追憶のシュリヒト
諸君、アハトゥンク!
どうも、大変長らくお待たせ致しまして申し訳ありません。
しとしとと霧雨が降り注ぐ。
全身を万遍なく霧吹きで濡らされている様な錯覚に陥る。
迷彩柄の防水布で作られたポンチョを着ているが、その下に着ている野戦服が湿気でぐっしょりと濡れ、皮膚に張り付いて気持ちが悪い。
きっと、今野戦服を搾ればかなりの量の水が出てくる筈だ。
ネットを被せたヘルメットから滴が集まって、先端からポタポタと垂れた。
針葉樹林を背を低くしながら駆け回る。
苔むした杉の根元に屈みながら、次の杉の根元に走り抜けて直ぐに屈む。
遠くから低い唸り声と小さく喧騒が聞こえて来た。
背中に背負ったパンツァービュクセ39を摩る手を止めて、後ろを見やるとシュリヒトと目が合う。
目付きが鋭く、荒々しく荒んだ印象を受けてしまうが、彼女の身の上を知ればそれは仕方の無い事だと納得せざるを得ないだろう。
私に心を開いてくれるのは、一体いつになることやら。
一つ頷いて、ついて来る様に手信号を送り返事を待たずに、音源に近い木の根元にすかさず移動する。
なるべく足音がしない様な走り方をする一方で、背後からついて来ているシュリヒトから、ガサッパキッと枝を踏み折る音や落ち葉を散らす音が聞こえて来た。
まぁ、まだまだなのは仕方が無い。
私とて、一昼夜で覚えられた訳では無いのだから、これは仕方の無い事だと言える。
次第に唸り声が大きくなって行き、言葉もはっきりと聞き取れる様になって来た。何を言っているのかは、理解出来ないが。
ちょうど良い位置に太い倒木があったので、その後ろに隠れそっと頭だけ出す。
そこはなだらかに中央に走る道へ向けて下っている様な、窪地とも言える場所であった。
その中央に走る、舗装されていない泥だらけの道に、大量のBT-7快速戦車とハーフトラック、そして数えるのも嫌に成る程の兵士兵士兵士。
泥道に捕まったBT-7が多いのか、進軍速度は亀よりも遅く、見ている側で早速二両のハーフトラックが戦車の作った轍に足を取られ、ひっくり返った。
トラックから投げ出される兵士と悲鳴、士官が発する怒号で辺りは大わらわ。
大混乱で収集がつきそうにない。
私にとってはこれは好都合だ。とりあえずとばかりに少数配置されて居た歩哨が、全員ひっくり返ったハーフトラックの方に行ってしまったので、バレる心配がぐっと減った。
「シュリヒト、写真を」
「…………」
すっとシュリヒトから、今回の標的の写真が差し出される。
そう、今回の目的は要人の暗殺。
この機甲旅団を含む歩兵師団の師団長を葬り、出来るならば高級将校を多数抹殺せよと、我らの総統閣下が命令を出した。
しかも、これは極秘の作戦であり、公に出すことが出来ないので、従って戦力を出すことも出来ない。
出来る限りの少数戦力で、作戦をやり遂げなければならないと言う始末だ。そこで私に白羽の矢が立った訳なのだが、私にとってはいい迷惑だ。
何が悲しくて一個師団に二人で挑まなくてはならないのか。この作戦を提案した奴は脳味噌が腐って居るに違いない。
「くそったれめ」
小さく呟いた悪態が木々の間に消えていく。
再び倒木の後ろから頭だけ出して、今度は標的を捜す。
機甲旅団なら、サークルアンテナが付いた指揮官用のBT-7を探して、戦車長をじっくりと観察してやれば良いが、歩兵師団の方だと司令部をまず探さなくてはならないし、これだけ部隊が引き伸ばされていると、何処にその司令部があるのかわからない。今度は司令部を見付けても、将軍が幌のあるトラックの奥に座って居たら更に分からない。
このパンツァービュクセ39があれば、ここにある戦車ないし装甲車両に乗って居ても全て貫徹することが出来る。なので、標的さえ見付けられればこっちの勝ちだ。
さくっと肉塊に変えて、さっさとトンズラこけば良いのだから。
7.92×97mm徹甲弾を食らえば、その高初速故に手足の末端部分であったとしても吹き飛ばせる。
