0.首無し騎士からの祝福
それは、一人のデュラハンが王妃を血濡れにしたことから始まる。
死の運命を、えげつない方法で告げに来る不気味な騎士。そこに彼の意志はない。ただ、この世に存在した時より決められた運命に従って、使命を遂行する。
しかし、人間がそれを理解するはずもなく。運命を受け入れられず、デュラハンを恨む者も、少なくはないのだ。
王妃の部屋の戸を、だれかが規則正しく叩いていた。四回鳴らしては止み、四秒経っては四回鳴らす。その繰り返し。
先ほど人払いをしてしまったため、使用人たちは部屋にいない。誰かが出ない限り、あのノックの音は一晩中響きそうだった。
不気味さと煩わしさを感じながら、ベッドで休んでいた王妃は億劫そうに立ち上がる。大きく膨らんだ腹に手をあて、王妃は戸に近付いていった。
王妃の腹には御子が宿っている。もういつ生まれてもおかしくない、と医者に言われている月齢だ。長年の念願の末、やっと授かった子宝。王妃は無意識にお腹を撫で、戸の前に立つ。
そして、戸を開けた。
「お晩です」
王妃の前には、首のない男が立っていた。
戸から手を離し、王妃は部屋の中に後ずさる。恐怖よりも先に驚愕が襲い、悲鳴をあげることすら忘れてしまう。すると、男も部屋の敷居をまたいだ。
ほっそりとした体躯に鎧を着込み、帯剣する。身なりは騎士のようであった。首がないというほかは。
首より上がないのに、いったいどこから声を出したのか。王妃の混乱した頭では、それが最優先の疑問のように思えた。男が暗い廊下からシャンデリアに照らされた部屋に移動すると、彼が手に持っているものが鮮明に目に映った。
左手は黒く長い髪を掴み、生首をぶらさげて。
右手は黒い液体の入った桶をぶらさげていた。
王妃の目は、左手の方に釘付けになっている。王妃の見開いた目はその光景をたしかにとらえた。
――左手の生首が、口を動かす瞬間を。
「そして、ご愁傷さま」
男の右手が動いた。桶に入った液体が王妃に浴びせられる。瞬間、王妃の視界は真っ赤に染まった。何をされたのか理解できず、塗れた両手を顔の前に持ってくる。鉄の匂いがする。生温かな感触が気持ち悪い。目を拭って、己の手を見た時、王妃は絶叫した。
黒く見えた液体の正体は、赤黒い血であった。
城に王妃の絶叫が鳴り響く中、首無し騎士はひらりと踵を返し、部屋を出る。ぶら下げた生首が口笛を吹くと、城内だというのにどこからともなく首のない馬が駆けてくる。その背に飛び乗り、騎士は馬をいななかせた。
首無し馬のいななきを聞いた王妃は、ぱったりと絶叫を途絶えさせ、そのままその場に倒れた。
廊下の両端から使用人や近衛兵たちが駆けてくる。彼らは城内に、それも最上階に、馬の姿を見つけ、はたと立ち止まる。廊下の暗さが幸いして彼らが騎士と馬の歪な姿に気付かないうちに、騎士は馬を操り最上階の窓を蹴破った。
そして、首無し騎士は割れた窓ガラスと共に地に落ちていき、蹄の音を響かせながら夜の闇へと消えていくのだった。
その夜、一つの命を犠牲に、新たな命が誕生した。




