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デュラハンの弟子  作者: 鴉山 九郎
【第1章 糸は紡がれる】
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9.ミノタウロスの抱擁

 *****



 真夜中とも呼べる時刻。

 あちこちで人間の金切り声があがる。四方八方で仲間たちが人間を脅かしていた。今回は人間の方が先に武器を取ったのだから。彼らが二度と森に刃を向けることがないよう、しっかりと恐怖を植え付ける必要があった。

 街が騒がしい中、城下の庭に一人の亜人が徘徊していた。

 黒い毛の生えた筋肉質な巨体。腰に巻かれたベルトには幾本もの小斧。地を踏みしめる二本足は割れた蹄を持ち、鞭のような尻尾が自身の背中を叩いている。頭部からはうねった角が二本生え、雄牛の頭を飾っていた。

 ミノタウロス族の青年コルタウリは、人間を追いかけるのは趣味ではない。ましてや悲鳴を聞くのも好きではなかった。人間側から魔族と呼ばれていようと、彼は見た目通りの草食的な一面を持ち合わせていた。


「魔族が城内にも侵入した! 君たち、ここから逃げなさい!」


 城の上階から、そんな声が漏れてきた。

 コルタウリは蹄の歩みを止め、首を傾げる。今回、人間と応戦するにあたって、家中や城内には入るな、と念を押されたはずだ。誰かが騒ぎに浮かれて規則を破ったのだろうか。

 逃げろ、という男にたいし、女がなにか喚いている。しかし、そちらの声はコルタウリの耳に届かない。


「彼女のことは私が! だから、きみたちは逃げて!」


 男がもう一度言った。今度は女も素直に従ったようで、数人の足音がばたばたと走った後、辺りには再び静寂が戻った。

 それからすぐ、コルタウリの頭上の窓が開かれた。反射的に腰の斧に手を伸ばしつつ、コルタウリは最上階の窓を見上げる。窓から光が漏れていた。人影が明かりを揺らす。陰が、歪んだように見えた。

 次の瞬間、窓からなにかが放り投げられた。

 それを目にしたコルタウリは動揺したように黒い瞳を揺らした。けれど、反射的に。“それ”が落ちてくるであろう地点まで、走った。コルタウリは落ちてくるものに向かって腕を伸ばす。彼の太い腕が、しっかりと温かなそれを受け止める。

 コルタウリの心臓が高鳴っていた。速まる鼓動と鼻息が、腕に抱いたその存在を否定したがっていた。開け放たれた窓を見上げてみるが、すでに明かりは消えている。


 コルタウリは暗闇に覆われた庭で、人間の赤子と取り残された。




「コルタウリ、それはどういうつもりだ」


 自らの頭を小脇に抱えたデュラハン、フィスファールは堅い声を出した。辺りはしんと静まりかえる。

 森を襲撃してきた人間たちを追い出し、皆が一息ついている時だった。コルタウリが一歳にも満たない人間の子供を抱いてきたのは。


「あ、これは――」

「ヒトの子供だ!」

「人間の子? なんでまた?」

「返してきなよ、コルタウリ。子供は食べちゃいけない掟だ」

「ぼくは食べないよ!」


 コルタウリが説明しようと口を開くと同時に、集まっていた者たちが一斉に騒ぎ出した。コルタウリは掟のことを持ち出してきた女に言葉を返すだけで精一杯だった。

 十を越えるさまざまな姿をした亜人たち。中には人間より大きなもの、恐ろしい姿をしたものもいる。そんな彼らが一様に身を縮め、コルタウリの腕の中ですやすやと眠る赤ん坊に畏怖の視線を向けていた。


「皆、静かにして。――コルタウリ、説明するんだ」


 フィスファールの声に、辺りはまた静まりかえる。皆から注目され、コルタウリはその場で足踏みを始めたいほど緊張していた。


「これは、その。助けた、というか……」

「助けた?」

「俺たちはそんな子供は襲わない! 心外だ」

「そうよ! コルタウリ、まさか私たちの仲間にそんな不届き者がいるとでも?」


 なにやら勘違いされたようだ、と分かるもののコルタウリは皆の勢いに呑まれて言葉が出ない。見かねたフィスファールが助け船を出した。


「しっ、皆静かに。コルタウリ、どうなんだ? 我々の中に、まだ歩けもしない乳飲み子を襲う輩がいると?」

「ち、違う。人間から助けたんだ」


 今度は皆も口を挟まなかった。というよりも、彼の言った意味を瞬時に理解できなかったのだ。フィスファールでさえも、頭の乗っていない首を傾げている。

 頭の悪いコルタウリはその沈黙を、皆が事情を理解してくれたのだ、と肯定的に受け取った。口下手な彼がそれ以上の説明をしようとしないのを見て取ると、フィスファールは再び問いかける。


