする。


「バイコーンさん、いつから鞍替えを? 参謀やダミアン隊長の奥様との浮名を流していたのを、僕はつい昨日のことのように覚えているのだけど」


 ミァンは思わず食べていたものを噴き出した。

 すかさず、エルがディーレを叱り飛ばす。


「こらぁ! 可憐な少女の耳になんて情報を入れさせるのよ! ミァンちゃん、大丈夫? 拭くものいる? なんなら、もう一個サービスしてあげてもいいよ?」

「だ、大丈夫」


 ミァンはむせながら、なんとかそれだけを返す。エルはミァンの背中をさすり始めた。

 肝心のメェメェは固まっている。涙目のミァンが責めるように見ていることに気付くと、彼は慌てて弁解し始めた。


「み、未遂だ。未遂。リッカがあんな上の立場だと知った時には、冷や汗もんだった」

「彼女が言っていた二度の不祥事って……」


 軽蔑の視線を向けるミァンに、メェメェは何も言えなかった。事実だからだ。

 メェメェを見直した矢先の出来事で、ミァンは失望していた。いや、メェメェが不祥事を起こしたのは彼女と出会う前の話なのだが。それでも、自分の中で崩れ落ちるものがあった。

 口が悪いだけで、面倒見のいい先輩。そんな印象が覆される。


「で、どうなの? この子のこともそんな目で見てるの?」


 ディーレは遠慮なく踏み込んでくる。


「んなわけないだろ。俺の好みとは程遠い。俺が好きなのは――」


 言いかけてメェメェは口を閉じる。この発言により、また自分の株を落としかねないからだ。

 これだから男は、とエルはため息をつく。ミァンは逆に、ここまで来たらメェメェの本音を聞いてみたい、と思い始めている。


「好きなのは? どういう女性?」


 他でもないミァンが続きを催促したことに、メェメェは口ごもる。しかし、けっきょく言った。


「マザーのような」

「え、なに、マザコン?」


 ディーレが口をはさむ。


「違う。マザー・アウトローチェのような女が好きだな」


 ミァンはマザーの容姿を思い出す。


「メェメェ、六本脚が好きなの? それとも、目が八つあるところ?」

「容姿じゃなくて中身の話だ。しっかりしていて成熟した女性は素晴らしい」


 前述のことがなければ、良いことを言っているようにも聞こえるのだが。

 メェメェの暴露に、聞いていた三人はそれぞれの反応をする。ディーレは自分が知っている彼のままで安心した、というようにニコニコしていた。エルは聞く前と変わらず呆れている。

 ミァンは――


「メェメェが自分のことを教えてくれるのは初めてだね。これで私たち、もっと親密になれたよね」


 良い話風にまとめようとしていた。

 それを聞いて、メェメェはハッとする。


「俺の言い損じゃないか! お前さんのことも教えろ!」

「年頃の女の子の好みを聞き出そうとするなんて、大人げないでしょ」


 エルに言われ、メェメェは仕方なく引き下がる。しかし、目は諦めていなかった。

 ミァンの言葉で、メェメェは互いに相手のことを何一つ知らないという事実を意識したのだ。謎が多いのはお互い様だが、彼女にもなにか一つぐらい明かしてほしかった。


「私のは秘密」


 しかしミァンは、少女にしか許されない笑みを浮かべて、そう言ってのけた。


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