何故ならば、弾頭が抜けた瞬間に体組織が回転に巻き込まれ、ズタズタに引き裂きながら衝撃が直進するので、出弾部はまるで破裂したかの様な状態になるのだ。そうなると、もう手の施しようがない。
司令部が率先して師団の前を行っているとは、ソ連に限っては無いと踏んでいるので、じっくりと待つ。
その間、お互いに口を聞くことは無く、私が話し掛けても頷くか首を振るかの二つしか無い。かつてこれ程一方的なやり取りを長時間続けた事はただの一度も無い。
そして待つ事一時間、やっとお目当ての司令部が登場した。
真ん中に囲まれる様にしてジープに乗る、偉そうな太めの男を見付けた。写真とまったく同じ顔だ。
肩には金糸をふんだんに使われて、一面テカテカと光っている肩章をつけており、その階級の高さを主張している。まさか、こんな所で死ぬとは夢にも思っていないだろうが。
「居たぞ」
シュリヒトも同じ様に頭だけ出して確認した。
すると、もう一方の方を指差す。
そこには、司令部の後を追い掛ける様にして、BT-7の指揮車両がこちらに向かって来ており、キューポラからはまた偉そうな男が前を見据えて居た。
同時に見付けられるとは運が良い。
「丁度良い、一気に仕留めるぞ。お前はモーゼルで旅団長を仕留めろ。私は師団長を殺る」
「………了解」
久振りに聞いたシュリヒトの声に、思わずまじまじと彼女の顔を見てしまったが、直ぐに師団長に視線を移す。
決して、シュリヒトの眼をみているのが居た堪れなくなったわけでは無い。
倒木の脇からそっと銃身を出して、ピッタリと胴体の中心を狙う。
隣で小さくカチャッと初弾を薬室に装填する音がしたので、そちらも準備が整った様だ。
「三つで撃て。間違えても先に撃つなよ…一緒に撃つんだ」
その言葉にシュリヒトが私の眼を見る。
数瞬私の眼を見た後、微かに頷いた。
私はパンツァービュクセ39をぴたりと師団長の胴体の中心に構え直す。
ゆっくりと徐行するジープの軌道に合わせ、銃身をズラす。
「さん」
「に」
「い……」
それはまったく予期せぬ時に起きた。樹々の合間に見える空が一瞬強く瞬き、ほぼ同時に爆音が轟いた。
雷が落ちたのだ。
きゃっ、と小さく悲鳴があがり、続いてパンッと炸裂音が響いた。
しまった!
そう思った時には遅かった。
驚いたシュリヒトのモーゼルから発射された弾は旅団長を掠めて射線上に居た別の兵士に当たってしまった。旅団長は直ぐにBT-7の中に潜ってしまい、ジープに座って居たはずの師団長の姿が見当たらず、ジープが加速した。
急いでジープの運転手と座って居た座席に向けてパンツァービュクセ39を連射し、ジープを蜂の巣にした上で弾倉を空にしてシュリヒトを引っ掴み走り出す。
既に場所はばれた。
師団長の生死を確認している暇はない。
運転手の上半身が吹き飛んだのは確認したので、そのうち木にぶつかって死ぬだろう。
と思って居たら、背後で爆発音が聞こえてきた。
どうやら交通事故で蜂の巣ジープが爆音したようだ。
座席に体を丸めていたならば、ソ連の師団長は既にこの世には居ないだろう。
直ぐに喧騒と戦車の駆動音が聞こえてきた。
どうやらあの旅団長が追い掛けて来ているようだ。
「走れ走れ!頼むから転けるなよ!!」
シュリヒトと共に隠密性関係無く全力で樹々の間を駆け抜ける。
後ろからソ連兵が追い掛けてくる。
パパパパパパッと機銃掃射の音や単発の小銃を撃つ音が響いて来た。
続いてパスッと近くの木の幹に弾が突き刺さる音と、ヒュンッと頭のすぐ脇を通り抜ける音がした。
そして、後ろから背筋が凍るような音がする。
パゴンッ
決して、小銃からは出せない音が轟く。
その音は、ドイツで言う所のドアノッカー。つまり3.7cm砲の発射音で、現在のドイツには3.7cmで装甲を貫徹出来る戦車は限られている事と、逃げている生身の我々を見たら徹甲弾など使わない。