「人間が人間の子供を襲っていたのか?」

「あー、……そういうわけじゃなくて。お城の最上階から、投げ落とされたんだ。この子が。ぼくは下で受け止めて」

「人間はお城の最上階から落ちたら死ぬ」

「そうだよ! だから、助けたんじゃないか! あのままお城に置いてきても、この子の身は安全じゃない。あのお城の中に、この子の命を狙う奴がいる限りは!」


 皆、互いの顔を見合わせた。


「人間の世界はこの子にとって危険なんだ!」


 コルタウリは必死に皆に呼びかけた。あの時、窓に映った人影の異様な雰囲気を。見た瞬間、背筋が凍り付くようにぞっとしたことを。皆に分かってもらいたかった。あれを見たら、この子を放っておくなんていう選択肢はできないはずだから。


「なるほど。なるほど。ない頭で必死に考えた結果だ、って言いたいのか」


 しかし、フィスファールは分かってくれなかった。これまでコルタウリの言葉を誰よりもしっかりと聞いてくれていたフィスファールが、味方になってはくれなかった。

 脇に抱えていた頭を胸の辺りまで持ってきて、フィスファールはコルタウリをしっかりと見据える。その顔は険しい。


「犬や猫を拾ってくるのとはわけが違うんだ。そんな事情なら元の場所に返してこいとは言わないさ。どこかほかの――」

「見放すっていうの? 人でなし」

「私は元から人じゃない。じゃなくて、コルタウリ、聞いてくれ。この子は我々の世界では生きられない。違いすぎるんだ」

「フィスファールは見てないから言えるんだ、そんなこと」


 コルタウリは鼻息を荒くして、抱いていた赤ん坊を隣にいた男――ライカンスロープのゼブに押しつけた。ゼブは目を丸くしながらも、爪で柔らかな皮膚を傷つけないよう気をつけながら赤ん坊を抱き上げる。


「おい――」


 肩を怒らせてフィスファールに詰め寄るコルタウリに、ゼブは戸惑いの声をかける。が、遅かった。

 巨体のコルタウリが細身のフィスファールにタックルをしかけた。不意をつかれたフィスファールは背後に吹っ飛び、背を木に叩きつける。手から頭が転がり落ちた。頭はうつ伏せになり、彼の表情は分からない。皆が固唾を飲んで見守る中、フィスファールの身体が動いた。腰の剣に手をあてがい、転がった頭を無視したまま、コルタウリに近付こうとする。コルタウリも小斧に手を伸ばしかけたその時。


「やめんか、若人たち。人間の子供の一人や二人、養ってやればよいではないか」


 今まで黙っていた老木のトレント、アルがしわがれた声を上げた。コルタウリは途端にフィスファールを無視して、その老木に走り寄る。


「アルさんは分かってくれたんだ!」

「半分くらい寝てたからたぶん分かってねーよ、その爺さん」

「黙っとれ、ブル。ただまあ、フィスファールの言い分もないがしろにしてはいかんのお」


 トレントの若木ブルは肩をすくめるように枝をしならせた。

 フィスファールは自分の頭を拾い上げ、土埃をはたいている。こちらに頭を向けないまま、フィスファールは背中で答える。


「それ以前に、根本的な問題がある。誰がその子を育てる?」

「皆で」

「そんな躊躇なく答えるな、コルタウリ。少しは遠慮して言ってくれ。でも、そういうことでもないな」

「どういう意味?」

「母乳だよ。それがなきゃ育たない」


 コルタウリは押し黙った。だが、決して返す言葉がなかったわけではない。この森にいる数々の“雌”を頭に思い浮かべていたのだ。そして、その中から人間の姿からかけ離れている者、母乳がでない者を除外していく。


「ザンナさん」

「俺の息子はもう乳離れしちまってんだよ、牛ちゃん。妻はもう乳を出せない。悪いな」


 コルタウリが頭に浮かんだ一つの名を口にすると、先ほど赤ん坊を押しつけたゼブがすかさず言った。姿が人間に似ている種族で、快く引き受けてくれそうな肝っ玉母ちゃん――ライカンスロープのザンナが第一候補からさっそく消えた。


「そう簡単に行くわけない」


 意気消沈するコルタウリに、フィスファールは厳しく言う。


「いやいや、もっと相応しい方がいらっしゃるじゃないの」


 アルの方から聞こえたが、その声は若々しくはきはきとしたものだった。

 皆がそちらに目を向けると、一羽の真っ黒なカラスがアルの肩から地面に舞い降りて、気取ったお辞儀を披露する。渡りガラス――もとい、風来坊のサジュエル・ミグラテールだ。

 コルタウリは期待の視線を向ける。


「アプトラのお嬢さんだ」


 期待はずれだった、とコルタウリは目に見えてがっかりした。その反応が意外だったのか、サジュエルは慌てて言う。


「待て待て。これ以上に相応しい者はいないだろうが、うん?」

「サジュエル、彼女はないよ。逆にこの子が丸呑みされても文句を言えない」


 フィスファールもサジュエルの人選にもの申した。サジュエルは飛び上がって反論する。


「いやいや、これは彼女のためにもなるかもなんだぞ。傷心のアプトラを立ち直らせることができるかもしれないではないか。彼女の心にぽっかりと空いた穴、それを埋める存在、それがその子かも」

「かも、ばっかり」


 コルタウリは不安そうに言う。フィスファールもいつの間にやら頭を抱え直していて、胡散臭そうな目を向けていた。皆の視線が耐えられなかったのか、ついにサジュエルは言った。


「良いでしょう。彼女とはあっしが交渉いたしやす」

「さすが紳士。良いところ見せてくださいね」


 フィスファールはあまり期待していなさそうだった。そもそも、彼は人間の子が森に残ることに賛成ではないのだから、サジュエルの交渉が失敗に終わった方がいいのだろう。




 森をさらに奥に進むと、鬱蒼と茂る木々に蔦がまとわりつく光景が広がっている。ほかの場所よりも気温が一、二度ほど高く、肌に触れる空気もじっとりと湿っていた。

 動物たちはもちろん、並大抵の亜人たちもこの場所にはあまり近寄りたがらない。気温や湿気の関係もあるだろうが、ここらを縄張りとしているのが大小さまざまな蛇、そして気性の荒いことで知られている彼女だからだ。


「いったいどういうつもりだろうねえ」


 ねっとりとした声音が頭上から降ってきた。奇しくもそれは、フィスファールが上げた第一声と同じ意味を持つものだった。

 赤ん坊を抱いたコルタウリ、フィスファール、そしてサジュエルが彼女のもとへ来ていた。サジュエルが声の主を見上げ、羽ばたく。さっそく交渉を開始するつもりのようだ。


「お嬢さんに頼みたいことがありましてな」

「ふうん?」


 蔦が巻き付く太い枝の上で、下半身が蛇で上半身が裸の人間という女がくつろいでいた。細い腕で枝を抱き、大きな胸を枝に押しつけている。石膏のごとく白い肌と、艶やかな鱗が月光にきらめいていた。

 ラミア族の女、アプトラだ。

 彼女のつり上がった目がコルタウリの腕にあるものを凝視していた。


「この子を育ててもらいたいのですな」


 直球過ぎるもの頼みにフィスファールは冷や汗を流す。

 案の定、アプトラの目の色が変わった。


「サジュエル、一応聞いておいてあげるけどお。まさか、旅のし過ぎで生まれ故郷の情報には疎いんじゃあないだろうねえ?」

「いんや、しっかり耳にしてるさ。君が――」

「だとしたら! よくもそんなことを図々しく頼めるね! あたしは子供を人間に殺されたってのに!」


 まくし立てるアプトラの形相は蛇に近い。二股の舌がシューシューと音を立てている。

 コルタウリは落ち着きなく尻尾を振っていた。


「この子には母乳が必要なんだ」

「いいよ、連れておいで。あたしが丸呑みにしてやるから」


 彼女は威嚇するように牙を剥いた。


「ほら、言わんこっちゃない」


 フィスファールは小声で呟く。

 その時、赤ん坊が目を覚ました。赤ん坊はコルタウリの牛顔をじっと見つめたが、すぐに顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。赤ん坊特有の泣き声に、亜人たちは動揺する。

 皆、耳を塞ぎたかったが一同全員それぞれの理由で手がふさがっていた。


「アプトラ、胸が張ってつらいのだろう?」


 赤ん坊の声に負けないよう、サジュエルは声を張り上げる。赤ん坊の泣き声に一番動揺していたのはアプトラだった。


「母乳を飲む子供がいなくなったことで――」


 アプトラは赤ん坊の泣き声に惹かれるように、するすると木を滑り降りてくる。地面に降りたったアプトラの胸はたしかに、大きく膨らんでいた。そして、泣き声につられるように母乳を滲ませていた。


「行き場のなくなった母乳を、この子に分け与えてやってはくれまいか?」


 アプトラが答えを出すより先に、赤ん坊の方が彼女に手を伸ばした。母乳のにおいを嗅ぎ取ったのか、必死に手足をばたつかせている。

 アプトラは黙ってコルタウリから赤ん坊を取り上げた。彼女の腕に抱かれると、赤ん坊はすすり泣きながらおっぱいに吸い付き始めた。


「アプトラ、いいのか?」


 フィスファールが信じられない、とばかりに声を出す。アプトラは自分に吸いつく人間の子を見下ろしたまま、静かに言った。


「すべてをあたしに押しつけるのは許さない。森の皆で育てるのが条件だ」

「元より、そのつもりだとも。なあ? コルタウリ」

「う、うん。ありがとう、アプトラ」


 サジュエルとコルタウリが安堵のため息をつく中、フィスファールはそっとその場を離れた。

 彼はその“森の皆”の中に入るつもりなどなかったのだ。



 *****


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