つまり、弾種は榴弾。
シュリヒトを掴み全力で真横に飛ぶ。
パギャッ
先程まで私たちが走っていた所の土が捲り上がり、土塊がパラパラと落ちてきた。
キーンと耳鳴りが酷く、自分が真っ直ぐ立てて居るかも分からない。
衝撃で一時的に平衡感覚が失われたようだ。
「走れ!止まるな!」
自分の声もくぐもって、しっかり話せているか自信が無い。
辛うじて、骨伝導で響いてくるだけだ。
顔面蒼白のシュリヒトを連れて、ひたすら走る。
後ろからは今だに追い掛けてくる。
先程と比べて更に人数が増えているような気がした。
「シャイセ!!」
だいぶ聴覚が回復して来た時、ついに恐れていた事態になった。
「うぐっ………」
「シュリヒト!!」
小銃の弾が、後ろを走っていたシュリヒトの右胸を貫通したのだ。
ドサリと倒れるシュリヒトを抱き起こして、傷口を確認する。
幸いな事に大きな血管は傷付けて無いようだが、傷口が血で泡立つ事から肺を貫通しているのが分かった。
「……いや、だ。しょ……うさ…置いて、いかないで………」
「置いて行く物か!寝るなよ!」
シュリヒトを肩に担いで、再び走る。先程とは段違いに速度が遅いせいで、連中との差が更に縮まっている。
シュリヒトの胸から溢れる血が、私の肩を濡らし滴る。
頭の奥がチクチクと疼く。
懐かしくも憎らしい、何者かが私に囁く。
その囁きはシュリヒトが助かる内容だが、これは助かったと本当に言えるのか怪しいものだ。
そして、私もシュリヒトも二度と元には戻らない。
だが、このままでは友軍の元に辿り着くまで持たない。
私の腹部にドスドスドスと三回軽い衝撃が突き抜け、一瞬遅れて熱い感覚が押し寄せてくる。
びちゃびちゃと生命の源である血液が腹部から零れ出て、足が竦む。
どうやら撃たれたようだ。
「…………畜生!」
なんとかシュリヒトを地面に降ろして、頬を軽く叩き意識を覚醒させる。
「良く聞けシュリヒト。お前は生きたいか?」
「……ぁ……いき、たい」
「だが、それは人では無くてもか」
「……ぅ……ん」
「………最後の質問だ。お前は処女か?」
「…………は、い」
「分かった」
「今から、貴様の魂は私の物だ」
私は、シュリヒトの首筋に歯を立てた。
溢れる出る血を舐め、徐々に懐かしいあの感覚が呼び起こされる。
今まで私の中で飢えを訴えていた物が満たされ、喜びの声をあげた。
わざと完全には血を飲み干さず、三分の一程呑んだ所で止め、二つの傷口をちろりと舐める。
私の唾液が糸を引き、ぬらりとシュリヒトの首筋がなめかしく光った。
「シュリヒト、お前は私の一つだ。お前の魂が解放されるその日は、私が朽ち果て地にその骸を晒した日になるであろう」
眠っているシュリヒトの頬を撫で、追跡者の方を見やる。
私にここまでさせたのだ。今更連中を生きて返す気はさらさらない。
奴らに地獄を見せてやる。
「ようこそ、死に最も近い場所へ。シュリヒト」
もう既に腹部からは血が出てはいない。
シュリヒトの血液を呑んだ事により、完全に治癒した。
もう今の私は並大抵の事では殺める事すら出来ないだろう。
あぁ、最後にこの姿になったのは何時だったであろうか。少なくとも、あの屈辱的であった一次大戦よりも前であったのは確かだ。
だが、今はそんな事はどうでも良い。とにかく、この飢えるような渇きを癒したい。
シュリヒトでは足りない。
そうだ。
今私の前に居るでは無いか。
こんなに沢山の血袋が。
素晴らしい!
神よ、今日の所は感謝しよう!
「…………夢、か……しかし、何故今更?」
「た、隊長…?」
「あぁ、何でもない。何でもないぞシュリー」
「そ、そうですか……」
「ただ…な。昔の事を思い出しただけ。それだけだ」
いかがだったでしょうか。
いつも通りの拙い文章で申し訳ありませんが、今回は少佐の正体についての回でした。
日の下歩けてるじゃんと言う疑問は飲み込んでおいて下さい。




